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その九 集合三十分前のよしなごと

1 いきなりふたりっきりのひとときに

2 反省、および事後処理その一

3 おみやげの数々

4 事後処理 その二


その九 集合三十分前のよしなごと



1 いきなりふたりっきりのひとときに


 貴史が戻ってくるのならば、ということで南雲は自分の部屋に戻っていった。あまったクッキーを半分持っていった。すでに腹の具合は問題ないようだった。どうみてもあれは仮病じゃないだろうか。まだ明るい空の色を眺めながら、上総はタオルケットをたたんだ。一枚、貴史のベットに戻しておいた。

 朝とは違う、ひくくくぐもった声がわやわやと廊下に響いていた。みな、相当歩きまわったかなにかしたのだろう。隣の方ではドアを閉める、びちっとした音が響きわたっていた。そろそろ来るだろう。長丁場のマイクロバスツアー、何が起こったのかをまずは「影のリーダー」羽飛貴史に確認しなくてはならない。たとえ菱本先生に「だだっこの評議委員」だとか言われようが、これは義務だ。

 隣の部屋ではすでに話し声が聞こえる。なのに、なかなか戻ってこないのはなぜだろう。女子の気配もかすかにしたのだけれども、おかしい。一応予定では、三十分くらい休憩した後、五時からふたたびクラスミーティングを行うよていだった。上総がすでに予定を組んでおいた。

 宿泊研修二日目の反省および、帰りの予定についてまた話し合う予定だった。


 南雲に約束した通り、今夜は徹底して菱本先生のところでボードゲームをやろうという企画を、考え中だった。もちろん上総は参加する気などさらさらなし。でも、野郎連中は乗ってくるだろう。そういう、のりのいいことが、貴史もみな好きなのだ。

 十分くらいして、やっとノックがした。 

 黙って入ってくればいいのに。返事だけした。ドアが開いた。

「ごめん、入ってよかった?」

 思わず上総はベットから飛び降りた。

「清坂氏、あの、どうして」

 美里が橙色のワンピース姿で、するっとドアの隙間から入り込んでいた。後ろ手でドアをぴたっと閉めた。人差し指を口に当てて、

「貴史、ちょっと遅くなるって。菱本先生に呼ばれたみたいなんだ。一応、評議委員としての報告だけ、しといた方いいかなって思ったの。今、大丈夫?」

 良くみると橙とほんのりレモン色が大きく交差している、柔らかい雰囲気の服だった。見たのは初めてだった。

「あの、古川さんには断ってきたのか」

 怖い下ネタ女王古川こずえと同室の美里には、念を押しておいたほうがいい。やっぱり忘れていたみたいだった。慌てて両手で口を押さえた。

「ごめん、内緒できちゃった。あとでまたつっこまれるかなあ」

「わかった覚悟はしとく。それより、清坂氏、とりあえず今日の出来事だけ頼む。あいかわらず、ひとりで舞い上がっていたのか? うちの担任は」

 美里は答えるまえにぐるっと見渡して、デスクの下に納まっている椅子をひっぱりだした。別に、ベットの上に坐ったっていいのに。上総は自分のベットに腰をおろし、足を組んだ。じっと見つめられ、まだ口もとにご飯つぶがついているのかと思った。かるくぬぐった。

「立村くん、もう具合、大丈夫なの? 貴史が言ってたけど、相当昨日の夜、具合悪そうだったって」

「羽飛は何も言ってなかったか?」

 美里たちの部屋の前で起こった出来事を、聞かされていないのだろう。表情がいつも通りだということは、とりあえず嫌われていないってことだろう。安心して上総は尋ねた。

「貴史は言ってないけどね、でも、隠し事しても無駄だからね。立村くん」

「隠し事ってなんだよ」

 唇の端をきゅっと上げ、美里は椅子を上総の膝元にぐっと近づけた。

「水口くんがみんなしゃべってくれたからね。どうして何も言わなかったのよ。私、水口くんたちの部屋の向かいにいたじゃない。私が代わりにノックしてあげたってよかったのに! 全く、いっつもそうなんだから。立村くんって、自分でみんな責任取ろうとするから、ほんっと、いらいらする!」

 自分の口の形は、きっと「うそ?」と言う形だったに違いない。

「どういうことだよ、清坂氏。すい君から聞いたって何をだよ」

「だから、おねしょが直ってないから、立村くんが代わりに起こしにいったんでしょ。でも、菱本先生と鉢合わせして、そのまま倒れたんでしょ。水口くん言ってたよ。廊下の騒ぎで目が覚めたって」

「すい君本人からか?」

 予想通り、美里は首を振った。

「半分はね。でも、ほとんどの説明は菱本さん。バスの中で貴史とふたりで話を聞きだしたのよ」

 

 嫌な予感はしていたのだ。たぶん席からして、貴史と美里、そして古川こずえ、極めつけが菱本先生というあのバス前列で、何かがおこらないわけがない。しかも、比較的三人は菱本先生になついている。上総が極端に機嫌悪くなるのであまり普段は見せないだけだった。

 ゆっくり上総は言葉を選びつつ、尋ねた。

「バスの中でなんでそんなこと、聞こうなんてしたんだよ」

「だって、立村くんのこと、みんなとんでもない噂流していたんだよ。たぶん知らなかったと思うけどね。私たちの部屋に忍び込もうとしていたんじゃないかとか。とにかく、噂だけはすごかったんだから」

「女子の間でだろう。そんなの、ほっといてくれたら落ち着くのにさ」

 別にいやみを言ったつもりはなかった。でも美里は敏感に反応した。

「なによ、こっちだってそんなこと言われたら、いろいろと大変なんだからね! まあ、立村くんのことだからまた何か、考えがあるのかなあと思ってがまんするつもりだったんだから。そしたら貴史が、水口くんの方にいろいろ話を聞きだし始めて、そこで、だんだん内容が見えてきて、で、最後に菱本先生がね」

 よくわかった。無意識に言葉が漏れた。

「羽飛、あいつなんでそんなことを」

 口をとがらせて美里は上総を遮った。

「どうしたのよ。立村くん。貴史もちょっとやりすぎだったんじゃないかとは思うけどね、でも、立村くんがまた変なこと言われるんじゃないかって気をつかってくれたんじゃないの。そんなこともわかんないの?」

 上総は思わず、美里の顔をまじまじと見つめたくなった。

 言葉がかちんときたからではない。

 自分の噂がどんなものか、気にかかったからでもない。

 上総にしか見えない、タオルケットのうすいものが、すうっと美里の間に挟まったような、そんな気持ちになったからだった。

 本当の感情を隠してくれるそんなもの。

 気付かないのか美里はいきりたって続けた。

「言いたいならはっきり言えばいいじゃない! 水口くんのおねしょのことだって、恥ずかしいかもしれないけれど、うちのクラスの連中はそんなことで笑う奴なんていないと思うよ。それに立村くん、出発から具合悪かったんでしょ。はっきり言ってくれれば、菱本先生だってそれなりにがまんしてくれたと思うよ。ただ、いつも立村くんがひとりでわけわかんないことやってるから、みんなどうしていいかわからないんじゃない」

「なにも今、そんなこと言うことないだろ!」

 穏やかに言い返したかった。精一杯、そうしたつもりだった。でも語尾が強くなってしまった。

「それにさ、立村くんのことをどう誤解してたかなんてわからないでしょ。私の部屋に真夜中忍び込もうとして、変なことしようとしてたんじゃないかとか、言ってる子だっていたんだよ。そう思われたって仕方ない様子だったって、菱本先生も言ってたよ。部屋のノブを握り締めてたって」

「それが本当だったらどうする?」

 美里はあきれはてたようにふっと笑った。

「女子の部屋はカギを掛けられるってこと、聞いてたでしょ。私かこずえがドアを開けたままにしなければ、入れないってこと、知っているよね。そんなこと忘れるような立村くんじゃないもんね。でも、他のクラスでは立村くんが本条先輩とホモなんじゃないかとか、手当たり次第女子に手を出してるとか、ひどい噂たくさんあるんだから。貴史、きっとそれ聞いてまた、変なことになるんじゃないかって思ったんだよ。そのくらい、察してよ」

 言い返せない。その通りだ。頭の中ですぐに答えは出ていた。貴史の考えそうなことだとわかっていた。でも、何か言い返したい。

 考える間もなく、自分の口が勝手に動いていた。

「それは感謝してる。わかっているさ。でも、俺が女ったらしだって言われるのはもう、前からのことなんだからいいけどさ、すい君の気持ちも考えてほしかったんだ」

「他人なのに、どこまでその気持ちが読み取れるっていうのよ。立村くんは誰よりも水口くんの気持ちを読み取っている自信があるっていうの? 思い上がりもいいとこじゃない!」

「読み取ってるんじゃない、勝手に感じるんだよ。清坂氏にはわかってもらえないかもしれない。きっと羽飛も分からないと思う。でも、少しでいいから想像してほしい。もし清坂氏がたとえば、知られたくないことをみんなの前で暴露されたら、どれだけ悔しい思いをするかって、想像はつくだろ? すい君だって同じだよ」

 美里は少し黙った。何かを思い出そうとし、すぐに真っ正面に向いた。


「私だって、少しはわかろうとしてるつもりだよ。立村くんのこと」

 唇を一瞬噛んだ後、軽く首を振り、言葉を続けた。

「知られたくないこと誰だってあるものだってわかってるし、立村くんが水口くんのことを気遣ってあげてるのもわかる。勝手に私がわからないって、決め付けないでよ」

「決め付けたわけじゃないさ、ただ」

「でも、その代わりにいつも立村くんがとばっちり食っているの見てると、私も貴史も、いつもいらいらするんだから。立村くんは自分ががまんすればいいと思ってるでしょ。周りの、立村くんの味方でいたいって奴が、迷惑することなんてぜんぜん、考えてないでしょ」

「あのさ、清坂氏」

 さすがにだんだん、腹に据えかねるものがあった。静かに答えた。

「それって失礼すぎるくらい、失礼だよ!」

「俺が言いたいのは、すい君に言いたくないことを白状させようとしたことが許せない、それだけだよ」

「でも、言ってくれなかったら立村くんは卒業するまで、私と変なことしようとしたってことになっちゃうんだよ。私も言われるし、あんただってこれ以上スケベなねたでつっこまれたくないでしょ。水口くんには、かわいそうなことしちゃったなとは思うよ。けど、誰も、それでからかおうなんてしなかったよ。本当のことは本当だけど万引きしたとかタバコ吸ったとか、そういうことじゃないもんね。仕方ないことなんだもん、他のクラスの奴が何か言ったら、きっとみんなかばってくれると思うよ」


 わかっていない。わからない。わかってもらうことなんて、できないんだ。


 目の前でびしびしと続ける美里。襟ぐりから鎖骨がくっきりと見えていた。制服を着ているときよりも骨の形がくっきり見えるのはなぜだろう。思ったより痩せていることに上総は初めて気付いた。うっすらと焼けた肌は、妙につるつると光っていた。こういう女子と、小学校の頃は話したことがほとんどなかった。仲間に入れてもらったことももちろんなかった。なのに、今は自分の「彼女」だ。「付き合っている」間柄だ。

 言いたいことをすぱすぱ言い放ち、それがいやみにならない。

 さりげないようでいて、実は誰よりも自分のことを思ってくれている。

 今のことだって、要は上総がこれ以上いじめられないようにしようとしてくれた、それだけのことだとわかっている。だから怒ることなんてできない、はずなのだ。

 怒ってはいけない。ただ、あきらめろ。

 上総は自分に言い聞かせた。

 俺の感じ方が異常なんだ、さっきなぐちゃんに認めてもらえたと思ってひとり喜んでいたけど、やっぱり、清坂氏や羽飛からしたらおかしいよな。それがやっぱり、普通なんだ。


「もういい。後ですい君に謝っとく」 

 吐き捨てるように、目をそらして上総はつぶやいた。それが精一杯だった。まかりまちがっても「ありがとう」とは言えなかった。

「別に立村くんがばらしたわけじゃないんだから、謝ることないのよ。なんでいつも立村くんは人の顔みて謝ろうとするわけ? なんも、悪いことしてないじゃない。もっと堂々としたっていいんだよ。変人奇人オンパレードのD組がどうしてこんなにまとまっているのか、それを作ったのは立村くんなんだから」

「違うだろ、クラスをまとめているのは清坂氏と、それと羽飛だろ」

 まずい、と言った後で思ったけれども遅すぎた。

 舌打ちしてすぐに謝ろうとした。

「ごめん、言い過ぎた」

「本音だったらあやまらなくたっていいのに。もしかして菱本先生に言われたことまだ気にしてるわけ? 菱本先生は冗談でからかっているだけだって気付かないの? なんでも真っ正面から受け止めるのが立村くん、勘違いする悪いとこだよ」

 言ったことへの反撃。されて当然だと上総は覚悟した。

 勘違いする悪いとこだよ、か。

 そうだよ。その通りだよ。

 俺の感じ方はすべて、勘違いなんだ。

 ずっとみんなに言われてきた。わかっている。

 でも、どうしてもそう感じられない。

 どうして清坂氏も羽飛も、そう軽く受け流せるんだ?


 受け流せなかった上総はもう押さえられなかった。

「わかったよ。俺の感じ方がおかしいだけなんだ。悪かった」

「またそうやってひがむんだから。だからこずえにガキ扱いされるのよ」

「もういいよ終わったことなんだからさ。どうせこれからクラスミーティングだろ、その時にすべて片付ける」

「また変なこと考えてるんじゃないでしょうね」

「俺にとっては普通だけど、清坂氏にとっては異常なことかもしれないさ」

「どうして最初から私にわからないって決め付けるのよ。言ってくれなかったらわかんないよ、超能力者じゃないんだもん。私だって、立村くんがどうしてほしいかわかんないから、私が正しいってことするしかないじゃない。教えてくれたら、そうしようって思うよ。私の本当は、立村くんの本当じゃないって、そのくらい、わかってるもん。どうして全然言ってくれないのよ! もういい、知らない!」

 片足で美里は椅子をけって立ち上がった。勢い良すぎてばたんと壁にぶつかった。ポケットを探りながらもう一度上総をにらみつけた。黄色いチェックの包み紙をテーブルの上に叩きつけた。正方形の小さな包だった。かたっと音がした。

「勝手にしなさいよ。もう、知らないから」

 振り向かずドアを開けっ放しにして出て行った。自然にドアが閉まるのに、少々時間がかかった。その間上総は呆然と美里の背中を見送っていた。頭の中で、まだ美里の言葉の真意が解読できなかった。

 怒っているのに、やさしい、なのに縁きり宣言のような言葉。

 


2 反省、および事後処理その一


 しばらく口を利けないでいた。痛いところばかり知っているかのように突く美里の言葉をかみくだけないでいた。いつもだったらベットにもぐりこんで寝るかなにかするんだろう。でも、起きている上総の頭はすでに、二年D組評議委員として働いていた。優先順位でいけば、しなくちゃいけないことは。

 水口へ、あやまることだった。

 もう一度「しおり」の部屋番号表を照らし合わせ、受話器を握り締めた。0発信で部屋番号をダイヤルした。金沢かもしくは水口か。すぐに出たようすだった。眠そうな声で「はい」と聞こえた。

「もしもし、立村です。すい君か?」

「そう」

 相変わらずぼんやりした声だった。小学生に話しているような気がする。でもあえて、上総は普通にしゃべるようにしていた。意地だった。

「あの、昨日、ごめん。本当にごめん。俺が悪かった」

「なんで?」

 間の抜けたような声で、水口が答えた。後ろで「誰?」と聞く様子だった。たぶん金沢だろう。そのまま筒抜けで「立村からだけど」と返事する水口。

「バスの中で、なんというか、無理やり、しゃべらされたんだろう。今、聞いたんだ。俺がいたら絶対そんなことさせなかったんだけど、約束守ってやれなくてごめん」

 口の中で繰り返している謝り文句。一度言ったら、こだまのように何度も響いているように聞こえた。気の利いた言い訳が見つからない。しゃべっているうちに自分をぶん殴ってやりたくなった。なのに、受話器の向こうにいる水口の声はぼおっとしたままだった。

「いいよ。起きれたし」

「ほんとは中に入って起こすつもりだったんだ。なのに」

「廊下、うるさかったからすぐ目覚めたし、それに」

 水口は、トーンの変わらないねむそうな声で続けた。

「菱本先生も電話してくれたから、完全に起きること、できたから」

「あのさ、菱本先生に話してないって言っただろ!」

「しかたないよ。だって、僕のためだって、言ってたもん」

 それでまるめこまれたのか。

 最後に「本当にごめんな」とつぶやき、上総は受話器を置いた。

 脱力状態だった。


 次に何をすべきか。

 付き合い出してから初めての大喧嘩をしてしまった美里に、どう対処すべきか。これが問題だ。

 上総からしたら、美里の言い分は真実を突いているところもあるけれど、ただ言い方がもっとあるんじゃないかというのが本音だった。


 あんなにわめかなくたっていいじゃないか。そしてもっと分かりやすく言ってくれたっていいじゃないか。

 第一、話をすりかえたのは向こうの方なんだ。

 俺はただ、すい君に言いたくないことを無理やり言わせたことが許せないと言っただけなのにだ。

 確かに俺は神経質すぎるのかもしれないけど、約束を破ってしまうのはやっぱり、許せないことだろう?

 それに、俺のためにって言いながら結局は自分のことを認めさせようとしてるだけじゃないか。俺は黙って頭さげて感謝しなくちゃいけないのか?そうできないのがおかしいのか?

 言いたくないことを言わないで怒られるなんて、そんなのあるかよ。

 

 しかし、そこまで考えるうちにはたと、気付いた。

 このままだったら、清坂氏に愛想つかされる可能性大じゃないのか。

 一ヶ月前だっていうのに。

 付き合ったばかりだっていうのに、もう振られるのか?

 今までどおりの友達でいられればいいけどさ。

 なんかそれ以上の険悪な関係になっちゃったらどうするんだよ。

 向こうとは来年もずっと評議委員で顔合わせるのに。

 ずっと無視されたら、地獄だぞ。

 それよりなにより、清坂氏としゃべることできなくなったらどうするんだ。まともに話のできる女子なんて、あと古川さんくらいしかいないし、それもみんな下ネタばっかりだ。

 

 希望は全くないわけではない。こじれないうちに自分の方から頭を下げて、徹底して謝れば美里は機嫌を直してくれるかもしれない。子供の頃から母を通して学んだ知恵だった。母を怒らせた時は「ごめんね、ごめんね」と何度もすがる。もしくは思いっきり反省しているかのようにうなだれつづける。結局は大泣きしてしまい、また怒られるのがパターンだったけれども。美里とのつきあいはともかく、友達ですらいられなくなるかもしれないというのは怖すぎた。



3 おみやげの数々



「たーだいまー! 立村起きてたか?」

 とっぴょうしもない声で誰がきたのかすぐにわかった。

 ほこりだらけの格好で、貴史はひょいっと何かを投げてよこした。

 平べったい、手のひらに載りそうなくらいのものだった。受け止めそこねたらまぬけ。片手で、バランス崩さぬように捕まえた。

「もしかしてみやげものか?」

「その通り。これ面白いんだぜ。開けてみろよ」

 言われるままに開いてみると、円型のコースターっぽいものだった。表面に薄く、プラスチックのようなものが回るように貼り付けられていた。金色の小さなドットがきらきらしていた。

 いわば手のひらサイズの、星座盤。

 よく見ると円の外に小さく、三百六十五日分の日付が綴られていた。矢印を目的の日に合わせると、その日の夜空が読み取れる仕組みとなっている。

「ありがとう。でも羽飛にしてはめずらしいよな。こういうの買うなんてさ」

「昨日お前が寝込んでいる間、夜の散歩に行っただろ。そのときさ、すげえ空の星が近くってさ、もう、びかびかびかって感じで光ってるんだ。いやあ、青潟の空と違うって思って、今夜こそもっと夜空をチェックしねばなってことで」

 自分の分も買ったらしい。わざわざ旅行先で買うこともないだろうに。

「わかった。今夜は俺も見たいな」

「とにかくすげえぞ。今日も雲がないから、たくさん見られると思うぞ」

 上総は枕もとに、星座盤コースターを置いた。忘れないようにしなくては。

「それはそうと、本日の菱本先生は何騒いでた」

「あれ、美里から聞かなかったのかよ」

「あの、ちょっとな」

 口篭もった。どうやら貴史も、美里が最初に上総へあいにきたということを知っているらしい。

「あ、どうしたんだよ。お前らまさか、することしたんじゃねえだろうなあ」

「ばかばかしい」

 話を逸らし、貴史にもう一度尋ねた。

「相変わらず、クラス全員でぞろぞろって歩いたんだろうな。自由行動とかほとんどなかったんだろ」

「まあなあ。でも、結構刺激的なこともあったからよかったんじゃねえか」

「なんだよ、その「刺激的」ってさ」

「あやうく、「青大附中の教師、危うく他校と大喧嘩」ってとこかな」

「なにやらかしたんだよ、全く」

 詳しい話を聞くにしたがって、上総は頭を抱えてしまった。

「みんなで武家屋敷とか、茶室見学とかいろいろ回っていたらさ、どこかの高校生の集団とばったり顔合わせちまって。中に入ろうとしたら、いきなりそいつら、横入りするんだよ。俺もむかっときて何か言おうかと思ったら、やられた。菱本さん、血が昇っちまって、『お前らどこの高校だ! 名を名乗れ!』って怒鳴ったんだ。そいつらもあやまりゃいいのにな、けんかを買いますって顔するもんだから、危うく火がつくとこだったんだ」

「あの、それってさ、D組の連中がちょっかい掛けたわけじゃないんだよな」

「もちろんそうだって。俺たちはおとなしかったなあ。菱本さんだけがエキサイトしちまって、とうとう間に、向こう側の先生がやってきてしきりに頭下げてたぜ。俺たち、唖然。呆然。どうすりゃいいのって顔してた」

 これは、本音でいうしかない。

「おいおい、青大附中の恥だってさ。あやつ、気付かないのかよ。仮にも教師だっていうのにな。そりゃ、横入りはむかつくかもしれないけど、けんかを売るのはやめろよなって言いたい」

 手をむすんでひらいて、とやりながら上総は話の続きを促した。

「その他になにかなかったのか?」

「行きがさ、ちょっと渋滞にひっかかったみたいで、一時間くらい到着するのが遅れたんだ。したら、女子がさあ、トイレ行きたがってちょっと、それでばたばたしてたけどな。美里がうまく治めてた」

「野郎連中はどうだったんだ? あの、なんというか」

 そういうこともあるんでないかと、用意させたペットボトルのことを言うべきかどうか迷った。

 貴史はにやりとしながら上総の肩をかるく叩いた。

「水口がさ、言ったんだよ。『立村がトイレ代わりに使えって言ってたから、持ってきたんだ』ってさ。あいつ、閉所恐怖症っぽいとこあっただろ。トイレにいけないとか思うと、パニックになっちまうとこ。でも、お前に万が一のためにって言い含められたのが、そうとう効いたらしいんだ。『これがあるから安心なんだ』ってぽろっと言ってしまってさあ」

 話が読めず、上総はもう一度尋ねた。

「すい君が何言ったってさ」

「白状しろよ。立村。お前、水口の面倒見るために外ほっつき歩いてたんだろ。あいつみんな、しゃべっちまったよ。なーんも考えてないって顔でな。『立村が全部、ペットボトルだとか、ねしょんべんのこととか、みんなどうすればいいか考えてくれたんだ』とな」

「まさか、あいつみんなしゃべったのかよ!」

 電話口で泣きながら「いきたくない。笑われる、いきたくない」としゃくりあげていたのはどこのどいつなんだ。全く、俺は何を今までやってきたんだよ! 

「だから俺も言ってやったんだ。俺も小学校四年まで毎晩、布団に地図を描く生活だったんだってさ。みんな似たような経験してるから平気だろ、ってな」

「あ、そう」

 力なくつぶやくのがやっとだった。


 そろそろ下でクラスミーティングが始まる頃だった。

 評議委員の仕事発動の時間だった。

 あと十分くらい余裕があるだろうか。手帳を取り出して予定を確認した。

 提案事項をいくつかまとめてある。南雲と約束したことを思い出し書き加えた。夕食後、ボードゲームを菱本先生の部屋でやろう、という案だ。もちろん希望者だけだ。上総は最初だけ様子を見て、途中で具合悪い振りして抜け出すつもりでいる。

 貴史には話さないでおいた。

「あれ、なんかあるぞ。お前のか?」

 貴史が机の上に残っていた小さい包みを摘み上げた。星座盤コースターが入っていた袋と同じ包みだった。たぶん、同じ店に入ったのだろう。

「ああ、清坂氏が置いてった」

 握り締めた後なのだろう、角が折れていた。貴史は目の前にぶら下げて数回揺らした後、投げるしぐさをした。上総は両手を受ける形にして差し出した。投げずに、ぽとんと、手の中へ落としてくれた。

「開けろよ。俺も見たい」

「そんな、俺にくれたものじゃないかもしれないしさ」

「いや、あいつ、古川とふたりでなにやら選んでいたぞ。お前のことしゃべりながらな。この店、土産屋なんだろうけど、珍しいものがたくさんあって、女子には大受けだったみたいなんだ。あの星座盤コースターもなかなかのヒットだったしなあ」

 何度も指差す貴史。デリカシーのないことをしたくない上総。

 隣に坐ってきて、べたっとくっつかれてしまった。暑苦しい、汗臭い。まだぐずぐずしていると貴史はさっと、包みをひっぱるしぐさをした。

「なあ、見せろよ見せろよ」

 なんとなく硬い、金属っぽい手触りが紙の上からした。シールを爪ではがし、そっと開いた。ちゃりりと聞こえた。

「キーホルダーかよ」

 貴史が覗き込み、つぶやいた。

「すげえ、あいつらしくねえ。つまらねえ」

 わっかに人差し指を入れて、今度は上総が目の前にぶら下げてみた。

何も描いていない、列車の切符くらいの大きさ。柄は緑色のタータンチェックだった。黄色と赤の細い糸が正方形に交差している。ふちは黒い合皮で覆われている。ぎゅっとにぎると、心地よく納まった。

「これだけかよ。すげえさみしいの」

「チェックのところに、あとで名前とか電話番号とか、彫るんだよ」

「ふうん、美里もっと気の利いた物みやげにするんだと思ってたけどな。あ、っそっか。もしかして、今夜、『私』をプレゼントなんて考えているんじゃないだろうなあ。立村、俺たちの仲で抜け駆けは、ゆるさんぜよ」

 ひじで小突いた。

「そんなことするわけないだろ!」

 人差し指と一緒に、柄を握り締めたまま上総は立ち上がった。部屋の中をうろうろしないと落ち着かなかった。なんだか、勝手に手の中が汗ばんできた。ぐるぐると何度も、あいている場所を回った。

「なんか今の立村見てると、ストレスの溜まった馬が部屋の中をぐるぐる回るって話、思い出すよな」

「ああ、たぶんそうさ。ストレスさ」

 息を深く吸い、立ち止まった。貴史の方を振り返った。

「羽飛、一年半の付き合いに免じてひとつだけ頼みがある」

「ほほう、なんなりと申せ」

 にやにやしながら貴史が答えた。

「今から三分間でいい。トイレにこもっていてくれないかな」

「は? なんでだよ。トイレなんて三十秒もしないうちに終わっちまうぜ」

「だから、あえて、そこを頼む。三分間だけ、俺をひとりにしてくれ」

 柄を握り締めたままで頭を下げた。

怪訝そうな顔をして、それでも仕方なさそうに貴史はユニットバスの中に入った。片手には時間つぶしのつもりか、もらってきた観光案内を持って。


4 事後処理 その二


 ばたんとしまるのを確認した後、上総はさっそく受話器を取った。

 しおりを取り出して、一番端の女子部屋をチェックする。内線番号は部屋番号と一緒。0発信で、ゆっくりまわした。たぶん、そんなに時間経っていないから、部屋にいるだろう。

 一回鳴らすか鳴らさないかで、かちっと受話器のなる音が聞こえた。

「はい?」

 瞬間、上総は思いっきり後悔した。

 同じ部屋には美里だけじゃないってことを忘れていた。

 「朝の漫才」の相方も一緒だったってこと。

「あの、古川さん? 立村だけど」

 知らん振りして切るかどうか迷ったが、礼儀を重んじて名乗ることにした。

「なあんだ。立村なの? ちょっと、美里出る?」

 部屋にはいるのだろう。でも声は聞こえなかった。こずえの、

「ほら、あんたのダーリンよ。出なさいってば」

と、調子に乗ってからかうせりふだけが嫌というほど響いた。隣の部屋、廊下に響きそうだ。こういう時にこそ、「背筋が寒くなる」と使いたかった。

 結局、再び話の相手をしてくれたのはこずえだった。


「悪いんだけど、美里出ないって言ってるよ。あんたら、もしかしてここでけんかしてたりしたの?」

 図星だけど、答えるわけにはいかない。上総はすっとぼけることにした。

「そんなことないよ。清坂氏、そこにいるんだろ?」

「いるけど、ねえ。用があるなら私が言っとくけどね」

「あんたに頼んだらどういうことになるかわからないだろ。怖い人だ」

「まあ、後で、美里にくわしーく、聞くからいいけどさ。でもせっかくじゃない。ご本人の口から、今なんで美里がああふくれてるのかを教えてもらいたいのよね。一夜を明かすんだから、私」

 察するに、美里はこずえにもまだ、上総との口論を打ち明けていないようすだった。何かがあったという雰囲気ではあり、隠せなかったらしい。こずえの性格からして、かなり攻め立てたに違いない。答えてないということは、隠したいということだろう。はてさて、どう答えるか。時間はない。しかたない。破れかぶれで答えた。

「じゃあ、一言だけ伝えてもらえないかな。さっきのもの、ありがとうってさ」

「さっきのものって、何よ何。気になるなあ」

「だから単なる御礼だって」

「美里から何かもらったの? ははん、もしかして、売店で選んでいたあれかな? ね、美里、そうでしょ」

 相変わらず声は聞こえない。頷いているか、首を振っているか。想像するだけだ。

「ああ、わかった。立村、美里に何かしたんでしょお! 部屋に連れ込むか何かしてたんだな。きっと」

「そんなんじゃない!」

 ここで声を荒げないですむ奴がいたら教えろと言いたい。

「だってさ、さっき美里が用事あるようなこと言ってどこかにいなくなってさ。まだその時は普通だったんだよ。でも、部屋に帰ってきたとたん、こうだもんね。で、立村からの電話でしょ。これで何かないなんて、絶対ないよねえ。さ、お姉さんに白状しちまいな」

 冗談ぬかせ。挑発に乗らず、上総はつとめて冷静に答えた。

「俺はただ、清坂氏にお礼を言いたいと思ったから電話したんであって」

「ああら、じゃあ直接部屋に来たっていいのにさ。ったく、昨日の夜だって部屋に忍び込もうとしてたんでしょ。菱本先生からぜーんぶ、聞いてるよ」

 話が違う。こずえは上総が夜這いするためにやってきたと思い込んでいるらしかった。誤解をこういう時は解きたいけれども、できない。歯がゆかった。

「ねえ、嘘じゃないんでしょ? 真夜中の二時過ぎに、うふふ、したかったんでしょお」

「だからなんでそういう話になるんだよ! 俺は用件があるからかけただけであって」

「なあに向きになってるんだか。ほんっと、あんたはガキだねえ。お姉さんは情けなくなるわ」

 こずえの十八番が出た。

「ばかばかしい」

 上総も同じく決まった相槌を打った。

「ばあか、知ってるよ。なあにあせってるのよ。ほらほら白状しなさいよ。美里もなんだか真っ赤になっちゃってるし・・・・・・やだあ、ぶたないでってば」

 受話器の向こうで女子同士の修羅場となっているらしい。けらけらと笑いつづけるこずえに向かって、美里の、

「そんなんじゃないからってば! こずえってば何調子こいてるのよ!」

 ひそひそながら文句を言う様子がうかがえた。

「ほらほら、立村に丸聞こえだってば。しょうがないなあ。じゃあ伝言伝えとくよ。立村、あんた要るに美里に何を言いたかったわけ? お礼? それとも」

「分かった。古川さんを信じて一言だけ伝えてくれ。さっきは言いすぎた。俺が悪かったって」

 ほとんどもうやけくそだった。それだけ伝えて、上総は受話器をゆっくり置いた。置く寸前に、かすかにこずえの笑い声が響いていたようだったが、気のせいだろう。


 受話器を握り締めすぎていて、汗ばんでいた。べとべとして気持ち悪い。手を洗いたくなった。

 水を使おうと思って、ユニットトイレに向かったとたん、中から馬鹿笑いが聞こえた。

 忘れていた。

「羽飛、もう終わった。出てきていいよ」

 声を掛けるやいなや、ひょいっと顔をのぞかせた。貴史は持っていた観光案内のパンフを丸め、思いっきり頭上から叩き下ろした。よける間もなかった。

「痛いなあ。やめろよ」

 二発目は両手で挟んで受け止めた。

「お前ら、もしかして初めての『痴話げんか』ってやつ、やらかしたんだろ?」

「そんなんじゃないってさ」

 『痴話げんか』の響きが気持ち悪い。横を向いた。

「ったく、俺のいない間にまあ、やることやってるよなあ。お前も美里も」

「なんもやってないって言ってるだろ! ただ、キーホルダーのこと気付いたって」

「じゃあ、なんだ? なあにが、『さっきは言いすぎた。俺が悪かった』なんだ?」

 こつんと三発目、肩にきた。避けられなかった。

「羽飛、まさかお前、盗み聞きしてたのかよ!」

「こちらが聞くつもりなくても、お前の声で全部丸聞こえだって。お前もトイレに入ってみればわかるよ。みんな部屋の会話筒抜けなんだぞ。まったく、立村って、天才なのか抜け作なのか、よくわかんねえよなあ。ま、気にすんな。あとで美里に、お前が青ざめた顔して謝っていたこと、伝えてやるからさ。古川に伝言するよりも、それの方が正確だろ?」

 頷いた。否定できない。

「そうだな。たぶん今ごろ、俺が清坂氏にとんでもないことをやらかそうとして逃げられたってことに、尾ひれついた状態で、女子全員につたわっているような気がする」


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