十六話 暗礁
十六話 暗礁
検非違使庁では様々な事件の捜査を行っていた。
検非違使の右京は死に物狂いで桃也と青葉の事件を調べていた。屋敷から発見された証拠品は全て押収し机の上に並べて眺めている。
「他に何かわかったか?」
「いいえ。白昼堂々行われたために目撃者等がいるかもしれないと聞き回っているのですが、なかなか情報は得られません」
右京はそうか、と再び頭を抱えた。右京の脳裏にはまだ事件現場の光景が焼き付いている。その光景を思い出しては必ず真相を白日のもとに晒すんだと決意を固めている。
右京は荷物を整えて検非違使庁を出て行こうとする。どこへ? と部下に聞かれ右京は言った。
「国王陛下のところだ」
右京は急いで宮廷へ向かった。宮廷では行事に向けての準備に真っ最中だ。その行事は神に対して王自ら祈りを捧げる神聖な儀式だ。そして、宮中の中では噂が広がっていた。
「桜花さま。あと三ヶ月ほどで御出産ですって」
「どちらが生まれるのか楽しみですわ」
「次の王の座はその子になると先代さまはおっしゃっているそうですよ?」
宮中の噂は桜花と生まれてくる子供のことで持ちきりだ。孫家の血筋を引いているならば、皇位継承権は存在している。しかもその子の後ろには桜花の生家である江一族、先代の王という強力すぎる後ろ盾がついている。
将来は約束されたも同然だ。
「孫右京でございます。国王陛下にお目通りを」
右京は龍のいる部屋に通された。右京は龍に対して礼をすると畳に座った。龍は口を開いた。
「桃也夫婦の件で何かわかったことはあったか?」
「残念ながら・・・未だに。申し訳ございません」
「右京。お前が謝ることではない。用意周到な下手人かもしれないな」
右京は龍に経過報告をするためにやってきたのだ。龍はため息をついた。右京は書類を見せた。そこには事件を捜査している中で浮かんだ推測とそれに基づく見解だ。それを読んだ龍は右京に質問をする。
「なぜ白昼堂々と起きた犯行に目撃者がいないのだ?」
「その日は宮殿前で市が行われ、そこに人が流れていったものと俺は推測しています」
事件当日。その日は宮殿前で大規模な市場が開かれていた。香国だけではなく、他国からの食材なども売られており大盛況で幕を閉じた。この市場に人が集中し町中は静かになった。その結果として目撃者が少ないと思われたのだ。
「桃也の部屋から象徴花の刻まれた宝が行方不明です」
それに龍の表情が変わる。象徴花の刻まれたものがどれだけの価値を持ち、どれだけの影響と証明力があるのかを龍は知っている。それが行方不明というのは状況は最悪の一途をたどりかねない。
「桃也に子供はいないしな」
「はい。桃也はそんなこと手紙で報告しておりませんでした」
龍と右京が唸った。
桃也には蘭丸という息子がいる。しかし、桃也はどういうわけか兄たちに自分の息子の存在を伝えていなかった。右京はこの時点で孫蘭丸という大事な弟の息子で第一発見者を見落としている。それに気づいていない。
龍は立ち上がった。
右京はどこへ? と聞く。龍は右京に再び事件を調べるように指示を出した。龍が向かった先は中務省だった。そこでは棕が書類に目を通している。
「棕」
「兄上?!」
連絡もない突如として龍の登場に棕は驚きを隠せない。調べたいことがあると伝えると棕は龍から詳細を聞き、書庫へ向かった。中務省ではこの国に暮らす人々の戸籍を管理もしている。王自ら調べるのは前代未聞だったが、龍はこの目で確認しないことにはなかなか納得できなかった。
龍は戸籍が保管してある書庫へ向かい、ある人物の戸籍を探した。必死に探しているとその目当てのものがそこにはあった。
「見つけたぞ」
龍が見つけたのは、孫桃也の戸籍だった。桃也は元々皇子だったが皇籍離脱をしたことにより、戸籍が作成された。王族に戸籍がないわけではないが、王族に関する系譜などは別のところで保管されている。
龍が手に取っているのは自分の知らない桃也のことだった。
龍は戸籍に手を伸ばしてはらりとめくる。そこに書かれていることを目で追うと、あるものが目に入った。
「まさか・・・。いや、でもそれが本当だとしたらどこに行ったんだ?」
龍は呟いた。
そう言うと龍は急いで書庫から出て行った。部屋へ戻った龍は家臣を呼んである命令を出した。
「右京をすぐにここに呼んでこい」
右京を呼ぶように指示を出して部屋に残った。龍の顔は自然と焦りや驚きだけでない、少し笑っているようにも見えた。その心理は本人にしかわからなかった。
一方蘭丸は一人竹林を歩いていた。
一人で過ごす時間が極端に増えてしまい、頭と心がおかしくなりそうだった。いつもならば雲雀や都羽、朔夜がいるはずだった。
三人に会いたい。
蘭丸はここに来る際、孔明に三人と会うことの自由を条件に突きつけた。孔明はそれを承諾したものの傷を癒すための時間をかなり費やしてしまった。首に下げている腕輪を見て考える。
蘭丸は心の中で桃也に問いかける。これから僕はどうしたらいいの? と。桃也はもうこの世にはいない。新しい言葉などくれるわけがない。しかし、この腕輪を譲り受けた時の言葉を思い出した。
『蘭丸。お前には今後大きな試練が続くだろう。お父さんはすでに皇籍離脱をして皇子じゃなくなった。だが、お前には『香国第十皇子の息子』というものが一生ついてまわる。でもお前はお前らしく生きるんだ。苦しくて辛くてどうしようもない時は、この三人に頼りなさい。困った時は四人で協力するんだ』
桃也は蘭丸の将来を一番案じていた。自分が苦しむのは受け入れるが、大事な家族が苦しむ姿を一番見たくないと感じていたからだ。しかし、桃也は蘭丸が王族のしがらみにとらわれることなく、自分らしく生きることを望んでいる。つまりここで止まっている場合ではないのだ。
蘭丸はふと思い立って屋敷の方へ向かった。
「孔明さま!」
「蘭丸?」
蘭丸が向かったのは孔明の部屋だった。孔明は一人書を読んでいたが、突然の蘭丸の登場に驚いていた。蘭丸は孔明の前に正座をすると口を開いた。
「僕、友達に会いに行ってきます」
蘭丸は孔明の言葉を待っていた。もしかしたら条件を受け入れるという言葉は蘭丸を是が非でも引き取るための方便だったのかもしれない。手のひら返しが待っているかもしれないのだ。
すると孔明は笑った。
「何があったのかと思ったら、そんなことか! 行ってきなさい。暗くなる前には帰ってきなさい」
孔明はあっさりと受け入れた。蘭丸はポカンとした顔をしたが、孔明が許可してくれたからには今すぐにでも三人に会いたくてたまらないのだ。蘭丸はお礼を言うと走って屋敷を飛び出していった。
その様子を孔明は静かに見つめていた。
蘭丸とは入れ違いに今度は匠がやってきた。孔明に何があったのですか? と聞いた匠は孔明から蘭丸が友達に会うために出かけたことを伝えた。すると匠は孔明になんとことを! と進言する。
「蘭丸さまは第十皇子である孫桃也さまの血筋を引いておられるのですよ?! 桃也さまと青葉さまの命を奪った下手人が未だに捕まっていない今、不用意に出歩いて蘭丸さまに危険が及んだら・・・!」
「匠。それはわしも承知しておる。しかし、約束は約束じゃからな」
「子供との約束など・・・」
「守らなくてもいいってことかの?」
孔明はそう言うと匠は黙った。孔明は匠に言った。
「不思議なものじゃ。まだ蘭丸は七歳。子供であるのに、どこか桃也さまの雰囲気を感じずにはいられんのじゃ」
「孔明さま・・・」
孔明は蘭丸のことを匠に託した。匠は屋敷を出て蘭丸の後を追いかける。
一方の蘭丸は朔夜の暮らしている集落へ向かった。朔夜の家の前へ行くと扉をノックする。扉がゆっくりと開いて朔夜の目に蘭丸が映った。
「朔夜!」
「蘭丸!」
朔夜は久しぶりの再会に嬉しさを覚えた。二人は笑いながら抱き合った。そこへ裕月も顔を出した。蘭丸を見るやいなやお久しぶりね! と温かく迎えてくれた。
朔夜は全然変わらない。毎日遊んでいたせいで会わないだけでも数ヶ月会ってないかのような錯覚に陥ってしまう。
「向こうではどう?」
「最初は全然ご飯食べられなかったけど、今は少しずつ食べられるようになったよ」
蘭丸が近況報告をしていると、朔夜は桃也から譲り受けた髪飾りを二つにして自分の髪の毛につけた。朔夜は勉強するときに髪の毛が邪魔にならないように止めていた。
「雲雀や都羽も元気かな?」
「うん。二人とも相変わらずだよ」
朔夜はそう言った。
蘭丸は安心して胸をなでおろした。やはり、朔夜たちのそばが一番落ち着く。
「あのね、朔夜」
蘭丸が急に朔夜を呼んだ。朔夜が何? と聞くと蘭丸は口を開く。
「僕、絶対に叶えたい夢見つけた」
「どんな?」
朔夜は期待していた。しかし、その期待はことごとく打ち砕かれるのだった。蘭丸はまっすぐと前を向いて口を動かした。
「お父さんとお母さんを殺した犯人を暴く」
朔夜はその言葉に驚きを隠せず、声すら出せなかった。両親の無残な死が蘭丸の中に何かを生んでしまったようだった。その日を境に蘭丸の願いであり夢であった、平和な日々は粉々に砕け散った。
「蘭丸・・・」
「朔夜。僕は悪いことはしないよ」
朔夜の心配を蘭丸は察していた。優しい朔夜はそっかと呟いた。
朔夜との会話を楽しんでいると空は夕焼けに染まっていた。さすがに孔明が心配すると蘭丸は朔夜と別れた。その後ろ姿を朔夜が見守っている。
「朔夜?」
裕月が朔夜に声をかける。朔夜は自分の頭にある髪飾りに触れた。そして静かに涙を流した。朔夜が振り返る。目にはうっすらと涙がある。朔夜が裕月に問いかけた。
「僕は・・・、桃也さまの言うような人になれないよ・・・」
「大丈夫。その宝物は桃也さまが朔夜に託したもの。あなたしか持てないのよ。焦らなくていいわ。ゆっくりと大人になればいいんだから」
裕月はそう言って微笑んだ。
蘭丸が孔明の屋敷へ向かうために竹林を歩いていると、遠くに人影が見える。蘭丸は最初こそわからなかったものの、だんだん輪郭がはっきりして誰なのかわかる。
「匠さん・・・」
「蘭丸さま。おかえりなさいませ。孔明さまもお待ちです」
匠に迎えられて蘭丸は並んで歩く。竹が風に揺れてカサカサと音を鳴らす。すると匠は蘭丸に話しかける。
「孔明さまにはお叱りを受けましたが私は蘭丸さまに孫家の血を引く者として自覚をもってもらいたいのです」
匠は言った。真面目な顔で見られて蘭丸も自然と真面目な顔になってしまう。そんな匠に対して蘭丸は反論することもできなかった。やはり、自分は孫桃也の一人息子とだけでしか見られていないのかと。
少し悲しい気持ちになった。
「僕は僕です」
蘭丸ができる唯一の反論だった。それは蘭丸が桃也とは別の人間で、己の道を進めと常に言っていた桃也の言葉の代弁でもある。
「そうですか」
匠はそう呟いて、蘭丸と共に屋敷へと戻っていった。




