その三 黄葉山でのよしなごと
1 ホテル到着よしなごと
2 青潟大学附属中学2年D組ファッションチェック
3 坂をのぼって千畳敷へ
4 ちょっとしたわすれもの
5 ひとりしずかにゆめのなか
1 ホテル到着よしなごと
なんとか最悪の事態は免れ、朝十時、ホテルに到着した。
『黄葉シルバーライトホテル』という、一見ビジネスホテル風の宿を強く推したのは上総の一存だった。父に頼んで一通りホテルの資料と口コミ情報を集めてもらい、
「二人部屋で、ほとんどこの時期借り切り状態にできて、しかも夕食がついていて、大部屋も借りられる。値段も普通の旅館よりはるかに安い」
という点で満足の行くところを選んだ。本当はしたくなかったのだが、父親の仕事関係で得た情報という後ろ盾もつけ、菱本先生を説得した。これもまた一苦労だった。
なにせ菱本先生は
「絶対に民宿のような、アットホームな環境で、男女別の大部屋にする」
ことにこだわっていたからだった。もちろん今までの宿泊研修、合宿はそのパターンだった。しかし、上総にとっては集団で風呂に入ったり、十五人集まっての大部屋に寝たりとかそういうのがどうも好きになれなかった。一年時の宿泊研修では五人ずつの部屋でかなり神経をすり減らした。帰ってから高熱を出して学校を休んだことを覚えている。もちろん学年で行動する修学旅行の時はがまんするつもりではいる。見境なくわがままを言っているわけではない。
でも今回は、「二年D組評議委員によってプランニングできる」というものなのだ。自主企画なのだ。だったら絶対に譲りたくない部分だった。
当然のことながら、菱本先生には何度も怒鳴られた。
「だからお前はわがままなんだ、立村、みんなはもっとこの機会に、裸の付き合いを求めているんだぞ。学校ではみんなのことを思いやって行動するのが当然のことじゃないのか?」
一歩も引かなかった。
「一泊程度だったらまだかまいませんが、やっぱり二泊になるとみな、身体の具合を悪くする人もでてきます。また、いろいろな人と一緒に過ごすことが困難な人もたくさんいます」
できるだけ冷静なままで話を進めようと決めていた。感情のフィルターをかけて、美里と相談した譲歩案を出した。
「どうしてもそれが問題あるのでしたら、生徒の部屋にはカギがかけられないようにしてもらうというのはどうですか。それだったら、先生も安心して様子をうかがうことができるんじゃないですか」
あまりにも険悪な流れに美里も不安を感じたのだろう。何気なく言葉を挟んでくれた。
「先生、電話で他の人たちに意見聞いてみるから、それから決めていいですか? 立村くんだけの案じゃないから。そうしたら、安心できるんじゃないですか?」
夏休み最初、さっそく連絡網で意見を募ったところ、D組の男女ともにホテル案が受け入れられた。陰で上総がもっともらしい説明の暑中見舞いを男子全員に送ったことを、たぶん美里は知らない
部屋割りもツインルーム、二人ずつだった。ひとりだけ三人部屋として補助ベットを出してもらうことになった程度で、問題も特別起きなかった。
上総の同室は貴史だった。端から二番目。一番端に菱本先生の部屋があるのが気に入らないが、それ以外に不満はない。
女子の部屋は男子部屋の真向かい一列だった。
「女子と話をしたい時はロビーを使いなさい。ただし、夜九時になったら自分たちの部屋に戻ること」
別に、無理して夜這いする気もない。上総は冷めたまま菱本先生の注意を聞いていた。むかむかして今にも吐き出しそうな状態をこらえたまま、急いで自分の部屋に向かった。番号はあるがカギはない。勝手に入ってこられてもしかたない。ただし、女子は別だった。男子はともかく女子だけは、カギを持たされていた。美里がそのあたり、女子への電話連絡網で意見を集め、自分なりに交渉した結果だった。上総と違って美里の受けはかなりいい。あっさり受け入れられたようだ。
「お前大丈夫か、本当に今にもぶっ倒れそうだぞ」
貴史が心配そうに上総を見る。
「とにかく、部屋に行ってから、少し寝たい」
「まだついたばっかりだぜ。これから黄葉山に上るっていうのにか?」
「一時間だけでいい」
部屋に入るなり、上総はベットに倒れこんだ。
窓が大きい。カーテンの隙間から白い光がじゅうたんに落ちている。寒すぎないけれど熱すぎない。貴史が窓をすぐに開けてくれた。
部屋の中から見える景色は、黄葉山と名のあだけあり、薄黄色の粉末がはたかれているようだった。空気の匂いも青潟とは違う。木々のかすれた粉っぽさが鼻の中に流れるようだった。ななかまどの実が青く、ぶら下がっている。山といっても、むしろなだらかな丘に近い、広々とした原っぱだった。登山遠足のように息切れしないですむ。だから行かなくてはならないと分かっている。でも、どうしようもなく、胃が気持ち悪くてめまいがする。
まあもっとも、上総の場合は夏、すかっと気持ちのいい日なんて一日もないのだが。
「バレーボール大会はさ、絶対優勝しようぜ」
「元気だな、お前も。でも俺は戦力から外してくれよな」
「どうしてだよ」
「レシーブをちゃんと決める自信がない」
男子、女子五人ずつ3チームをつくり、原っぱのあいまいな線をしるしに、男女対抗戦をやろうというのが、菱本先生の強行な意見だった。上総にとってはもう、いいかげんにしてくれというのが本音。制服から軽いデニムシャツに着替え、もう一度上総は枕に顔を伏せた。
五分くらいしか寝てないつもりだったが、貴史がいうには、
「もう三十分近く死んだように寝てたぜ、お前」
なのだそうだ。髪はぼさぼさ、目の周りには隈。学校で身なりをきちんとしている上総の顔とは思えない。大急ぎで髪をとかして抱えるかばんを持っていくことにした。父のお下がりである、よくしらないブランドのバックだった。中には手帳も入っている。今回の旅行をすべて計画した上総の記録である。でもあまり、見られたくないことも書いている。かばんは絶対に手放してはいけないと思っている。
2 青潟大学附属中学2年D組ファッションチェック
まずはロビーに全員が集まった。決して広いホテルとは言い難い。三十人も集まるととにかくうるさい。多少なりとも『山登り』なので私服が許された。しかし明日は街の散策中心なので、制服着用が厳命されている。
そんなのどうでもいいのに、とは上総の本音だがさんざんわがままを通してきた以上、無理に逆らうこともなかった。
女子の格好はさすが、ジーンズ姿がほとんどな中、キュロットスカートを短めにはいている子もいたりして、何気なく男子は目が足元に行っている様子だった。そのくせ隠そうとしているのが見え見えだ。むしろそういう野郎の様子を観察するのが面白かった。
美里の格好は、何度か夏休み中に見たツーピースのキュロットだった。マドラスチェックの橙系上下で、ブラウス風の半そでジャケットと、膝丈ぎりぎりのキュロット。贔屓目なしに見ても、結構似合っていると上総は思っている。しかし口にはしない。何言われるかわからないから。
しかし、平気で自分のお気に入りを褒め称える男子もいないわけではない。
「すっごく、似合ってるよ。彰子さん」
奴しかいない。
南雲の格好はまさに、真っ白いパーカーに少し余裕のあるターコイスのジーンズ姿。濃紺のTシャツには錨の柄がさりげなく施されている。上総もあまり詳しいほうではないが、ある男性芸能人の生き写し、そのものだという。髪がシャギーなのは相変わらずで、どうもきっちりとブローしてきている。一部では「化粧道具まで持ってきているらしい」という噂まであるくらいだ。
そんな南雲が、本日一緒に連れ歩く予定の奈良岡彰子は、決して似合わない格好をしているわけではない。ちょっとフリルのついたジーンズ系のブラウスに、やっぱりデニムのロングキュロットだ。膝まで隠れるくらいだが、丈がちょっと合わない。一番足が太く見えるラインで切れている。あれは誰か、気遣ってやれよと上総は密かに思っている。ぽっちゃり体系の奈良岡ではあるけれども、周りが言うほど不細工だとは思わない。むしろ、目が大きい分あどけなさが垣間見えて得をしているのではという気がしていた。
ただ、誰かセンスのいい子がもう少しなんとかしてやるべきではないか。
その相手は、南雲、お前じゃないのか。
貴史はというと、シンプルな黄色のTシャツにジーンズ。
大抵の男子はジーンズが多い。チノのスラックスを着るようなのは上総くらいのものだった。どうも上総は、ジーンズといわれる系統のものが好きになれない。親類のお下がりで全く持っていないわけではないのだが、もともとからだが細いこともあって合わない、という言い訳のもと一度も着用していない。
好きになれないというただそれだけなのだが、周りからは「立村のこだわりって理解できない」と言われる。同じように、丸首のTシャツ、さらにポロシャツのようなものも、よっぽどのことがない限り、絶対に着なかった。体育の授業で否応なしに、学校指定のポロを着用するくらいだ。
ひとりだけ、ジーンズのオーバーオールを着ている、妙に似合う男子がいる。水口要だった。中に来ているのはやはり襟のついた半そでのチェックシャツだった。暑苦しそうだった。
上総は水口に声を掛けた。
「すい君、大丈夫か?」
年齢こそ同じだが、精神的にかなり幼いところのある水口は、クラスで「すい君」と呼ばれていた。いじめるなんてことは誰もしない。クラスのいわば、「赤ん坊」のような存在だった。菱本先生もその辺はよく心得ているようで、クラスメートの中で一番気にかけている様子だった。
水口は小さな布リュックを背負い、頷いた。
「うん、ちょっと暑い」
「もし、具合悪くなったら無理するな。俺も体調崩したらすぐ帰るから遠慮するなよ」
水口は見た感じも、さらに行動も小学校中学年程度にしか見えない。ちょっとしたことでからかわれるたび物を投げつけて泣きじゃくるところも、手がかかるのはわからなくもない。こういう奴がよく青大附中に入れたというのが正直なところだ。ガキっぽすぎるとはいえ、成績はトップクラス。そのアンバランスさがかえって、頭を抱える原因になっているらしい。
だが菱本先生の水口に対する接し方は『幼稚園児』ターゲットだ。
体調の是非をこまめに確認するのはいい。
給食の食べ残しをチェックされるのも、まあ仕方ないだろう。
だけど、周りの連中と一緒に遊んでいる時に、「お前ら水口にあわせてやれよ」と、本人のいる前で声を掛けることはないだろう。もちろんこちらも気を遣っていないわけではない。
目の前で自分をみそっかす扱いされた水口の気持ちを全く考えようとしない菱本先生に、上総はいつのまにか憤りを覚えていた。
もっとも、水口本人はあんまり気にしていない、風に見える。
だから、菱本先生も平気で接するに違いない。
上総は水口を人のいないクロークに引っ張っていった。他の連中に聞かれるとまずいことだった。
「あのさ、すい君。この前のことなんだけどさ、一晩徹夜する自信はあるか?」
「うんと、わからない」
「だよな、その時になってみないと、わからないよな」
表情を変えないよう気をつけながら、上総はささやいた。
「わかった。じゃあ、どっちにせよ夜中の二時過ぎに、俺がすい君のいる部屋に、用事がある振りして入っていくからさ。無理やり起こすかもしれないけれどいいか?」
「うん、ありがとう」
水口の表情に陰りが見えた。今にも泣きそうになっている。理由は上総も重々承知だった。
「それとさ、この前も電話で話した通り、バスの中で間に合わないと思ったら、ペットボトル、あれを使えよ。すい君の隣は、金沢だろ? 隠してもらって、膝にタオルをかけてすれば、絶対に女子に気付かれないからさ」
「すごい、どうしてそこまでできるの」
水口のきょとんとした幼顔に、表情を変えず上総は頷いてから、素早く貴史たちのグループに混じった。だいたい男子のグループには三種類あって、ひとつが貴史の率いるクラスの中心元気いっぱいの連中、ひとつは南雲たちのいる、ファッションやハードロックにやたら詳しい、ちょっと派手目の連中、もうひとつが水口たちのいる、クラスにちょっとなじめないタイプの連中だった。上総の場合いつも、三グループをふらふらと行き来しているが、メインはやっぱり貴史の補佐だった。
「よし、それでは全員揃ったか! ではいくぞ! 黄葉山ハイキングだ!」
「わーい」
元気な女子たちが歌を歌いながら玄関に走っていった。本当にみな、元気な連中だ。上総はまだむかむかする胃を抑えながらついていった。
貴史がミントガムを差し出した。口の中だけでもさっぱりさせたくて、ありがたく頂戴した。
3 坂をのぼって千畳敷へ
バスに乗って三十分。
運転手さんは笑顔で迎えてくれたがタバコは手放さない。
貴史と美里の二人がバスガイド用マイクを使ってカラオケ大会を催し始めた。その脇で、上総はひたすら目を閉じていた。油断したら大変だ。そのへんお好み焼き状態になってしまう。
貴史はマイクを近づけてくる。
「ほら、立村、お前もなんか歌えよ」
「悪い、頼むからそれだけは勘弁してくれ」
「なに嫌がってるのよ。立村、あんた音程狂ってないくせに」
一年時の音楽歌唱テストで、みな好きな曲を選び、カラオケつきで歌わされたものだった。二時間たっぷり音楽の時間を取ってあったので、結局は紅白歌合戦状態だった。企画を立てるのはかまわないのだが、自分でも歌わなくてはならないと知った時、上総はめまいがして卒倒しそうになった。結局、シンプルなバラードっぽい曲を必死に探して事なきを得た。あの時の恥ずかしさといったら、三ヵ月後の『評議委員会ビデオ演劇・赤穂浪士』に匹敵するものがあった。
「無理させないほうがいいかも。立村くん顔色真っ青だからほっときましょ」
よくできた彼女がいると助かるということを、再認識する。
清坂氏、ありがとう。この一言をささげたい。
幸い、横揺れが少なかったこともあって、黄葉山に到着したのは十二時近くだった。山といっても、実際は自然公園に近いつくりとあって、ある程度舗装された坂を十五分くらい歩く程度だった。が、その坂が傾斜きつく、いくら歩いていっても平行線が見えない。何にも持ってこない方が正解だったと上総は思った。バックもそんなに重たいわけではない。洗面道具を入れる袋程度のものだけど、歩いているとやっぱりしんどい。
でもみっともないところは見せられない。なにせ女子が元気すぎるのだ。美里は古川こずえと一緒に楽しそうに走っていった。
歩いているのではない、走っている。
「立村くん、上で待ってるね」
追い越しぎわにささやいていくのはなぜだろう。
「あんたも持久力足りないと、将来困るよ」
とはこずえの言葉。何を言いたいんだ。全く。
「立村、お前そんなに体力ねえのか。手、ひっぱってやろうか」
とは貴史のお言葉。結構です。そのくらいのプライドは持っている。
後ろの連中を心配する振りをして、一歩一歩踏みしめていくことにした。振り返ると、下の方では南雲と奈良岡彰子が仲良く昇っている。よく見ると、奈良岡の方がかなり疲れきっている。苦手だろう。こういう体力を使うのは。手を差し伸べて、「握れるし、一緒にいてもおかしくないし」と笑顔でひっぱっているのが南雲だ。隠したい気持ちもあるだろうに。奈良岡は目立たないように隅によろうとする。
「どちらかいうとさ、内側に沿って上ったほうが、楽だよ」
上総は南雲と目が合い、軽く手を振った。
「りっちゃあん、そっちはどうですかあ」
気持ちよい声の響きに上総も答えた。
「あと、もう少しだよ」
さらに後ろの方はと見ると、菱本先生が手をつないで水口を引っ張っている。ほとんど半べそ状態だ。心配そうに、金沢卓がくっついている。
もっとも金沢の場合、荷物がやたらと多いので、かなりしんどいだろう。荷物の中身は公認だ。水彩画道具一式。去年の文集作りで、もっとも活躍したのが金沢だった。クラス全員の横顔を、一枚一枚書き上げて、全部掲載したという兵だ。くっきりとしていてひきつけられる雰囲気だった。
冗談で上総は
「これ、売ってくれないか?」
とからかったことがある。今考えるとかなりするどいところを突いていたと思う。
その後金沢は別の絵で青潟の展覧会に入選した。学生だけではなく、プロの人も混じっている絵画展でだった。もう冗談でも、「売って」なんていえない。身上つぶさないでよかったと上総は思ったものだった。。
菱本先生たちよりは先に登りたいので、上総は無理やり走り加減で足を動かした。かなり無理している。咽奥からのかすれた響きでわかる。
到着してみるとそこは通称「千畳敷」と呼ばれる叢だった。ちゃんと観光客用に食事場所もある。その辺はきちんと整えられている。秋の草花らしきものもたくさん咲いている。青潟には咲いていない黄色い野草もあれば、薬に使われるらしき薬草も生えているという。詳しい奴にその辺は、今度レクチャーしてもらおう。
まずは腹ごしらえとして、近所の売店でお弁当を購入することにした。
「余計な出費を防ぐため手作りの弁当を用意した方がいいんでは」という、菱本先生の意見をあっさり切ったのも上総だった。
「お母さんがいる人とか、作ってくれる人だけならいいですよ。うちなんかどうするんですか。俺も二食分作って持っていく根性ありませんよ」
本当のところ料理そのものは得意なのでたいしたことじゃない。でも連絡網を使い、電話でいろいろ他の連中と話をしているうちにそれぞれの家庭事情が見えてきた。
お母さんだって、好きで弁当をこしらえているわけではないとか、腐りやすいとか、いろいろあるのだ。
菱本先生が心配していたのは、三十人分の弁当がちゃんと手に入るかということだったが、売店はなんと三箇所もあった。この小さいところで、よくも。と関心した。きっと同じこと考えている学校の生徒がいるんだろう。
上総が選んだのは山菜弁当の方だった。腹持ちのいいごはんものが食べたかったのと、でも油物は避けたいという、二点だった。周りの連中はサンドイッチや菓子パンで済ませているようだった。腹空かないのか?と聞きたかったけれども、空腹には勝てない。貴史たちのグループで集まり、シートを敷いてまずは食べ始めた。
隣には美里たちが女子五人でかたまっていた。こずえの他、今日は奈良岡彰子も混じっていた。
「彰子ちゃん、珍しいね、今日どうしたの。サンドイッチだけなの?」
「やっぱり、いろいろ考えるのよ」
丸顔に前髪をすくって、ぼんぼんのついたゴムで止めている。額をきちんと上げているので、よく見るとあどけなさが見え隠れしている。南雲の影響か、上総も最近は奈良岡彰子のルックスがさほど、とは思わなくなりつつあった。たぶん、損をしているとしたら、身体のぽっちゃり加減だろう。
それさえなくせば、かなり。
ということは、今、ダイエットしているんじゃないだろうか。
俺みたいに食べても食べても太らない体質ならともかく、反対の人もいるしな。
上総は、わびしそうにサンドイッチだけかじっている奈良岡に隠すように、ご飯を口に運んだ。他人から見ると、非常に「まずそう」に食べているよう思われるとのことだった。
旅行一日目のメインイベント、ということで、菱本先生は網に入れたバレーボールを取り出すよう、上総に指示した。持ってきたのは菱本先生だ。上総は意地でもタッチしていない。やること自体を無視していた。
なんでこの先生って、やたらと「集団」でやることにこだわるんだろうか。
なんでこの先生って、みんなで感動を求めたがるんだろうか。
ほっといてやってほしい奴には、ほっといてやってほしい。
例えば、この俺みたいに。
指で押すと滑らかでやわらかいボール。白い、さわり心地のよいものだった。しばらく撫でていると、やっぱり見つかった。こずえの一声だ。
「なんだか、すごく卑猥なさわりかたしてない? 立村の指って」
「古川さんも触ってみろよ。気持ちいいよ」
「え、気持ちいい、ってまで、言っちゃっていいの?」
にやりとして、こずえは続けてきた。まただよと、周りではやし立てる声がする。
こずえと上総とのしょうもない、下ネタの突っ込みあいは、すでにD組での年中行事となっていた。
人よんで「朝の漫才」ともいう。また別の奴らは「夫婦漫才」と名づけているのもいる。
「だれかさんの、ふとももみたいな感触でしょ。触らせてもらったことって、ないの?」
「そういうあなたはどうなんですか、よく細かいところまで知っていることだ」
ぽんと、上総はこずえにボールを投げた。反射的にすぐ、受け取ってくれた。よしよし。
「うわあ、ほんと、新品。ねえ、もしかして菱本先生、この日のためにボール買ったんじゃないの?」
「たぶんな。あえてその件については何も言いたくない」
コートは原っぱそのものだから、線を引いているわけでもないし、アウトラインがどこなのかも目見当で決める。
菱本先生が一応、小枝で線を引いて、ご丁寧に落ちている色つきの石まで並べてくれた。
「じゃあ、始めるぞ!」
全く、元気な先生だ。付き合わされる方はやってられない。
各五人ずつ、チームを分けた後、美里と相談して男女総当り戦試合をしてもらうことにした。
「立村くん、ほんっとに、今日はやる気ないでしょう」
「ない、全くないね」
「運動嫌いじゃないくせにね。変なの」
「深い理由はないよ。ただ、押し付けられるやり方が、いやなんだ」
美里は、納得顔をして頷いた。
「立村くんって、そういうの死ぬほどいやがっているよね」
「当たり前だよ。清坂氏は平気なのか?」
ちらりと周りを見て、誰もこちらに視線をやっていないことを確認し、美里は耳もとにささやいた。息が耳の穴に溜まりそうで、熱かった。
「大丈夫、私が免疫になってあげるから」
こういう時、上総の感覚はふわっと麻痺してしまう。
言葉がではない。
吐息の熱さって、こういう時に感じるものなんだ。
世の中には、信じ難い感覚があるんだ。
これが「つきあっている」同士の特権、なのかな。
「好き」という感情とは違うものだけど、気持ち悪くはない。
バレーボールの試合は、やたらと盛り上がる美里と貴史の掛け声によって、騒がしさだけは倍増していた。半病人状態の上総は、適当に貴史へボールを回すだけで精一杯。結局、一部の人間が疲れ果てた段階で休憩となった。
「お前ら、若いくせになんだそのだらしなさは、全く泣けてくるよなあ」
一人で泣けよ。うっとおしい。
心で罵詈暴言を吐きながら、上総は貴史たちの陣地に坐ってぼんやりと景色を眺めた。青潟の夏は短いと言われる。特に山の方はあっというまにナナカマドや銀杏が色づき、九月半ばには紅葉狩りもできそうな風情となる。ましてや奥まったここ、黄葉市は半月近くそれが早い。
「金沢、お前、絵、かかねえの?」
水口と一緒に坐って水彩セット準備に余念のないのが金沢だった。
貴史が気付いて、水を汲んでやった。
「描きたいけど、でも」
金沢と水口は顔を見合わせて、菱本先生の方にちらっと視線を走らせた。
「先生がたぶん、山の方の景色を描けっていうんだろうなあ」
「不満かよ」
「本当はあの、原っぱを書きたいんだけどな」
ずいぶん地味な趣味だと思う。でも、珍しい花も咲いているし、かなり面白い着眼点だ。聞きつけて上総もささやいた。幸い菱本先生は南雲たちのグループと、なにやら音楽の話で盛り上がっている。聞こえない。
「黙っているうちに描いてしまえばいいんだろ。なあに、決めるのは自分なんだからさ。鉛筆でスケッチしてしまえばこっちの勝ちだろ」
「そうか、そうしちゃえばいいんだ」
金沢は水口に
「すい君、そこの草をむしって、ついでに虫とかいたら、なんでもいいからとってくれないかな」
と、声を掛けていた。
「いったいあいつら何を描くつもりなんだ?」
貴史がささやく。
「わからん。たぶん、宿泊研修後の文集表紙には出来ないようなものだと思う。俺の直感だけど」
「はあ?」
上総のにらんだ通り、二人はにこにこしながら土を掘り、そこからコガネムシやらアリを連れ出し、わざわざルーペまで持ち出して細かく観察していた。写生だとしたら、かなり怖い。女子には思いっきり怒られそうだ。つくづく思う。天才の考えることはわからない。
4 ちょっとしたわすれもの
気付かないうちにふたりの写生も終わったようで、ようやく日も斜めに翳ってきた。もちろんまだ遊んでいられる時間、三時になったところだけれども、バス三十分のことを考えれば、そろそろ潮時という気もする。
「じゃあ、お前ら、ごみは持ったか?」
菱本先生は弁当箱およびそれぞれのごみを、大きなビニール袋にまとめ、
「ほい」
と、上総に手渡した。
「お前、最後に忘れ物がないか、見てから最後に降りて来い。それが義務なんだからな」
別に異存はない。菱本先生は歌を歌いながら先頭に、水口と金沢のお絵かきコンビを連れて降りていった。くだりは早い。あいつら、走ってるよ。逃げ足の速い連中にあきれつつも、上総はさっと見直した。
かならず忘れ物があるんだよな。
別にそれはいいんだ。俺が持ってかえればいいんだから。
問題は、俺ひとりだと、それを見つけられないてことなんだ。
こういう時に、美里がいると安心して探してもらえるのだが、ちょっと声は掛けずらい。すでに美里はこずえたちと一緒に、坂を降りていってしまった。残っているのは貴史だけだった。
いらいらしながら待っているようだった。
「おい、立村、先行っちまうぞ」
「悪い羽飛、一通り見てもらえないか」
上総の場合、なくしたものを探すのに尋常ならざる時間がかかる。ちゃんと自分では見ているはずなのに、いつのまにか見落としていることの多いこと。よく忘れ物の鬼にならないですんでいると思う。答えは簡単。とにかく、自分の荷物はきちんと、片付けすぎるくらい片付けてあるからだ。場所も順番もすべてきっちりと決めてある。ただし、それを誰かにいじられたりするともう目の前がパニックになる。もちろん人には見せないけれども。
貴史はぐるっと原っぱを足早に一周し、ふと立ち止まった。
「こんなの落ちてたぞ」
拾い上げたのは、黒い定期入れだった。
「誰だろ、金なんか入ってないよな」
「それはないけどさあ」
ぽんと渡した。開いてみると、青大附中の学生証がモノクロ写真入りで刺さっていた。「2年D組南雲秋世」とある。前髪をきちんと整え、幼さ残った顔が写っている。妙に厚ぼったいのが気になるが、人のものをそう覗くのはまずいだろう。
「わかった。渡しとく」
「お前南雲と仲いいもんな」
感情を入れない声で貴史がつぶやいた。その通りだ、と上総も頷いた。
「てっきり奈良岡の写真でも入れているかと思ったぜ」
「いや、それはたぶん」
上総はバックにきちんと入れたのち、
「肌身はなさず持っているから、落としようがないんだろう」
「全くだ」
D組連中が誰もいなくなったゆえに、貴史は響き渡るくらい笑いこけた。声はかすかにこだましていた。
予定されていた庭園散策が時間の都合で次の日に延びた。
上総と貴史は、最後に到着し、ごみを処分した後ゆっくりとバスに乗り込んだ。
「お前らいったい何をしてたんだ」
「みんなの忘れ物がないか確認していたんです」
菱本先生の質問にそれ以上答えず、上総は一番奥の席に進んだ。南雲はやっぱり一方的に、奈良岡に張り付いていた。奈良岡彰子はというと、もう一人隣の子に、懸命に話し掛けている。あまり、男子とばかりくっついていると思われるのが嫌なのだろう。気持ちは大変よくわかる。南雲も少しは気を使ってやれと思うのだが、それなりに考えもあるんだろう。
「ほら、なぐちゃん、忘れ物」
「あ、ありがと。助かったよ。あれ? 俺の定期入れだな」
「全く、こんなにバスの期限が残っているんだからさ」
さりげなく渡して、さっさと戻った。さて、これからはホテルに一直線だ。思いっきり発車する前に、窓を全開にした。誰がなんと言おうとも、これだけは譲れない。
「立村、もう少し窓を狭くできないか」
「すみません、酔いやすいものですから」
冷たく答える。貴史も、
「先生、しょうがないよな、こいつほんっと、行きのバスで死人面してたから仕方ねえよ」
とフォローしてくれる。ありがたい。
しかし敵もさるものだ。
「清坂、古川、そっちは寒くないか? 寒いよな」
上総の方をちらっと見ながら、女子に声をかけてくる。味方を増やして反撃しようという手だろう。
「別にいいけど」
とはこずえの答え。しかしながら、今回敵は美里だった。
「立村くん、体調が悪いのはわかるけど、あんた一人だけじゃないんだから」
たしなめるように、ゆっくりと。
「後ろの子も、風邪引いてる子いるんだから、少しは譲歩してよ」
あのな、なぜそう、そういうこというかな。
美里の言葉に説得させられたわけではない。最後にとどめ。
「な、だからお前はいつも自分のことばっかり考えてるって言うんだ。全く、本当に立村、それでも評議か。情けない奴だ」
結局それか。しぶしぶ上総は半分だけ締めることに合意した。
「大丈夫だって、立村。本当にやばくなったら、俺が面倒みてやるってさ」
貴史の言葉は、本当のところありがためいわくだった。
冗談じゃない、こうなったら意地でも耐えてやる。
バスが出発した。感じのいい運転手さんはやっぱりタバコを吸っている。
ちゃんと気を遣って外に逃がすようにしてくれている。
上総の顔に煙が直撃するという問題はさておいても、本当にこの人は、いい人だと思う。まだめまいもないようなので、しばらく貴史としゃべっていた。
「あのな、立村、さっきのことなんだけどな」
菱本先生に聞こえないように、小さな声だった。
「さっきのことって?」
「ほら、南雲の定期入れだよ」
黒い皮のバス定期入れだった。やたらと厚みがあったのをまだ覚えていた。きっと貴史も同じことを考えたのだろう。
「渡したよ、ちゃんと」
「中、見たか?」
「まさか。南雲の写真見てどこが楽しいって言うんだ」
「違う、もう片方の、厚みのあった方」
貴史は美里たちと、後ろの様子をちらちら見ながら、ぐっと上総の耳もとに口を近づけた。
「ゴムが入ってたみたいなんだ」
「ゴム?」
ピンとこない。普通に響く声で答えた上総を、貴史は慌てて口をふさいだ。
「お前本条先輩から見せてもらったことないのか? ゴムってあれだよあれ」
「本条先輩?」
「本条先輩」という名前によって引き出される答えは、簡単だった。
本条先輩が日常的に使用しているといわれる、あれは、もういやというほど、見せ付けられてきた。「お前もいつか使うことになるんだからな、よく選び方見とけ」と半ば強引にだった。
「あの、もしかして、俗にいう、避妊具って奴か」
貴史の耳もとにこれ以上聞こえないであろう声で、ささやいた。
「それしかないだろ」
「でもさ、まさか」
「でもそれしかねえだろ」
少し先走った話題で、仲間内だけだと思いっきり馬鹿になる貴史だが、なぜかそういう気分ではないらしかった。おちゃらける気なんてさらさらないようすだった。
「別に、それはいいけどな。奴がどう考えているかわからねえよ。お互いがお互いだったら知ったことじゃねえよ。ただな、そういうものを平気でよく、持ってられるよな」
あれ、普段の羽飛の意見じゃないな。
上総は言い返したくなるのをやめて、ふっと天井を見上げた。
「人のことなんだから、そんなのどうでもいいだろ」
「お前は南雲びいきだからなあ」
こいつはなにげなく、妬いているんだろう。
おそらく、ゴムを使うチャンスのある南雲を、やっかんでいるんだろう。
そりゃそうだよな。
できるだけさらりとしたまま、上総は答えることにした。自分の個人的感情は風に流してしまいたかった。
「本条先輩に言われたんだ。使うことは最低限の義務だって。俺はとりあえず、本条先輩の主義に従うことにしているから、ノーコメントだ」
「全く、立村。お前本条先輩絶対主義だもんな」
貴史がもともと、南雲のことをあまりよく思っていないのは知っていた。
グループが別ということもあるだろうし、あまりちゃらちゃらした雰囲気の連中を好まないところもあるのだろう。意外と貴史は硬派だった。洋服などにも、過剰に気を配ったりしない。美里にはよく
「貴史、いいかげんあんたも、もう少し洋服のセンスを磨きなよ。立村くんに習うなりしてさ」
ときついことを言われ、むっとしていたりするけれども、まあそれは否定できない。
「女子みたいにそんなもの、着る必要あるかっての」
言い返すものの、上総にはさほどつっこんだりしない。
上総もかなり、服装には神経を遣うし、好みもうるさいと思う。
貴史にいつ、いやがられてもおかしくない。
「あのさ、羽飛」
「なんだよ、立村」
すでに顔を窓辺に向けたまま、上総は尋ねた。
「そんなに、服に気を遣う人間って嫌いか」
裏の意味を匂わせないで尋ねたかった。
「いきなりなんだよ」
「いや、なんとなくさ」
向こうを向いたまま答えたので、貴史の様子は窺えなかった。
軽く答えるかと思ったけれど、しばらく黙っている。
言い方に険があったのかもと、上総は息を殺した。
「立村、あのな」
振動音の間に言葉を滑らせるよう、貴史の返事が聞こえた。
「俺が見かけだけで人を決めつけるような奴に見えるのかよ」
怒らせてしまったか。
振り向くべきか否か迷っているうちに次の言葉が飛んできた。
「別にお前は女子受けするために服を選んでいるわけじゃねえだろ」
ちょっと棒読み風に、投げやりに。
「お前はお前だ、それで十分だろ」
そのまま動かずにいたら肩にぽんと、ひとつ手をのっけられた。
「ま、しばらく寝てろよ。着いたら起こす」
答えないですんでよかった。ガラスにうっすら映る自分の顔には、情けないくらい泣きそうになっている小学校時代の上総が見えた。自分にしか見えないその顔を隠して、二年間、青大附中で生きてきた。
5 ひとりしずかにゆめのなか
貴史の言葉に甘え、ずっと目を閉じていた。幸い、こずえのカメラ攻撃はこなかった。あいかわらず元気な貴史と美里のコンビが、いきなりカラオケ大会を始めたからだった。菱本先生も楽しそうに最近流行の曲を、英語で歌ったりなんかしている。
菱本先生が社会担当であることを知っている上総としては、たとえ発音がひどかろうが、果てしなく日本語に近い歌い方をしていると思っても口にしたりしない。自分にかまわないで、寝させてくれればそれ以上なにも求めない。美里がその辺はわかってくれているようで、
「あれ、立村は歌わないの?」
というこずえの声に、
「いいのよ、どうせ具合悪いんでしょ。明るい人だけでいこうよ」
と交わしてくれた。とってもだが「つきあっている」相手の言葉とは思えないけれど、その奥にちゃんと、意味があることを上総は知っている。だから、かまわなかった。たとえ美里が女子同士の集まりで「所詮、情が移っただけよ」と笑い飛ばしているのを聞いても、腹なんか立たなかった。
つきあいはじめてから、美里はずいぶん上総への態度ががらっぱちになった。以前だったら懸命にかばってくれていたらしいのに、両思いになったとたん
「全くあんたって人は!」
と、かなり言いたい放題だ。貴史にも影でたしなめられているのを聞いた。
「お前、ほんっとに、立村の彼女なのかよ。しんじらんねえな。あれだけ熱上げてたくせに、これかよ」
と。
たとえば南雲のように、奈良岡に対して「彰子さん彰子さん」とべったりすることなんて、上総には絶対できない。奈良岡彰子がため息をつきつつも南雲をやさしくあしらっている、あれが限度だろう。その点、女子だけれども上総には奈良岡の気持ちがわかる。
上総と一年以上、友達付き合いをしてきて、美里はだいぶ理解してくれたのだろう。生々しい「恋愛」の匂いを上総は好まなくて、むしろ突き放したように友達づきあいしてくれる方が、楽だということを。上総が一番望んでいるのが、何かってことを理解してくれるから、美里は思い切りつっぱなした言い方をするのだろう。
別に、私になんにもしなくてもいいのよ、と。
べたべたしなくたっていいよ。
立村くんの、一番望む形で、お付き合いしていいんだからね。
つくづく思う。俺は本当に、この学校で、人間関係に恵まれている。
うるさければうるさいほど、気がまぎれた。目を閉じていると太陽の日差しがまぶたに映って虹らしきものに見とれたり、橙色の花火の幻想を見つけたりと、それなりの面白い画像を楽しめた。隣では貴史と美里が何を考えたか、いきなり二人でデュエットを始めている。菱本先生のリクエストらしい。
「羽飛、清坂、お前らやっぱり一度は歌わねばならないだろ!」
当然、隣に清坂美里の彼氏がいるなんてことは一切無視だ。
「先生それはまずいっすよ。だって清坂には・・・・」
とのよけいなおせっかいも、あっさり切り捨ててくれる。
「いや、やっぱりベストカップル同士の方が、聞いていて楽しいだろ」
菱本先生にとって、二年D組のベストカップルは決して評議委員コンビではないらしい。
これが普通の恋人同士だったら激怒するんだろうな。
寝ている振りをしたまま、上総は思った。
俺は全然、そんなのに関心ないから、別にいいんじゃないかと思うけどな。
かえって、話しかけられるよりそうしてくれたほうが退屈もまぎれるし。
「立村、お前起き上がって抗議しろよ! ったく、だからお前女子に『昼行灯』って言われるんだぞ」
好意的な応援をありがとうございます。
でも、周りからひゅうひゅう言われて結婚式ののりになるよりはましだ。
「なんでお前とまた、組まなくちゃなんねえんだよ。全く、相手のいる女子と歌うなんてさ」
「私だって、なんでまた貴史となのよ。で、何にする? いつものあれにする?」
「あれかあ」
「あれ」とは、どうやら二人の小学校時代、しょっちゅう歌っていた一曲らしい。付き合いが長いとレパートリーも増えるようだ。
「でもなあ、じゃ、新曲でいくか。『砂のマレイ』の主題歌あるだろ、あれでいくか」
「ミーハ―なんだから、貴史は」
やり取りを聞いているだけで顔がにやけてくる。ちなみに「砂のマレイ」主題歌「サンドルージュ」は、男女コンビで歌われている。途中にせりふが入るので、そこをうまくやり取りするのが、コツと言われている。毎回、作品中で遣われるせりふを用いるので、お互い息が合わないとまぬけに終わる。
なかなかやるじゃないか。
やっぱり、これは羽飛と清坂氏でないと、できないよな。
寝ている振りしてたっぷり堪能させていただいた。
まだ二十分くらいある。時計を薄目で確認し、タバコの煙を吸わないうよう息を止め、振動にあわせてめまいをこらえていた。目をつぶるだけでだいぶ楽になる。そうしているといろいろなことが、ぐつぐつ煮込むような感じで煮えてくる。ずっと気になっていたのに、いえなかったことのひとつひとつが、灰汁のように、浮かんでくる。掬い取ると、ぺったらした灰汁が、いつしか自分の本音に思えてぞっとする。
なぐちゃん、本当にあれを使っているんだろうか。
なんだか、信じられないけど、おかしくないとも思うんだよな。
やっぱり、夏に、そういうこと、あったんだろうか。
貴史に言われた「ゴム」の話を、無視しようとしていたのに、黙っていると勝手に頭にへばりつく。
南雲も上総たちより一ヶ月早い程度の、「おつきあい」だ。たとえバスの最後方で奈良岡に甘ったれていても、まさか「ゴム」を使うところまでは行っていないだろうと信じていた。南雲よりも奈良岡の態度がまだ、ぎこちなかったからだろう。そりゃあ、本条先輩のように二股かけて、どちらとも深いお付き合いをしている人もいないことはないが、でも自分にはまだ関係ない話だと思っていた。
でも、決して、出来ないわけではない。
ふたりがそういう気持ちだったら、場所を確保して、「する」ことは出来るだろう。
今は特に夏休みなのだ。チャンスは山とあるだろう。
もしかしたら、今夜だって菱本先生の目を盗んで夜這いするのも可能だ。
南雲はそこまで強い思いを奈良岡に抱けるんだろうか。
もし今ここで目を閉じているのが南雲で、「サンド・ルージュ」を楽しくデュエットしているのが奈良岡だとしたらそりゃあもう、大変なことだろう。南雲がやきもちやきかどうかはさだかでない。でも、あれだけ仲良くしている相手が、あまり相性の合わない野郎といちゃいちゃされていたら、おもしろくないに決まっている。もしかして、それを楽しんでいる上総自身が、変なのかもしれない。
普通は、こういう時、もっと妬くんだろうなあ。
俺はもっと、羽飛と清坂氏の漫才を聞いていたいんだけどな。
それでも一応、俺は清坂氏とつきあっていることになっているんだ。
二年D組の公認カップルってことだ。
事実だけがずっと手の届かないところにあって、自分がまだ間に合わないって感じだ。リレーのバトンタッチみたいな感じだろうか。どんなに走っても、前の走者が離れていくっていうような。で、思わず転んでしまってバトンを落としそうになるというのかな。
夢の中でたまに見る、顔のない少女との戯れ。いつか本条先輩がくれたグラビア写真集でみつけた、ボブカットのたおやかな、哀しげなまなざしをしたシュミーズの少女。いくつかの記憶が「ゴム」という言葉から溢れていき、まぶたの裏を走っていく。薄暗い橙色のベールを、閉じたまぶたの奥にみつめながら、いつしか上総はほんとうの夢に落ちていったらしかった。
「おい、立村、もうついたぞ」
貴史にゆさぶられて目を覚ますと、すでに全員、バスの外に出ていたようだった。ホテルの入り口でまだ数人がうろちょろしている。バス運転手さんも、にこやかに振り返っている。
「大丈夫でしたか?」
「はい、大丈夫です」
たぶん、顔はまた、朝と同じくらいひどい状態なんだろう。寝起きの顔はもう、同一人物と思われないようなやつれ方なのだ。上総は貴史に軽く手を引いてもらい起き上がった。運転手さんに無理やり笑みを作って頭を下げた。
「しっかし、あれだけうるさい中でさ、よくもまあ、寝られたよな。ある意味でお前尊敬するぜ」
「たぶん夜は寝られないかもしれない」
「へえ、お前寝る気でいたんだ。甘いな、それは。宿泊研修一日目の夜は、徹底して付き合ってもらうって約束だろ。な、立村」
軽口を叩きながらバスを降りると、玄関の方を振り返る女子の姿が見えた。
美里かどうか、判断はつかなかった。
「しっかし、美里って薄情な女だよな」
「慣れてるから別に」
一歩踏み出したとたん、急に溜まっていためまいが頭の中をわんわん鳴らした。今ごろになって酔いが出てきてしまったらしい。ぎゅっと貴史の手を握り締め、すぐに緩めた。恥ずかしい。
「いきなりなんだよ。あ、そうか、夢の中でさ、美里と間違えたのかよ」
「そんなんじゃない。たった今、俺が望んでいることはひとつだ」
顔を上げて上総はゆっくり、貴史に答えた。
「何も考えず、横になりたい。それも当然、ひとりでだ」
「わかった。要はお前、吐きたいくらい具合悪いんだな」




