その二 出発朝のよしなごと
1 いい奴なのだが、しかし
朝六時に青大附中前に集合した。
旅行終了後、次の日からなしくずしに始業式が始まることもあり、各地の下宿生たちもみな実家から帰ってきていた。一ヶ月ぶりの再会とあって、女子の中には手を取り合って大喜びしている姿も見受けられた。男子はというと、青潟市外の海で焼いたらしい肌を見せつけて、腕をぼりぼり掻いていた。
「せめて、制服じゃない形にしてほしかったよな。普通のTシャツとかさ」
「まだ夏休み中なんだから、私服だっていいのに」
「なんで、ネクタイまで持参なわけなんだ」
意味不明な校則の数々を改善するべく使命をおびた、次期規律委員長南雲秋世の姿もあった。聞きつけたのか、あごの先で頷いて答えた。
「そうだよな、俺もそう思う。学校始まったらすぐに規律委員会開いてもらうようにするよ」
相変わらずシャギーの髪型は変わっていない。もし微妙に変化したところがあるとするならば、「つきあい」相手の奈良岡彰子を目で探して、見つけるなりにっこりと笑いかけているところだろうか。笑顔が一段、南雲は自然だった。戸惑っているのは奈良岡の方だった。周りの女子に
「彰子ちゃん、愛されてるよね」
とからかわれているのが聞こえた。
「ところで、立村、このしおりの通り、持ってきたけれどさ、なんなんだ、ペットボトルって」
羽飛貴史が上総に尋ねた。
やっぱり、普通の発想ではないらしかった。
上総にとっては自分の身を守るゆえに、絶対必要なことだったのだけれども。でも説明するとまた、
「お前ってば大げさなんだかださあ、もう俺たち中学生なんだぜ、そんなしくじりする奴なんていねえよ」
と笑われるだけだろう。
ま、使わなければそれに越したことはないんだから。
ただ、万が一ってことは考えられるわけであって。
一寸先は闇。
「いや、たいしたことじゃないよ。それよか、羽飛、もし俺が酔ったら、その時はごめん。申しわけない。できるだけ気を付けるつもりだけどさ」
今のうちに謝れることは謝っておこう。これから三日間、隣の席にいるであろう貴史に手を合わせた。
「立村って自分で酔う酔うっていっつも言っているけど、へどあげたことなんて一度もないだろ、心配性な奴だよな」
こいつ、わかっていない。
いまさらながら上総はあきらめていた。
羽飛貴史はいい奴なのだ。無口な上総をいつも、クラスでフォローしてくれ、いろいろなことがあっても変わることなく仲間に入れてくれて、さらには幼なじみの清坂美里との恋路も応援してくれている。いつも
「俺は立村の味方なんだよ」
ということを、どこかで伝えてくれている。
こんな性格のいい、奴なのだが。
上総にはどうしても受け入れられない部分がある。
自分の友達である以上のことを、さらに求めようとするところだろうか。
上総にさらに、自分の感情をさらけだすよう、求めるところ。
きつい。悪意がなくて、誰よりも自分を大切に思ってくれていることがわかるから、何もいえなくて、さらに辛い。
親友という扱いをされていながら上総は、いつも口をきけないでいた。
どんなに今まで上総が、旅行の時に気をつかっていたかなんて、たぶん貴史は分からないにちがいない。酔い止めを飲んで、窓の空気を吸うためへばりつき、いつも吐き気をこらえていたなんて、気付かないのだろう。
俺の味方でいるなんていう奴を、どうして素直に受け入れられないんだろう。
最低だ、本当に最低だ。
整列し、菱本先生に軽く挨拶をした後、男子、女子の順に乗り込んでいった。女子同士二名ずつの組に分けるのはそう難しいことではないようだった。後ろの席だけが三名ずつになって男女セットになってしまった。が、どうもその後ろには奈良岡と南雲の二人が坐っているらしい。どう考えても、南雲の意志だ。いくら付き合っているとはいえ、こうも露骨にいちゃいちゃぶりを見せ付けられるのも、なと思う。
でも南雲としては当然のことなのだろう。
上総たちよりも一ヶ月くらい早く両思いになったふたりだが、周りからは外見上つりあわない究極のカップルと言われている。南雲が女子受けするようなアイドル歌手雰囲気の顔立ちなのに対し、奈良岡彰子はかなりぽっちゃりめだ。一部の男子いわく、「ビール瓶」というのも頷けなくはない。でも、顔立ちはまるっこくて、南雲の言うとおり
「一般受けはしないかもしれないが、俺にとっては完璧だ」
なのだそうだ。男女関係なく気持ちよく接してくれる女子だから、性格に惚れたといえばそれまでなのだろう。が、南雲の様子を見るとどうもそれだけではない。外見内面ともに、満足度百パーセントらしいのだ。もっというなら、南雲の想いの方が圧倒的に高い。奈良岡彰子の方は戸惑いがまだ完全に消えていない。断然、南雲の想いにひっぱられている状況が、この夏も続いていた。
上総は南雲の坐っている奥まで進んで確認した。
「じゃあ、なぐちゃんはここでいいか? もしなんだったら変わるよ」
「いいってりっちゃん。これ以上贅沢なんて言いますかって」
奈良岡彰子に向けるぱかっとした笑顔を、上総にもそのまま見せて、南雲はポケットから小さな子瓶を差し出した。
「りっちゃん、これは結構、酔い止めに効くと思うよ、薄荷の匂いがするかぎ薬だって。うちのばあちゃんから借りてきた」
「でも、それはまずいんじゃないか? お前だってそう強いほうじゃ」
「大丈夫さ、俺には最高の酔い止めがいるからさ」
隣で奈良岡彰子は困りきった顔で南雲を見つめていた。
「ほら、立村くん、凍りついているじゃない。とにかく、この席で大丈夫だから立村くんも、あまり気にしなくていいよ」
目で
「早く、前に戻りなよ」
という表情だった。読めないほど上総も馬鹿じゃなかった。。
「じゃあ、なにはともあれ」
2 毎度恒例『朝の漫才』
バスガイドさんはいない。バスの中はそれなりに余裕のある雰囲気だった。
菱本先生の音頭でまずは、景色を眺めつつ「しおり」での合唱だ。
たいていはカラオケつきだ。マイクを持つだろう。でも菱本先生の意志で、すべてカットとなってしまった。
「そういうところにはお金をかけないで、自分たちでバスの中を楽しもう」ということだそうだ。しかたないので、音楽委員ふたりにしきってもらい、しおりに載っている歌を一曲ずつ、合唱することにした。歌謡曲もあれば、教科書に載っているのもある。マイクを持ったまま合唱に燃えている。
上総にとってはそれこそうるさい以外のなにものでもない。
盛り上げ係は幸い、貴史と美里がいる。
「悪い、ちょっとだけ空気吸ってていいか?」
細く窓を開け、上総は外を眺めていた。バスを降りるまでの間は、評議委員としての仕事はまずお休みだ。これがもし学校祭とか合唱コンクールだとまた話は違う。行事が終わるまでの間ずっと、気を張り詰めていなくてはならない。上総の場合自分でも、かなり神経質すぎるところがある。
「さって、では、次は、「山を越えてゆこうよ」でいこう!」
まだ歌謡曲の順番は回ってきていないらしい。元気な羽飛・清坂コンビの声を聴きながら、上総はいつのまにか眠りについていた。たぶん、酔い止めが効いてきたのだろう。
かちゃり、と音がしたので目を覚ますと、二時間くらい経ったらしく一部のグループが静かになっている。さほど揺れた記憶はなく、上総も風に当たってすこし寒気を覚えていた。
「今、どこまで来ている?」
「まだ山を昇っていないよ。サービスエリアにそろそろ到着するころだな」
菱本先生が答えた。貴史に聞いたつもりなのに。できるだけこの先生とは口をききたくなかった。でもそんなわけにもいかない。本当にこの先生とは相性が合わない。どうしてだろう。
窓から見える景色は銀紙がかっておいて、ところどころ工事中の山切り崩した跡などが見受けられた。その奥には黄土色の山壁。すっくと細長い木の群れが固まって生えている。緑色が濃く、天に突き刺すような雰囲気だった。
「なんていうか、きりたんぽって感じかな」
「なにがだよ、あの木がか?」
「やたらと細長いよな」
別に意味は何にもなかった。おなかがすいてきたので、サンドイッチを取り出した。大きい声ではいえないが、現在親からもらった小遣いおよび生活費がほとんど切れている状態なので、買出しができなかった。バターをぬって薄切りのハムを挟んだだけのものだが、ラップに包んでハンカチにくるんできた。
「開発途上の場所ってところなのかな。この辺は」
食べながらぼんやりと眺めているところに、古川こずえが声を掛けてきた。
今は朝。
「ねえ、立村、いまあの木のことをなんとか「ぽ」っていわなかった?」
「ああ、きりたんぽって知ってるだろ。秋田の名物料理。ご飯を筒状にして穴をあけて、それをかためてゆでて食べるって奴。作っているときの状態によく似ていたからさ」
意味はないはず。
「ふうん、『タンポン』ねえ、立村、どういうものだか知ってるよねえ。美里も教えてるでしょ、そのくらい」
窓を見たまま頭は真っ白くなった。
いや、知らないわけじゃなかった。
ゆっくりと言い返した。
「古川さん、あんたの耳の方がおかしいんでないか。俺は今、『秋田名物料理のきりたんぽ』って言ったよな」
「なあに向きになってるのよ、あんたってほんっと、いまだにガキだねえ。お姉さんは頭が痛いってよ」
「ばかばかしい」
椅子の間も離れているし、今日はそれで朝の寸劇ちゃんちゃんのはずだった。が、唯一うるさいのがいる。貴史がつんつんとつついてきた。
「なんだ、その『タンポン』って?」
「知らないのか?」
「ああ、俺、その辺よくわからねえよ」
「残念ながら、古川さんのように本体を見たことないので、そうなのかどうかはわからないけどさ」
むかつきついでに、古川こずえに聞こえるように言い返した。
「立村くん! ちょっと、いったい何言ってるの?」
「あの、だから、羽飛にきかれたから」
「だからって、いったい」
美里が端の席から上総に向かって猛烈に反撃を開始している。戸惑う上総に今度は貴史が迎え撃った。
「お前、何切れてるんだよ。俺、知らないんだけどさ、その『タンポン』ってなんなんだ? 話がよめねえんだ」
「そんなこと、こんなおおっぴらに話すことじゃないじゃない。こずえもこずえよ。なんで朝から変なことまたつっかけてるのよ。それに」
ふたたび美里は上総をにらみつける。びくっとしながら、窓辺に張り付く。
「立村くんも立村くんよ。そんな声で言わなくたって!」
「ごめん、俺が悪かった。ごめん」
「だからあやまらないでよ。私が悪いことしているみたいじゃない!」
「じゃあ、どうしろっていうんだよ」
「どうもしないけど、でも、変なこと言わないでよ、もう」
以上の会話は、奥のグループに全く届かなかったようだった。雲行きは怪しい。他の連中はそれなりにいろいろな盛り上がりを見せているようだが、上総と貴史はしばらく小声で
「女子って、怖いよな」
「本当に、怖い。うっかりしたこと、言えねえな。でも、まじめに『タンポン』ってなんだ?」
「俺も見た事ないから、わからない。今度本条先輩に聞いてみるよ」
隣で居眠りをしたふりをしている菱本先生。こいつは絶対聞いている。今の会話もすべて聞いている。実はそちらのほうに、思いっきり腹が立ったのもまた事実だった。
バスは第一次ターミナルに到着した。
降りた時、風のひやりとした冷たさが首筋に触れた。みな、ジュースを買いに走るものあれば、トイレに化粧ポーチを持っていく女子ありと、実にさまざまな連中だらけだった。まだ二時間程度だから酔った奴もいない。上総と貴史は用を済ませた後にすぐバスに戻った。
「天気よさそうだから、それなりに盛り上がるんじゃないかな」
「そうだな。立村もかなり無理しまくってたしな。それよかさ、お前、美里とどこまで行ったんだ? 今の調子だとまだ全然進んでいねえみたいだけど」
「まだ一ヶ月だぞ、何考えてるんだよ」
三人で会う時も、上総はいつも恋愛の匂いをできるだけ嗅がせないような振る舞いをするよう勤めていた。ふたりの時はほんの少しだけ、自分の中にある感情を、ちょこっと出してみたりもする。一歩近い感じで、冗談を言ってみたりもする。美里もだんだん、上総に対して以前のように気を遣うこともすくなくなり、かなり際どいネタふりをしてくるようにもなった。
だが、あくまでも、ふたりの時だ。
手が触れたったって、一回だけ、たまたまドアのノブをひねる時に指先が重なっただけのこと。それ以上は全く何にも触れたりなんてしていない。ましてやキスやそれ以上何てもってのほか。
「それを言うならだ。羽飛、現在の一年生とはどういう付き合いをしているんだ?」
「付き合ってなんかねえよ。きちんと俺は断ったぞ。だが、相手がそう思ってないみたいなんで、九月までようすを見るかってことで、一回くらい会った程度だって」
「断った相手に会うって奴か」
少しむっときて上総は言い返した。
「それはちょっと、失礼じゃないか」
「だってさあ、相手なんて話を全然していないだろ。俺の場合は一回でもしゃべらないとピンとこないんだよ」
貴史の言うことはわからなくもない。特別に好きでも嫌いでもないという状態だったら、ためしに付き合ってみるのも一つの手だろう。実際、上総はそういう気持ちを残したまま、美里と「はじめてのおつきあい」を始めている。ただ、貴史にはどうも、カモフラージュの匂いが消せない。
もしこれが、古川こずえだとしたら話は別だっただろう。
上総としては、授業中の下ネタ振りにほとほとまいっていたので、いいかげん貴史とくっつけて、おとなしくしてほしいと思っていた。それなりのお付き合いでもいいだろうと思う。しかしながら、告白された一年生については、どうも気がなさそうなのだ。いろんな考え方はあるだろうが、「好きになら女性との交際」だけは避けたいと思っていた。
最近、南雲の恋愛観に感化されているかもしれないが。
「どうせお前らとは違うんだからな。立村、お前も人のこと気にしてる暇があったら、美里をもっと口説いてなんかしろよ」
「人にそんなこと言われたくないね」
上総は軽く受け流し、しおりの日程を読み直した。
「黄葉市に到着するのが、十時くらいか。それから荷物をホテルに預けて、昼からバレーボール大会か。やってられないよな」
「その後で、街並みめぐりとくるわけだな。三十人ぞろぞろぞろと歩くわけかよ。みっともねえよな。もっと遠くから来た奴ならともかく、青潟なんて言ったら、近いし、制服姿だろ。恥ずかしいよな」
「全くだ。菱本先生の考え方はどうしても、納得いかないよな」
貴史が頷く頃に、菱本先生がジュースを持って帰ってきた。
「お前ら早いなあ、おい、立村、外の空気吸わないで大丈夫なのか」
「一度外に出ましたから」
わざと冷たく反応する。最低限の会話のみ、にとどめたい。教師としても、また一人の男として、生理的に好きになれないタイプだった。もっとも菱本先生も同じ感じを持っているのだろう。上総に対しては、評議委員という扱いよりも、一段下の小学生並みの怒鳴り方をする。頭越しに怒鳴られるので、思わずかっとなって言い返したくなる。でもここで負けてはだめだと言い聞かせ、唇をかんで頭を下げる。去年はその繰り返しだった。どうして貴史は平気でいられるのだろう。そちらの方が不思議だった。
「それにしてもなあ、羽飛。今日のバレーボール大会、お前のポジションにすべてがかかっているからな。頼むぞ」
「わかってますって。先生。俺のチームはその辺みんな心得てますから」
「やる気のなさそうな奴もいるけどな。全員で思いっきり勝負をするってのもいいもんだぞ、立村」
答えるのもうんざりだ。上総は眠気が来た振りをして、窓辺にもたれた。目を閉じた。朝早かったから、ふりが本当に居眠りになるのも時間の問題だった。わしゃわしゃと人が戻ってきても、上総は目を閉じたままでいた。が、ぱしゃりと、ふたたび音が聞こえ、ぱちりと開いた。
「羽飛、いま何やった!」
「俺じゃねえよ!」
「ごめーん、立村起きちゃた? 寝顔写真撮らせてもらったからね」
「ああ、もしかして古川・・・!」
「大丈夫よ、渡すのはどうせ美里だけだから」
「そんな問題じゃないだろう!」
隠し撮りすることに情熱を燃やしている古川こずえの存在を忘れていた。これはうっかり、変な顔して眠れない。
「その写真、あとで返せよ。全く油断も隙もありゃしない」
「でもな、今のは立村、お前が悪いんじゃねえの。勝手に狸寝入りこいていたんだから」
貴史につつかれても、上総の気分はすっかりめいっていた。
「全くなんだよ、まだ旅行、始まったばかりだっていうのにさ」
騒ぎは収まることもなく、バスは順調に黄葉市に向かった。バスの運転手さんも、口が少ないながら笑顔がやさしい人だった。大体二十歳後半あたりだろうか。上総が
「二日間、よろしくお願いします」
と挨拶すると、
「青大附中の生徒さんは礼儀正しいから、運転していて気持ちいいよ」
と答えてくれた。去年もやはり、この時期の宿泊研修を担当したらしい。休憩所でちょっとだけ聞いたところによると、どうやら本条先輩たちのクラスだったらしい。
「あの時やはり、クラスの会長さんみたいな子がいて、『お前、酔い止め飲んだか、お前体調大丈夫か、お前歌の順番どうだ』とか全部仕切っていたんですよ。で、最後に全員で『どうもありがとうございました』ときちんと礼をしてくれてね。びっくりしました」
本条先輩ならば、自分のクラスにそのくらい徹底させるだろう。
上総は運転手真後ろの席に座り、少しだけ椅子をリクライニングさせた。
「悪い、大丈夫か後ろ」
「立村もう寝るのかよ」
「まだ一時間あるだろ。頼むからちょっとだけ寝せてくれよ」
仕方ねえなと、後ろの席の奴らは椅子を斜めにしてくれた。奴らはまだ寝るなんてとんでもないというのりだろう。元気な奴はうらやましい。
すでにこの段階で胃がむかむかしていきたなんて、いえない。
理由はわかっていた。ひとつはだんだん山岳地帯に入ってきたため、横揺れが激しくなってきたこと。またもうひとつは、運転手さんのタバコが匂ってきて、窓から直撃を受けていること。
もともと上総はタバコの煙に強い方ではない。父は自室以外で喫煙はしないし、学校ではもちろん禁煙となっている。青大附中の職員室でタバコを吸う先生は誰もいない。生徒に喫煙を禁止している以上自分たちが吸うなんてもってのほか、という考えだからだという。ゆえに、喫煙者が見つかったりなんかしたら、すぐに停学、場合によっては退学となってしまう。
いろいろ悪いことを教えてくれる本条ですらも、タバコについては手をつけていなかった。めったにタバコの煙を吸うことなんて、なかったのだ。
しかし、運転手さんはかなりのヘビースモーカーらしい。
運転席の灰皿を覗いてみた感じ、すでに朝から二十本くらいの吸い口が残っている。
本当だったら、菱本先生に頼んで、
「すみません、タバコやめてもらえますか」
と頼みたいところだった。全く口を利かない、感じの悪い運転手相手だったら、たぶんそうしていただろう。
しかしながら、ついさっき話をしてみたところの運転手さんは、上総にとって非常にいい人だった。
白くゆるやかな煙が窓からぱっと散る。
窓を開けたままにしているとその煙がすみからするすると顔真っ正面にたゆたってくる。上総も窓を半ば開けっ放しにしているので、新鮮な空気は吸える。でも一回口から思いっきり、煙を吸い込んでしまった。それがまずかった。咳き込む次いでに、さっき食べたサンドイッチを戻しそうになる。ぐっとうつむいて、片手では万が一のために「エチケット袋」を手探りする。こんな早く使うかもしれない事態に追い込まれるとは思わなかった。
幸い、隣の貴史も、当然向こう側の美里も、そういう上総の苦悶には気付いていない様子だった。一年半つきあってみて分かったのだが、ふたりとも乗り物にはかなり強い。進行方向反対側を向いても平気な顔してはしゃいでいる。
「立村、死んだように寝てるな。お前も入って「古今東西」やろうってさ」
「頼む、何も言わずに寝させてくれ」
これ以上口にしたら本当に修羅場となってしまう。
「本当に立村、身体弱いよなあ」
貴史はそれ以上なにも突っ込まず、男女対抗、「古今東西」ゲームを楽しげに仕切っていた。女子チームのリーダーは当然美里だった。
「古今東西、青潟市内のスーパー名はなーんだ!」
つくづく思う。元気な人たちだ。
こんな暑い盛りに、本当にうらやましい。