その十 クラスミーティングのよしなごと
1 女子評議委員からの指摘事項
2 タータンチェック
3 三日目予定変更に関する質疑応答
4 二日目夕食後の企画提案
その十 クラスミーティングのよしなごと
1 女子評議委員からの指摘事項
クラスミーティング開始ぎりぎりに二人大広間に下りていった。すでに全員揃っているようすだった。みな、上総のように神経を使う出来事がそうそうなかったのだろう。三十分の間に内線電話を二回もかけてしまうなんて、普通ないだろう。貴史と一緒に入っていくと、あんざしている連中が手招きしながら場所を作ってくれた。上総、よりも貴史の顔だろう。男子と女子の坐るところは双方に分かれていた。どことなく、空気が重たい。ちょっとだけよそよそしい。こういうときにはわかりやすい、南雲と奈良岡のカップルをチェックするが、あの二人は別だということを再認識するにとどまった。相変わらずにこにこ笑いかける南雲に、困った顔して「ちょっとおとなしくなりなさいよ」言いたげにうなづいてみせる奈良岡。なんだかんだいって、この二人は最高の組み合わせなのだろう。
美里は相変わらずつんと向こうを向いたままだった。髪の毛を小さくまとめておだんごにしていた。戸口のノブにカバーをかけたような感じだった。上総は無理やり視界に入るよう、わざと隣を通り過ぎた。ぴくんと、肩を振るわれたように見えた。ぺたんと座り込んで、こずえの方を見ながら口をとがらせていた。ほとぼりがさめるまでにどのくらいかかるだろう。隣のこずえがにやにやしながら上総を見上げ、
「まったく、あんたってばほんっと、ガキよねえ」
意味ありげにつぶやく。誰もいなかったら手帳ではたき倒してやっているだろう。
「これで全員揃ったか。おい、立村、もうだいぶよくなったか?」
菱本先生が斜め前の上総に穏やかなまなざしを向けた。
「もう大丈夫です。心配おかけして申しわけないです」
ちっとも申しわけないと思っているような口調で上総は答えた。相手にも伝わるように、視線をそらしたままで答えた。気付けばいい。そのくらいしないと、この先生には分かってもらえないだろう。
「そうか、少しは機嫌よくなったか。せっかくだから他の連中の土産話を聞いておけよ。ほら清坂、今日の反省を簡単でいいから、言ってみろよ」
美里に話を振った。上総との大喧嘩を知らない他の連中が拍手する。
「ほら、あんたのダーリンに教えてやんなよ!」
はたしてどうでるか。上総は片手を握り締めた。貴史がにやにやしながら覗き込んだ。
「さて、美里はどう出るか、だな」
機嫌は直っていない様子だった。美里はちらっと上総と貴史の方を見た後に、ゆっくりと菱本先生へむきなおった。
「今日の反省なんですけれども、まず、みんなに言いたいことあります。ちょっとだけいいですか?」
雰囲気が「反省」色ではない。
「なんだ、いきなり硬いなあ。清坂どうした」
「いいんですけど」
美里はもう一度、上総の方をぎゅっと見つめ直し、立ち上がった。
「今日の予定はかなりきつかったんじゃないかなって思います。先生、どうして最初からの予定で通さなかったんですか? なんでいきなり、予定を変更して、山めぐりなんかしたんですか? すっごく私、納得いきません」
意味がわからない。上総は貴史をつついた。
「どういうことだ? 予定変更ってさ」
「あのなつまり」
貴史が説明する前に、美里がどんどん話しつづけていた。
「私たちが立てた予定では、黄葉町の古い街並みを散歩した後で、それぞれがそれぞれのお店で食事をして、その後で公園に行くことになってましたよね。ちょっと予定、少なすぎるかなって思ったけど、無理するもんじゃないって言われたからそうしたんです」
それを進言したのは上総自身だった。大きく頷いた。
「でもなんで、公園を回った後で「今度は予定変更して、遠回りして帰ろう」って言うことはないんじゃないですか。運転手さんも困ったと思います。それに、普通の時間だったら平気な人でも、二時間も多くバスの中にいるなんてことになったら、困る人だっています。車に酔った人があんなにいたのはそういうことだと思うんです」
美里の言葉をつないでみるに、どうやら菱本先生のワンマンぶり発揮により、予定がかなり変更となり、バスの中では修羅場になってしまったようだった。女子の一部が大きく頷いた。
「黄葉町はいろんな見所あるって聞いていたし、私も友達同士で行くんだったらもっとたくさん回れたかもしれないって思います。でも、人によっては疲れている人もいるし、バスにあんまり乗っていたくないって人もいるといます。私、この前本で読んだんですけど、山登りする時は一番体力のない人に合わせろって書いてますよね。うちのクラスで一番体力がないのは」
ふたたび上総の方を見たが、それ以上何もいわずに続けた。
「そういう人に合わせて作ったのが、今回の計画だったと思うんです。みんなが楽しいって思えるようにしたかったからなんです。でも、余りにも無理がありすぎたって私は思うんですけれども。みんな、どう思いますか」
菱本先生は腕組みをして考え込んでいた。答えに苦しんでいるのだろうか。上総はじっと美里の顔を見つめていた。何かテレパシーのようなものがあれば、送ってやりたいのに。その通りだ、そうだよそうだよ、と言ってやりたかった。他の連中はというと、ざわざわと
「だわな、あれはきつかったわな」
「でも女子だけだろ、騒いでたのってさ」
「俺、車に強いから平気平気」
の連呼。女子は、口に出さないものの何かを感じたかのようにうつむいていた。奈良岡彰子が、女子の数人に頷いて笑顔を見せた。
「菱本先生、私としてはこれだけ言いたいんです」
美里は首を軽くかしげて締めた。
「いきなりの予定変更はやめてください。もし明日、予定変更したいんだったら、今、この場で決めちゃってください。みんな、心の準備があるんです。女子の場合、特にいろいろ大変なんです」
その通り、と上総が頷いているのに気付いたのか、美里はもう一度視線を向けた。ぎゅっと唇をかんだまま、頷き返してくれた。
2 タータンチェック
「おい、立村、お前のキーホルダーの柄、覚えてるか?」
視線を交わすだけでの意思疎通をしている最中に、貴史が割り込んだ。
気を剃らされていらだたしく上総は答えた。
「タータンチェックだってくらいだよ。覚えてないよ」
「お前、自分の相手が何くれたかぐらい覚えとけよ。ほら、美里の頭見ろ」
「頭?」
お団子に丸めた髪型のおかげか、輪郭がすっきりして、和服を着る人に近い雰囲気が感じられた。橙色のチェックワンピースがなんだかそぐわない。なんとなく、色合いがずれているように思ったのは気のせいだろう。
「ほらほら、後ろの丸っこいところ、何か見覚えないのかよ」
ポケットを探り出した。握り締めていた後どこにしまったか忘れていたけれど、ちゃんと出てきた。なくさないでよかった。
「これとどう関係あるんだよ」
グリーンのタータンチェック模様。柄のつるつるしたところに目を走らせ、改めて美里の髪形を確認した。次の瞬間、ポケットにキーホルダーがちゃりんと落ちたのを感じた。
なんで。
なんで俺は気付かなかったんだろう。
変なところで鈍感なんだよ、全く。
「だろ、すっかり機嫌直してるだろ。あいつ」
拳骨で腕をとんとんと叩きながら、貴史がささやいた。
髪のお団子を包んだアクセサリーは、同じグリーンのタータンチェック模様だった。そっと手の平に隠して確かめてみる。同じ、黄色い色合いが混じっている柄だった。
「そういうことか。あいつ、露骨にペアルックするのが嫌だったんだな。で、さりげなく、おそろいを狙ったってわけかあ。な、立村。嫌いな奴に、普通そういうこと、しねえよな。するわけねえよな」
口にはしない代わり、再確認していた。
美里の髪型は、三十分前に見た時とは異なっていた。
たぶん、大喧嘩した後に、髪型を直したのだろう。
あえておそろいの髪飾りをつけてきたっていうことは。
「なあに一人で真っ赤になってるんだよ。ほんっと、立村ってばポーカーフェイスしているくせに、純だよな」
よかった。本当に、よかった。
上総は立てていた膝を替え、小さくため息をついた。
3 三日目予定変更に関する質疑応答
菱本先生がやがて反省したのか、発言をした。
「わかった。悪かった。今日はお前たちにかなり無理させたってことだな。黄葉町というのは、奥の方に行けば行くほど、雰囲気が秋らしくなってきていいと聞いていたから、お前たちにも一度見てほしかったんだ。でも、やはり無理はできないな。わかった。清坂。いきなりの予定変更はしないよ」
美里に近づいて、軽く頭を撫でた。ぞっとする風に美里は頭を振った。
「先生、辞めてください。手、洗ったんですか」
「そんな嫌な顔するなよ。愛情表現だぞ」
側で、
「美里だったら別の相手で愛情表現してもらえるもんね」
と声がかかる。坐ったままで足蹴りをしている様子だった。上総は知らん振りを決め込んだ。
「じゃあ、清坂の反省を元に、明日の予定を立てたいんだが、いいか」
返事はない。みなうつむいて暇そうに指遊びをしていた。美里の言う通り、本当に疲れていたのだろう。貴史をつついて指差してみると、外国人のように肩をすくめていた。そうとう、ハードなバス道中だったに違いない。
菱本先生の発言はさらに続いた。
「今日、たまたま食事をしたところで、A組の狩野先生と顔を合わせたんだ。羽飛、お前たちも一緒だったから分かるだろ」
隣の貴史は「はい!」と元気に手を上げて立ち上がった。
「なんか、臨時の合宿してるって言ってたよな、先生。女子三人連れててさ、まるでデートじゃねえかってさ」
「おちゃらけるなよ。とにかくだ、狩野先生が言うには明日、美術館に寄った後に帰ると話していたんだ。偶然だなあ。僕たちが昼飯食べるところがすぐ側なんだ。立村、そうだったな?」
頭の中にインプットしたしおりをさらさらとめくり、上総も答えた。
「はい。十一時に羽原公園にて写真撮影と昼ご飯を食べる予定にしてあります」
「羽原公園から少し離れているんだが、その近くなんだよ。明星美術館は。狩屋先生もその三人と一緒に美術鑑賞をした後、青潟に戻るらしいんだ」
話が読めず、上総は何度も貴史の腕をひっぱり説明を求めた。しかし全く相手にしてくれなかった。
「せっかくだったら、そんな少ない人数でちんまりやるよりも、大勢で盛り上がった方がいいだろうということで、思い切って場所を羽原公園から、直接美術館に行くというのはどうだろう? どうだ、みんな?」
つまり、菱本先生は三日目の予定「羽原公園にて食事プラス写真撮影」を今のうちに変更し、「A組女子三名プラス狩野先生」と一緒に明星美術館にて合流したいらしい。
べつにいいんじゃないかとは思った。羽原公園にどうしても行きたかったわけではない。ただ帰り道、弁当屋さんがたくさんあって、食べるに困らない場所ということで決めただけだった。運転手さんには申しわけないと思うけれども、その辺は臨機応変にやってくれるんじゃないだろうか。
上総はぼんやりと聞いていた。さらに続いた。
「だが、ここで問題なんだが」
言葉を切って、ぽりぽりと頭をかいた。
「狩野先生アンド女子三名にまだ、その話をしていないんだなあ。実は」
だって、昼に会ったって話したばっかりじゃないか!
貴史の背中を思いっきりひっぱたいてこちらを振り向かせた。
「なんだよいったい。菱本さんの話聞いてりゃわかるだろ」
無視だ。全く頭に来る。
「一応、お誘いはしてみたが、狩野先生は遠慮深いというかなんというか『無理なさらないで結構ですよ』とのことだったんだ。でもな、せっかく近くに来るんだしな。大勢で盛り上がる方が楽しいだろ。な、羽飛」
貴史に相槌を求める菱本先生。上総の方は一切無視だ。
「うん、まあ、そうだよな。先生、じゃあいきなり抜き打ちで誘うのか? 女子三人も」
「そうだよ。たった三名での宿泊研修なんて淋しいだろ。だったら、2Dのあったかいメンバーと一緒に楽しいひと時を過ごしてもらうほうがいいだろ。もし羽飛だったらどう思う?」
首をひねりつつも貴史は賛成の印に両手を上げた。
「やっぱし、淋しいのは可哀想だよなあ。俺、A組のことよくわからんけど、でも、せっかくだったら先生の言う通りに美術館直撃、賛成だなあ」
「じゃ、拍手で決めよう。賛成のもの、拍手をどうぞ」
菱本先生の案は確かに面白い。
でも、どこかがひっかかった。咽の小骨が取れなかった。
どうしてかわからない。上総は一人で首を振った。
違う、何かが違うよ。
拍手可決が終わるまえに何かを言いたかった。
「いいですか、菱本先生」
向き直り、上総は正座しなおした。手を動かそうとしていた菱本先生は、片目だけきっとにらみつけ、すぐにもとの笑顔に戻して返事した。
「なんだ立村、また何かあるのか?」
「いいえ、質問をいくつかさせてもらっていいですか」
「ああ、わかることだったらなんでもいいぞ」
息を大きく吸い込み、まずはひとつめの質問をかました。
「なぜ、A組の女子三人だけ、別の日に宿泊研修を行うことになったんですか。それなりに事情があるんではないかと思います。確か僕が聞いているところですと、A組の宿泊研修は先週の月曜から水曜だったはずです」
「そうだ、立村の言う通りだ。でも、どうしても出られなかったらしい。お前宿泊研修出られなかったら淋しいだろ?」
「狩野先生は、一緒にやろうっていうのを断ったんですか」
「ああ、でもな、立村。狩谷先生はおだやかな人だから、気を遣ってくれたんだ。いきなりA組の奴が入ってこられると迷惑なんじゃないかってな。でもそんなことないだろ。2Dの連中は、そんな心の狭い奴らばかりじゃないよな」
賛成、と叫ぶ奴がいた。近くにいたら頭をはたいてやりたかった。
暴力行為にはいたらず上総は質問を続けた。
「もし、A組の人が一緒に入りたがっているならば僕は全く問題がないと思っています。でも、狩谷先生はそうしたくないとおっしゃられているということですから、それは無理にすることないんじゃないでしょうか」
努めて穏やかに伝えたはずだった。
青大附中2年D組評議委員としてのプライドを持って。
「そうだな、立村。お前はそう思うだろうな」
つぶやき加減に聞こえた。まずい、菱本先生に火をつけてしまったらしい。 上総は身構えた。片膝を立て、じっと菱本先生の顔を見据えた。視線がぶつかり合った。相手は目をそらさなかった。意地で上総も見つめ返した。
「だが、よく考えてみろ。すぐ側に同じ学校の、同じ学年の奴らがたくさんいるのに、たった三人で食事をしなくちゃいけないA組の子達のことも考えてみろ。淋しいぞ」
「どうして淋しいと決め付けられますか」
目が壊れそうなほど力が入っているのが分かる。膝に組んだ手も汗ばんでくる。女子の数人が
「また、立村くん言ってるよ」
とささやいているのが聞こえる。空気がまたマーブル状になり体を包んでいるようだった。熱がない分苦しくない。にらみ返せるのが救いだった。
「立村、お前はそういうことになっても淋しくないかもしれない。ほっといてほしいのかもしれない。それは人それぞれだろう。でもな、A組の人たちは本当に立村と同じ感覚を持っているだろうか? みんながみんな、立村と同じようにひとりでいたいと思っているとは限らないんだよ」
普段は挑発に乗らないよう心がけている。
菱本先生相手でも同じことだった。
上総は冷静沈着をモットーに、さらに質問した。
「それでしたらせめて、狩野先生のところに電話をするか何かして、もう一度確認を取った方がいいと思います。いきなり待ち伏せされると、びっくりしてしまい何がなんだかわからないと思います」
「そうだな、お前結構不意打ちされると、パニックになる性格だもんな」
菱本先生の口元に再び、笑みがこぼれた。馬鹿にしているとしか見えなかった。こめかみのところがちりちりいたくなったけれどがまんした。
「だが、狩野先生は今夜、別の家にいるんだそうだ。みんな、知ってるか? 狩野先生の実家な、黄葉町から少し山に入ったところらしいんだぞ。いいなあ、そこで美味しい山菜料理を出してもてなしてやるんだそうだ。いいなあ」
「それならそこに電話すればいいんではないでしょうか」
上総は食い下がった。自分でもわからない。とにかく、やめさせたい、その一念だけがかあっと頭の中に燃え広がっている。どうしてなのかすら見当がつかないのに。
「あのな、立村。お前の方こそ、どうしてそんなにみんなの盛り上がりに水を差したがるんだ? よく見てみろ。D組の連中なんてみな、面白がってるぞ。お前がまただだをこね始めたってあきれてるぞ。本当に、お前、評議委員のくせしてガキだなあ。何が嫌なんだ? 言ってみろ」
周りの空気がせせら笑い混じりにたゆたっているのはわかっていた。いつもそうだった。ロングホームルームの時に上総が壇上に上がり発言している時、菱本先生はいつもあきれ顔で「お前は本当にガキだなあ」というわけだ。かっとなって殴りたくなる。
「別にそういうわけではありません」
「じゃあ、どうしていつも、先生につっかかるんだ?」
答えられなかった。答えはあるけれど、言うわけにはいかなかった。
黙っていると、服従したように見えたのだろう。さっそく拍手での可決に入った。もう何も言えず、上総はうなだれた。唇を血が出るくらいぎゅっとかんだ。
「それでは、もう一度。賛成の連中はみんなで拍手しろ。ほら、立村にもわかるようにな」
周りを見はしなかった。隣で貴史が派手に手を打ち鳴らしている。前の方では美里とこずえも笑いながら指先を動かしている。ほぼ全員の拍手だった。
「ほらみろ、わかったか立村。お前が思っているほどうちのクラスの連中は神経質じゃないんだよ。安心しろ。気配りするのもいいが、いつも余計な心配ばかりして、やる気をそぐ方がもっとまずいことなんだ。少しは勉強になったのか?」
立てた膝を数回軽く叩いた。上総は唇をかんだまま、じっと畳を見つめていた。目を数えたかった。答えるとまたとんでもないことになりそうだった。せっかく身体の調子が元に戻ってきつつあるのに。今度は感情の方が病気になってしまったようだった。
「どうしたんだよ、立村。黙ってればいいのになあ」
「うるさいな」
吐き捨てた。貴史の顔を見るのも嫌だった。
とにかく、あとでこのもやもやが何かを突き止めよう。
何はともあれ夕食後、だ。
4 二日目夕食後の企画提案
ごくっと咽につまったものを飲み込んだ後、上総はもう一度手を上げた。
「先生、もうひとつ、別のことで発言していいですか」
「おいおい、まだかよ」
すっくと顔を上げた。表情を隠した。菱本先生は明らかにうんざりしたようすで上総を手で制した。
「簡単に言えよ」
「違うことです。夕食後の提案なんですが、クラスでボードゲームをやろうという案があるんですが、どうでしょうか。大広間でもいいですし」
そこで言葉を切った。菱本先生の出を待った。確か大広間は食事後、すぐに出て行かないといけないはずだった。
「大広間はつかえんぞ」
「それだったら、提案なんですが、菱本先生の部屋っていうのはどうですか? せっかくだったら、最後の夜だから盛り上がりたいっていう意見もありますし。申しわけないんですが、先生と一緒にというのはどうでしょうか」
感情のこもらない冷たい口調だとわかっている。とにかくむかむかするし、押さえるのもかなりしんどかった。でも、南雲との約束を考えるとここで提案しておきたかった。
「ほほう、俺の部屋でか」
「一番広いし、それに大広間よりも先生の部屋の方が、落ち着くんじゃないですか。もちろんそれは、出入り自由という形をとればいいと思います」
膝を抱えたまま、上総はすらすらとしゃべりつづけた。直前までぶっちぎれそうになっていたのにだ。
「ボードゲームってあるのか? その前に」
「一応、ボードだけは持って来ました。駒はその辺にある色紙でそれぞれが作ればいいと思います」
上総はすごろくを複雑にしたタイプのボードゲームの名前をあげた。プレーヤーが中学に入り、授業、運動会、部活、恋愛の経験をしながら成長していくという、いわば人生ゲームのようなものだった。上総が気に入らないのは、その中に「委員会活動」が一切入っていないことだった。もらいものだから一度もやったことがない。
「なるほどなあ、夕食後か」
「あとで、先生のところにボードを持っていきます。あれだと大勢でもできますし、他の人が別のボードゲーム持ってきていれば、そちらと二分割にすればいいことですし」
息を吸って、上総は周りを見渡した。
「もしあれなら、手を上げてもらいましょうか」
「いや、いい。立村、それ面白いな。みんなでやるのか。たまにはお前も評議委員らしいことを発言するな。少しは大人になったか?」
まぶたを軽く閉じ、息を吸い込んだ。
それなら決をとろう。
「それでは拍手で、夕食後のボードゲーム大会に賛成の人、お願いします」
あっけにとられた格好の連中だったが、いきなり手を打つ奴がいた。ぽんぽんぽんと、リズミカルだった。南雲だった。顔を見ると、相変わらずにこにこと、青空一杯の表情をしていた。つられるように他の男子が一人、二人と手を叩き始めた。そして最後に女子に波及していった。
「よし、決まったな。わかった、じゃあしかたないなあ。ゲームに勝った奴には、なにかご褒美を考えるとするか。よし、わかった!」
単純な人だ、と上総は冷たく見返した。
やっぱり、「みんなで楽しく」が好きな先生なんだ。菱本さんは。