氷姫は知りすぎた
目を合わせた時、運命だと勝手に思った。綺麗な赤い目が私を射抜いて、整いすぎるほど整った顔で笑みを浮かべてくれたから。
だから、運命だとそう思って、勝手に熱を上げて。好きだと、愛してると囁いた。
「愛しています」
「ありがとう…リナリア」
だけど、知っていたんだ。本当は。いつだってあなたのそばは胸が熱くなった。でも居る度に心は冷えていった。
知っていたんですよ、タディオン様。
あなたが私を見てないくらい、知っていました。知っていてそれでもあなたのそばにいたいと思う私は愚かだったんです。その目が好きで、その唇が愛しくて、その熱が私を焦がすほどに熱くて、心を殺していくのを構わないと思うほどには私は彼を愛していた。
タディオン様はきっと私を本心で愛することはない。だって気付いたらもう忘れられない。
王太子妃様を愛しげに見るその視線を見たら、もう、気付かないふりなんて出来やしない。
愛しかった、大切だった。だから、だからと言い訳を続けて、熱に促されるままに溺れて、心が壊れるのも厭わない。
「リナリア、好きだよ」
「私もです」
何度目の嘘か、分かりません。誰よりも嘘が嫌いだったあなたはいつしか自分で嘘を口にするようになった。
目を背けて、私に縋り、私で誤魔化して、そうやって残酷な他者に向けた“愛”を私に降らす。
心が悲鳴をあげていた。
もう、やめてと。
もう、触れないでと。
その手が私を掴む度に心が軋んで、肌が触れ合い慰める度に心が泣いて行く。壊れるんだって分かっていた。いつまでもこんな関係ができないことくらい。
いくら夢見た結婚が目の前にあったって心は荒んでいて。恋愛婚になるはずだったのに、もう、戦略婚とは何も変わらない。お父様に愛する人ができたとすがったあの日が懐かしい。
愚かな、私が憎らしい。
「っ」
解放して欲しかった、もう、こんな拷問のような日々は痛くて、痛くて仕方なかった。好きだったから、愛していたから、だからこそ余計に。
「リナリア、?」
ねぇ、タディオン様
「なにを、して」
私はもう疲れてしまいました。
パキパキと視界の端から凍っていく。床が、天井が、私の横たわる寝具が。彼以外が凍っていく、閉じこもっていく。
「リナリア!」
氷姫が私の呼び名だった。冷たすぎるほどに氷魔法にたけた私のそばには炎王と呼ばれたあなただけがいてくれた。お父様やお母様以外で、初めてそばにいて、愛を囁いて、その腕で私を抱きしめてくれた。
愛しかった。──本当に。
「タディオン様…ごめんなさい」
「リナリア…っ」
私、我慢しました。頑張って、頑張ってあなたの側にいました。私を抱いているのにリサと名をこぼすあなたが憎かった。私を抱いているのに、なぜ、あの人を呼ぶの、そばに居るのは私なのに。
なぜ、あなたは私を見ないの。
愛してくれるというのなら、好きだというのならなぜ、私ではなくあの人の名を呼び、愛しげに熱を持つの。
「もう、疲れちゃいました」
それでも、やっていけると思っていた。それでも結婚すれば変わるのだと。結婚し、子を持てば私を見て、いつかは愛してくれると。帰ってきてくれると。そう、縋っていたんです。馬鹿らしい幻想に。
でも。
でも───。
「愛しております、リサ様」
あなたは無意識だったんでしょう。本心からそう思っているからこそ、王宮にある皇太子様と皇太子妃様の絵をみてそう呟いてしまったのでしょう。
私は知りすぎてしまいました。
あなたを何も知らず、無垢に愛せたならばきっと、私達は良くできた夫婦になれたでしょう。
でも、知ってしまった。
あなたがもう、私を見ることはないのだと、知ってしまった。理解してしまった。そしたら、何も感じなくなってしまったのです。
壊れて、しまったのです。
あなたに愛されたくて我慢を続けた私はもういません。
心を亡くしたバケモノしか、ここにはいません。
足が、腕が、体が、髪が凍っていく。
私は目を閉じる。
もう、いいではありませんか。
あの人を愛し続けてもいいのですよ、タディオン様。一人で、あの人を思い、生きていけばいいではありませんか。
私はもう、疲れてしまいました。
愛することも、待つことも、だから。
壊れた心を抱いて、優しい氷につつまれて眠ろうと思うのです。傷つかずにいれるように、全ての魔力を使って、もう、誰にも触れられないように、壊れてしまった心が溢れないように。
「っ炎よ」
炎が私の氷を溶かそうと広がるけれど、溶けはしない。これは命を凍らした氷だから。命を燃やした炎でなければ溶けないのです。
「さようなら」
「リナリア!」
「あなたのこと、愛していました。本当に」
「っならなぜ!」
「なぜ、とあなたが問うのですね。」
冷えきった心と体。重いまぶたを上げて、タディオン様を見つめ微笑む。涙は出なかった。出るはずもなかった。
泣く心は既に壊れているのだから。
「残酷な、人」
「…どういう」
「どこまでも、無知で、無自覚で憎たらしい人…」
最後ぐらいいいでしょう。壊れてしまった心を哀れんでもいいでしょう。だから、少しだけ教えてあげます、タディオン様。
「あなたはずっとあの人を見続ければいい。もうそばに私はいれませんが。好きに生きれば良いでしょう」
「な、にを」
「───どこまでも残酷な人。報われないその愛があなたの罪でしょう。」
目を見開いて固まる彼を見て私は目を閉じた。
何も、見たくはない。
なにも、感じたくない。
氷の中は…ほら。こんなにも心地よい。
最後の熱が抜け落ちて、そうして私は眠りについた。揺りかごの様な氷の中で。
彼女の氷が溶けるのはいつになるのか。