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花鳥風月物語  作者: 藤波真夏
第一章
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二話 芽生え

二話 芽生え

「蘭丸。そこに座りなさい」

 家に帰ってすぐに言われた言葉。いつもは笑顔で出迎えてくれる桃也が真面目な顔をしている。蘭丸は「はい・・・」と自信なさげな声を発して桃也の前に座った。

 蘭丸は下を向く。特別悪いことをしたわけではないが、もしかしたら気が触るようなことを無意識にしたのかもしれない。子供なりの気遣いと忖度が働いている。そんな蘭丸を見て桃也は口を開いた。

「どうして下を向いているんだ?」

「・・・僕、悪い子?」

「?」

「僕が・・・母さんの言うことを聞かないから?」

 蘭丸の中にあるものはこれだけだった。やんちゃが過ぎて母の青葉が手を焼いている。事が起こるたびにいつも青葉に怒られている。ついに青葉から桃也に対しての注意が来たのだろうか。

 桃也は笑った。蘭丸が顔を上げる。

「別にお前を叱るために呼んだんじゃない。でも、母さんの言う事をちゃんと聞かないと、父さんだって黙ってないからな」

「はーい」

 少し安堵した後に、桃也は向き直った。

「お前に話すのはお前の人生に関わる大事なことだ。絶対に忘れるんじゃないぞ?」

「は、はい」

 蘭丸は背筋を伸ばして桃也の口から放たれる言葉を待っている。そしてついに桃也の口が動いた。

「蘭丸。お前にうちの苗字を教えていなかった」

「苗字・・・」

 蘭丸には心当たりがあった。蘭丸は勉強を教わるために寺子屋へ通っている。そこでは全員がそれぞれの苗字を持つのに対し、蘭丸は分からないために名前だけを書いている日々が続いた。

 まるで自分が幽霊のような感覚だった。どこか他の人とは違う、異質感さえ覚え始めていた。運良く、いじめなどの陰湿なものはない。ただ蘭丸は寺子屋のみんなと同じようになりたい。それだけだった。

「苗字があるの?」

「ある。だけど、これを名乗るとお前に悲しい思いをさせてしまうかもしれないからな。我が家の苗字は孫だ」

「そん?」

 蘭丸はその言葉を忘れないように何度も頭の中で繰り返した。つまり、自分の本名は「孫蘭丸」だ。そう心に刻み付ける。一方で子供の好奇心からか疑問を桃也にぶつけてしまう。

「どうして教えてくれなかったの?」

 桃也は子供の好奇心にとことん付き合うと決めている。桃也は口を開いた。

「孫はこの国を治めている王様と同じ苗字なんだ」

「王様? どうして?」

「それは、父さんが王様と家族だからだよ」

 蘭丸は最初ポカンとして理解するのに時間がかかった。しかし誰かに似て察しが良く、七歳の蘭丸は分かり始める。

「父さんって王様と知り合いなの?!」

「父さんは今の王様、孫龍さまの弟なんだよ」

「王様って父さんのお兄ちゃんなんだ!」

 言葉は噛み砕いて優しいものであるが、蘭丸は言いたいことが分かっていた。そして同時に生まれる疑問。再び蘭丸は疑問をぶつけた。

「どうして父さんはここにいるの?」

「それはね、父さんは蘭丸が生まれる前に王様やおじいちゃんに『王様にはなりません』って約束したんだよ。決まりとしてお城を出なきゃいけない。だから、父さんはここにいるんだ」

 桃也は七歳の蘭丸にでも分かるように難しい言葉をあまり用いずに簡単な言葉と意味を噛み砕いて言った。蘭丸はそうなんだ・・・と呟いた。王様と喧嘩したの? と口を動かした。しかしそれに対して桃也は否定した。兄達は全員尊敬できる素晴らしい人たちで、喧嘩別れをしたわけではない。

「蘭丸。お前が気に病むことではない。全部、父さんが決めたことに付き合わせているだけだ。だから安心しなさい」

「うん。でも、これで僕も苗字を名乗れるから嬉しいな!」

 蘭丸が笑顔でルンルン気分になっているところへ、桃也がちょっと待て! と楔を刺した。蘭丸が首をかしげると桃也は蘭丸の肩を掴んで落ち着かせる。

「それはダメだ」

「なんで?」

「『孫』という苗字が王様と同じ苗字なのはみんな知ってるんだ。それが知られたらお前は悲しい思いをするかもしれない。父さんはそれが嫌なんだ」

 桃也は「孫」という苗字がどれだけの力を持ち、影響を及ぼすのか蘭丸に言って聞かせた。遠い親戚ならまだ良かったかもしれないが、運が悪いことに蘭丸は王家直系の血を引き継いでいる。「孫」が与える影響は想像を絶する。そのことを蘭丸によく聞かせた。

「わかった・・・」

 少し不満げに蘭丸は返事をしていた。桃也は少し申し訳ない気持ちにもなった。苗字を名乗れる喜びを潰すかのように絶望を与えてしまったのだから。しかし、桃也はこうも言った。

「お前が心から信頼出来る人と出会ったら、苗字を明かすんだ。いいか? 信頼出来る人だぞ?」

「そんな人、いるのかな?」

 蘭丸がそう言った。いつもは明るくてやんちゃな一面が目立つ蘭丸であるが、寺子屋では友達が誰一人いない。やはり苗字がないことが原因だった。苗字がないことでいじめを受けているわけではない。知らないうちに蘭丸自身が見えない壁を作っているのだった。

 桃也は蘭丸にこう言った。

「無理に作らなくていい。必ずお前にはいい友達ができるはずだ。一生の友達がな。父さんもそうだったから。そういうところ、俺に似ている」

「父さんも?」

「だから心配しなくていい。ただ、これも父さんとの約束だ。守れるね?」

「うん」

 蘭丸と桃也は再び秘密を約束した。小指と小指を絡ませて指切りをする。

 桃也は自分が王族出身者であること、苗字をむやみに他人に漏らさないことを蘭丸に伝えることができた。しかし思わぬ産物がもたらされた。あの性格からはあまり想像ができない不安だった。

「我が息子ながらまだ分からないことが多いな・・・」

 桃也はそう呟いたのだった。



 その夜のことだった。

 蘭丸は自分の部屋に布団を敷き、潜り込んだ。木の天井を見上げて今日のことを思い出していた。

「父さんのお兄ちゃんが王様・・・」

 七歳の蘭丸にとっては衝撃的な一言だった。苗字が名乗れることには嬉しいが、「孫」の苗字の力を言い聞かされている。それがある種の歯止めとなっている。言霊が喉で止まる。

 蘭丸にとって心から信頼出来る友達というのがよくわかっていない。モヤのように曖昧だ。友達のようで友達じゃない。小難しい哲学だ。

「友達・・・か」

 蘭丸はそう考えていると次第に眠気が襲い、そのまま眠ってしまった。

 居間では青葉が針仕事をしていた。静かに過ごす夫婦二人だけの時間。話はあの話題になる。

「ようやく蘭丸に話せたよ」

「そうですか。あの子は何て?」

「最初はポカンとしてたけど、あの子もあの子なりに察したみたいだ。誰に似たのか・・・」

 桃也は少し笑って湯飲みの中のお茶を飲み干した。青葉はそうですか、と言った。桃也は青葉に話を続けた。

「蘭丸は明るい子だと思ってた。だけど、俺たちの知らない蘭丸がいることを思い知ったよ」

 桃也のその言葉にどういうことですか? と聞き返す青葉。すると桃也は蘭丸がほんの少し見せた一面を話した。友達と呼べる友達が少なかったこと。「孫」の苗字を名乗ってもなんとも思わないような信頼出来る友達に巡り会えるのかどうか不安がっていること。

 それを聞いた青葉は終始驚いていた。

 屋敷ではほぼ毎回、青葉の手を焼くやんちゃな少年の繊細な一面を見たからだ。

「あんまり想像できませんね」

「俺も同じだ。俺の悪いところが受け継がれてしまったな。でも蘭丸なら大丈夫だと思うんだ」

「その根拠は何ですか?」

「俺は心強い兄上たちを得た。それと同じように蘭丸にも信頼できて心強い友達、いや親友ができるはずだ。俺の息子だからな」

 桃也はそう言って青葉に笑った。



 桃也の言葉は衝撃的で蘭丸の心に大きな爪痕を残した。蘭丸の中に何かが芽生えた気がした。蘭丸は七歳にして大きな秘密を抱えることになってしまったのだった。

「僕には友達がいない」

 そんな心配をよそに、蘭丸にとって大きな出逢いがこのあと待っていた。



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