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その八 昼下がりのよしなごと

1 絵画がだめでも写真なら

2 定期入れの中に、ある想い

3 二日目夜に向けてのセッティング


その八 昼下がりのよしなごと



1 絵画がだめでも写真なら


 南雲が出て行った後に、上総は素早く浴衣から着換えた。さっきから話をしている間、居心地が悪くてならなかった。ひとりだけだらしない格好をしているようで、自分が小さくなってしまったかのようだった。柔らかいベージュの開襟に、麻布のベストを羽織った。色があいまいなせいか、自分もとろけてしまったようだった。

「もう大丈夫なんか」

「うん、どうせ、寝るだけだったらこの格好でいいしさ」

 靴下だけははかずに平たく坐った。

 南雲は今度ウーロン茶の缶を二本持ってきた。胸にかかえる格好だった。その間に文庫本っぽい本が隠れていた。

「本持ってきたんだ」

「他の奴らに見られたら、何言われるかわかんないから、こっそりと、な」

 ねちっこくない、さらりとした口調で南雲は、上総に缶を受け取るよう促した。水滴がまだしたたっていない。細かい粒子のままだった。額に当ててみたのち、すぐに口をつけた。

 南雲の手にある、本に目をやった。カバーがかかっている。

「さっき、りっちゃんが、絵のことあまり好きじゃないって言っていただろう。写真だったらどうかな、と思ってさ」

 何かポストカード集かな。受け取ってぱらぱらとめくった。

 一瞬、何が見えたかわからず、すぐに閉じた。

 もう一度、めくった。

「なぐちゃんこれって」

「そうだよ。『最新水着アイドルハンディフォト』文庫。今回、『青潟大学附属中学ファッションブック』をこしらえるに当たって、参考資料にと思って購入。でも必要経費には落としてないよ」

「うそつけ。どうせ自分の必要経費だろ」

 そろそろと、今度は一ページずつめくっていった。南雲とふたりっきりだったら、まあ、ゆっくり堪能したってかまわなかった。これが貴史だったら、もっとしらけた顔してめくるのだろうが。


 最初は見覚えのある女性アイドルの、上から下まで繋がっている水着。

 名前はよくわからない。やたらと派手なのが多い。虹をかたどったような七色模様。金銀をあしらった、皮膚呼吸大丈夫なのかと心配になりそうな柄。しかし、どんどんページが後ろの方に行くにしたがって、名前の知らない人が増えてきた。上下分かれた水着が続いた。最後の方は、肌の隠れた部分が少ない、限りなく限界に近い水着のオンパレードだった

 さすがにそれをまじまじ眺めることはできずに、閉じた。

「な、健全だろ? 裸の人いないよ」

「そりゃあさあ、いたらまずいだろう。ところでなぐちゃん、これは他の誰かに見せたのかよ」

「いいや、見せてない。参考資料なんだから」

 経費で落ちたら、規律委員会の存在自体が問題になりそうだ。


 貴史だったら

「な、立村はどの子が好きなんだよ。俺は絶対、優ちゃんだけどな。ほら、水着だったらどんなのがいいんだ? やっぱり、胸のある子がいいのか? それともさ」

としつこく問われることだろう。上総は決して自分の好みを口にしなかった。知らん振りして写真の写りについてのみ、語っていた。写真のことについてうるさいとか、絵葉書を集めるのが好きだと思われているのもその辺からきていると思われているだろう。

 南雲に尋ねた。

「こういうのは本屋で買うんだろ」

「もちろん。万引きなんてしませんがな。俺の場合、『実用書』は、健全だったら本屋、不健全だったら古本屋と分けてるからなあ」

「なんなんだ。その、『不健全』って」

「たとえば、こういう風に着るもの着て、見られても言い訳できるようなのは、カバー掛けてもらえば恥ずかしくないよ。領収書ももらったんだ。『青潟大学附属中学規律委員会』で」

 いい根性している。笑いをこらえながらさらに続けた。

「で、どこに隠してる? お前のうちって、両親と一緒だろ。おばあさんとも一緒だろ。本棚に隠すのって大変じゃないか? 」

「定番、ベットの下。りっちゃんは?」

 つられて答えた。

「本棚に並べておけるもので文学全集の箱みたいなの、あるだろ? 」

「ああ、あるな」

「その中に押し込んでる。あれで見つけられたらすごいと思う」

 さすがに、「フィッシェラルド作品集」の箱に詰めているなんてことは言わなかった。引き出しに本そのものだけ、いつも取り出せるようにしてあるから、空いているということも。

「ふうん、りっちゃんはそういう本をどうやって手に入れる?」

「本条先輩が使用済みのをくれるから」

 六月に、一度は返したグラビア写真集。

 一週間後、中の一冊とまた別の写真集三冊をセットにしてプレゼントしてくれた。

「へえ、そうなんだ。本条先輩ってそういう本山のように持っていそうだよなあ。でも本当に自分の好みと合うのかな。りっちゃん、密かに好みがうるさそうだしさ」

 言うか、どうしようか、迷った。

「確かに好みは、うるさいよ」

 膝を抱えてもう一度ベットに脚をつっこんだ。ささやき声で南雲を呼んだ。小さな声で話したかった。

「一度だけ、普通の女の人の写真集を、買おうと思ったことがあったんだ。本屋で、ちゃんと図書券使ってさ」

「ははん」

「でも挫折した」

 南雲はしばらく人差し指をくるくる回しながら首をかしげた。

「アイドル、じゃないだろうな。りっちゃんだったら。すっぱだかなんでもないよなあ」

「俺も名前しか知らないし、その人の写真も、一枚しか見たことないんだ。たまたま、雑誌でその人の写真集が出るって書いていたから。わかってもらえないかもしれないけど、やっぱり」

「わかるわかる、りっちゃんの言いたいことは俺もわかる」

 本条先輩が一冊返してくれた写真集に載っていた、哀しげな表情の、清楚なシュミーズ姿の少女だった。ショートカットだが、どことなく気品があって、なんでこういう写真集に出ているのかが謎だった。返してくれた理由を尋ねたら一言、

「お前このページしか見てなかったんだろ。黙っていると、ここのページだけ自然に開くんだ。いったいどのくらいこの子でやったんだ?」

とあきれられた。言い返せなかった。

「買わなかった理由、知りたいなあ」

 お互い顔を見ないで、青空だけを眺めながら言葉を交わした。

 上総は一気にタオルケットにもぐりこみ、顔だけ出してはっきり答えた。

「買えるかよ! つなひきの縄みたいなのを巻きつけて坐っている写真なんてさ」

 すぐに、勘付いたようだった。

「あの、それってさあ、服を着ないままで、縄が巻きつけられているのか。それって、もしかして、鞭で叩いたり、つるしたりするっていう」

 さすがに聡い。

「未知の世界だった」

 南雲は大きく頷いて、枕もとにかがみこんでささやいた。

「じゃあ、今度古本屋で見てみるよ。見つけたら、知らん顔して買っておくからさ」 



2 定期入れの中に、ある想い

 

 ホテルのフロントから電話があり、昼食用の弁当が届いているとの連絡があった。なんでも菱本先生が、行く寸前に二人分の、「黄葉山弁当」なるものを頼んでくれたそうだ。その辺やはり、担任だ。中身は薄茶のどんぶり風容器に、たけのこ、栗、ぜんまいを炊き込んだ、山菜混ぜご飯といった風だった。前の日に食べたものとほぼ一緒でげんなりしていたが、もう一箱、おまけがついていた。緑色の、おそらく山菜のエキスかなにかを混ぜたバウンドケーキ折り詰めだった。もちろん、ふたりで分けて食べるように、とのことだろう。フロントまで南雲が取りに行ってくれた。さっそく食べながら、よしなごとをしゃべりつづけていた。青空は、食べ物が減っていくのと同じくらい、早く薄い色合いにかすれていった。雲が少しずつ、もみこまれるように広がっていった。風が冷たくなってきたので窓を閉め、湿気とりだけしておいた。

 会話はまったく途切れないのに、まだなにか、肝心なことを聞いていないような気がした。だんだん、バスの戻ってくる時刻、四時が近づいてくるに連れて気持ちがばさばさ言いはじめていた。南雲は気付かぬ風に、ベットにねっころがったり、起き上がったりいろいろしながら鼻歌を歌っていた。


「あの、なぐちゃんさ」

 ごみを捨てるために立ち上がった。寸前まで日本のインストロメンタルについて語っていた南雲の話題に、休止符を入れた。

「今、あれを持ってるか?」

 背を向けたから言えたことだった。割り箸で余った漬物を寄せながら上総はもう一度繰り返した。

「定期、あれ、持っているんか?」

「定期入れか? 持ってきてないよ。別に必要じゃないもん」

「あの、というか、さ」

 箸の先が空の弁当箱の中、くるくるとさまよっていた。上総も自分で、なんでこんなことしなくちゃ、いえないのかわからなかった。みじめったらしくて腹が立った。すとんとごみ箱にほおりこんだ。南雲に振り返った。

「昨日、俺が拾っただろ。なぐちゃんの定期入れをさ。その時、別に見る気なかったんだけど」

 もう一度息を吸い込んだ。落ち着いた顔を作ってみた。教壇でロングホームルームに立つ時と同じ感じにだった。

「コンドーム、持っていたんだろ」

 貴史から聞いた、とは絶対に言う気などなかった。

 南雲はぽかんとした顔で口を半開きにしていた。

 驚かせてしまったのだろうか。やはり、知られたくなかったんだろう。いくら仲間内で、息を吹きかけて巨大風船のようにして遊ぶことはあっても、本来の目的を忘れるためにおどけるだけ。ふくらんだ風船の中に何が入るか、何を見るのか、それを認めたくないから隠すだけ。普段の上総だったら決して、質問なんてしなかっただろう。もし、南雲以外の相手だったら、決して口になんてしなかっただろう。かくしてしまいたいものを、ひっぱりだすなんて耐えられなかった。でも、今、この時。南雲にだけは本当のことを教えてほしかった。「つきあい」という言葉の影にひそむ、自分の大嫌いな感情を、南雲の口から、分かりやすく話してほしかった。


 驚いた顔もそれほど長くは続かなかった。うつぶせになり、顔をいったん隠した後、すぐに起き上がって笑いかけてきた。

「りっちゃんは、清坂さんにそういうことしたいと思ったことないんか」

「なんでそういう話に持っていくんだよ」

「違う違う。俺、からかうつもりで言ったんじゃないよ。りっちゃんすげえそういうの嫌っているの知ってるよ。単にお守り。それだけだよ」

 ひとりでいきなり頬が腫れているようだった。南雲の方は落ち着いて、いつも通りのすかっとした笑顔で話しているのに、自分だけが自意識過剰状態。でくの坊状態だった。南雲の言葉はさらに続いた。

「俺、彰子さんと付き合ったのって三カ月前だろ。でもその前に、いろいろ女子と出かけたり、会ったりしたことはしょっちゅうあったんだ。小学校の頃から、バレンタインデーにはチョコレートたくさんもらうの普通だったし、この学校では話したことないけど、ファーストフードの店でジュース飲んだりもしたことあるんだ。だから俺、軽いっていわれても仕方ないんだって、思ってたんだ」

「本条先輩と同じくらいにか?」

 比較対照の相手がまずいのではと思いつつも、上総は尋ねた。

「いいや、だって本条先輩はするとこまで行ってたんだろ。確か、小学校六年の夏に、きもだめし大会があってそんときに」

「その辺の事情は、たぶん俺の方が事細かに知っていると思う」

 当たり前だった。一年の頃からの付き合いだ。

「してないしてない。でもさ、うちの親の方がかえって心配したみたいでさあ。中学に入ってすぐ、父さんに箱ごと、渡されたんだ」

 絶句する番だった。

「あの、箱ごとって、その、ダース単位で数えるっていう、あれでか?」

 南雲は当たり前の顔をして頷いた。

「やっぱりそういうのって、珍しいんだなあ。俺、どこのうちでもそうなんだって思ってたから別に何も思わなかったけど」

「そういう話、全然したことないし、したくもない」

「俺が男である以上、絶対に逃れられないことなんだから、かならず一枚持って通えって。たぶん、規律委員会でそれがばれたら騒ぎだろうな。でも、うちの父さんの言うこともそうだなって思ったから、いつもは定期に入れておくようにしてたんだ。あまり何も考えないで」

 妄想で浮かんでいた生々しいものとは別のようで、上総は戸惑った。

「でも、彰子さんと付き合っただろ。今まではただのお守りって感じだったけど、最近うちの父さんが言ったことが妙に分かるんだ。『男だったら絶対に逃れられない』ってことがさ」

 わかる。たぶん南雲とは別の意味かもしれないけれども、上総には逃れられない感情というものが、伝わってきた。へらへら笑いのない、乾いた空間の中で流れる南雲の言葉が心地よくて、上総は自分のベットに腰掛けた。想いをこめて、言った。

「言いたいことは、なんとなくわかる」

 これ以上、聞く必要はないと思った。

 

 どうして南雲はここまで奈良岡のことを想うことができるのだろう。

 まっすぐすぎるほどだった。

 どうして惚れたのか、聞いたことはなかった。きっかけは何だったのか、どうしてあそこまでべたべたしたところを見せつけようとするのか、聞きたくても聞けなかった。

 たぶん、「つきあっている」者同士だったら感じるものがあるのだろうと思っていた。独り占めしたい、誰にも触らせたくない、そんな激しいものが、きっと南雲の中に溢れているのだろうと思っていた。

 上総には絶対に理解できないものだった。同じ「つきあい」の相手がいても、全く感じられないものばかりだった。定期入れの中にゴムの包みを入れてお守りにするとか、考えたことすらなかった。

 でも、南雲の父が言うとおり、「男だったら絶対に逃れられないもの」だけは、いやというほど感じていた。

「あ、りっちゃん。俺、実際はまだ、封印切りしてないよ。二枚くらい、実験で開けてみたことはあるけれどさ」

 南雲はからりとした表情で答えた。

「練習用にか?」

「うん。でも、今はまだ無理かな。俺まだ、金を稼ぐことできないから」

「就職するまで待つって、ことか?」

「相手に責任を取ることができるまでったらどうしてもそうなるよな。親にもいっつも言われてるでも、それまでがまんする自信なんて、ないけどな」

「じゃあ、本条先輩はどうなるんだ? あの人、もしどちらかの彼女としくじったらどうするんだろうなあ。たぶん念には念を入れているだろうから、そういうことはないと思うけど」

 二人の恋人の間を行き来しつつ、光源氏のような生活を送っている、青大附中の女ったらし本条里希先輩のことを思い出した。評議委員長としての敏腕ぶりや後輩たちへの面倒見のよさは見習いたいけれども、例の一点だけはどうも、ご遠慮したかった。

「りっちゃん、俺さ、比較的そういうチャンスって、あった方だと思うんだ。でも一年の頃は、全然そんなこと考えなかったんだよなあ。でも、なんかの拍子で彰子さんと付き合って、それから」

 ふうっと息を吐き出しながら、ベットに大の字となり、

「絶対見せられねえよな。そういう時の、俺の頭の中。きっと向こうは、俺が冗談でやっているとしか思ってないんだろうなあ。まだまだ、信じてもらってないから、俺は俺なりにやってみせてるんだけどさ、好きだったら好きってきちんと伝えるのが、南雲家の流儀なんだけどさ」

 


3 二日目夜に向けてのセッティング

 

 しばらく話が途切れた。上総は南雲をそのままにして時計の文字盤を見た。四時にさしかかろうとしていた。昼下がり、にふさわしくない言葉ばかりが部屋の中にたむろしたのに、今の上総にはすべてが気持ちよかった。自分の中で名づけられなかった、もやもやしたものに、南雲がすべて命名してくれたかのようだった。どうして南雲はここまで上総の感じているものをわかってくれるのだろう。菱本先生や貴史のように、痛すぎることなく、上総に入ってきてくれるのだろう。

 上総は窓辺に立って耳を済ませた。バスの戻ってくる音が聞こえてこないか、それだけを確認したかった。まだ異常なしだった。

「なぐちゃん、今晩が最後のチャンスかもしれないよ」

「なんだよいきなり」

「みんな、菱本先生にひっぱりまわされてぼろぼろに疲れ果ててると思うんだ。たぶん、昨日の俺みたいに夜中、とっつかまることもないと思うよ。きっと、伝えたいこととかたくさんあるんだろうし、どう考えても昼間に話せないことだってあるだろ?」

「夜這いを推奨する立村くん、いったい何を言いたいんだ?」

「ただし、封印切は許さない。明日の朝、定期入れ、薄くなってないかどうか確認するからな」

 そこだけ生真面目につぶやいた。


 たぶん南雲には、どうして上総が余計なおせっかいをやいてしまったのか、わからないだろう。それでよかった。上総はただ、青空を部屋から見つめながら過ごした時に、恩返ししたかっただけだった。

 膝を組んで南雲の目をじっと見詰め、思いつくままに言葉を発した。

「夕方、夕食前にまたミーティングやるだろう? 今日の反省というか、なんというか。その時に俺が夕食後の予定として、菱本先生の部屋でゲームをするかなにかの案を出す。そうしたらお前のグループや他の女子グループもだいぶ混じるだろう。菱本先生の部屋たって、そんなに広くないし、途中で眠くなったからと言って抜け出すのも自由だ」

「ああ、だいたいりっちゃんの言いたいことはわかる。でもなんで」

「最後まで聞けよ。あの先生のことだ。最後の夜だし夜中まで盛り上がるさ。ロビーには人気もなくなるだろうし、ホテルの中には外に、ほら、鳥が飛んでいた池とか散歩するとこもあるさ。どうせだったらそこでふたりきりになればいいじゃないか。まあ、『封印』を切ることは無理かもしれないけれどさ」

 言い切った後、南雲の言葉を待った。


 案に反して、南雲の顔はだんだん火照ってきた。

「あのさ、りっちゃん。俺、あまり聞いたらいけないと思うから聞かないけどさ、どうしてそういうとてつもない案、思いつくんだ? 俺がもし、りっちゃんの立場で、それこそ清坂さんとお前がそういうことになっていたとしても、たぶん言わないと思うな。いや、評議委員長だとか規律委員長だとか、そういうのは抜きにして」

「いや、なんとなく。なぐちゃん、なにかがずっとひっかかったままなんじゃないかな、って思っただけなんだ。バスの中とか、山登りとか、している時、俺の中で勝手にそう思っただけなんだ。余計なお世話だったらごめん。しないほう、いいかな」

 不意に、南雲を怒らせてしまったかと不安になる。

 最後の方はかすれてしまった。。

「いや、そんなことぜんぜんありませんって。あのさ、その『なにかがずっとひっかかったまま』ってどういうことなんだよ」

 

 答えに迷っているうち、くぐもった車輪の音がかすかに聞こえた。

 窓べにもう一度立ち、身を乗り出すと、さっきまでちゅんちゅん鳴いていたすずめたちがあっという間に遠くへ散っていった。同時に小さなマイクロバスが滑り込んできた。時間どおりだった。ゆっくりバックして、駐車場に止める様子。何度か前、後ろに前後した後、ぴたっと止まった。

 空の色は、まだ黄色くなりきらない山々の色合いに、ほんの少し似ていた。からすがばさばさと羽音を立てて窓を横切っていく。上総は南雲を手で招き、バスから降りてくる二年D組連中を指差した。菱本先生を始めとする思い思いの格好をしていた。ひとり、こちらを見て手を振った男子がいた。隣で南雲は手を振っていた。上総は身を乗り出したまま、ただじっと降車してくるひとりひとりを見つめていた。


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