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過去ー「ご主人様」

本日二話目


   *


 一体なぜ『強欲』は私に『嫉妬』の力を与えたのでしょう。「巡り合わせ」だと『強欲』は言っていました。ですがそれだけの理由で魔王軍の敵である人間の私に力を与えるとは思えません。分かっていることはあれ以降『強欲』と会うことはなかったということ。


 そしてほどなくして勇者三人の共同作戦によって『強欲』が討伐されたということです。『強欲』は死の間際に「『嫉妬』の大罪が揃ってさえいれば」と言ったそうです。



 『強欲』は私という存在を隠したのです。



   *


「ご主人様」

「何?」

 古代遺跡から帰って来て傷の治療のため休んでいる時、私はご主人様に一つの質問をしました。


「ご主人様の願いは何ですか?」


「僕の願い?」


 ご主人様の黒い瞳がじっと私をみつめ、その奥を読み取ろうとします。でも私はそれを読み取らせません。本音を、闇を内に秘めて問いかけます。ご主人様は少しためらうような素振りを見せた後に、口を開きました。


「僕の願いは変わっていない。勇者たちを見返したい。それだけだよ」

「……そうですか。かしこまりました」

 それを聞いた私は笑って返事をし、頭を下げた。


「ならば私は貴方様のために、全霊を賭して尽くしましょう」

「え?……あぁうん」


 私の言葉を疑問に思ったのでしょう。ご主人様はあいまいに答えました。その答えは私とご主人様が出会った頃と何一つ変わっていません。ならば、私は奴隷としてご主人様の願いを叶えることにしましょう。



 私のこの想いを、押し隠してでも。


 この頃はまだ、私は私の想いを分かっていたから。



   *


 それからまたしばらくして、大規模な戦争に参加した折、勇者の一人と会う機会がありました。ご主人様と同じ黒髪黒目の男。でも同じなのはそこだけで、ご主人様とは似ても似つかない立派な鎧と聖剣を持った、まさしく傲慢を体現した男でした。

 彼は私が奴隷というだけで見下し、嘲笑いました。取り巻きたちもそれに従います。その中にはご主人様たちを召喚した王女の姿もありました。

 勇者も王女も、ご主人様のことを微塵にも覚えていませんでした。


 ですが本当に嘲笑いたいのは私の方。この勇者の存在は私にとって好都合でした。こいつにしよう。私は大事な話があると言って、その日の夜に勇者を人の目のないところに呼び出しました。



「何だよ奴隷」

 勇者は苛立ちを隠しません。勇者である自分が奴隷に呼び出されたことに、腹を立てているようです。


 馬鹿な男です。プライドばかり高いこの男は、自分が奴隷の呼びかけに応じたこと、そのものへの不自然に気づいていません。

 初めて使った『嫉妬』の力。しかもその相手は闇を払う光の魔法が使える勇者です。失敗するかもしれないと思っていましたが、上手く行ったようです。

 男が油断していたのか、それとも私のこの力がとても強いものなのか。


「はい。貴方に贈り物があるのです。……×××様」

「はっ?」

 私は音もなく勇者に歩み寄り、耳元に彼の真名を囁きました。お前の名前は握ったぞと、愚かな勇者に『呪い』をかけたのです。


 魔法において、名前は非常に重要な意味を持っています。だからこの世界の誰しもが生まれ持った真名ではなく、仮名や呼び名を使う。勇者もそのことを召喚されてすぐに聞いているはずですから、彼の真名を知っているのはそれこそ勇者召喚の儀に参加した者だけです。


 ご主人様がこの男の真名を知っていることは何の不思議もありません。前の世界では誰もが真名をさらして生活していたと言いますし。ご主人様を通じて、私は簡単にこの男の真名を知ることができました。


 愕然とする勇者にクスリと笑いかけました。彼も真名を握られることの危険性は重々承知しているはず。勇者は私を殺そうと剣を振り上げました。


「本当に、愚か」


 貴方がそうすることに私が予想しないはずがないだろうに。勇者は真名を握られる前に私を殺しておくべきでした。しかし全てはもう手遅れです。そもそも名前を握られた相手に下手に攻撃すること自体が愚の骨頂です。それは底辺を這いずる私でも知っていること。


 勇者の剣が私を切り裂く。けれど私は傷つかない。剣は私の体を素通りするだけです。私はまたクスリと笑う。

 異様な状況に、勇者は恐怖をにじませて何度も何度も剣を振りました。その度に私の口に笑みが浮かぶ。剣も私を通り抜けるばかり。


「なんでっ!お前は一体何なんだ!」


「私はただの奴隷でございますよ。勇者様?」



 そして私は人差し指を勇者の額に触れさせます。勇者は顔を真っ青にして震えていました。何がそんなに恐ろしいのでしょうね。まぁいいです。勇者の肌は冷や汗でヌメリとした気持ち悪いですが、我慢しましょう。私の指先から闇があふれて、勇者の頭を飲みこみました。


「……ぁ」


「『忘れろ』。そして因果応報を知るといい」

 闇に呑まれて、いともたやすく勇者は気を失いました。


   *


 私が得た『嫉妬』の力。それは『忘却』と『呪い』です。二つの力は深く結びつき、絡み合っています。

 『忘却』の力があれば、気を失う前の数時間の記憶を消すことができるし、消す記憶を巧妙に操って約束だけを残すことだってできます。

 一方的に約束をして、誰からの約束だったかを忘れさせるなんてわけないことです。そのことに覚える違和感すらも『忘却』させられる。


 そして私は勇者の真名を握ることで勇者に『呪い』をかけました。因果応報の呪い。私に危害を加えた相手に対して、与えた危害分の不幸が舞い降りる呪いです。さらにその不幸で死んだ者の力を奪い取ることすらできます。

 その呪いを私は死んだ者の力は私ではなく、私のご主人様へ行くようにアレンジを加えました。


 翌日、勇者は戦場で不幸が重なって死にました。私が何度も死ぬような危害を与えたのですからね。私よりもはるかに強い勇者でも死ぬような不幸が舞い降りたのでしょう。


 勇者の持っていた力やカリスマ性、女たちの関心がご主人様に移りました。王女がご主人様に恋慕を抱いたのはこの時です。王女の恋慕があの男に対するものか、それともご主人様に対するものなのかは定かではありませんが。まぁそれもどうでもいい事です。

 大事なのは勇者の力がご主人様に移ったことに誰も疑問を抱いていないということ。勇者の全てをそっくり移し替えたのですから違和感もなく、わずかに浮かぶ疑問は全て私が『忘却』させました。


 ご主人様は次の日からあの男が使っていた鎧と聖剣を使い、新たに男の仲間たちと旅を始めました。その後ろに私もいます。


 そうしてようやくご主人様は勇者として光に向かって一歩を踏み出し、私は『嫉妬』として闇の中へ沈んでいったのでした。


   *


 それからも私はご主人様が光の下で華々しく活躍する裏で、闇の中で暗躍を続けました。ご主人様に害をなそうとする敵に呪いをかけて殺し、あるいは弱体化させ、勇者やこの世界の英雄たちから呪いで力を奪う。

 『呪い』の力は誰かを呪えば呪うほどに強くなっていきました。


 『嫉妬』の力は絶対的でした。『嫉妬』の『呪い』と『忘却』の前には誰も敵いません。私は『嫉妬』の力を上手く使うための技術を磨きました。不思議なことに、これまでいくら練習してもできなかったような動きが、簡単にできるようになっていました。

 初動を見せずに相手に近づく。音と気配を消して歩み寄る。『呪い』は相手の真名を握るか、直接触れることが必要でしたから、この技術はどうしても必要でした。


 かくしてご主人様の願いは叶う。気づけば勇者はご主人様一人のことを指し、ご主人様の周りには煌びやかで、魔王を倒すに足る女たちが集まっていました。

 もう誰も、三人いた勇者のことを覚えていません。


 ご主人様を見下す者はもうおらず、誰もがご主人様の前にして首を垂れる。勇者様と褒めたたえ、ご主人様もそれに傲慢になることもなく勇者としての使命を果たす。まさしく理想の勇者様。

 私はご主人様の後ろで、その姿を誇らしく思っていました。ご主人様は見事に自分を見放した者全てを見返すことができたのです。ご主人様は自分の願いを叶えることができたのです。



 ……自分の過ちに気づいたのは暗躍を初めてずっと後のこと。ご主人様の周りに今の女たちが皆揃ってからのことでした。


「ご主人様」

「あぁメリィ。ごめん後にしてくれる?魔法使いに新作の料理ができたって呼ばれてるんだ」

 ご主人様は魔法使いのところに行きました。


「ご主人様」

「メリィ。待って。王女と武器を選ぶ約束をしているんだ」

 ご主人様は王女のところに行きました。


「ご主人様」

「訓練があるんだ」

 ご主人様は女騎士と傭兵ところに行きました。


「ご主人様」

「もう寝るから明日でいいかな」

 ご主人様は私じゃない、巫女と村娘のもとへ。


「ご主人様」

「ごめん」

 ご主人様が。


「ご主人様」



「ごめんね。後にしてくれる?」

 ご主人様が私を。



「……ご主人様」

 ご主人様が私を見ていない。



 ご主人様は笑ってくれている。まぶしいほどの光の中で。だけどその笑いはもう私だけのものではなくなりました。ご主人様は前と変わらず私を近くに置いてくれています。そばに置いて、微笑みかけてくれる。


 でも私はご主人様の唯一の仲間ではありません。「メリィ」という存在がご主人様の中でとても軽い存在になっていることに、気づいてしまったのです。


 それが呪いをかける私にかけられた『呪い』。『忘却』の呪いでした。「メリィ」という奴隷の存在をそのままに、人格を持った私が忘れられていく。


 遠のいていく。


 消えていく。


 ご主人様の中で、「メリィ」はどこまでも虚ろで軽い存在になっていきました。



 もうご主人様は私だけに笑いかけてくれることはない。


 もうご主人様は私に花言葉を教えてくれることはない。


 もうご主人様が私に背中を預けてくれることはない。


 いくら私が手を伸ばしても、暗い闇の底からじゃ、まばゆい光の中にいるご主人様に届かない。



 ご主人様。私に笑ってください。ご主人様。私に花言葉を教えてください。ご主人様。私を見て。お願いだから。私だけを見て、だなんてことは言いません。少しだけでいいんです。どうか、どうか私のことも、奴隷じゃない、私のことを、メリィのことを見て。

 ……ご主人様はどうして私に笑ってくださらないのですか。ご主人様はどうして私に花言葉を教えてくださらないのですか。どうして、どうしてご主人様は、私を見てくださらないのですか。なぜ他の女たちにばかり笑みを浮かべているのですか。ご主人様の中に私はいますか?奴隷の私じゃない、メリィの私が。

 ご主人様は、ご主人様は、ご主人様はご主人様はご主人様はご主人様はご主人様はご主人様はご主人様はご主人様はご主人様はご主人様はご主人様はご主人様ご主人様ご主人様ご主人様ご主人様ご主人様ご主人様ご主人様ご主人様ご主人様ご主人様ご主人様ご主人様ご主人様ご主人様ご主人様ご主人様ご主人様ご主人様ご主人様ご主人様ご主人様ご主人様ご主人様ご主人様ご主人様ご主人様ご主人様ご主人様ご主人様ご主人様ご主人様ご主人様ご主人様ご主人様ご主人様は……。



 私は。



   *


 ご主人様()()の光に照らされた旅は続く。私の闇の中の戦いは続く。暗い灰色の空の下、魔族領を進み不在とされている『嫉妬』を除く全ての幹部を倒し、ご主人様たちはついに魔王城にたどりつきました。


 明日は魔王城に挑む大切な日。敵にばれないようひっそりと、しかしにぎやかに宴会を開きました。王女が、魔法使いが、女騎士が、女傭兵が、巫女が、村娘が一様に満面の笑みを浮かべ、ご主人様は微笑みを浮かべます。

 笑っていないのは私だけ。ですがその事実に誰も気づきません。いつものように彼らの世話をしながら息を殺す。表情をかみ殺す。

 誰も、私のことなど見ていないのです。


 一人の見張りを残し、ご主人様たちが寝静まりました。それを確認して、私は一人動き始めました。



 向かう先は魔王城。見張りの魔族を呪い殺し、私は城内を進む。歯向かうものは皆殺す。静かな静かなたった一人の行軍。いつの間にかに私に手を出そうとする魔族はいなくなりました。皆が廊下の端に寄り、私に恐れを抱いた視線を向ける。


 いつもと同じです。ご主人様に敵対する者に呪いをかける。魔王は強い。きっと強い。ご主人様でも負けてしまうかもしれない。だから魔王にも呪いをかける。弱体化する呪いでもいいし、不幸を呼ぶ呪いでもいい。

 私の前に、大きな扉が見えました。その扉に私は手をかける。


「お前が『嫉妬』か?」


 扉を開け、謁見の間で私はたった一人で魔王と対峙しました。魔王は年老いた老人。彼は豪華でも貧相でもない、どこにでもあるような椅子に腰かけていました。蒼白の肌。深みを感じさせる黒の瞳。そして白髪混じりとはいえ黒い髪。

 私には分かりました。魔王は人でした。遙か昔にご主人様と同じように勇者として召喚され、長い時を生きて魔王となった人間でした。


 魔王は穏やかなまでの目で私を見つめます。寛容?慈悲?いいえ、もっと別の感情が魔王にはある。でも私にはその感情が分からない。

 魔王は疲れきった顔にうっすらと笑みを浮かべました。


「『嫉妬』の呪いを私にかけるか?」

「なぜ……」


 相対しているだけで魔王の強さは理解できました。真名を知らなければ、触れなければ意味がない『嫉妬』の力。その力しかない矮小な私なんて、息をするより簡単に殺せるはず。今ですら、恐怖で跪きたくて仕方がないのに。

 ご主人様たちもそれこそ手を振るだけでも殺せてしまうでしょう。それだけの力を、深い闇を感じる。なのに魔王は私に殺意はおろか、敵意すら向けません。それどころか彼から好意的なものすら感じるのです。


「知っているか『嫉妬』よ。光と闇は同じものだ。だから光を滅ぼせるのは闇だけで、闇を滅ぼせるのも光だけだ」


「何を」

「そして光と闇は互いに滅ぼしあう。ならば闇がなくなり、唯一残ってしまった光はどうなるのだろうな。あるいは光を失った闇はどうなる?」


「何を言っているのですか」

「俺は強すぎた。そして人の心に鈍かった。人の悪意に、違うものを除こうとする、その愚かさを知らなかった」


「貴方は一体……」

「全く、神というものはどれほど汚らしいのだろうな。しかしあれほど、憎み、恨んだ神にすら今は感謝したい」


「分かりません」

 魔王は私には分からないことを訥々と語っている。魔王は魔族にしかなれないはず。勇者と魔王にはどんな関係があるのか。色んな疑問が私の頭を巡り、しかし一言も言葉にできない。


「『強欲』には、クルシャナには感謝せねばなるまい。そしてお前には礼を言わねばな。名は何と言う」

 不意に魔王が私を見ました。そこで気づく。魔王が私に抱いた感情。それは……


「私は……メリィと申します」

「そうか」


 ありがとうメリィ。私を殺してくれて。


 その声は、絶対の力を誇る魔王が発したとは思えないほど弱々しいものでした。


 私は……魔王に醜い姿に見える呪いと、死の運命に導かれる呪いをかけました。魔王はその呪いを抵抗することなく受け入れました。そしてご主人様たちは死闘の末、大怪我こそしても誰一人として仲間の命を奪われることなく、魔王を殺すことができました。


 魔王を倒したご主人様には王都に立派な離宮が与えられ、青空の下、そこで平和に暮らし始めたのです。

次で終わりです。

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