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その十三 三日目出発までのよしなごと

1 三日目 朝の目覚め

2 朝食前の様子見と

3 計画実行第一段階

4 計画実行第二段階

5 計画実行第三段階




1 三日目 朝の目覚め


 ……まずは運転手さんと二人っきりで話をするチャンスを作ろう。ああ、でもその前に俺の席を替えないといけないや。それの方があとあと動きやすいから。そうなるとあの野郎と隣り合わせになるってことか。むかつくけれど、しょうがない。きっかけはどういう風にしようか。俺と菱本さんとの戦いが激化していることを、うちのクラスの連中はみんな知っているんだろうなあ。ま、それでもいいか。今日一日は黙って頭を下げた振りをしとけばいいか。本条先輩も言ってたもんな。なんてったって、「泣き落とし」が効果的なタイプだもんな。ああ忘れてた。狩野先生たち、その時間にちゃんと、美術館にいるつもりなんだろうか。もし俺が抜け出していって見つからないうちに、菱本さまご一行と遭遇したなんてことになったら間抜けすぎる。どうにかして、俺が先に見つけ出さなくちゃいけないんだ。さてどうするか……。


 三日間、好天に恵まれたということになるのだろう。目覚めてカーテンをすかした光はまばゆかった。隣りで寝ている貴史はあお向けでいびきを描いていた。上総は時計の文字がまだ五時半ということを確かめた。顔がべたべたするのは昨夜顔を洗わないで寝たせいだろう。気持ち悪くて、なんとなく焦げ臭いにおいがした。着換えも忘れていた。めんどうだけどシャワーをあびてすっきりしたかった。

 枕元には手帳が閉じたまま置いてあった。読みながら眠ってしまったらしい。貴史が部屋に戻ってきたらしい気配は感じたけれど、答えられぬままだった。どのくらい盛り上がったのだろう。考えてみると貴史とは今回、一度もオールナイトで語り合っていない。からかわれないですんだのが楽だった半面、ちょっとだけ申しわけない気もした。


 シャワーを浴びて制服に着換えた。猛烈に腹がすいていた。南雲とわけたクッキーをかじりながら、ネクタイを締めなおした。死にそうな状態でふらふらしていた一日、二日目と違い今日は全身に気合がみなぎっているような気がした。なんでも今日なら出来そうだった。数学の宿題にも取り掛かれそうだった。古川こずえとの「朝の漫才」もするどいつっこみができそうだった。

「あれ、立村、もう起きてるのかよ」

「ああ、なんか暑くてさ」

 寝返りを打ちながら貴史は上総の方を見た。

「お前どっかに行っちまうから、俺とかが探してたんだぞ。何してたんだよ」

「悪かった。ちょっとうちに用事があって電話してたんだ」

 本条先輩の名前を出すとつっこまれた時言い訳できない。ごまかした。

「ふうん、お前もしかして、もうひとりの彼女に電話してたんじゃねえの?」

「もうひとりって、誰だよ?」

 尋ね返した。

「ほら、一年の、やたらと胸のでかい子。ほらほら、評議委員会の」

「ああ、杉本のこと言ってるんか? 違うって。俺、そんなに器用じゃない」

 さらっと流してから気が付いた。

 そうだった。情報を流してくれたA組男子評議委員、本条先輩、それと杉本梨南に土産を買うことを忘れていた。「もうひとりの彼女」なんてことは絶対無いけれど、一番ひいきしている一年の女子評議委員であることは確かだった。財布の中身が電話代でほぼからっぽになってしまったことにも気が付いた。

「羽飛、悪いんだけどさ。借金申し込んでもいいか?」

「へへ、どうしたんだよ。立村金持ちのぼんぼんの癖して」

「どこがだよ。俺の財布の中身、見せてやろうか? 一円玉と五円玉のオンパレードだ」

 見たがってもいないのに、わざわざ財布の小銭入れを開いて見せてやった。

「ほんとだ。白い小銭ばっかりだ」

「だろ。でもさ、評議委員会に土産買わないと、俺は明日の太陽拝めない」

 ぎゃはは、と体をひねらせながら貴史は笑い転げた。

「そっかそっか。分かった。五百円だな」

 ねそべったまま財布を捜し、五百円硬貨を差し出した。

「ありがたい。始業式の日にちゃんと返すよ」

 黄葉市限定のキャラメルが売っているというのを父から聞いていた。二百円くらいだったはずだ。それを二箱買っておこう。



2 朝食前の様子見と


 七時。朝食のため食堂に集合した。集まりが遅い。

 さっさと座って、箸をつけるのを今か今かと待ちつづけていたのに、なかなか揃わない。

 一度よそってもらった味噌汁を、一度戻して待っていた。

「何時までゲームやってたんだよ」

「二時過ぎまで騒いでたぜ。俺は途中で抜けたけど」

「なあんだ、羽飛だって人のこと言えないくせにな」

 ちょっと意外だった。枕もとで声をかけてくれたのはやはり貴史だったのだろう。もう一人の「立村くん」と呼んだ相手が誰だったかのかは聞きそびれた。なんとなく見当はつく。でも言ってしまうとかえってまずいことになりそうだった。貴史の方も、それ以上は何も言わなかった。時計をちらちら見ながらぽつりと「腹へったあ」とつぶやくだけだった。

 上総が一番気になっていたのは、南雲と奈良岡のカップルがどういう顔をして入ってくるかだった。

 結局南雲と落ち合っただろうか。確認できなかった。二時過ぎまで菱本先生が部屋で騒いでいたということだと、よっぽどのことがない限り、二人のランデブーは気付かれていないはずだ。

 なぐちゃん、どうだったんだろう。

 あとで定期入れ、チェックだな。

 

 眠気の覚めない顔で、女子グループがまとまって入ってきた。

 くぐもった声で「おはよう」と声を掛け合うものの、返事を期待していない風だった。なんだか昨日から女子の様子がおかしい。美里に早い段階で聞いておけばよかったと思う。例の大喧嘩をやらかした関係でわからずじまいだった。貴史に相談すれば、うまくとりなしてくれるのだろうが、プライドがある。そんなのいやだ。

「おっはよ! あんたら早いねえ」

 わざわざ上総たちの後ろを通り過ぎていくのが美里とこずえだった。おおよその女子グループとは別行動だった。こずえのあねごっぽい口調にちょっとほっとした。変わっていなかった。

「頼むから早く座ってくれよ。おあずけ食って死にそうなんだ」

 つんとして無視したままの美里。視線をそらして上総はこずえに返事した。

「へえ、おあずけねえ。そっかあ、美里にもおあずけ食ってるんだもんねえ。朝からそんなにむらむらしていてどうすんのよ」

 来た。いつものパターンだ。

「古川さん、目の前に食べ物が並んでいるのを二十分間じっと見つめている俺の立場を考えてほしい。飢えてるんだって」

「なあにが飢えているのよ。ま、わかるけどね。二人っきりになるチャンスがいくらでもあったのに、なーんもできなかったあんたの気持ちもね」

 話がかみ合っていないのはいつものことだ。

「ばかばかしい。とにかく早く座れよ」

「まったく、あんたはガキだねえ」

 隣りで貴史が笑いをこらえている。うつむいている。鼻先が卵の殻にくっつきそうなほど、テーブルに顔を近づけている。卵をひょいと奪って、上総は自分の皿に乗っけた。何も言わない美里の後ろ髪をちらっと見た。髪型は昨日と同じだった。同じ柄のドアノブ風髪飾りだった。

「あのな、立村」

 卵を取り返した後、貴史がささやいた。

「本当に昨日の夜、気付かなかったのかよ」

「何がだよ」

「あいつ、お前のまぬけ面見ながら、しばらく部屋にいたんだぞ」

「いたって、どこにだよ」

「まだ気付かねえのかよ」

 あきれたように貴史は卵の殻を少しずつはがし始めた。

「古川の言うこともまんざら嘘じゃねえなあ。お前って肝心なところでチャンス逃してるんだぜ。少しはスタミナ蓄えろっていいたくなるなあ」

「チャンスって、なんだよ。まさか、おい」

「たぶんお前が今考えてることと一緒」

 頭の中にもう一度、声がよみがえった。

 ……立村くん。

 まさかあの時。

 上総は前の方に座っている美里に視線を向けた。

 他の女子としゃべりながらご飯を盛っていた。制服姿で襟元のリボンが揺れていた。誰かの分を渡すためかぐるっと見渡した時に視線がぶつかった。

 目で訴えるしかできない。上総は一瞬だけじっと見つめ返した。すぐにそらした。しょうゆを小皿に注いでいるのに集中しているふりをした。


 南雲はやはり最後だった。奈良岡とは別々に来たようだった。

 相変わらずさわやかな顔をしていた。いつもよりも髪型が艶やかだった。額をオールバックにしているのは初めて見た。女子の一部が

「髪型変えてるよ、かっこいい!」

とつぶやいているのが聞こえた。

「どうした南雲、今日は決めてるなあ」

 いつのまにか来ていた菱本先生が、感心したような声を上げた。この先生、南雲には甘い。

「すんません。気分を変えたかったんですよね。どうっすか。似合いますか」

「別に似合わんとは言わないが、これでまた他の女子にきゃあきゃあいわれるな」

「罪な男ですみません」

 側で

「彰子ちゃん、惚れ直したでしょ!」

とつぶやく声がする。よく耳を傾けると、こずえのようだった。奈良岡はこずえの肩を軽く叩いて、たしなめるような表情を見せた。気持ちがわかる。上総はそれ以外の何か変化がないかどうかを観察してみたが、見出せなかった。

「では、これで全員揃ったな。では、いただきます!」

「いただきます」

 もう何も考えず、生卵をかけて、海苔をつけ、ご飯をかきこんだ。隣りの貴史がけげんそうな顔をしているが、そんなの関係なかった。こんなに気持ちよく食べられるのは久しぶりだった。おかわりまでしてしまうくらいだった。よそった時にまた美里と目が合った。



3 計画実行第一段階


 他の連中がどう思おうが関係なかった。

 シャワーを浴びて頭をすっきりさせた時から、この日だけは勝負をかけようと決めていた。一眠りしたせいか案は頭の中に溶け込んでいき、目覚めと同時に完成していた。

 キーワードは「演技」。

 あの本条先輩が、恥をしのんで運転手さんを泣き落としたらしい。残念ながら詳しい状況は理解できなかった。相当追い詰められていたらしいし、本条先輩は手段を選ばないだろう。

 手段を選んではいけない。

 停学になるやもしれぬ方法を取るなんて、正直なところ、怖い。

 本条先輩には強がってみせたけれど、もし退学になったらと思うと、体が震えてくる。

 公立に戻されるのだけは嫌だ。

 貴史、南雲、美里たちから相手にされなくなるかもしれない。上総の感じていることを理解してくれないだろう。きっと夜空の星を素直にきれいだと感じる人々だ。恐怖のあまり部屋から逃げ出してしまった上総のことを笑うかもしれない。

 それ以上に、こんなことをしようだなんて、思う上総のことを軽蔑するかもしれない。そう思える自分だったら、きっと楽だったろう。

 今の上総はそうできなかった。

 貴史、美里たちよりも、顔を知らないA組の女子の感情の方がずっと近かった。きっと針山のような星で突き刺される恐怖を感じているに違いない。針には絶対になりたくなかった。

 戦いだ。

 お茶をすすり終わった後、菱本先生の方をちらりと眺め、つぶやいた。

 

「先生、いいですか」

 ごちそうさまの挨拶寸前に、上総は立ち上がった。

「どうした立村。もうすっかり元通りになったようだが」

「提案があるのですが」

 文句を言いたいのかとばかり、菱本先生はげんなりした顔を見せた。

「もうお前のわがままは聞かないぞ。とにかく、明星美術館に行くのは決定だ」

「それではありません。今日のバス、乗る時の座席なんですが」

 一呼吸して唇をほんのわずか、開いた。こうすると笑っているように見えるのだそうだ。三十人の面子をさあっと見渡した。美里、こずえ、そして南雲、隣りの貴史、顔を見上げている。

「提案したいことがあります。二日間ずっと同じ席ということもあって、窓際に行きたい人とか、席をちょっと替えたい人とかいると思います。特に昨日は、車酔いで大変だったとも聞いてます。そこで」

 言葉を切って、もう一度菱本先生に頷いた。

「今日座る席を、希望者は好きに選べるようにしたいと思います。もちろん替える必要ないとすれば、そのままでいいんですが、ちょっと窓際に行きたいとか、前の方がいいとか、そういう人がいるようだったら、どんどん替えてください」

 茶碗の音に混じってかすかにざわめいた。

「おいなぜだ?」

 菱本先生は怒っていない。意味がわからないようだった。

「今日も予定変更するってことですから、きっと長時間乗ることになると思います。そうなると昨日体調を崩した人とかは、別の席に座って気分転換したほうがいいと、僕自身が思うからです」

 全く嘘ではない。旅行する時、酔わないようにということで親が配慮してくれたのを覚えていた。

「ほほう、経験か?」

「そうです」

 はたして他の連中はどういう反応かを探ってみた。女子はみな、顔を見合わせて、次に上総の方を見上げて

「何言ってるの? 立村くん」

という感じだった。そんなのはどうでも良かった。次に男子グループそれぞれだが、こちらはむしろ、話を聞いていない奴の方が多かった。席から早く立ちたいのに、といわんばかりに箸を叩きつけている奴もいるし、あくびしているのも。最後に隣りの貴史を見た。うさんくさそうに上総を見上げて一言、

「そんなに俺から離れたいのかよ、淋しいぜ」

 あえて笑顔で答えたい。

「羽飛には淋しい思いなんてさせないから、安心しろよ」

「けっ! 気持ち悪いこというよなあ」

 結論。みんなどうでもいいってことらしい。

「菱本先生、いいですか」

 菱本先生も面倒くさそうに答えた。

「ああわかった。どうせみんなそんなことどうでもいいだろ? まあ、変わりたい奴がいたら、変わればいいし、別にそのままでよければそれでいいぞ。さ、さっさと出発準備しろよ」

 大きな声で一斉に「ごちそうさまでした」の挨拶をした後、一気に椅子のぶつかり合う音がはじけた。上総の提案なんてすでに、ざわめきで消去されたようなものだった。貴史だけが妙にむすっとした顔をしているだけ。上総はさっさと部屋に戻った。忘れ物がないかどうか、あらためてチェックしなくてはならない。計画その一段階は完了した。



4 計画段階第二段階


「たいしたことじゃないよ。子どもの頃から俺、車に酔いやすくてさ。その時にうちの親とか親戚とかが、『同じ席よりも違う席にどんどんかえていった方が車に酔わなくていいよ』って言われてさ。ほら、昨日羽飛が話していただろ? 女子がひどく車に酔って大変だったらしいって。自分でも経験してるけど、あの時の後遺症って結構響くんだ。それならさ、気分変えて別の席にかわったりすれば、今日の長丁場乗り切れるんでないかなって、そう思っただけなんだ」

 私服および、ボードゲームをかばんにつっこみながら上総は言い訳した。貴史のくそ真面目な、

「お前何たくらんでるんだよ。言えよ。言えよな」

 責めるまなざしに耐えかねたというのもある。

「まあな、昨日のバスは確かに修羅場だったからなあ。美里も相当苦労してたし、奈良岡のねーさんも大変だったようだしな」

「奈良岡さんもって」

「ほら、言ったろ。女子がトイレがやばくなって降りたがってたって」

「ああ、そんなこと言ってたな」

「そんとき、ねーさんがいろいろ面倒みてやってたみたいなんだ。さすが保健委員。美里は前だろ? 連絡取り合ったりしてたんだ」

 あまり深いこと聞いてはいけない内容のようで、上総はそこで打ち切った。

「どちらにせよ、きれいなネタじゃないよな」

「席を替えたい奴は替えればいいけど、まさかお前、俺から離れたいなんてそんなこと言わねえよなあ。俺とお前は、入学式からの長い付き合いだろ? な、わかってるよな」

 ぐいっと、片腕で首を締め付ける貴史。苦しくて外そうとしたけれどなかなかうまくいかない。腕力は貴史の方がはるかに上だった。降参の意、三回ベットを叩いた。

「まいった、やめろって」

「じゃあ、本当のことを言えよ。何たくらんでるんだ?」

 呼吸が楽になったところで、上総はふたたび笑顔をこしらえた。

「実はさ、ちょっと今日中にやりたいことがあってさ」

「へ?」

「絶対に言うなよ。羽飛、お前だけに言うんだからな」

「なんだよなんだよ」

 手帳の中に用意してある秘密の計画だった。第二段階突入ゆえの演技その二だった。


「もう羽飛にはばれてるからしかたないけど、俺と清坂氏とのこと、もう聞いてるだろ」

「そりゃあ、あれだけ騒げばなあ」

 コースターをしまうのを忘れていた。手に取ったままもて遊び、続けた。

「なんとか、始業式までにけりをつけたいんだ」

「けりつけるってなんだよ。まさかお前ら……」

 別れたいとかいうんじゃ、と言いたげに顔をしかめる貴史。違う違うとゆっくり首を振った。

「その反対。向こうの考えが、正直なところ俺は読めない。よりによって古川さんを通して誤解が誤解を招いているところもあるみたいでさ」

「まあなあ。女子の間ではすごいことになっているはずだなあ」

「もっと言うなら、清坂氏と一番仲がいいのは、古川さんだっていうのもまた確か」

「うるせえ同士、全くだ」

 ここで上総は声を潜めた。真剣そうに見えるよう、目に力をこめた。両手でコースターをつまんだ。

「羽飛、悪いけど俺と古川さんを隣同士ってことにしてもらえないか」

「なに?」

 響くすっとんきょうな声。絶対隣にいる菱本先生にも聞こえているはずだ。今度は上総の方が肩から貴史の口をふさぐように抱きついた。

「で、俺がいた席には清坂氏を置いてってことにしてもらいたいんだ」

「美里とお前が席を交換ってことか。お前、いったい」

「俺は今日一日使って、古川さんにごますって、なんとか無事にうまくいくよう頼むつもりなんだ。あの人ははっきり言って、俺の『姉さん』だしな。そこで羽飛もうひとつ、頼みがあるんだ」

「なんだよ」

 片腕で貴史の首を抱えたまま、上総はさらに耳もとにささやいた。

「あとで本当に謝るつもりだから、それまでうまくごまかしてもらえないかな」

「お前が悪いってか」

「まあいろいろあるんだけど、今、話すとまたどろ沼になりそうでさ。車の中だと帰って話がわけわかんないことになりそうなんだ。俺もそこまで、ひどいことしたくない」

 上総の耳もとに聞こえるのは、貴史の呼吸する鼻息。ぎゅっとさらに締め付けた。

「な、頼む。一生の頼みだ」

 さっきの上総のように離せと騒いだりはしなかった。黒目がちろっと動いたのを見た。腕に噛み付く真似をして、ゆっくりと手首から外していった。ぎゅっと握ったまま。

「ったく、だから昨日お前、起きてればよかったんだよ。美里、ちゃんとここで外見ながらしゃべってたんだぜ。ほんとにふたりっきりで、しゃべればよかったんだぞ。全くお前ら、かみ合ってねえよなあ」

 握った腕を軽く振った。

「しかし、なんで三日間、美里とばっかり俺がしゃべってねえばなんねえんだよ」

 OKのサインだった。げらげら笑いながら、ベットの上を転がってじゃれ続けた。


5 計画実行第三段階


 部屋の中でふたり馬鹿やったのは旅行中最初で最後のような気がする。目的を達した後、さっさと鍵を持って出たのが九時近くだった。みなきちんと制服姿に戻っているのが、いかにも学校行事という感じだった。かすかにせみの声が聞こえる程度で、夏用の長袖ブレザーを羽織っていても暑苦しくない。空にうっすらとうろこ雲が延びていた。理科の授業で確か、天気が悪くなる前触れだと聞いたことがあった。縁起悪い。貴史以外のクラスメートと一緒に、来月封切りの洋画情報についてしゃべっていた。アクションものらしい。九月に入ってから一緒に行こうという話にまとまった。

「全員揃ったか? 立村、勘定してみろ」

 美里の方をあえて見ないまま、男子の肩ひとりひとりに手を置いて、十五人全員揃っていることを確かめた。女子の方はすでに点呼が終わっているらしい。

「忘れ物ないな? じゃあ、最後に、ホテルのみなさんにお礼の言葉、さん、はい!」

「ありがとうございました!」

 ロビーで派手な声を張り上げるのもどうかと思うのだが、菱本先生をこれ以上不快にさせてもいいことないので、指示に従った。笑顔で送り出してくれたスタッフの方々に頭を下げた。外に出た後、もう一度振り向いて、今度は自分から質問を投げかけることにした。

「ところで、席を替えた人ってどのくらいいるか?」

「そんなのどうせ、乗っちまってからでいいだろ」

 理由を知っていると思っている。貴史がたしなめるような口調で言った。

「ああそうだな。じゃあ乗っちゃうか」

 ずっと気になる美里の方に視線を投げた。相変わらず冷静なまなざしで上総の方を見ていたようだが、

「じゃあ、女子で後ろの方に行きたい人から先に乗ってね」

 と声をかけた。昨日のゲーム大会に参加しなかった女子三名ほどが、先にバスへ乗り込んでいった。続いてどんどんばらばらに乗り込んでいく。最後に美里、貴史、上総、こずえの順に入ろうとした。決まっているとおりの席に付こうとした時、貴史がいきなり美里の腕を軽く引っ張った。

「なによ、貴史、どうしたのよ」

「お前は俺の隣りに来い。立村のいた席だ」

「え? どういうことよ!」

 慌てるように貴史、こずえ、最後に上総の顔をにらみつけた。かなり怖かった。話をすると泥沼になるのは目に見えている。上総は素早くこずえに振り向いて、もう一度笑顔をこしらえた。

「と、いうわけで。悪いんだけど、隣りに行ってかまわないかな。古川さん」

「は? 立村、あんた何考えてるわけ、美里を取られたから、だからなに? 私を身代わりにしようって奴なの?」

 混乱しているこずえの様子が手にとるようにわかった。複雑な気持ちを押さえられないのも想像がつく。同じ席替えだったら、美里と上総、こずえと貴史、このパターンであってほしかったのだろう。気持ちはわかる。でも、そうするわけには行かない。

 とことん、やるしかない。

 演技だ、演技。

 怪しまれないように。

 たくらんでいるように見られないように。

 貴史にだけわかるように頷いてみせ、上総は昨日まで美里の座っていた窓際の席を陣取った。運転手さんに笑顔のまま挨拶をした。相変わらず煙草の箱は脇に積んであるけれども、やはり温かい笑顔のままだった。

「今日も一日、よろしくお願いします」

「体調、大丈夫ですか?」

 誰かが上総のことをしゃべったらしい。頬が赤くなりそうで、うつむきながら、早口に答えた。

「すみません。大丈夫です」

 隣りでむっとした顔のまま缶ジュースを取り出したこずえに、上総は手持ちのキャンディーを取り出した。まずはご機嫌伺いだった。

「まあ、こういう機会でもなければ、古川さんとふつうの会話もすることはないからさ」

 赤いドロップを片手で受け取り、こずえは口にほおりこんだ。

「立村、あんたさあ、美里とけんかするのはいいけれど、私の方まで害を及ぼさないでよね。まさかあんたさあ、美里にやきもち妬かせようという、女々しいこと考えてるんじゃないでしょうねえ」

「なわけないだろ。ばかばかしい。俺は単に、古川さんともっとお近づきになりたかっただけであって」

 必死に笑顔で接する上総だが、なかなか難しい。ようやく通路の席に菱本先生が乗り込んできた。前の四人が面子交代ということで、思わずたじろいだ様子だった。

「おい、立村、お前今度は古川にのりかえたのか?」

「そういうわけではないです。気分転換です」

 冷静沈着、演技だ演技。

 心中繰り返す呪文のような言葉。

「それで、こちらはいつものおふたりさんか」

「先生、何また誤解してるんですか! 何考えてるのよ貴史! あとで白状しなさいよ。なんであんたと最後の最後までくっついてなくちゃいけないのよ」

「まあ、それは最後にわかることだろ。な、立村」

 へらへらしながら貴史が上総に語りかけてくる。上総と貴史が一緒にたくらんだということに気付かれてしまったようだ。美里が目を三角にして貴史にまくし立てている。あえて上総の方を見ないのは美里の意地か。誤解されているとはいえ貴史には心から感謝しなくてはならない。なんとかして美里と仲直りしたいから、あえてそういうまどろっこしい手段を取ったのだと、勘違いしてくれている貴史。

 

 でも明日から、絶交されるかもな。

 当然のことを俺はしているんだ。

 後悔なんてしない。絶対に。

 走り出したんだから。

 

 上総はこずえの方にゆっくりとネタを振り始めた。

 こうなったら、「朝の漫才」であろうが、「夜のおかず」であろうが、なんでもいい。とことん付き合おう。

「あのさ、古川さんの弟って、そんなに俺に似ているか?」

 時が来るまでは。

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