表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/16

その五 丑三つ時のよしなごと

1 丑三つ時にそなえて

2 最悪の展開

3 最悪の展開その二

4 かばってくれたのか、それとも




1 丑三つ時にそなえて


 くるまっているうちに眠くなり、気が付いたらすでに十二時過ぎだった。つまり、四時間以上死んだように寝ていたってわけだった。淡い橙色のライトがドア、天井、そしてライティングデスクの側に設置されている。まぶしくないけれど暗くないのは、それだけだからだろう。

 だいぶぬくもってきたが、まだ動くのはきつかった。

 上総はデジタル表示の時計が「12:45」で光っているのを確かめた。蛍光色、緑色。目覚まし付。

 あとで朝六時にセットしておかないとまずい。

 たぶん羽飛はそんなこと、していないだろうしな。

 隣のベットには戻っていないようすだった。

 もどってきたって、上総が貴史のタオルケットを奪い取っている状態だから、寝られないだろう。たぶん、真夜中起きている連中の部屋にもぐりこんで、トランプか、はたまた宴会か、なにかやっているのだろう。菱本先生もその辺は大目に見てくれているようだった。

「酒とタバコ、それだけは持ち込むな。いいな」

と、旅行が始まる前にしつこいほど繰り返していた。

 裏を返せば、それ以外はまあ、いいかってことだろう。

 修学旅行や、他クラスと一緒の宿泊研修とは違うところだ。


 夏休みに唯一出かけた旅行らしきものといえば、評議委員会の夏合宿だった。青潟市内の青少年宿泊施設を借りて行った。四人部屋だった。上総と本条先輩とは一緒だった。同室のはずだったふたりが、別の部屋に泊りこんでしまったので実質は二人部屋だった。

 どんちゃん騒ぎをしたけれど、本条先輩の厳命もあってか、酒タバコの持ち込みは一切なかったはずだ。表の活動において、本条先輩は決して脚を出すようなことをしない。


 本当だったら上総も一緒に、貴史たちのグループでだべっていただろう。夜がふけるにしたがって話もだんだん下半身中心になるだろうし、それなりにすけべなネタも出てくるだろう。

 夜、何回やるのか。

 どんな写真集を使っているのか、とか。

 お前はいったい誰が好きなのか、とか。

 すでに経験したのか、とか。

 黙って聞いているうちは平気だけれど、自分にとばっちりがくるとたまらなく腹が立って逃げ出したくなるような話題ばかりだ。

 いつもなら貴史がまぜっかえしてくれるかなにかする。でも、すでに「彼女もち」とされている上総には誰も手加減してくれないだろう。

 清坂とはどこまでいったんだ?

 清坂さんとすけべなことしたいとか思ったことないのか?

 夢でいっちゃったりしないのか? 

 せめて写真使ったりしないのか?

 具合悪くなってよかったことというと、そのくらいかもしれない。

 普通だったらきっと、一緒にオールナイトできないってことが悔しいのだろう。

 一人で考えている方が落ち着くのはなぜなんだろう。


 咽が渇いてたまらないので、冷蔵庫に入れておいた缶ジュースを取り出した。セットされている飲み物は高いので、ちゃんと自動販売機でまとめ買いしておいたのだ。うまく使うとちゃんと入る。ただ、冷蔵庫の温度があまりにも低いので、置き場所によってはシャーベット化していたりもする。幸い、オレンジジュースを振ってみると、ちゃぽちゃぽと「水」らしい音を立てていた。しゃりしゃり鳴った時はまずいと、経験上知っていた。頬につけて楽しんだ後、一口飲んだ。

 同時に時計を見た。

 目覚ましだ。

 思い出すものがあった。忘れるとこだった。

 確か、二時だったよな。起きるのは。

 上総は説明下敷きらしきものを時計の下から抜き出し、四回繰り返して読んだ。平たいデジタル式時計のボタンを何度か押した。「2:00」に鳴るようセットした。

 びんと耳もとで鳴りそうな、冷たいジュースを全部飲み干した後、もう一度横になった。

 一枚タオルケットを貴史のベットに戻すのだけは、忘れないようにしておいた。

 

 うとうとしながらも、神経だけはじりじりしていたのだろう。目覚ましが鳴る直前に目覚めた。

 隣のベットに貴史は戻ってきていない。

 電子音が三回、ゆるく鳴り、やがて強烈な響きに変わる。かさかさした空気が咽に染みる。さっきよりは少しだけ楽だった。

 上総は腕立て伏せの要領で起き上がった。一度果てた後、もう一度回転して身を起こした。

 頭の中はまだ、心臓の音が耳もとで響いている状態だった。

 目覚めた直後はそんなに痛くなかったのだけど、起き上がったとたん、急にうるさく響きだした。押さえると、耳たぶが熱かった。

 約束は、やっぱり果たさないとな。

 枕もとのライトをつけて、かばんから「しおり」を取り出した。

 すでに折れ目がついている「ホテル内部屋割表」ページを開く。

 見るまでもない。少し離れているけれど、一番奥の部屋だった。

 脇には自動販売機が並んでいる。

 たぶん貴史たちは真中あたりの部屋でこっそり盛り上がっているに違いない。もしくはベットを占拠して寝ていたりして。できればそいつらとは顔を合わせたくなかった。

 上総はぼろ雑巾状態で眠っていると思っているはずだ。


 金沢と水口。部屋のメンバーは二人だった。

 オールナイトしているんだったら問題がない。できればそれがベストだと、前もって伝えてある。

 でも、もし寝てしまっているとしたら。

 上総の責任は重い。

 あれだけ宿泊研修に参加するのを嫌がっていた水口を説得したのだ。

 

 はっきりした理由を言わずに「行けない、行けない」を繰り返す水口に、上総は何度か電話を掛け、何気なく、

「もし、間違っていたらごめん。一年の時に菱本先生が起こしに行ってただろ。夜中にさ。もしかしたら、夜、トイレかなにかがまずいのか?」

 かまを掛けてみた。宿泊研修の時に、菱本先生が真夜中、自分たちの部屋にいきなり入ってきたことを覚えていたからだった。図星だったらしく、水口は黙り込み、鼻をくすんくすんと言わせはじめた。

 しばらく上総は受話器の向こうの様子をうかがっていた。

 言葉が返ってこないので、思い切って続けた。

「なら、さ、俺が起こしに行ってやるよ。二時くらいにこっそり、気付かれないように行くからさ」

「いるけど、でもやだよ」

「誰にも気付かれないようにするってさ。約束する」

 もし笑う奴がいたら、俺があとで罠に掛けてやるからな。

 心の中でつぶやき、なんとか参加の意志を確認した。


 寝汗をかいていたので、まずは浴衣に着替えてはだしのまま、靴をはいた。白地に紺でホテル名がプリントされている。ローマ字だった。なぜかそろいで帯も用意されている。濃紺の、無地ものだった。

 正式な結び方を一応は知っているけれど、適当に巻きつけた。蝶結びだけはしなかった。はだけないように胸を掻き合わせ、きっちりと着た。

 音を立てぬようにそっと廊下に出る。

 いくら防音されているとはいえ、向かい側の女子部屋からはかすかに笑い声が聞こえた。美里とこずえの部屋は、ちょうど水口たちの向かいだった。寝ているかもしれない。それとも女子同士で盛り上がっているんだろうか。古川こずえとコンビだったら、また下ネタできゃあきゃあ言っているのかもしれない。赤いじゅうたんを足音させないようそっと踏みしめた。音がするのは浴衣のすれるしゃかしゃかした響きだけ。ぶうんと聞こえるのは、自動販売機から。本当はもう一本、買いたかった。でもその音が響くとまずいだろう。つばを飲み込んでがまんした。

 一歩、一歩、めまいを感じながらも歩く。

 さっきまで寒くてならなかったのに、なぜか手だけは熱い。

 背筋だけが冷たい。

 

 真中あたりで、南雲らしき声が小さく聞こえた。

 やっぱりあのグループも集まっているのだろうな。

 音楽ネタだろうか。

 そっちには一回混じってみたいんだけどな。


 隣の部屋では、はっきりと貴史の声が聞こえた。

 意味がよく通る。

 立ち止まってみる。

「だったらなあ、言っちまえよ。お前惚れてるんだろ! その先輩にさ」

「・・・・・・」

「駄目でもともとじゃねえかよ。どうせ向こうは一年たったらいなくなっちまうんだしさ」

「・・・・・・」

「あ、そうっか。お前、附属高校進むんだよな。あとをひくからいやかあ」

 仲間内での恋愛相談を受け付けているのだろう。

 

 ようやく、水口たちのいる部屋の前に来た。

 おしゃべりしていたらノックだけして帰ろうと思っていた。

 ドアは黙っていても開くようになっている。

 じっと、ドアの前で集中する。

 何も聞こえなかった。

 じゃあ、やっぱり、寝てるってことか。

 立ち止まってもういちど、念を送って見る。

 一点に意識を集中して、見つめつづけると反応するかもしれない。

 でも、全く物音なし。

 すい君、起きててくれよ。

 ふいっと、振り返ったときだった。



2 最悪の展開

 

 いきなり反対側のドアが開いた。

 一番奥、一番遠い場所。

 上総と貴史の部屋と隣あっているところ。

 まさか、奴か。

 

 上総は後ろずさりしながら、自動販売機の側に寄った。本能だった。とにかく部屋のまん前でうろうろしてたら何を言われるか大体想像がつく。頭がぼおっとしてきた。ポケットを探そうとしたけれど、着ているのが浴衣だということに気がついて、手の行き場所を失った。

 見覚えある顔がちらりと見える。天井の淡い明かりで、影絵のように写っているようだった。

 上総の姿を見咎めたのだろうか。影はすぐにドアを閉め、こちらに近づいてくる。

 万事休す。

 こんなことだったらドアの前でうろうろしないで、さっさとすい君の部屋に入ってしまえばよかったんだ。全く、何考えてるんだろう、俺は。

 首筋の方がきりきりと痛む。すぐに倒れこみたい。でも立ってなくてはいけない。とにかくジュースを買う顔をして待つしかない。こんな時間だっていうのに。怪しまれないわけがない。それによりにもよって。

 女子側の部屋は、清坂美里と古川こずえのいるところだ。

 ああ、でもすい君とは約束したんだ。絶対に気付かれないようにするってさ。絶対、守らなくちゃいけないんだ。だったら、これしかない。

 上総は息を吸い込んで、女子の部屋のノブに手をかけた。音をさせぬよう、ただ、軽くにぎりこむ感じでだった。手の平に冷たく、ぶつかった。

 

「どうしたんだ」

 ドアのノブを握り締めたままの上総に、菱本先生が声を掛けてきた。

 静かだった。見たらわかるだろうに、この行動だったら、何をしでかそうとしていたかなんて、簡単に誤解されるだろう。

 女子の部屋だ。

 しかも一人は自分の「彼女」だ。

 真夜中に一人でこっそり、ドアのノブを握っているなんて。

 考えていることは一つしかないではないか。

 そっと手を離して、ぶらんとぶら下げた。言い訳をしようと、うつむきながら考えた。横でぶうんと、自動販売機が鳴った。

「咽が渇いたので、ジュースを買いにきました」

 嘘がばればれだ。全く持って最悪の展開だ。


 てっきりすごい勢いで怒鳴られるかと覚悟していたが、やはり夜中の二時過ぎだ。気を遣っているのだろうか。菱本先生はしばらくじっと上総の手と顔を交互に眺めていた。

「お前、体調を崩しているんだろう。早く部屋に戻りなさい」

「わかりました」

 菱本先生は上総の背中を軽く叩いて、促した。優しい感触だった。

 片手で額に触れ、

「思ったよりひどい熱だな」

 とひとりごちた。

「いつからこんな状態だったんだ。ホテルについてからか?」

「わかりません」

 支えられるのを頑固拒否して上総は、小さな声で答えた。

 別に反抗したわけではない。咽がだんだんひりひりしてきて、口を開くのが苦痛だっただけだった。

「無理するな。立村。お前がする予定の仕事は、俺が全部承っている。安心して寝てろ」

 言われた意味がよくわからない。次の朝、バスの中でのしきり役について心配してくれているのだろうか。首を振った。

 先生に見えない片手だけを握り締めうつむいたまま、

「大丈夫です。明日までにはなんとかします」

 じゅうたんをじっと見下ろしながらつぶやいた。自分でも説得力のない言葉だった。

 菱本先生は、唇の端に、何か言いたそうな笑いを浮かべながら、

「でも、今はゆっくり休め。水口のことは、ちゃんと俺が面倒を見るからな」

 

 水口のこと?

 どういうことだ? 

 

 だって、あのことは、すい君は俺にしか話してないって言ってただろ?

 自分でもどうしてこんなに動揺しているのかわからなかった。鐘の音が鳴り響くがごとく、上総の耳もとでは空気をばんばん揺るがすような音が聞こえ、ふらついた。がまんできず、立ち止まった。

 菱本先生が心配そうに顔を見下ろした。

「立村、本当に大丈夫か? 朝になったら病院に行ったほうがいいぞ」

「いいえ、大丈夫です」

 なぜ、水口のことを知っているのかなんて、口が裂けても訊ねたくなんてない。

 はたして水口が自分のおねしょ癖について菱本先生に相談していたのかどうかもわからない。ただ、話をしていた段階で、水口が泊りがけの旅行にいけないと悩んでいたことだけ、本当だと思っていた。惨めな思いをしていることだけは、十分上総も想像できた。

 だから、なんとかしてやりたかった。

 自分がもし同じ立場だったらどんなに苦しいか、惨めか、そのくらいの想像力は、上総も持っているつもりだったから。


 なのに、どうしてだろう。

 まさかすい君は菱本先生にも同じことを相談していたのか?

 同じくらいの時間に菱本先生も起きて、すい君を起こそうとしていたのか?

 それで、俺と鉢合わせして、ってことか?

 着崩れた浴衣でふらふらしていて、下手したら女子の部屋に夜這いしようとしている顔を、見られたってわけかよ。


 馬鹿だよな、俺って本当に馬鹿だよな。


3 最悪の展開その二


「やっぱりな、羽飛はいないのか。たぶんあいつはバスの中で爆睡するな」

 自分の部屋までたどり着き、さっさと布団にもぐりこむつもりだったが、菱本先生はまだくっついている。うざったい。早くどっかいけ、と言いたいのを上総はこらえた。敬語を使った。

「もう大丈夫です」

「薬をもらってきてやろうか」

「いつも持ち歩いているのがあります」

 さっさといなくなってくれればいいのに、菱本先生はわざわざ水を汲んできて、冷蔵庫からジュースを一本抜き取った。「この分は、俺が払うから安心して飲め」とのことだった。

「本当に、もう大丈夫です」

 再三出て行ってもらうように頼んだが、全く効果なしだ。

 かくなる上は、貴史が部屋に戻ってきてくれることを祈るのみだ。

 でも、あの恋愛相談が長引くようだとまだまだ先だろう。

 菱本先生は教え子がひどい熱だと聞いたこともあって、どうしても気になってしかたないのだろう。いい先生だと美里も貴史も言う。特に貴史は

「俺さあ小学校時代の担任が最低でさあ。俺たちのことを目の仇にしてるんだ。卒業式の時も、俺と美里の方を無視して、記念写真を撮ろうとしてたんだぜ。まあいいけどな。それから考えたら、菱本さんはましだと思うなあ。立村、どうしてここまで菱本さんが嫌いなんだよ」

という。

 わからない。自分でもここまで人間を嫌うことは少ない方だと思う。

 テレビドラマに出てくる熱血教師や理想の教師はこういう感じなのだろう。わあっと喜んで、怒鳴って、涙して、感情の起伏が激しい一方で、少々大げさすぎるくらいにスキンシップを求めてくる。

 美里が言うには、

「女子からするとね、ちょっと触りすぎって気もするけれどね」

とのことだが、嫌がっている連中はそういないようだ。

 スキンシップか。

 ふたたび菱本先生が、タオルをぬらして顔を冷やしてくれた。

 指先が触れる。爪の厚さが頬に伝わる、と同時に顔を背けたくなった。

 ああ、これだ。俺が何よりもいやなのは。

 誰にも触られたくないんだ、俺はただそれが言いたいんだ。

 ずっと小さな頃から、そればかり言いたくて、だから、だから。

 まずい、また、やってしまう。

 歯を食いしばり上総は枕に顔をうずめた。自分のどこかにスイッチのようなものがあり、そこに触れられるとどうしようもなく涙が流れてしまう。そんな瞬間がいつもやってきた。触られること。入ってこられるころ、すべてだった。菱本先生のすることはすべて、自分の中の起動コマンドを打ち込まれるようなもの。

 貴史や美里の言葉やしぐさにも感じることがあるけれど、それは耐えられた。

 でも今の上総には、耐えることができなかった。

「おい、立村、落ち着け。どうした。苦しいのか?」

 背中をさするようにして、菱本先生の慌てた声が聞こえる。

「すみません、なんでもないです」

 荒く息を吐きながら上総は菱本先生の触る手から逃れようとした。でもだめだった。心配してくれているから、教え子だから、生暖かいやさしさをたっぷりと浴びせてくれる。それがどんなに上総にとって逃れたいものなのかなんて、一生分からないんだろう。どんなに嫌だと言ったって、伝わらないんだろう。

 子供の頃からそうだった。



4 かばってくれたのか、それとも


「あれ、先生、なにしてんの」

 ドアを開ける音が聞こえ、聞きなれた間延びした貴史の声がした。

「ははあ、さては立村となんか悪いことしようとしてたんじゃねえの。やっぱりホモなんじゃねえのか」

 にやけているような、少しびりびりとくるような声の響き。

 上総はタオルケットを頭からかぶって自分の視界を真っ暗にした。

「あのなあ、羽飛、今の時間何時だと思ってるんだ。二時過ぎだぞ。ちゃんと『しおり』にも書いてあっただろ。『消灯時刻は夜十時』だってな」

「そんなお堅いことは言いっこなし。それより、どうしたの立村」

 上総が答えようと、そっと顔を出したとたん、菱本先生は軽く額を抑えて、言葉を封じた。

 噛み付いてやろうか。

「体調をかなり崩しているみたいだな。こりゃあ、病院に連れていった方いいかとか思ってな。羽飛、悪いけど今夜、様子みてやってやれないか」

「別にいいけど。まあ、こいつ朝から具合悪そうだったもんな」

 貴史は当然のように頷き、にやっと笑った。

「でもさ、先生、一つだけ条件ほしいんだけどいいかなあ」

「なんだ。どうせお前らのことだ、朝食のゆで卵がほしいとかそんなもんだろ」

「食い物はいいよ。っていうかさ、誰も俺たち悪いことしてねえから、見回りは勘弁してほしいんだ」

 目のところまでシーツを下げて上総は様子をうかがった。貴史の姿はどことなく、眠そうだったけれども口調はしっかりしていた。

「先生、俺たちたばことか酒とか持ってきてねえから、その辺はわかってくれよな。たださ、今夜でないとしゃべれない内容とかもあるんだよな」

 ため口を叩くのも、貴史の計算だろう。菱本先生は「先生」と敬われるよりもむしろ、「仲間」として扱われたいタイプの人間だろう。 

 掴んでいる貴史は突く。

「ほんとうか?」

「当たり前だって。気になるんだったらさ、明日の朝にでも持ち物検査してみればわかるって。それに、変な話だけど、女子の部屋に行こうなんていう奴もいなかったと思うんだ」

「こいつはさっき一番端の部屋の前にいたけれど、違うと思うのか?」

 この辺は軽い口調の菱本先生。感じからして、本気で怒ってるわけではないだろう。からかい半分なんだろう。冗談なのだろう。それは聞いている上総にもわかる。でも、あまりにもあまりだ。まるで自分が、一番端の部屋に夜這いしに行ったということを、貴史に知られるはめになる。

「一番端って、ああ、美里のとこか」

「そんなんじゃないって!」

 かろうじてかすれた声で言い返した。

「大丈夫だって、こいつそんな度胸ねえよ。むしろ美里の方からこちらに来るなら可能性はあるかもしれねえけどな。ま、でも大丈夫だよ。先生。俺たちその辺は頭働くから。菱本先生に『不祥事』のために免職なんてこと、させないようにするからさ。二年D組はその辺、団結力強いんだから」


貴史の本気なんだか冷静なんだかわからない言い方に、なぜか菱本先生も納得したようで、ベットからようやく離れた。

 暑苦しい手がなくなっただけでもほっとする。

 ほんの少しだけ、シーツを握り締めた手を緩めた。

「やっぱり、羽飛が裏のトップだなあ、いやあ、負けた」

「大丈夫だって。俺もそんなばかじゃねえから。じゃあ、おやすみなさい」

 その後何か二人で、上総に聞こえぬよう話をしていたようだった。

「だだっこ」 

 だとか

「全く何を考えてるんだか」

とか、上総に関する低い評価のお言葉であることは確かだった。タオルケットに噛み付きたいのをこらえながら、背中を丸めているしかない自分が情けなかった。

 

 あいつら、いったい俺が何をしたっていうんだ?

 こんなに馬鹿にされるようなこと、してないっていうのにさ。

 ああ、そのとおりさ。どうせ俺は評議委員としての評価も低いんだろうし、自分ができないことをやろうとばかりしてるって思われているんだ。それはよくわかってる。本条先輩にも言われてる。本当は羽飛の方がずっと、信頼を得てるってことだって、わかんないわけじゃないさ。

 でもなにか? 人の目の前で、よく

「だだっこの面倒を見るのは大変だ」

とか

「こいつにそんな度胸ねえよ」

って言えるよな。

 そういうと周りの連中は口を揃えるさ。それは俺のことを、みんなが心配してくれているからなんだって。ほっておけないからなんだって。そうさ、いい奴なんだ。みんな善意でしてくれてることなんだ。わかってる。いやってほどわかってる。それを受け止められない俺が馬鹿なんだ。

 しょうがないじゃないか。触られようとすると寒気がするし、一対一で語りかけられると吐き気がする。菱本先生と話をしている時は自分の感情を、ぱたっと止めた状態にしてしゃべらないと、かなりまずい状態になる。ほんと、一瞬、さしてやりたいって、そう思った。

 しまった。すい君を起こすの忘れてた。

 最後の手段だ、電話で起こそうか。

 内線番号は0発信で、部屋番号をまわせばいいんだよな。最初からそうすればよかったよ。でも一緒に金沢も寝てるんだし、かえってまずいかな。

 上総は貴史が菱本先生と話し込んでいる間に、すばやくダイヤルを回した。二回鳴らした。

 貴史がけげんな顔で振り返ったため、着信確認はできなかった。


「立村、お前さ、今朝から変だぞ」

 自分のベットに腰をおろし、貴史は上総を見下ろす格好を取った。もどしてあったタオルケットをもう一度、上総の方に投げてよこした。

 答えたくもない。答える気力もない。

「お前が菱本さんのこと毛嫌いしてるのはものすごくわかるけどさ、何もああまで荒れることはねえだろ。ほっとけば、おとなしく帰るだろってさ」

 それに、と付け加えた。

「どうして、美里の部屋の前まで行ったんだ? あと、今さっきかけた電話、どこだよ。お前すぐ切ってしまったから聞かねかったけど」

 理由はどれも一つだ、でも答えられない。

 上総はかろうじて答えた。

「ごめん、理由は言えない。菱本さんたちが想像しているようなことじゃない」

 激しい頭痛でこめかみから後頭部がびんびんと響く。遠慮なく貴史の言葉はハンマー化していく。

「ばあか。言っちまってもいいのにな。女々しい奴だぜ」

 

 本当だったら反応してすべてぶちまけてしまいたかった。

 自分の積み重ねてきたものが、みんななくなってしまいそうだった。

 二年近く、自分を評価してくれたという「評議委員」の証を、自分なりに精一杯、出してきたつもりでいた。どうすればみんなの役に立てるのか、どうすれば、みんなが気持ちよく旅行できるのか、どうすれば、みんながかつての自分とおんなじ思いをしないで過ごせるのか。そればっかりを馬鹿みたく考えてきたつもりだった。

 でも、菱本先生の視線は相変わらず、小学校時代の上総を見つめるものと同じだったし、貴史の言葉もみな、

「いい奴なんだけど」

という言い訳のもと、受け入れなくてはならないものばかりだった。

 言い返す方法が、上総にはわからなかった。

「羽飛、ごめん。もう大丈夫だから」

「どこが大丈夫だよ。お前明日、これだったらバスに乗れねえだろ。俺も残るからお前、ここで寝てろよ」

 上総が言葉を返す前に、貴史は手元にあるガーゼのハンカチをぬらし、枕もとにおいた。しぼっていない。水浸しだ。

 礼も言わず上総は額に乗せた。水が滴ってくるのが気持ちよくて、一気に眠りについた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ