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その十六 あとかたづけに関するよしなごと

1 戦後処理前夜

2 一年生廊下にて

3 虫たちの見たあの日

4 戦後処理


1 戦後処理前夜


 朝が来るのが怖いと思ったのは、今回が初めてではない。小学校時代の遠足や修学旅行の前夜、卒業式後にやらかした決闘騒ぎの後、自分で秘密にしていたことがあからさまにクラスでばれてしまった時。本条先輩の言う通り、自分の過去は本当に恥ずかしいものばかりだった。今まではなんとか、許してもらえていた。気付いているのかいないのかは判断できない。知らないふりをしてくれた。

 羽飛貴史も、清坂美里も。

 今回ばかりはそうも行かないだろう。

目の前で堂々と、貴史の友情を利用し、美里の想いを逆手に取ったというわけだ。もし自分が同じ立場だったらどうするだろう。絶対に許せないだろう。

 理解してもらえないのはわかっている。

 仕方ないことだってこともわかっている。

 上総自身の感じ方にあるとも気付いている。

 悔いる気持ちだけはなかった。

 始業式の後で菱本先生から、停学、悪ければ退学の処分が下されるだろう。まさか美術館で泣きながら殴られるとは思っても見なかった。気に食わない先生だけど、驚いた。


 反省するくらいだったら、あんなに細かく計画なんて立てやしない。

 運転手さんに告げた言葉に変わりはない。

 我、目的を遂行す。


 上総はノートに「我、目的を遂行す」と五十回書き記した。

 書いているうちに波がだんだん落ち着いてきた。開け放した窓から見える空に、星は全く見えなかった。青潟の空は曇っているからだろう。突き刺すような星の光も、貴史、美里、菱本先生たちのまなざしも、今は忘れていられた。



2 一年生廊下にて 


 目を覚ますとすでに朝七時半だった。寝坊してしまうとこだった。大急ぎで着換えて自転車に乗った。始業式は午前中で終わる。四日前に準備しておいたかばんには、自由研究ノートと宿題一揃いが入っている。

 疲れてすぐに寝てしまったから、あの後学校からうちに連絡があったかどうかはわからない。父も何も言わなかった。停学になったらどちらにせよ、学校から連絡が入るだろうし、叱られるのはそれからでもいいと思った。

 

 チャイムが鳴る寸前に校門をくぐった。

 二年D組の教室に行く前に、わざと一年生の教室を通った。

 うっかり忘れるところだった。「黄葉山オリジナルキャラメル」を一箱だけ購入しておいた。杉本梨南への土産だった。さすがに教室の中に入る気にはなれないので、廊下にうろついていないかをざっと見た。杉本の場合自宅がすぐ近くなので、ぎりぎりに登校することが多いようだった。今日はすでに教室でノートを開いていた。宿題だろうか。

 まあいい、あとでいいか。

 立ち去り、隣りのクラスの前を通り過ぎた時だった。

「ちゃん、泣かないでよ」

「羽飛先輩ならまだチャンスはあるって」

「そうよ、だって清坂先輩はあの立村先輩と付き合っているんだから」

「元気出して!」

 一年の女子が通路側でなにやら固まっている。上総に気付いてぴょこんと頭を下げ、今度はひそひそ声に変わった。三人の女子、うち一人は激しくしゃくりあげていた。ハンカチを渡しながら他の二人は顔を見合わせつつ、なんども同じことをくりかえしていた。

「羽飛先輩以上の人、絶対いるって!」


 もしかして、羽飛の奴、一年生の女子に断りの連絡を入れたんだろうか。

 なぜ俺の名前が出てくるんだ?

 清坂氏が羽飛と付き合っているという噂は昔からのものだったけどさ。

 俺が清坂氏に振られるであろうってことは、明白だからだろうか。

 覚悟はしているって何度もくりかえしているけれど。

 

 このままエスケープしてしまいたい気持ちを押さえつつ、上総は二年D組の教室に向かった。D組の教室は奥の方だった。急がないと間に合わないのはわかっているけれど、ゆっくり歩いた。


 まだ何人かが廊下でしゃべりつづけている。外から見える景色はなんとなく覚めた緑色がちらちらしている。かすかにせみの声が聞こえ、突然風が窓際の埃を撒き散らした。軽く咳き込んだ。

 A組の教室を覗き込むと、ひとつ、後ろに主のいない席が見えた。

 まだ狩野先生も、評議委員も来ていなかった。


3 虫たちの見たあの日


 いくらゆっくり歩いても、結局つくのは一緒だった。二年D組のドアを、ゆっくり開いた。思い切って顔を上げた。一瞬、静まり返ったのは予想ついていた。貴史と美里の方はあえて視界に入れなかった。

 隣りの席にいる奴らと自由研究の手芸ものや絵を見せびらかしあっている中、通ると気まずそうにみな黙る。離れたとたんひそひそ声になる。わかっていても、ひりひりする。

 金沢の席が真後ろだった。まだ南雲は来ていなかった。礼儀として一応、

「おはよう」

と声をかけると、気兼ねない返事が戻ってきた。

「ほら、これ見てよ」

 一緒に覗いている水口が、にっこりして指差した。

「金沢、すごいんだ。一日で描いたんだって。ほら立村、昆虫の絵だって」

「どれ、どんな感じなんだっけ」

 丸めたくせのついた画用紙を広げた。

 金沢は胸を張って、一言。

「今年の文集の表紙にしたいんだけど、立村、どう思う?」

 向かって左手に、アリ、コガネムシ、ワラジムシ、セミが、草木の陰に隠れて覗き込んでいる様子。虫特有のグロテスクなリアルさは感じなかった。柔らかく、愛嬌があった。右手に黄緑色の山々。たぶん黄葉山の景色だろう。こまやかだった。ふもとに小さく黒い斑点とグレーの線がちょこちょこと入り交じっている。

「テーマは、虫たちか?」

「うん。虫が覗いたうちのクラスのイメージってこうかなって思ったんだ」

 金沢は、画用紙半分を占めている大きなアリの親子を指差して、

「お弁当食べている時、きっと草葉の陰でアリとかワラジムシとか、虫たちが覗いているんじゃないかなって、思ったんだ」

「黒い点は、人間の集まり?」

「そうだよ。みんな、遠くから見るとちっちゃいんだ。」

 貴史を始めとする他の男子も集まってきた。覗き込みやいやい言っている。

「さすが天才画家の金沢」

 力をこめて貴史が背中を叩く。

「絵はわかんないけど、すごくいいと思うよ」

 上総も金沢に向かって、これだけ伝えた。

 ふと貴史と目が合い、すぐに逸らした。

 感情を読み取らないうちに、前を向いた。

「何無視してるんだよ」

 上総にだけ聞こえた声だった。すれ違い、席に付く前に一言だけだった。


4 戦後処理


 ドアが開いて菱本先生が入ってきた。昨日の今日とあって日焼けがかなりすさまじかった。赤黒い頬と腕。半そでのワイシャツに緑のネクタイ姿だった。髪型もきちんと整えている。やはり今日から学校が始まるのだと、あらためて感じる時だった。

「やあ、昨日の疲れは取れたか? おはようさん」

「全然とれなあい」

 女子の数人が合唱した。

「なあに言ってるんだ。若いぴちぴちのくせして」

「先生、やらしい!」

「朝っぱらから全開で責めるのはよせ」

 元気一杯、機嫌よさそうだった。教室内に笑い声がぼわっとふくらんだ。

「まず、始業式までまだ時間は、十分くらいあるか」

 時計を覗き込んだ。壁にかかっている振り子時計の音がかつかつと響いていた。八時二十分を過ぎたところだった。

「それじゃあ、号令」

 菱本先生は上総の席に視線をやり、指を差して、促した。

 開始は上総が、終りは美里が、受け持っている。評議委員の義務だった。


 後ろのドアから誰かが入ってきた。南雲だった。

「先生、おはようございまっす」

「南雲、遅刻だぞ、ったく、お前規律のくせしてなんだそりゃあ」

「遅刻じゃないっすよ。今、始業式前に職員室で打ち合わせしてただけですって」

 笑顔が変わらない奴というのもめずらしい。肩をすくめて南雲が席につくまで、菱本先生は黙っていた。上総の隣りに座り、南雲はちらっと肩に手をやった。すぐに離した。

「三日間一緒に過ごしてきたからお久しぶりって感じもないんで、夏休み報告はまた改めてにしようか。片がついていないこともある」

 菱本先生は声音を変え、呼吸を整えるようなしぐさをした。

「いいか、これから話すことは二年D組だけの秘密にするから、よく覚えておけ。はっきり言ってばれても問題はないことだし、それをネタにして誰かを脅すような卑怯な真似をしても無駄だ。いいな」

 南雲が上総の方をちらりと見て、すぐに戻した。

 他から飛んでくる意識の刺が痛い。

 来るべき時がきた。ノートに書き散らした言葉を繰り返し、心の中で唱えた。

 我、目的を完遂す。

 思ったとおり、菱本先生は教壇から上総の目をじっと見つめた。にらんではいなかった。同情なのか、哀れんでいるのかわからない。めずらしく、落ち着いたまなざしだった。上総はにらみ返さず自然に受け止めた。


「昨日、立村がなぜバスをいきなり止めて降りて逃げ出すということをやらかしたのか、俺はわからなかった。結局わかったのは、昨日の夜、A組の狩野先生から説明してもらってからだったんだ」

 狩野先生? なんでなの? 狩野先生とどう関係あるの?

 女子がひそひそと質問を周りの子に浴びせているのが聞こえる。言葉が縄で編まれて、上総を縛り上げていくようだった。身体にきりきりと食い込む。いつか見た写真集の少女のように、苦しげに。

「二日目夜のクラスミーティングで、覚えているのもいるだろうが、俺と立村との間で意見の食い違いがあった。立村は明星美術館でA組の女子たちと合流することに反対していたし、俺はそんなのが思い過ごしだと却下していた。この段階で俺はきちんと、立村と一対一で話をすべきだった。もちろん、俺は最後の旅行ということでいい思い出を、A組の」

 言葉を切り、ためらいながら、

「昨日をもって青大附中を退学してしまう女子に」

 一気にざわめきが走った。悲鳴混じりに

「退学? 退学って誰?」

「A組の人?」

「もしかして?」

と情報を交換していた。男子連中だけはなぜか静かだった。後ろを見たりはしなかったけれども、みな納得ずみといった風だった。不気味だったのもまた確かだった。

「作ってやりたかったと思う。もしD組でそういう人が出たとするならば、俺はためらうことなくそうしただろう。たとえどんなに辛かったとしても、俺のクラスの大切な娘であり、息子たちなんだ。俺はまだ結婚してないが、青大附中で出会った連中はみな、俺の子どもだと思いたいんだ」

 片手を握り締め、言葉を切った。

「狩野先生から詳しい話を聞いた。お前らが両親をうざったいと思うように、俺や他の先生たちから離れたいって奴も、もちろんいるだろう。そりゃあ、仕方ない。お前らはまだ十四才なんだ。俺だってその頃、そんなものわかりなんてよくなかったさ。受け止めてもらえないのが悔しいっていうのも、またお前らと一緒なんだよ」

 いきなり菱本先生の声が震え出した。聞いている上総の方が思わず退いた。

「立村、お前がどうしてああいう芝居を打ったのかはわかった。A組の女子をそっとしてやりたかっただけだってことだな。そうだろう」

 背筋をぴんと張って、上総はただまっすぐ、菱本先生の目を見つめた。

 答えることも、答える必要もない、そう思った。

「お前だったら、そうしてほしかったんだな。放っておいてほしかったんだな」

 同じく見つめつづけたままでいた。

「立村の方が今回は正しかった。狩野先生からもはっきりと言われた」

 鼻をすすり上げている。上総以外の男子も、菱本先生の様子が涙ぐましいものに変わっているのに気付いたのだろうか。後ろで水口と金沢が「先生」とつぶやいている。南雲も一緒に、上総と同じ方向のまま菱本先生と対していた。

「いいか。今回立村の逃亡劇は絶対に、学校行事の中では許されないことだ。どういう理由があるにせよ、嘘を連ねてバスを止めて、予定を狂わせるということは、規律を乱すだけではない。クラスの信頼関係をも裏切ったことなんだ。俺だったら許せないだろう」

 うつむいた。答えられない。停学、退学の言葉が頭をよぎった。

「だけどな、今こうやって話しているのは立村、お前をつるし上げたいからじゃない。お前が二日目のクラスミーティングで必死に訴えたことを全く相手にしなかった俺にも責任があるからだ。俺はお前たちのことをあっさり無視するような人間らしくない教師では、ありたくないんだ」

 後ろからすすり泣く声が聞こえた。女子だろうか。美里ではない。こずえでもない。目を留め、菱本先生は目をぬぐった。

「立村。もう一度、俺と話し合いたいと言ってくれなかったんだ?」

 

 すうっと目の中が冷めていく。

 上総は答えなかった。

 ただ菱本先生の顔をじっと、静かに見つめつづけた。

 泣きたいとも思わなかった。無視したいとも、刺してやりたいとも思わなかった。

 我、目的を完遂す。

 言葉だけが頭の中をめぐっていった。

 

 菱本先生はしばらく上総の姿を眺めていたが、あきらめたように目を逸らした。机を見つめながら、

「今回の事件は終りだ。最後に立村、本当に何も言うことはないのか?」

 自然に口からこぼれた。

「A組の人は、もう、学校に来なくていいんですか」

「え?」

 言われた意味がわからなかったようで、菱本先生は言葉を詰まらせた。

「退学した人のことを言っているのか?」

「はい。もう、二度と、こなくてもいいのですか」

 しばらく菱本先生は答えを躊躇していた。ごくっと空気を飲み込むようにして、ゆっくりと上総に向かい答えた。

「すでに夏休み中に手続きは終わっているので、九月から、別の中学に転入が決まっているそうだ。もう、青大附中には、来る必要がなくなったよ」

「そうですか」

 菱本先生の表情にまた、淋しげな影が漂った。ふたたび、教室にいぶかしげなざわめきが流れた。誰にも意図を読み取られなくていいと思った。全身から力が抜けていった。

 椅子の背もたれに寄りかかり、初めて上総は南雲に向かい笑いかけた。

「りっちゃん?」

「ごめん、なんでもない」



4 いつかたどり着ける日まで 


 校内放送の合図に、「クシコスポスト」の音楽が流れた。毎回朝礼の時に流れる、派手なイントロの曲だった。

「これから始業式入場です。各クラスの評議委員を先頭に、廊下に整列してください。一年から入場です」

 雲のベールをうっすらと挟んだ夏の太陽が、少しずつ教室に落ちていった。窓を閉める窓際の生徒。菱本先生はまだ痛みを忘れられない表情で上総を見つめ、廊下に出るよう指示した。

「評議を先頭に、男女各一列に整列だ」

 緊張した空気はドアが開くと同時に外に逃げた。隣りの南雲は立ち上がり際に、

「りっちゃん、来週の月曜すぐ、数学の小テストあるって知ってたか?」

 耳より情報を残してくれた。

「え、ああ、でも俺は」

「今の話だとりっちゃん、停学ってことはなさそうだしさ。お互い、赤点取らないよう、がんばりましょうや」

 奈良岡の席を遠回りして通っていった。封印は切らないにせよ、それなりの進展はあったようだった。いつも通り美里たちとおしゃべりしている奈良岡彰子をむりやり引きずるようにして、教室から出て行った。


「立村くん」

 貴史と美里だけが教室にまだ残っていた。女子評議の義務ゆえか、上総の方に来た。教室に入ってから、初めての挨拶だった。

「おはよう、あのさ」

「直接言ってよね。お礼言ってくれるなら!」

「ごめん、あの、それで」

「あやまらなくたっていいって言ってるでしょ! ほら、整列しなくちゃ」

「ありがとう、あの、あれをさ」

 すっかり勢いに押されてしまっている自分がいた。気の利いた言葉が出てこない。

「キーホルダーなくしたんだったら、またおんなじののあげるから! 立村くん鍵をたくさん持ってるから、いいかなって思ったの!」

 美里はさっさと前のドアから出て行った。さすがに校則違反になるためか、ドアノブのカバーみたいなタータンチェック髪飾りはつけていなかった。


 立ち上がり、そっと振り返った。貴史がふてくされたように後ろを振り返りながら近づいてきた。

 きちんと一度は殴られないとまずいのだろうか。

 絶交されるならばその時なのだろうか。

 廊下に出る前にけりをつけたかった。

「羽飛、あのさ」

 一瞬立ち止まった。貴史はすっと、上総の顔をにらみつけた。言いたいことが満載、頬ばっているようだった。

「殴っていいよ。それだけのこと、してる」

 頭が横にかしいだ。貴史の腕がいきおいよく頭上に飛んで、腕そのもので締め付けられた。首をぎゅっと締められた。じゃれあっている時の格好によく似ていた。苦しくて手をばたばたさせた。

「立村、ほら、早く行けよ。お前2Dの評議だろ!」

 耳もとでささやき、片腕を捕まれて前に突き出された。よろけて美里に激突しそうになり、慌ててバランスを取った。

「貴史あんた何やってるのよ、朝から、変人!」

 大声で叫ぶ美里。こずえがけらけら笑っているのが聞こえた。

「立村くん、ほら、C組もう行っちゃったよ。急がなくちゃ」

 整列チェックをしそびれたのが落ち着かない。C組の最後尾に追いつくため、早足で歩いた。


「自分の中にどういう感情があるか、それをじっと見つめていけばいいんです。君にはいわゆる『ふつう』の人が持っていない、フィルターのかかっていない感情を受け止める能力が備わっています。だから、こうやって来てくれたんでしょう。今度はもっと『ふつう』の人たちを刺激しないような方法を見つけるためのマニュアルを覚えていけばいいんです。時間は掛かるけれど、大切なものを守るためには少しずつ」

 

 狩野先生の言葉がよみがえった。

 『ふつう』の人を刺激しないような方法で、わけのわからないオブジェの転がる世界をどうやって歩いていけばいいのだろう。

 狩野先生ですら、気付いたのは大学を卒業してからだと言っていた。。十年以上もこれから、「フィルターのかかっていない感情」を受け止めなくちゃいけないのか?

 こんなにみんな、いい奴ばかりなのに。


 もう一枚の絵が浮かんだ。かのこさんと一緒におびえてくっついていた三人のA組女子だちだった。二度と戻ってこない覚悟で、青大附中を出て行った。

 上総がこれから覚えなくてはいけないことを、彼女もどこかの中学で、必死に手探りしていくのだろう。


 どんなに菱本先生が涙ながらに訴えても、どこか冷めた気持ちしか残らなかったけれど。羽飛や清坂氏が、俺にあんなひどい裏切りされて、それでも許してくれたのは、正直なところわからない。どうしてみな、そんな風に冷静でいられるのか、わからない。

 いつかは狩野先生のように、俺みたいな奴を受け入れながら、『ふつう』の人と歩いていくことができるのかもしれない。十年以上たったら。きっと。信じよう。フィルターのついていない感情を受け入れられる感覚のままで、いつか羽飛や清坂氏の気持ちを受け入れることができるかもしれない、マニュアルが見つかることを信じよう。

 

 階段を降りる刹那に、A組の狩野先生とすれ違った。軽く頭を下げると、小さく頷いていた。無表情に近かった。


 ただ、これだけは伝えたい。

 あの時、感じた思いだけは本当だったって。

 我、目的を完遂す。

 我、同士を見つけたり。

 わかってくれますか、狩野先生。



                                 終

    


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