第四話 流浪(さすらい)の魔道師(ルディウス)
辺境の空は今日も晴れ 4
The periphery’s sky is still fine 4
空のもと林の中に、たゆけくも
仰ざまに眼をつむり、
白き雲、汝が胸の上を流れもゆけば、
はてもなき平和の、汝がものとなるにあらずや
―― 中原中也 ――
流浪の魔道師 Rudius,The Wanderer
【1】
淡水の神・ルバンシャーの月である五月は、その気候の良さで他の月を凄駕する。樹々は新緑に芽え、畑や牧草地も、新たな実り、更なる成長を予感させる。見る者の心を弾ませる、そんな生命力に溢れているのが、ルバンシャーの月、五月である。
来週にフラブール祭を控え、エイフの街は活気づいていた。フラブール祭は、フラブ神話の神々を祀るお祭である。城都など大都市で行われる、細々としたミサのみの祭と違い、辺境では満月の二日間、上を下へのどんちゃん騒ぎが展開される。それは、辺境の信仰が、日常生活とより密接に結びついている事を示すものである。
祭の準備で、エイフの街の中心である「辻」も、いつになくごった返していた。いくつもの露店が並び、食料品から日用品、装飾品や反物をズラリと広げている。これだけの大きな市が開かれるのは、普段であれば月に一度あるかないかである。人々は買い物に、そして交流に忙しく足を運んでいた。
そんな中に、兵隊達を引き連れたミラールもいた。兵隊達は、各班に分かれて買い出しを始めている。滅多にない大市の開催に、皆大はしゃぎで露店を見て回っている。
「ねえねえ、隊長さん」ボブ上等兵が頬を上気させながら、ミラールの側へやって来た。「すごい人だら?こんな大きな市は、めったにないで、隊長さんも見てまわった方がいいに」
「ありがとう、ボブ」ミラールは微笑んで答えた。「また後でゆっくり見させて貰うわ。あなたこそ、しっかり買い物をしていらっしゃいな」
「うん!」
ボブはミラールの返事を待たずに、人いきれの中に飛び込んでいった。それを見て、ミラールは小さく笑った。
「隊長、どうしました?」
先刻からずっとミラールの側に立っていたリスキンが尋ねた。
「別に…。ただ、私が小さい時の頃を思い出したの」
「隊長は、小さい頃から城都に住んでいたのでしょう?それなら、これくらいの市では規模が小さすぎて物足りないのではありませんか?」
「ん…、まあ、それもあるけど…。私ね、小さい頃、この十倍ほどの市の中で迷子になった事があってね。両親を見失って、半べそをかきながら市の中を歩いて回ったの」
「それで?」
「気がついたら、手に一杯果物や反物を持ってたわ。私が泣きべそをかいて歩いていたので、皆で慰めようとしてくれたらしいのよ」
「で、ご両親は見つかったのですか?」
「出口の所で父親に捕まって、盗んだんじゃないかって、随分と怒られたわ」
そう言ってミラールが笑った時、市の中頃から悲鳴が上がった。男の声である。人混みの頭がザワザワと動く。どうやら悲鳴の主は彼女達の方へと移動しているようである。
「何かしら?」
そう呟いたミラールの目の前に、見覚えのある、太った顔が現れた。
「あ、なんと、ミラール姐さんやおまへんか!?こら奇遇でんなあ」
男のオイトルーダ訛りの言葉に、ミラールは思わず肩をすくめた。
「グワラン=プールね。騒ぎの主はあなたなの?」
「そ、そうや、挨拶なんかしとる場合 違うたわ。姐さん、ちょっと助けてぇな」
プールはそう言うと、ミラールの背中に回り込んだ。
「一体何をしたの?」
「それがさっぱりやねん」
その時、ミラールの前の人混みが二つに割れた。そこに、一人の男が立っていた。酷使された革鎧を着け、腰には巨大な剣を吊っている。ケスロスの傭兵の様な出で立ちである。しかし、その長身と、美しい金髪に、澄んだ琥珀色の瞳、そして尖った耳は、ミラールの目を強く惹き付けた。
「ね、姐さん、あいつや」プールが指を差す。「あいつがわしの商売にケチつけんねん」
「何が『ケチつけんねん』だ、このインチキ野郎!」男は怒鳴った。声も素晴らしい。歌手になっていれば、きっと成功していただろう。「舐めんな、このクソ野郎!人にガラクタを押し付けて大金を払わせておきながら、その態度は何だ!てめえの×※を#¥%◎♪@して#≧※∞∈☆×、∀⇔∂Ж±℃に◆∴§※¶*てやるぞ!」
ミラールは思わず引いた。美しい容姿とは裏腹に、その口から出た言葉は、およそ不釣合いに汚い悪口雑言の類いであった。それは、野次馬の中のおばさんが二人ほど貧血で倒れるほどで、ミラールとて戦時中に傭兵部隊との共同戦線で、ガサツな傭兵達と行動を共にした経験がなければ、耐え切れなかったところだ。
真正面から、自分自身にではないにせよ、そのような罵倒を浴びせられて、気の強いミラールは切れた。
「何だお前は、いきなり」思わず連隊長時代の口調で、ミラールは言葉を返した。「何があったか知らんが、赤の他人を巻き込んでおきながら、その無遠慮な口の聞き方は何だ!時と場所を考えて言葉を選べ、このボケナス!」
こう言われて、男のみならず、周りの野次馬も思わず引いてしまった。美人からの予想外のキツい罵倒に一旦気押された男だったが、プールへの怒りはかなりのものであったのだろう、すぐに態勢を立て直した。
「やかましい、女の分際で。邪魔をするなら、お前ごとぶちのめすぞ!」
男は言うが早いか、拳を振り上げた。その拳に“気”とは違った、しかし巨大なエネルギーの塊の存在を感じて、ミラールは総毛立った。瞬間的に体を恐怖が走り抜け、体が勝手に反応していた。男の突きを、左手刀で外に払い、その勢いで体を右に入れ替えた。咄嗟に手加減なしの発勁を、男の腹に打ち込んでいた。
「うおっ!?」
男は文字通り数ノース吹っ飛んだ。地面に転がって、素早く立ち直る。
「(オンカンカクソワカ)」
男が何か呪文を唱えた。その次の瞬間、ミラールは全身に鈍く、強烈な衝撃を受けて吹っ飛ばされた。意識が暗転した。
「隊長、大丈夫ですか。隊長」
リスキンの呼び声に、ミラールは意識を取り戻した。二~三アングーンの間、気を失っていたらしかった。彼女だけではない、リスキンも、その他数名の野次馬も被害を受けていた。しかし、当事者のグワラン=プールと謎の男は、既にその場から消えていた。
【2】
「あいたた…」
ミラールは頭を押えながら立ち上がった。体全体が鈍く痺れてはいるが、骨にも筋にも異常はないようだ。
「隊長、大丈夫だかいや?」
「大丈夫だらねえ?」
兵隊達がミラールの周りに集まって、口々に心配して声を掛ける。
「大丈夫、心配ないわ。それより、他の人達を見てあげて。外傷している人もいるはずよ」
ミラールは笑顔でそう言うと、兵隊達を応急手当に走らせた。彼らが作業している間、ミラールは腕を組んで考え込んでいた。
男の唱えた言葉に聞き憶えはないが、あれは正しく、今は失われた直接攻撃呪文である。アルセア戦役の際、何度かこの呪文には悩まされた記憶がある。
「それにしても、今時、直接攻撃呪文を使える者がいたなんて…」
ミラールは呟いた。打ちのめされて悔しい、という気持ちのほかに、是非もう一度呪文の威力を見てみたい、という気持ちが強かった。
しかし、正面から向かえば、呪文攻撃には絶対に勝てない。
「司祭様に相談してみようかしら…。リスキン」
「はい」
「あなたは、兵隊さん達を連れて、先に兵営に帰っておいて。私は教会に寄って行くから」
「判りました」
リスキンには、ミラールの考えている事が判ったようだ。微笑みながら敬礼をした。
「司祭様、司祭様、おいでですか?」
ミラールは馬から降りて呼んだが、返事がない。だだっ広い教会には、人の気配がなかった。しかし、イグロウがいたところで、この広い建物は人の気配はほとんど感じられない。彼女は、ずかずかと奥へ上がり込んだ。
「司祭様、いらっしゃらないんですか?」
書斎まで来てみたが、やはりいない。
「留守か…。どうしようかな…」しばらく考えて、ミラールは一つ大きく頷いた。「司祭様には悪いけど…」
ミラールは、何やらゴソゴソと探し始めた。
しばらくして、ミラールは兵営へと帰って来た。馬を厩へ繋ぐと、首をひねりながら隊長室へと戻って来た。
「司祭様は、どこへ行ったのかしら…」
そう言いつつ隊長室の扉を開けると、そこにイグロウの顔があった。
「やあ、隊長さん。どうも、おはようございます」
「まあ、こちらだったんですか。良かった。あの、司祭様、実はちょっと相談に乗って欲しかったんですよ」
「そうですか」イグロウは笑って答えた。「丁度良かった。私も隊長に相談があって来たんですよ」
そう言うイグロウの横に、またも見覚えのある顔があった。
「あ、グワラン=プール!」
「どうも、まいど。よう会いますなあ」
「何が『よう会いますな』よ。人にやっかい事を押し付けておいて、自分は逃げてしまうなんて、ズルすぎるわよ」
ミラールはそう言って腕を組んだ。
「何だ、隊長さん、知り合いですか?」
イグロウが目を丸くして尋ねた。
「知り合いと言うか…、ま、要は腐れ縁という奴ですね」
「うわあ、そらキッツイなあ、姐さん」と、プール。ミラールに縋るような目を向ける。「そう言わんと、何とか助けてぇな」
「そう言えば、さっきも助けてとか何とか言ってたわね。何があったの?」
「そやねん、まあ聞いてぇな。これ、司祭はんにも話ししたんでっけどな」
そう言ってプールは話し出した。彼の話にはいらぬ尾ひれや飾りが付いているので、それを省くと、こういう話である。
話しは半月ほど遡ったある日、ダナウより百五十ディボノース離れたチェフ村で、プールが行商をしていた時に、あの男が現れた、という所から始まる。彼は、プールの商品であったデーンスダーンの幻の名刀を、かなり値切った上で買って行ったのだそうだ。それからしばらく会わなかったが、チェフ村からダナウへ帰って来た時にばったりと出くわし、今日のように追いかけ回され、逃げるようにエイフの村へやって来た、という事のようである。
「それで、何で追い回す必要があるんでしょうかね、その男」
イグロウが、素直にプールに同情して言った。
「そうやろ、そう思うやろ、な?何でこんな正直な商売をしとる男を、そない追い回すんか、さっぱり判らんねん」
プールはそう言ったが、ミラールは首をかしげた。
「そうかしらね…。私は、男の気持ちが何となく判る気がするわ」
「どうしてです?」とイグロウ。
「司祭様は、このプールって男については何もご存じないから、素直に同情してしまいますけど…」
「何でんねん姐さん」プールの反応に、凄みのようなものが含まれていた。「わし、姐さんにそない言われるような事、したんでっかいな?」
「よく言うわ」ミラールは冷たくあしらった。多少凄んでみたところで、ミラールには何も怖さは感じられない。「私とあなたが初めて会った時の事、忘れてないでしょうね?」
「そら覚えとりまっせ。わし、姐さんに惚れてしもたもん。せやからエエもんあげたやないですか」
「それよ!」ミラールは語気を強めた。「その『エエもん』の事よ。だいたいあれは…」
ミラールが言いつのろうとした時、トール軍曹が隊長室に走り込んで来た。血相を変えている。
「隊長、隊長、大変だに!」
「どうしたの?」
「ほら、今朝、エイフの街で隊長に殴り掛かって来た男。あれが押し掛けて来ただよ」
「な…、何でここて判りよったんや?」
プールはみるみる顔面蒼白になった。
「リスキンやモルタが止めてるだけど、バカ強いで、すぐここまで来るに」
そう言ったトール軍曹が、脇に押しのけられた。件の男が、そこに立っていた。リスキン以下の兵隊達は、後ろから男を取り囲むように集まったが、リスキンですら手もなく押しのけられたのでは、彼らには手の出しようがなかった。
男は、ゆっくりと隊長室へと入って来た。
【3】
男は入って来るなり、ミラールに顔を向けた。
「よう、ねえちゃん。先刻は悪かったな。しかし、あんたの突きは効いたぜ。まさか鎧の上からあんなに効くとは思ってなかったんで、ちょっと反撃に手加減が出来なかったんだ」
「ところで、何の用?」
ミラールは冷たく言った。いきなり殴り掛かって来た奴に気を許す必要はない、と全身が語っていた。
「そんなに怒るなよ」男は笑った。「用があるのは、このクソッタレなインチキ商人さ」
「何がインチキやねん」
プールが、イグロウの背後に隠れて言い返した。誰かが庇ってくれていれば、強気になれるらしい。
男は、プールの言葉を無視して彼に近付いた。当然、イグロウに通せんぼを食らう事になった。
「司祭さん、どいてくれないか。俺は、後ろのブタに用があるんだ」
「暴力を振るわないのならば、どきましょう」
「そうもいかねえんだよ」
「なぜそうまで怒っているのか、訳を聞かせて下さい」
「うるせえ」
男は一言だけ言うと、無雑作に右手を振った。イグロウは左腕で無雑作に受けた。これには、男も、そしてミラールも驚いた。
「お、司祭さん、出来るね」
男はそう言うと、腕を受けられたままで、
「(オンカンカクソワカ)」
と唱えた。次の瞬間、イグロウは壁まで吹っ飛ばされた。巨体が倒れ、どしんと地響きがした。これを見て、兵隊達が色めき立った。
「司祭様に何するだ!」
カーツ伍長が飛び掛かりかけたが、リスキンに止められた。勝ち目がないのは判っているのだ。
男は蒼い顔をしているプールの襟首を掴んだ。
「俺はな、お前みたいに口先だけでいい加減な事をほざいて、インチキかます奴が大っ嫌いなんだよ」
「ちょっと待ってお兄さん」
ミラールはそう言って、男の手首を掴んだ。
「何だ?」
「私も、あなたの意見には賛成だわ。このプールっておっさん、どうも信用出来ないものね」
「そらないで」プールは半泣きである。
「でもね」ミラールはプールを無視して続けた。「それでも、さっき司祭様が言ったように、暴力だけでは事は解決しないわ」
男はミラールの言葉を無視した。空いている左腕を振りかぶる。
ミラールは手首を握った手に力を込めた。ツボを押さえたので、痺れて思わず男の手が離れる。そこをすかさず親指で手の甲のツボを極め、手首を極めると、無雑作に左側へと巻き込んだ。
男は綺麗に一回転し、床に叩きつけられた。
「これは司祭様の分よ」
ミラールはそう言ってニヤリと笑った。明らかに彼女は挑発していた。
男は素早く立ち上がった。
「俺はなあ、女にデカい態度を取られるのが大っ嫌いでな」
言うなり突き蹴りの乱打を浴びせた。ミラールはその全てを受け切って見せた。
「もういいでしょ。とにかく訳を聞かせてよ」
ミラールは余裕で言った。ただ表情ではまだ挑発をやめていなかった。
「そうかい。それなら、俺を負かしたら話す事にしようか」
「あら、そう」
次の瞬間、ミラールの上体が倒れ、男の胸に蹴りが決まった。一寸よろけて、しかし直ぐに反撃に出た男の突きを右に流し、流した動作で肩から体当たりをした。これには男は壁まで吹き飛ばされた。
「痛ってー」男は壁にぶつけた頭を押さえて立ち上がった。「やるな。それにしても可愛くねーな」
男はそう呟くと、素早い動作で印を組んだ。
〈破光矢弾!〉
そう唱えると共に、光の矢が四本生まれ、ミラールに向かって放たれた。両肩、両足に突き刺さる。
「あっ!?」
兵隊達も、イグロウも、思わず声を上げた。
しかし、ミラールは平然としていた。光の矢は、ミラールの身体の数クレグラノース前で止まっていた。ミラールは一歩踏み出した。光の矢は消えた。
「この野郎、生意気な!」
男はかなり頭に来たのか、乱暴に新たな印を組んだ。ミラールは嫌な予感がした。
「司祭様、プール、みんなも逃げて!」
イグロウは素早く反応し、プールの首根っこを掴んで引きずるようにして部屋を出た。男は既に呪文の詠唱に入っていた。
〈エルザン=ベルーナート=デロルト、巨大なる火炎よ、その炎を以て死を与えよ〉
流石のミラールも、思わず目を閉じた。
〈爆裂炎弾!〉
呪文が完結した。次の瞬間、巨大な炎の塊が室内で爆発した。隊長室の壁と屋根が全て吹き飛んだ。茸状の炎が兵営の屋根の上に立ち上がった。ようやく表に逃げ出して来た兵隊達が、その爆風で吹き飛ばされた。ころころと牧草の上を転がる。
イグロウが埃まみれで立ち上がると、隊長室は跡形もなくなっており、炎がゆらゆらと揺れていた。
「隊長ーっ!」
兵隊達は思わず叫んだ。
「失敗った。ちょっとやりすぎたか」
男は吹き飛んだ隊長室に立ち、呟いた。ボリボリと頭を掻く。「とにかく、プールをど突かなければ気が済まん」
彼がそう言った時、彼の胸に何かが当てられた。掌だ。その主はミラールだった。
「なんで?」
この場面で、男は間抜けな問いを発した。
「哼っ!」
ミラールは発勁を爆発させた。
男は飛ばなかった。「うっ」と一声漏らすと、体をくの字に曲げてその場にくずおれた。
「どう、まだやる?」
と言うミラールの問いには答えず、何やらブツブツと呪文を唱えた。そして何事もなかったかのように立ち上がった。ミラールは油断なく構えたが、男にはもう戦意はないようであった。
「負けたよ、隊長さん降参するよ。俺も気が立っててな、人の話を聞く余裕がなかったんだ。すまん。話せる事は皆話させてもらうよ」
「どこで?」
ミラールは、跡形もなくなった隊長室を見回して言った。
【4】
火事は男が呪文で消した。しかし兵営は使い物にならないので、教会へ行くことになった。
教会の一室に皆が集まった。さすがに兵隊達は、男に近付こうとはしなかった。
「さて、魔法使いさん」ミラールが切り出した。「あなたが何者で、このプールと何があったか、を話してちょうだい」
「判ったよ…。俺の名はバスター。『さすらいのソードマン』とでも言わせてもらおうか。ハーフエルフで、今は傭兵をしている」
「ハーフエルフ」と、イグロウ。「今の時代に、エルフとの混血とは、珍しい生い立ちですね」
「まあ、色々あってね。で、そこのバカたれ、プールとの関係だがな。こいつ、法外な値段で、俺に偽物を売りつけやがったんだ」
「何が偽物やねん。あれはわしが正規のルートから仕入れた本物や」
プールが反論した。バスターの手の届かない所にいるので、態度がでかい。
「ちょっと、たかが偽物押し付けられただけで、兵営を吹っ飛ばしたって言うの?」
ミラールは目を丸くした。
「まあ、そう言う事だ」バスターはしれっと答えた。「奴は、俺に『幻の都市デーンスダーンの遺跡で発見された魔法のレイピア。伝説の美少女僧侶の持っていた剣だ』と言って、一本のレイピアを売りつけて来たんだ」
「そんな口上につられて買ったの?商品をちょっと見てみれば、本物か偽物か、すぐ判るはずよ」
ミラールはそう言うと、ポケットから安っぽいペンダントを取り出した。
「それは何です?」イグロウが尋ねた。
「これはね、私がここ、第十四小隊に派遣される時、ダナウでプールに貰った『聖銀製の』お守りよ」
「それって真鍮だら?」カーツが突っ込んだ。
「そうよ。プールが信用出来ないて言ったのは、こんな事があったからなのよ」
「でな」バスターが話を続けた。「俺は、その剣が欲しくてたまらなかったんだ。まさか、まだ存在しているとは思ってもいなかったからな。そしたらこのアホウ、『二十五アルムスだ』とぬかしやがったんだ」
「二十五アルムス!」
これには全員が驚いた。ちなみに二十五アルムスは、リスキンの六十年分の給料に相当する。破格の金額である。
「それを値切って二十アルムスで買ったんだ。俺が何年も掛けて探している物の手掛かりになる、と思ったから、舞い上がっていたんだ。ロクに物を確認もせずに買った俺も悪かったんだが…。いざ手に入れた物は、ただの『呪いのレイピア』だったんだ」
バスターはそう言うと、荷物と一緒に括ってあったレイピアを抜いた。その途端、剣から異様な妖気が溢れ出した。
「判りました、判りましたから、もうしまって下さい!」
妖気には敏感なイグロウが、顔をしかめて言った。バスターはレイピアを鞘に戻した。
「俺が生涯を賭けて探しているものに対して、こんなふざけた物を押し付けたんだ。少しは俺の苛立ちも判るだろ?」
「何を探しているの?」
ミラールのその問いに、バスターは口をつぐんだ。
「別に言いたくないなら、言わなくてもいいわ。ただ、私達に出来る事があるなら、手を貸してあげたいのよ」
「またの機会にしてもらおう」
バスターは、遠くを見るような目つきで答えた。
「ふーん、何か『わけあり』のようね…。いいわ。そこまで深く追及しようとは思ってないわ。ところで――」そこで、ミラールはプールに顔を向けた。「グワラン=プールさん。どういう事かしら?」
ミラールは、ニッコリと笑って優しい口調で言った。その見かけとは裏腹な彼女の怒りを感じて、プールはすくみ上った。
「何やねん?わしが何したっちゅうねん」プールは弱々しく反論を試みた。「わし、何も悪い事してへんで。その剣は、ホンマに『デーンスダーンの幻のレイピア』いうて、ダナウの問屋で仕入れたんや。そら、多少高く吹っ掛けもしたけど、わし商売人やで、儲からな食って行けへんねん。判るやろ?わしかて生活かかっとんのやから、それで命まで狙われたら、わしよう商売でけへんわ」
「何が儲けだ、このクソダラが!人が欲しがってると思って足元見やがって!どこが『幻の名刀』だ!」
「そんなんわしが判る訳ないやんか!」
バスターとプールがまた掴み合いになる前に、ミラールが止めた。
「まあ、バスター、とりあえずは押さえて。――プール、あなた、自分も儲けなきゃいけない。そう言ったわね?」
「そうや。そうせな干からびてまうもん」
「いくら?」
「へっ?」
プールは目を丸くした。
「何が『へっ?』よ。どうせそんなヘンな刀、仕入れに一ロマーもしなかったでしょうが。人の弱みに付け込んで、あこぎな商売するのは、もうやめときなさいな」
「せ…せやかて…」
プールは何とか縋り付こうとしたが、ミラールは冷たく振り払った。
「今度、何かつまらない事をしても、私はバスターを止めないわよ」
「う……」
プールは完全に打ちのめされてしまった。
「ところで隊長さんよお」プールを完全に無視して、バスターが口を開いた。「今日よ、俺が呪文を使った時、あんたには効かなかったよな。確かに手加減はしたんだが、どうして全く効かなかったのかが判らないんだ」
「手加減?あれで?」
イグロウが絶句した。
「ここしばらく、俺の呪文をあそこまで完璧にはね返せた者はいなかった。どうしてなのか教えてくれ」
「それは…」ミラールはちょっと口ごもった。「司祭様、さっき私、相談したい事があるって言いかけたでしょ?」
彼女はそう言うと、上着のボタンを外し、内ポケットに手を入れた。
「あっ、それは私の作った…」
イグロウが思わず声を上げた。それは、魔導樹の事件の際に、イグロウが作った太陽神アグダの護符であった。
「これの効果は、あの時に実証済みだったから、勝手でしたけど、司祭様の書斎からいただいておいたの。ごめんなさい」
ミラールは肩をすくめて言った。
【5】
フラブール祭の当日、ミラール達兵営一行は、教会でのミサを終え、エイフの街へと繰り出して来ていた。今日と明日は、無礼講のどんちゃん騒ぎである。昼間から酒を浴び、上を下への大はしゃぎである。兵隊達も、振る舞い酒にありついて、気分は上々である。
「よう、ミラール、それに兵隊ども、気嫌はどうだい?」
声を掛けて来たのは、バスターであった。
「あら、バスターじゃないの。あなた、まだこの街にいたのね」
「ああ。俺の探している物が、『ここ』で見付かりそうなんでな」
「ふーん」ミラールはそれ以上突っ込もうとはしなかった。「ところで、このニ~三日、うちの兵官は風通しが良すぎて、寒くてしょうがないわ。あれだけ派出に吹っ飛ばしてくれたお陰で、修理も大変なのよ」
「悪かったよ、許せよ。――何だよ兵隊ども、その目は?」
「別に――」とロペル。「ただ、本物の魔法使い(ルディウス)なんて初めて見るもんだで、珍しいやあ、と思って」
「珍しいって、俺を見世物小屋の猿かなんかと同じに思ってるのかよ」
そんな事を言い合いながら「辻」までやって来た。相変わらずの大騒ぎである。以前にも増して大きな市が立っている。
「はいはい、ちーと皆さん、見てってよ。ムチャ珍しい品物やで」
そんな口上が聞こえて、一同は足を止めた。声の主は、言わずと知れたグワラン=プールである。
「今日の目玉はこれ!お守りにもなるし、粉にして飲めばどんな病気もたちどころに治る不思議の功能、ラフトドラゴンの牙や。ある冒険者が、命懸けで手に入れて来た幻の逸品。ホンマなら一アルムスもする高価な代物やけど、今日は特別や、目ぇつぶって四ロマ一であげちゃるで。どや、騙された思て買うてみィひんか?効果は絶大、おじいさんでも二十代の若さで勃つで。さあ、どや?」
プールがそう言ってドラゴンの牙を差し上げたところを、バスターが横から引ったくった。
「何これ?サメの歯じゃないの。こんなものが四ロマーだなんて、どんなマヌケでも買わないわよ」
ミラールが笑って言った。
「あ、隊長さん、それにマホー使い。こんちわ」
「何が『こんちわ』だ、このタコ」
プールの愛想に、バスターはにベもない。しかし、プールは全く堪えていないようだ。
「なあなあ、マホー使い。今日はまた、エエもん仕入れて来たんや」
プールはそう言うと、大きな水晶玉を取り出した。
「これは、ラタスタの魔道師が作り出した聖水晶の占い玉で――」
プールが言いかけたものを、バスターの剣が粉々に叩き割った。
「なっ何すんねん!?」
「何が『何すんねん』だ!」バスターが怒鳴った。その声に、犬が悲鳴を上げて逃げ出した。「嘘も休み休み言いやがれ。何が聖水晶だ。ただの粗ガラスじゃねぇか。ラタスタがどうとか言いやがって。魔道師が聖金属を持てるか、アホ!懲りもせずインチキばかり並べたてやがって。てめえのその腐った脳ミソをここにぶちまけてやる!頭を出せ!」
そう言うと、剣を高々と振り上げた。プールは蒼白になって固まったままである。
振り降ろされる剣を、ミラールのクックリが受けた。
「何だよ、ミラール、邪魔するな」
「そうもいかないわ」ミラールは溜め息をついた。「こんな愚かな男でも、見殺しには出来ないわ」
「うるさい、どけ!」
バスターは剣を切り返した。ミラールは又も受けた。それを見て、バスターはニヤリとした。本気で怒っている訳ではないのだ。ミラールもニヤリとすると、バスターの剣を払って逆に攻め込んだ。二人の剣の攻防は、いつしか舞いにも似た美しい動きとなっていった。
予想外の出し物に、「辻」に集まった村人達は大喜びである。剣同士のぶつかり合う高い音、空を舞うミラール、地を転がるバスター。二人の剣の妙技は、さしずめ神々へ奉納する「剣の舞」であった。
空は晴れ、人々は笑い、エイフ村は今日も平和であった。
H5.7.22
20170408改




