閑話休題 参乃壱
今回は、兵営いちの古株、リスキンの魔法体験です。
どこかの話とのクロスオーバーです(笑)。
辺境の空は今日も晴れ 閑話休題 参乃壱
今日、リスキンはミラール隊長とイグロウ司祭から不思議な話を聞いた。杖作りのアロウおやじが作った杖がとんでもない魔法の掛かったもので、それのお陰で司祭がえらい目に会ったというのだ。
魔法と聞いて、リスキンは六年前の出来事を久し振りに思い出した。
彼は兵営の着替え部屋に入ると、戸棚の奥に仕舞い込んである文箱を取り出した。中には一枚のガラス板が入っていた。
ガラス板は、グラスなどと比べてかなり高価だが、彼はそれをふとした事から手に入れた。
リスキンは、そのガラス板を手燭の明かりに透かしてみた。ガラスの表面には、三人の人影が映っている。白と黒の部分が返転しているが、明らかにリスキンと同じ人種である。
父さん、母さん、兄さん。元気でやってるかい?
リスキンの口元がほころんだ。その肖像画を、彼らは「ネンシャ」と呼んでいた。
今から六年前、フラブ暦二二五四年の五月、ルバンシャーの月。フラブール祭が終わり、兵営もひと息ついた、そんな時である。ロウ、デントン、ハット、ボブはまだ入隊していなかった。ピートは四年目で、ようやく伍長になったばかりで、トールはまだ上等兵であった。
この頃の第十四小隊の隊長は、昨年行われた残留兵の救出作戦中に、現場を放棄して逃げ帰って来たとして処罰を受けた、元南方警備隊・トーレル師団長のストッケンガル元小将で、ここでは中佐に降格されていた。ほぼ抜け殻のように毎日を過ごすだけで、全く何もしなかったので、兵営は実質的に曹長になりたてのリスキンが回していた。
この時期特有の抜けるような青空の日、リスキンは小隊全員を引き連れ、国境線に沿って海に向かってパトロールに出掛けた。まあ、要はピクニックである。なだらかな丘陵地で柔らかい陽射しを浴びていると、ふと国境線上の森の中から、ー筋の煙が上がっているのが見えた。
この辺りには、村の者は誰も住んでいないし、猟をする者がこれだけ煙が上がるほどの火を焚くとは考えにくい。
「おい、ピート」
リスキンはピートに声を掛けた。
ピートも、不信感を隠さなかった。
「変ですね」
ピートは言いつつ、リスキンと共に煙の上がっている方へ歩き出した。そこには踏み固めたらしい小路が出来ていたので、それに沿って進むと、ほどなくポッカリと開いた広場に出た。明らかに人の手で開墾されており、広場のほぼ中央に、丸太小屋が建てられていた。鎧戸をはね上げた窓には、なんとガラス板がはめ込まれている。
「窓にガラス板とは、何とも豪勢だな」
小屋の質素さとの落差にリスキンとピートが戸惑っていると、扉が開いて、中から人が出て来た。カルテンヌ風のゆったりとした服だが、その肌の色は明るく、ラトあたりの人のようだ。少々幼さが残るが、目を見張るほどの美しい女である。
彼女はリスキン達には気付いていないようで、手にしたアルラルハープをつま弾きながら、歌を唄い始めた。トルヌ語かシルフ語か、とにかくラフヌス共和国で使われている言葉らしく、リスキン達には理解は出来ない。が、その可憐だがよく通る美しい声に心を奪われ、そこに立ち尽くして歌に聞き入っていた。
歌い終わった女がふと首を廻らせて、リスキンと目が合った。本当に今、初めて二人の存在に気付いたように、目を丸くしてリスキン達を見つめたが、すぐに穏やかな笑顔になった。
「おはようございます」
その屈託のない挨拶に、リスキンは思わず頭を下げた。
「おはようございます。すいません、不粋な真似をしまして」
「いいえ、こちらこそ、お耳汚しで失礼しました」
女のあまりの可憐さに、リスキンは彼女とアルキス語、即ちランカスター公国の公用語で会話が成立している事すら気付いていなかった。
「あの一」ピートが、意を決して口を開いた。「ヘンな事聞くだけど、あなたは妖精か何かだか?」
その突拍子もない質問に女はまたも目を丸くしたが、すぐにクスクスと笑った。
「いいえ、普通の人間ですよ。ちょっと事情があって、しばらくここに住まわせてもらってるんですが、ご迷惑でしたか?」
『いえいえ!!』
リスキンとピートは同時に首を振った。
「ただ、申し訳ないですが」と、リスキン。「普段、中々外からの訪問者のない辺境なので、やはり気にはなるんですよ」
「それはそうですよね。もうすぐ主人が」そう言いかけて、女は少しはにかんだ。「――主人が帰って来ますから、詳しくはそちらから」
ほどなくして、男がやって来た。巨大な猪を、下男らしき男と二人で担いで来た。
「あら、お客さん?」
男は軽い調子で言うと、獲物を地面に置いた。
「お邪魔してます。辺境警備隊の者です」
リスキンは慇懃に挨拶をした。
「こちらこそ勝手に家など建てて」
男は言いつつ、指をひとつ鳴らした。すると、猪をかついでいた下男が突然姿を消した。立っていた場所には、人形をした紙があるのみだった。
「何です、今の?」
リスキンの問いに、男は何でもない事のように答えた。
「ああ、式神。紙に精霊を宿らせる、とでも言ったらいいかな?こちらの魔法風に言うなら、『ペパ・イルソン』みたいなもんかな」
「なるほど…」
頷いてはみたものの、リスキンには良く判らなかった。
男は懐から先程と同じような人形の紙を二枚取り出すと、「急々如律令」と小さく唱えた。すると、紙は宙に浮き上がり、人の姿になった。正確には、ホブゴブリンのような少々醜い容姿である。額に二本の角がある。
「猪を捌いといて」
命じられるまま、二人は猪をかついでこの場を離れていった。
「あの…」
リスキンが尋ねようとして囗を開いた時、森の外から声が聞こえた。森に消えたままのリスキンとピートを捜しているのだ。
「リスキン、みんなが捜いてるに」
ピートがリスキンの袖を引っ張った。
「判ってる」
「九月くらいまではここに居させて貰いますから」
リスキンが言いかけた問いに、女が答えた。
「…判りました。また、時間が出来たら来させて貰います」
リスキンはそう言うと、敬礼して踵を返した。
兵営は、軍事的な行動がないだけで、日常は結構忙しい。家畜の世話や牧草地の手入れ、兵営の施設の保全だけでも一日中掛かる大仕事の場合もある。リスキンの場合、それに腑抜けの隊長代行の仕事もある。時間はいくらでも欲しい。
そんな忙しい日常の合間を縫って、リスキンは国境沿いの森へと出掛けては、二人の異邦人から話を聞いた。ダナウぐらいしか遠出をした事のない彼にとって、二人の話の全てが物珍しかった。
時が過ぎ、広葉樹が色付く九月になった頃、男が突然切り出した。
「リスキン、今、一番逢いたい人っている?」
「逢いたい人、ですか」リスキンはちょっと考えた。「そうですね、やはり家族ですかね」
「奥さんや子供の事じゃないよね?」
「死んだ父母と兄です」
「判った」男は笑った。「あちらでもちゃんとやってるか、気になるよね」
そう言うと、男は文箱を取り出した。
「『念写』をやってみるよ」
「ネンシャ?」
リスキンには意味が判らなかった。
「口寄せみたいな事をしても、本物かどうかよく判らないだろ。写真の方が、直接見て確認出来るし、残るもんだからね」
男は色々と言うが、リスキンにはさっぱり理解出来ない。
「リスキンさん、よく判らない事言って、ごめんなさい」
女が済まなそうに言った。
男はそれにはお構いなしに、リスキンの手を取った。
「なるほど、あんた達の宗教では、死者の国は地続きなんだね。それなら、多分すぐに見つかるよ」男は目を閉じて、念ずるように言った。「リスキン、父さん母さん、兄さんの事、強く念じて」
リスキンは言われるままに、心の中に両親と兄の姿を描き出した。死んだ時のままの姿である。
「いいよ、リスキン、目を開けて」
男に言われて、リスキンは自分が固く目を閉じていた事に気付いた。
「あんたの想いが強かったから、捜すのは簡単だったよ。思ってたより上手く行ったと思う」
男はそう言いながら、文箱を開けた。中にはガラス板が入っていた。ガラス板には、三人の男女の姿が写っていた。三人とも寄り添い、笑っている。リスキンの記憶よりも、齢を取っているように見えるが、間違いなく彼の両親と兄の姿であった。
「確かに父母と兄だ。少し老けたかな?」
リスキンは思わず笑った。
「みんな、向こうで仲良くやってるみたいだよ。いつも見守ってくれているよ」男も笑った。「良かったらこれ、貰ってくれないか?」
「もちろん。ありがとう」
「こっちこそありがとう。勝手にやって来た余所者を相手にしてくれて」
「本当に、ありがとうございました」
男と女は、そう言ってリスキンに微笑みかけた。
しばらく兵営の仕事でゴタゴタしている間に、早や十月の声を聞こうという頃となった。先日、リスキンが国境沿いの森へと行ってみたが、小屋は既にもぬけの殻であった。女が弾いていたアルラルハープだけが残されていた。リスキンはそのハープを記念に、そして証拠として持ち帰って来た。何しろ、リスキン以外は誰もあの小屋にたどり着けないのだ。
以来、あの二人は見かけていない。もしかしたら、全く違う世界に帰ったのかも知れない。
リスキンは、このガラス板を見ると、仲睦まじい彼らを思い出し、なぜだか心が温まるのだった。
確か、ハルアキとヨシエといったかな。
辺境の涼やかな夜に、リスキンはしばし想い出に浸っていた。
閑話休題
20170502了




