十一話 思いやり
十一話 思いやり
『先王の妻となった江桜花が懐妊』。
この知らせは国中を駆け巡った。生まれてくる子供が男か女かは分からないが、宮廷の特に皇子たちは重い空気の中にいた。
中務省で仕事をしている棕は椅子に座りずっと考え込んでいた。仕事のこともあるが、今頭の中は桜花の懐妊のことで頭がいっぱいだ。そこへある人物が訪ねてきた。
「棕兄上」
「尊」
尊がやってきた。尊は何をそんなに悩んでいるのか? と棕に尋ねた。こんなに考え込んでいるのに分からないとは節穴かと棕は言った。尊は息を吐いて話を続けた。
「桜花殿のことですよね? 知らないわけがありません。宮中はその話で持ちきりです」
「このままでは龍兄上の立場が危うい。尊、気をつけるんだぞ。何かあればすぐに俺に報告しろ」
「かしこまりました」
尊は頭を下げて棕の元から離れた。棕は机に肘をつけて頭を抱えた。兄弟間では絆を強めて協力体制にあるものの情報が少なすぎること、そして江一族の目を気にしてかなかなか動けずにいた。
棕はそれに頭を抱えていた。兄弟の中で一番龍に近い場所で仕事をしている。何かあれば棕の元に兄弟たちから情報がもたらされる。しかし今は少ない。その状況が歯がゆくて仕方がない。
棕は再び息を吐いた。
場所は変わって尊の持ち場である東宮坊。今は東宮である皇太子がおらず、閑散としていた。しかし、東宮坊は暇ではない。皇太子の生活を支えること、勉強を教えることだけが東宮坊の仕事ではない。
東宮学士である尊には書類整理という面倒な仕事が待っている。それを処理するために尊は筆を取る。しかし書類を書く手が止まった。
尊が書類整理を一時的に中断し、紙を取り出した。手紙を書くようだった。
すらすらと筆を滑らせる尊。書き終わるとすぐに孫尊が書いたという正式な手紙を証明するため、尊の象徴花である朝顔が彫られた印が押された。
そしてもう一枚。手紙を書く。さらさらと書いた後、印が押された。
そして尊が人を呼んだ。
「この手紙をそれぞれ届けて欲しい」
「はっ。どちらさまにですか?」
「一方は我が妻、韋蛍。そしてもう一方は・・・、我が弟で元第十皇子、孫桃也にだ」
手紙を受け取った部下はかしこまりました、と言って東宮坊を出て行った。
一方その頃。
「お久しゅうございます。露風先生」
「と・・・桃也さま?! なぜここに?!」
桃也が蘭丸と一緒に露風の元を訪ねてきたのだった。なんの前触れもなくやってきた大物に露風は驚きを隠せない。そこへ騒ぎを聞きつけた都羽がやってきた。
都羽を見つけた露風は怒鳴る。
「都羽! お前は出てこなくていい!」
「蘭丸?」
都羽の呟きに露風の思考が停止する。都羽を静止することもできず、都羽は蘭丸の元へ向かった。露風は家から出て桃也の前にひれ伏す。都羽も頭がいい、地面に額を擦り付けるようにひれ伏す父の姿を見て、目の前にいるのが王族の血を引いた孫桃也であることの察しがついた。
都羽も父に習い、ひれ伏した。
「露風先生。どうかお顔をお上げください」
「まさか・・・うちの娘と桃也さまのご子息と友人だったとは知らず・・・。うちの娘がご無礼を・・・!」
「そんな。逆に感謝しているくらいです。うちの息子の蘭丸に都羽と仲良くしてくれて」
露風が顔を上げると桃也のそばにいる蘭丸に目がいく。そのそばには都羽がいた。どうやら桃也の言っていることは本当らしい。露風はそう悟った。
「久しぶりに桃也さまにお会いできて、この李露風感激でございます」
「あのクソガキかって思い出してくれてこっちも嬉しいです」
露風は桃也を家の中へ案内した。大人たちが会話を楽しんでいる間、蘭丸と都羽は屋敷の外にいる。露風と桃也は思い出話に花を咲かせていると、話題は露風の娘・都羽の話になった。
「都羽は少し内向きな娘だと思っていたのですが、あんなに活発だったなんて知りませんでした。私は妻を早くに亡くして子供達をしっかり育てなくてはとあえて厳しく接してきました。もしかしたら、都羽を勉強に縛りつけた私の業だったのかもしれませぬな」
露風はそう話した。桃也には子供の頃に見た厳しいことで有名で大きな存在の一人であった、露風が小さく見えた。時の流れのせいなのか、それともまた別の理由なのかわからない。
「それは違います。都羽の才能は勉強だった。それを見抜いて引き出したのは露風先生です。きっとあの子は将来立派になりますよ。私の息子の方が心配でなりません」
桃也は自分が抱えている不安を露風に吐露した。
今は何もなく平和に過ごしているが、蘭丸が大人になった時に何が起こるかわからない。ここまで心配するのは蘭丸が孫家の血を引いていることだ。その血筋が火種となって大きな事件に巻き込まれるかもしれない。
それを聞いた露風は弱気になってはなりません、とあえて厳しい口調で諭す。
「子供はいずれ大人になる。親元を離れる時がきます。いつかは一人で生きなければならない時がくるのです。そのためにはどうすればいいか考えて行動を起こすのが親がすべきことなのではないでしょうか?」
露風の言葉に桃也はハッとなった。
蘭丸の将来を案ずることばかり考えていた。今のうちに行動を起こしておくことも大事であることを露風は言った。
「俺は露風先生の足元にも及びませんね。人間としても父親としても」
桃也はそう言って笑った。
その頃蘭丸と都羽の二人は雲雀と朔夜と合流していた。いつものように遊ぶのだ。四人がやってきたのは川の浅瀬。今日は少し気温が高い。四人は裸足になって川の水に足をつけた。
「冷たい!」
「気持ちいい!」
口々にそう言った。四人岩に座り真横に座って足を動かす。清流の水が流れていくのを足で感じる。
少し暑い風がなびいて髪を揺らす。
すると朔夜が突如として口を開いた。
「ずっとこんな日々が続けばいいのにね」
朔夜の言葉に突然どうしたの?! と都羽が言い返す。すると雲雀が朔夜に言った。
「そうだね! 朔夜の言う通りかも!」
「なんで理由もなくそんなこと言えるの?! 本当に雲雀は・・・」
都羽がため息をついた。すると雲雀は都羽ひど〜い! と嘆いた。呆れ顔の都羽に隣に座っていた雲雀が体を摺り寄せてきた。驚いた都羽が大きな声を出す。
「何?!」
「私たちはずっと友達! 大人になってもずっと一緒にいようよ! 私、都羽のためだったらどんなことだってする!」
「どんなことって・・・言い過ぎ」
都羽は相変わらずの対応ではあるが、雲雀の思いは本物。その気持ちだけありがたく受け取っておくことにした。都羽と雲雀の様子を見て、蘭丸が言った。
「うちのお母さんも言ってた。『何かあったらお互いに助け合いなさい。絶対に友達を裏切ってはいけないよ』って。大きくなっても、一緒にいよう?」
蘭丸の口から出た言葉に三人は顔を見合わせた。改まりすぎて驚いている様子だ。三人は笑顔で頷いた。
「当たり前じゃん!」
「改めて言うことじゃないでしょ?」
「僕たちはずっと友達だから!」
三人は口々にそう言った。そして笑いあう。四人の時間はあっという間に過ぎて行ったのだった。
場所は変わり宮廷内のとある部屋。
花瓶には花が生けられ、部屋は華やかだ。部屋の中には青い装束を身にまとい、水晶の髪飾りをつけた女性がいる。その女性は机に向かい、手紙を読んでいる。
「どういうことなの?」
女性は呟いた。
そこへ、来訪者がやってくる。やってきたのは尊だった。尊の姿を見た女性は立ち上がった。
「あなた」
尊を「あなた」と呼ぶところを見ると赤の他人ではなさそうだ。女性は尊に手紙を見せて言った。
「これはどういうことなの?」
「蛍。これから説明する」
蛍と呼ばれたこの女性。尊の妻である韋蛍である。蛍は真っ直ぐに尊を見つめて尊を問い詰める。尊は落ち着いてと話しながら蛍を座らせた。
「義父上さまはどうしてこのようなことを?」
「俺にも分からん。しかし、このままでは龍兄上の立場が危うい。お妃さまも不安がってしまう」
尊は蛍にそう言った。しかし蛍には腑に落ちない。なぜ兄の龍に手紙を送らなかったのか。なぜ妻の自分にわざわざこのような手紙を送ったのか分からない。尊にその理由を尋ねた。
「王妃さまに寄り添えるのは、お前のような存在だからな。それにお前を孫家の論争に巻き込みたくはない。牽制だよ」
蛍はそうでしたか、と呟いた。
王家の皇子たちは宮廷で暮らしている。皇子とその妻は宮廷の区画を与えられ、そこを住まいとしている。比較的国王夫妻の近くに暮らしているのだ。
「ご無理はなさりませぬよう。あと、こちらあなた宛にお手紙が届いております」
「誰からだ?」
「弟君の桃也さまから」
蛍がその名前を口に出すと、尊は急いでその手紙を手にとってそこに書かれていることを目で追い始める。急に顔色を変えた尊に蛍は驚いている。
手紙にはこう書かれていた。
『孫 尊さま
お元気でしょうか? 最近なかなか兄上さまたちに手紙の一枚や二枚書くことができず申し訳ありません。私も妻も息災でございます。
さて、尊兄上からの手紙拝読致しました。江一族に警戒せよ、との言葉。重々承知しております。しかし、この手紙をしたためる前に江礼殿が我が屋敷にやって参りました。
桜花殿の懐妊を礼殿本人から聞きました。私はあくまで世継ぎは龍兄上と茜さまの子でなければと考えております。私は明確な反対を突きつけてしまいました。命を狙われるやもしれません。
しかし、私は孫家第十皇子、孫桃也。辱めは受けません。私のことは心配しないでください。
孫 桃也』
「あの馬鹿! 俺たちのことばかり心配しやがって!」
尊は苛立ちの中に悔しさを含ませた感情で口から言葉を絞り出した。蛍は落ち着いてください、と尊に言い聞かせる。
「あなたと同じように桃也さまも心配しているのです。お気持ちを察してあげてください!」
蛍がなだめると尊はすまないと言って落ち着きを取り戻した。蛍は尊を文机を挟んで向かいに座らせて、温かいお茶を湯のみに注いで差し出した。
「あなたの心配は痛いほどわかります。しかし、私は孫家に嫁いだ身。あなたと結婚したその日から、覚悟は決めております。あなたはあなたの信ずる道を進んでください」
「蛍・・・」
「私を侮ってもらっては困ります」
蛍はお茶をすすると静かに笑った。蛍の笑顔を見て尊も表情が少しずつほぐれていく。尊もお茶をすすった。すると外から女中の声がした。
「蛍さま。周薫さまがいらしております」
「すぐにお通ししなさい!」
蛍は女中に声をかけた。すると蛍の部屋に蛍よりも年上の女性が入ってくる。蛍は立ち上がり、頭をさげる。どうやら蛍よりも身分は高いようだ。
この女性、周薫。第二皇子の孫棕の妻にあたる。薫は蛍に言った。
「突然お邪魔してごめんなさいね」
「いいえ。薫さまこそ、どうしてこちらへ?」
「暇なのよ。うちの主人は仕事大好きだから」
薫はそう言って笑った。その様子は一般の妻と変わりない。夫の棕は一応皇子であるがそんな皇子の身分など関係なく薫はどこか豪快で楽しげだ。
蛍はこちらへどうぞ、と薫を誘導する。薫は蛍の隣に座った。時間はそろそろ夜になるところ。しかし中務省は国王に近い部署ということもあり、その最高高官である棕は仕事に追われて薫の元には帰ってこられそうにない。
「でも二人の時間を邪魔して悪いことしちゃったわ」
「そんなことございませんよ、義姉上」
尊は言った。義姉上だなんて言わなくてもと薫は笑った。しかし自分の兄嫁である薫をこう呼ぶのは当然ですよと言った。
「尊殿は真面目ね」
薫は笑った。
薫につられて蛍まで笑い出す。それに対して尊は蛍まで笑わなくても、と少年の顔をチラッと見せた。
皇子たちに流れていたぴりりとした空気が和やかになった瞬間だった。




