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辺境の空は今日も晴れ  作者: 宝蔵院 胤舜
7/31

第三話 魔法の杖


辺境の空は今日も晴れ 3

The periphery’s sky is still fine 3



空のもと林の中に、たゆけくも

あほざまにまなこをつむり、

白き雲、が胸の上を流れもゆけば、

はてもなき平和の、汝がものとなるにあらずや


            ―― 中原中也 ――



魔法の杖  Magig Wand




【1 】


五月。エイフの辺境の五月は、一年の中で最も美しい季節の中に含まれる。海から吹くあたたかいノトスが原野や森林の緑を育み、牧草地は可憐な花々で飾られる。冬の間、弱々しく光を投げかけていた太陽は、その輝きを増して新緑を眩しく照らし出す。大気はあたたかさを含み、もの皆生命を燃やす季節、それが辺境の五月である。

輝くような朝に、ミラールはご機嫌であった。倉庫に埃まみれで眠っていた百弦のアルラルハープを見つけ出し、柵に腰掛けて弦の調音を始めた。

はじめは羊や牛の世話や薪集めなどに手を取られていた兵隊達も、弦の音が合って来ると、次第にミラールの周りに集まって来た。

「隊長、楽器なんか持ち出いて、どうしたですか?」

マーカス伍長が美しい金髪を掻き上げながら尋ねた。彼は、女性と見紛うばかりの美しい容姿であり、性格や趣味もそれに準じている。

「これ?」ミラールは楽しげに答えた。「昨日の夜、倉庫の奥で見つけたの。天気もいいし、あんまり気分が良いもんだから、日向ぼっこをしながら曲でも弾こうかな、なんてね」

「隊長、百弦ハープが弾けるだか?」マーカスは眼を丸くした。「それって、えらく弾くの難しいら?」

「ええ。でもだいぶ練習したからね。ちょっとは弾けるわよ」

「だらさ、何か弾いて聞かいてよ」

ロペルがそう言うと、兵隊達皆が、聞かいて聞かいて、と言い出した。兵隊達の期待に満ちた目に気恥ずかしさを覚えたミラールだったが、リスキンの「せっかくですから、一曲だけでもお願いします」という一言で、その気になった。

「じゃあ、都の流行歌を一曲……」

ミラールはそう言うと、兵隊達の拍手が終わるのを待って、ハープをつま弾いた。アルラルハープの奏でる深い旋律に乗せて、ミラールは歌い出した。

多感な少女の淡い恋を唄った歌で、ミラールの張りのあるメゾソプラノが情感たっぷりに歌い上げる。美しい旋律は五月の澄んだ空気の中へ、余韻を残しつつ溶け込んで行く。

ミラールが歌を終えても、兵隊達はしばらくうっとりとそれぞれの感情の中に浸っていた。やや間を置いて、マーカスとリスキンが手を叩いた。その音に我に返った兵隊達は、手が赤くなるまで拍手をした。

「すごい!」と、アベル。まだ手を叩くのをやめない。「えらいうまいに。感動しただよ」

「それだけ歌が上手だったら、都で歌手にでもなれば良かっただに…」

「ダナウで舞台に立ったら、すぐに看板歌手になれるら」

マーカスとロペルが口々に勝手な事を言う。

「芸人になるなんて、私はまっぴらよ」

ミラールは肩をすくめた。

「どうせ芸人にならないのなら、今しか聞けないって事ですからね。もう何曲かお願いします」

リスキンが笑いながらリクエストした。

「うまい事を言うわね」

ミラールは笑って言うと、ハープの弦をかき鳴らした。ケスロス風のリズムの、明るく元気のいい歌を歌う。

いつの間にか、彼女達の周りを羊達が取り囲み、歌に聞き入っているようであった。空も、丘陵も、山脈も、春の陽光にまぶしく輝いていた。




立て続けに五曲ほど歌ったミラールが一息ついた時、垣根のように兵隊達を取り巻いている羊達をかき分けて、馬を引いたイグロウがやって来た。

「あら、司祭様、お早うございます」

そう言うミラールに、イグロウは力なく片手を上げて応えた。

「どうも、お早うございます」

イグロウの様子は、現在の天候、そしてミラール達の心境とは全く正反対といってよかった。力なく肩を落とし、目の下にくまを作り、ガックリと落ち込んでいるようであった。

「どうしたんですか、一体、そのなりは」

「実はですね、隊長に折入って相談がありまして……」

あくまで明るいミラールに対し、イグロウはあくまで暗い。

「そうですか」何かあると見たミラールは、それ以上尋ねずに立ち上がった。「はい、皆さん、今日のショーはこれで終わりよ。仕事に戻って」

そうして、イグロウをうながして兵営の中に入って行った。ミラールはきちんと背を伸ばして。イグロウは心持ち背を曲げて。

そんな二人を見送って、兵隊達は首をかしげた。

「司祭様、一体どうしただいね?」

「えらい疲れてるみたいだっただね」

アベルとロペルが互いに顔を見合わせて呟いた。


【2】


「どっこいしょ」

隊長室のソファーに、イグロウは疲れ切ったように腰を下ろした。大きく溜め息をつく。

「本当にどうしたんです?司祭様」ミラールは紅茶を淹れながら尋ねた。「まるで二三日眠ってないって顔ですよ」

「実はその通りなんですよ」イグロウは力なく笑ってカップを受け取った。「今日で三日、ほとんど睡眠は取っとりませんよ」

「どうしてです?ここしばらく、教会でそんなに忙しい用事はないじゃありませんか」

「いやあ、教会の仕事とは、直接関係ありません。隊長、杖作りのアロウおやじを知ってますか?」

「ええ。エイフの街の西門近くで商売してるおじさんでしょ?」

ミラールは、アロウおやじの頑固そうな顔を思い出しながら言った。

「そうです。あのおやじが持って来た杖が問題なんですよ」

「杖?」

ミラールは眼を丸くした。

「そうです。杖なんです」

そう言い置いて、イグロウは話し始めた。

 ―――杖作り職人のアロウおやじが、杖の材料探しに『封印の城』近くの森へ入って行ったのは、今から一週間とちょっと前の事であった。おやじが手頃な木の枝を採りながら森の中を歩いていると、不意に目の前に、見事な枝ぶりの灌木が現れた。何本かの幹がよじれ合って一本の木となっており、それは太く先細りの枝々にまで及んでいた。ほとんど小枝らしい小枝もなく、切り落とせばそのまま杖になる、そんな感じの木であった。

おやじはそれを一本切り取ると、頭に獅子の彫刻を施して、自分のコレクションの一つにする事にした。それは、今までのコレクションの中でも一番立派であったので、暖炉の上、彼の最も目につきやすい所に飾っておく事にした。

その翌日の晩、暖炉の間で何かが走り回るような音がして、おやじは目を覚ました。灯りを持って部屋を覗くと音は消える。

結局音の正体は判らず、猫でも入り込んだのだろう、という事にしておいた。

そんな事がもう二日続いた。家族全員がイライラし出した頃、おやじは杖が左右反対に掛かっている事に気付いた。家族の者は誰も触っていない、と言う。おやじは杖の向きを元に戻した。その時、杖頭の獅子の眼が、自分を睨んだような気がした。

そしてその夜、とうとう事件が起こった。


「どんな、どんな事件?」ミラールはわくわくしながら合いの手を入れた。「もー、司祭様ったら、疲れてる割にはドラマチックな話し振りだから、わくわくしちゃう」

「茶々は入れないで下さいよ。その事件で私も苦労してるんですから」

イグロウは苦笑いをして、話を続けた。


その夜、暖炉の間の壁と言う壁を叩く騒々しい音に、おやじの家族は飛び起きた。そして、家を揺るがすような獅子の吠える声が……。まさか、と思ったおやじが部屋を覗き込むと、何とあの杖が、部屋中を飛び回って壁と言う壁を叩き回っていた。時折杖頭の獅子が吠えるので、おやじは気味が悪くなり、

「この杖にはきっと悪霊エビルが取りついてるだ」

と、夜明けになり杖が静かになったところを引っ掴んで、その足で教会まで持って来たのである。それが、今から三日前である。

とりあえず杖を預かったイグロウだったが、陽のあるうちは杖はただの杖であり、別に妖しげな様子もない。ただ、おやじがあまりに怖がって話しをするので、一応はアグダの紋章で封印した部屋の中に入れておく事にした。そしてその夜、イグロウは、おやじと同じ体験をする事を余儀なくされたのである。

真夜中に、イグロウは凄まじい騒音と、轟き渡る吠え声に叩き起こされた。おやじの体験した騒がしさの比ではない。石造りの堅牢な教会の壁を通してさえ、空気を震わせる轟音が響き渡る。

肝をつぶしたイグロウは、早速書庫に飛び込んで、杖の正体を調べに掛かった。だが、それらしい記事は出て来ない。

その翌晩には、杖頭の獅子は雷を吐き始めた。封印のお陰でどこにも被害は出ないものの、広大な教会全体が鳴動するほどの凄まじさ。書物は相変わらず出て来ない。三日目には、イグロウは精神的に参ってしまった。もう本を読む気力も無くなった。そこで、夜明けと共に兵営へとやって来たのである―――。

「へえー、それは大変でしたね。さぞかし辛かったでしょうね」

言葉とは裏腹に、ミラールの顔は笑っていた。

「別に笑う事はないでしょうに」イグロウは苦笑いをした。「まあ、隊長に相談せずに、一人で解決しようとしたのは浅はかだったと思いますがね。本当に笑い事じゃないんですよ」

「判ります。魔法が元で起こる事は、私達にはどうしようもありませんからね。」ミラールはそう言うと立ち上がった。「ちょっとここで待ってて下さい。すぐ戻って来ますから」

ミラールはそう言うと、隊長室を出て行った。彼女の階段を登って行く足音を聞きながら、イグロウは眠り込んでしまった。

二十分アングーンほどしてミラールが黒表紙の分厚い本を四冊ほど抱えて戻って来た時には、イグロウはソファの肘掛けにもたれてぐっすりと眠り込んでいた。そうなる事を確信していたミラールは、本と一緒に抱えて来た毛布を、眠っている彼の肩に掛けてやると、机に戻って黒表紙を開いた。

その本は、八年前アルセア戦役中、彼女が指揮を執った歴史に残る戦闘「エイバラーン挟撃戦」の時に、敵の本陣にいた魔道師が持っていたものを押収した時、本部に渡さずに自分の手元に取っておいたもので、魔道の解説書である。本文は魔道師の一般共通語であるドロ語で書かれている。ドロ語ならばミラールにも読む事は出来る。これが、上級共通語ルーン文字で書かれてあったなら、恐らくイグロウでも読めなかったであろう。

いかにミラールといえど、国語ほど自然にドロ語を読める訳ではない。目次を見てそれらしい所の本文を四苦八苦して読む、そんな作業を続けるしかないのである。

三冊目に入って、そろそろ目が痛くなって来た時、それらしい見出しを見付けた。それは、『Magic Wand(魔法の杖)』と読めた。

「あ、あった」

ミラールは溜め息をつくと、そのページを開いた。

『魔法の杖』は、前世紀の魔道師達が、今は伝説の中でしか存在しない直接攻撃魔法の能力を助長させるために作り出したものである。外見は一見普通の杖なのだが、秘密はその材料にあるのである。

その材料とは、魔道師がその魔道の術を使って作り出した『魔道樹』である。この魔道樹は、超自然の業により魔法の威力が封入されており、基本的に作り出した魔道師以外には使われようとしない、という意志のような物を持っている。そして、この杖に認められた者は、杖自体が持っている魔力によって、その威力を使用する事が出来るのである。

「へえー。こんな物がまだあるなんて…」

ミラールは呟いた。魔道に関してはひとかたならぬ興味を持っている彼女である。無性にその杖が欲しくなって来た。


【3】


気の毒に思いつつも、ミラールはイグロウを叩き起こし、教会へと馬を走らせた。イグロウはソファの上で泥の様に十 時間グーンほど眠り込んでいたが、それでも三日分の徹夜の疲労を十分に抜き取る事は出来なかったようだ。目をしょぼつかせながらミラールに続いて馬を駆っている。

そんなイグロウに、ミラールは魔道の解説書から得た情報を伝えた。

「魔法の杖、ですか……」話しを聞いて、イグロウは溜め息をついた。「そんなものが、まだこの世に残っていたんですね」

「まあ、辺境だからこそ、残り得たんでしょうけどね。でも、凄いですよ。今は滅びた直接攻撃魔法を疑似体験出来る物ですからね」

「凄いですね」

「本当に。城都の司祭達が聞いたら、さぞかし驚くでしょうねぇ」

「いえ、隊長」イグロウが、ようやく元気の戻って来た笑顔で言った。「凄い、というのは隊長の事ですよ」

「私が?」

ミラールは目を丸くして答えた。それに、イグロウは頷く。

「そうじゃないですか。軍人で、あなたほど博学な人を、私は見た事がありませんよ。しかも、黒魔術に詳しいなんて」

「いえ、別に……」

ミラールはそれだけ言うと、後は言葉を濁してしまった。イグロウも、あえてその場で突っ込もうとはしなかった。

そのうち、二人は教会へ到着した。馬を馬小屋に繋ぐのももどかしく、封印の部屋へと向かう。もう六 グンを過ぎて、陽も山脈の陰に入った。五月の夜はまだ早い。時を待たずして外は暗闇となる、そんな時間である。

教会内を走るミラールとイグロウの二人の耳に、石造りの建物全体を揺るがすような凄まじい轟音が届いた。巨大な、獅子の吠え声である。ミラールは走りながら目を丸くした。

「これがそうなんですか!?」

「ええ」イグロウがそれに答える。「これに、更に絶え間ない雷声が加わるのです。寝るどころの騒ぎじゃないですよ」

「なるほど…。疲れ果てていたのも納得ですね、こりゃ」

二人は耳を聾するばかりの轟音の中を、大声で怒鳴り合いながら封印の部屋まで走ってやって来た。

「わあお」

封印の部屋の様子を見て、ミラールは溜め息をついた。

アグダの紋章によって封印されている扉は、杖の放出する電撃のエネルギーにより燐光を放ち、石壁はその吠え声により目に見える程振動している。その凄まじい振動の為に、天井から落ちて来る埃で、書斎の中は真っ白になっている。

「惨憺たる有り様ですね」ミラールは肩をすくめた。「きれい好きのあなたが、ここまでになる程放っておくなんて。よっぽど骨身に堪えたんですね」

「いや全く堪えましたよ。」と、イグロウ。大声を出す気力もなくなったのか、ミラールの耳元に顔を近付けて続けた。「この音を、三晩連続してやられたのですよ。頭の芯にまで響きますよ。今すぐ逃げ出したいですね」

「でも、本当に凄いわ『生きた』黒魔術なんて、もうお目に掛かれないと思っていたのに……。それに、フラブ教の神の威力も、やっぱり『生きて』いる所が見られるなんて。こんな事、滅多にない事だわ」

ミラールはしばし燐光を放つ扉に見入っていたが、すぐに我に返ると、イグロウを振り返った。

「あの書物によると、この杖には意志があって、持ち主を選ぶそうなのですよ。もしかしたら、何とか杖と意思疎通が出来るかも知れません」

「意志疎通、ですか、杖と…」イグロウの表情は複雑だった。「『杖』と話しをするなんて、普通じゃ考えられませんよね。でも、この状況を見ると、出来ても不思議はないですね…。全く、訳が判らんですね、魔法と言うものは。教会が禁じている訳ですよ。こんなものを皆が使っていたら、頭がどうかなってしまいそうですよ」

ミラールは、そんなイグロウの肩を慰めるように叩くと、燐光を放つ扉の前に立った。内心ドキドキしながら口を開く。

「杖よ。『マジック・ワンド』よ。聞こえる?私の言葉が判る?判ったらちょっと静かになさい!」

そう言って、口を閉じる。胸を高鳴らせながら待つ事しばし、何と、雷は治まり、吠え声も止まった。

「と、止まった……」

イグロウの口から、思わず呟きが漏れた。

「凄い!言葉が判るのね!」ミラールの胸は緊張と感動と好奇心で破れそうであった。思わず声が震える。「杖よ、少し質問をするわ。答えてくれるわね?『はい』なら一回、『いいえ』なら二回、扉を叩いて」

すると、間を置かずに扉が叩かれた。一回である。

「あなたは私達と話しをしたかったの?」

トン。

その返事を聞いて、ミラールはイグロウを振り返った。

「司祭様、聞きましたか?杖は、私達と話をしたかった、と言ってますよ。凄いじゃないですか。千年も前の魔法と、こうして対話をしているんですよ、私達。司祭様は、何かこの杖に聞きたい事はありますか?あったら聞いてみますよ」

ミラールはすっかり興奮して、瞳を輝かせながら言った。イグロウも、確かに昔の魔法と対面して、興味がないとは言えなかったが、三日間苦しめられた後とあっては、それどころではなかった。

「私はただ、どうして四日間騒ぎまわって、私やアロウおやじを悩ませたか、それだけを確かめたいですね」

「もっともです」

ミラールは微笑して言うと、扉の方へと向き直った。大きく一つ深呼吸をすると、質問を再開した。

「あなたは、どうしてさっきの様に暴れていたの?何か気に入らない事があったの?」

トン。

「杖のデザインが嫌だった?」

トン、トン。

「何を聞いてるんですか、隊長さん」

イグロウが後ろから突っ込んだ。

「――あなたを杖の形に加工したのが、魔道師じゃなかったから、暴れていたの?」

トン。

「私達に何かを伝えたいのね。大人しくしてくれるなら、封印を解くわ。大人しくしてくれる?」

トン。

「本当に?」

ミラールの念押しに、ひときわ強い答えが返って来た。


【4】


翌日の払暁、ミラールとイグロウは、杖を持って封印の城の裏手にある森の中にいた。アロウおやじが、この杖にした木を見付けたあたりである。

昨日、杖とミラールとの会話は一晩中続いた。疲れ果てて大いびきをかいて眠っているイグロウの横で交わされた杖との会話は、大方以下のようである。

 ――杖は、今から約三千五百年ほど前、今は滅亡した旧ドロディナール大帝国において、強力な魔力を持った魔道師によって生み出された。その魔道師はかなり凝り性だったらしく、杖の材料の木に、強い魔力と共に、仮の命と意志を与えた。この杖は、強力なマジックワンドとして幾多の魔道師の手に渡ったが、三千年前に、ドロディナール大帝国はある魔道師の手によって焼き尽くされ、この地上から消え去った。その時の杖の所有者が、ここラウアー山脈の麓まで逃れて来たのである。エイフの地方でも、千五百年ほど前までは魔道師が残っていたが、遂に最後の魔道師が死んで、エイフでは魔法が絶えた。その彼が、杖を森中に残し、杖は元の木に戻って、それ以来千五百年の時を過ごして来た。その眠りが、アロウおやじによって破られたのである。

「それでね、司祭様」ミラールが手に持った杖を示しながら言った。「この杖の言う事には、魔力を駆使して働くのも、加工品として人の手にあって酷使されるのも、もうこりごりなんですって。今更杖にされるくらいなら、魔道師に命を抜いてもらうか、ただの木として永遠に森の中で眠っていたいんですって」

「へぇー。大したものですね。人並みの言い分じゃないですか」イグロウは素直に感心した。「今から三千年以上も前に生まれた魔道の品とは思えませんね。イマドキの発言ですよ」

「ところで杖さん。あなたが生えてた処は、このあたりでいいの?」

ミラールはそう言いつつ、杖を水平に前方にかざした。その杖がミラールの腕を左方に引っ張った。

「こっちの方なのね。じゃあ、あとは道案内を頼むわよ」ミラールは杖にそう言ってから、イグロウを振り返った。「さあ、司祭様、もうすぐのようですから、がんばりましょう」

ミラールとイグロウは、杖に導かれるままに森の中を歩いた。杖は道などお構いなしに引っ張るが、ミラール達にはそうもいかない。低い灌木の群生地帯に阻まれて、杖の導き通りには進めなくなってしまった。

ミラールは立ち止まったが、杖は尚も引っ張った。

「待って。ここは私達には行けないわ。回り道してよ」

ミラールは杖に言ったが、杖は構わず前進しようとする。

「待ちなさい!別の道を…」

ミラールがそう言いかけた時、杖頭の獅子が口を開けた。その口から凄まじい電光が迸り、灌木の群生地の真ん中を貫いた。幅十ノースはある群生地を分断する、一本の道が出来上がってしまった。

ミラールもイグロウも、しばらく口が聞けなかった。

「こ……、これが」何とか先に口を開いたのはイグロウであった。「これが、(いにしえ)の『直接攻撃魔法』って奴ですか…」

「すごい……」

ミラールは小さく呟いた。全身が感動に震えている。直接攻撃魔法を実際にその目で見、あまつさえそれを使ったのは、二十八年の人生の中でも初めてであった。彼女が黒魔術に興味を持っていたのは、まさしくこの直接攻撃魔法の正体を、この目で見てみたいが為だったのだ。

ミラールはあまりの驚きと感動で、呆然として突っ立っていた。そんな彼女を、杖は手荒く引っ張った。


ようやくショックから立ち直ったミラールと、あきらめに近い感情で今までの現象を受け止めているイグロウは、遂に杖の本体の所までやって来た。それは、高さ三ノースばかりの低木であったが、その幹は太い縄を何本もより合わせたようにごつごつとしており、数えるほどしかない枝も幹と同じようにごつごつとしている。葉はほとんどなく、まるで枯れているかのようだが、樹皮の感じは見るからに瑞々しく、生命力に溢れている。

そんな枝の一本が、途中で切られていた。

「ここを、アロウおやじが切ったんですな」

イグロウがそこを見て言った。

「そうみたいですね」ミラールは上の空でイグロウに答えると、次は杖に向けて言った。「杖さん。これでお別れね。私としては、あなたを手元に置いておきたいんだけど、約束しちゃったものね。仕方ない、諦めるわ。昨日は色々な話が聞けて、とても楽しかったわ。ありがとう」

そう言うと、杖を枝の切り口に当てがった。杖は、すぐにその切り口にくっつき、見る間に枝の形へと戻ってしまった。その枝の先から電光が放たれ、地面に穴を穿った。

驚いて目を丸くしたミラールは、その穴の形に気付いた。

「あれ、そりゃ、文字ですね」

イグロウも同時に気付き、それを覗き込んだ。

地面には、“Thank You”と刻まれていた。

「これはドロ語ですね」と、イグロウ。「確か、『ありがとう』という意味でしたよ」

「ええ。杖のくせに、なかなか粋な事をやるもんですね」

ミラールは微笑んでそう言うと、木に背を向けた。

「隊長、一つ質問が」

そんなミラールに、イグロウが問い掛けた。

「はい?」

「さっき杖に『約束した』って言ってたでしょう。ありゃ何です?」

「約束ですか。いや実はですね、杖に頼まれて、この木に人が二度と近付かないように、周りに結界を張るって約束したんですよ」

「私が、ですか?」

「お願いします」

「まあ、いいでしょう」イグロウは肩をすくめた。「これで、もう安眠を妨害される事もなくなるでしょうからね」

こうして、魔道樹は「イリスの封印」によって結界された。これにより、この近くには誰が来ようと、この木を見る事は出来なくなったのだ。

「いやー、それにしても、魔法っていうのは、凄いもんですなあ、隊長」

「全くです。今、その技術がほとんど残っていないのは、考えたら良い事かも知れませんね」

「暗黒の力を用いる事は、教会も禁じていますからね」

そのイグロウの言葉に、ミラールは少し間を置いて答えた。

「黒魔術は、人の手に余る力です。我々には使いこなせませんよ。人は、そんな超常の力など知らず、自然のままに生きる方がずっと幸せでしょうね。ただ……」

「ただ?」

「興味だけは、失くせそうにありません」

ミラールはそう言って笑った。

五月の辺境の空は、陽とも魔法も、全てを包み込んでひたすら青く晴れ渡っていた。



おわり


19921214

20170403改

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