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辺境の空は今日も晴れ  作者: 宝蔵院 胤舜
4/31

第二話 三人の迷子

辺境の空は今日も晴れ 2

The periphery’s sky is still fine 2




ああ!あの空想を奪い去ったのはだれだ!

魔法のひもも、早く逃げて行く空想を

引きとめることはできなかったのか。

言っておくれ!空想の国はどこにあるのか。

そこへ行く道はどこにあるのか。


            ―― ゲーテ



三人の迷子(The lost three children)



【1】


元首都圏警備隊第一師団長であった、ミラール=オルテールが、ここ東方警備隊第一大隊第四中隊第十四小隊の隊長として赴任して来て、一週間が過ぎた。都会の本隊から来たミラールにとって、この辺境警備隊での毎日は、驚きの連続であった。師団長であった頃は、彼女は書類や閲兵、訓練や会議でほとんど休みなく立ち働いていた。が、ここではする事といえば放牧している羊たちの番だけである。あまりひまなので兵隊達の晩飯を作った事もあるほどだ。

そんなミラールも、ここ数日の間にすっかりこののんびりした空気になじみ、余った時間を有効に使えるようになった。その秘訣は「マイペース」であった。


「曹長。あなたの分隊を呼んで」

朝食を終えて食器を片付けている時に、ミラールがリスキンに声を掛けた。

「はい。何かありましたか?」

リスキンが南方系の黒い顔を向けて返事をした。ミラールの次の言葉を予想してか、その顔はほころんでいる。

「街まで視察に行きます。一 時間グン以内に準備をして」

ミラールがそう言った途端、食堂内は騒然となった。リスキンの分隊の者は大喜びし、そうでない者は羨ましがった。

トール軍曹とピート軍曹が、文句を言いに隊長室にやって来た。

「なあに、トール軍曹、ピート軍曹」

ミラールは、組んだ手の上に顎を乗せて、二人を見上げるようにして尋ねた。いたずらっ子のような笑みがその顔に浮かんでいる。

「納得いかないだよ、隊長」トールがまず口を開いた。「どうして街まで行くのにリスキン達だけ連れて行くだあ?僕らも一緒にいっていいら」

「そうだに隊長」ピートも口を揃えて言う。「別に兵営には忙しい用も無いだで、みんなで出掛けてもいいら」

二人の意見を聞いて、ミラールは楽しげに溜め息をついた。

「二人とも良く聞いて。確かに兵営には、今は重要な任務も無いし、急ぐような用もないわ。でもね、もし村の誰かが手を貸して欲しくて兵営に来たらどうするの?しもの放牧地で何かあったりしたら、街からでは間に合わないし、もし急ぎの用でなくても、現場に着く頃には暗くなってしまうでしょ。私達全員がひまにかまけて遊びに出ていたら、イザと言う時に役に立たないじゃない。それに、放牧してある羊たちの面倒は誰が見るの?」

「それは……」

トールもピートも、返す言葉を失って返事に詰まった。

「だからね」その間を逃さず、ミラールは言葉を継いだ。「兵営には、常に誰かが居なければいけないの。そして、留守番している時には、出来る範囲内で仕事をすればいいし、仕事が無ければのんびりしていればいいわ。今までそうしていなかったなら、これからは、ちゃんと留守番を置く事にしましょう。そうしておけば、何かあった時でも、必ずちゃんと手助けが出来るでしょ。これは、この兵営ばかりじゃなくて、街にある仮兵営でも一緒です。よっぽど重要な事でない限りは、なるべく留守番は置く事。その留守番は当番制。それでいいわね?」

しばらく沈黙が流れた。が、ミラールには、彼らの返事は判っていた。

「判りました」

トールが先に口を開いた。

「隊長の言う事ももっともだ。この前も、みんなで街へ出てる間に、羊が沼にはまった事があったでなぁ。やっぱり留守番はいた方がいいだらなあ」

ピートも納得したようだ。独り言のように呟いて、何度も頷いた。

「じゃあ、いいわね。今日から、なるべく留守番を残す事にします。で、今日は、あなた達に留守番をお願いするわね」

「はい」

トールとピートは素直に答えると、部屋を出て行った。そんな二人の背を見送りながら、ミラールは思った。

まるで初等学校の生徒に教えてるみたい!


一時間後、ミラールとリスキンの分隊は、他の兵隊達に見送られながら兵営を出発した。

リスキンの分隊は、分隊長であるリスキンと、アベル伍長、ロペル伍長、カーツ伍長、ハット上等兵の五人で構成されている。リスキンが、他の兵隊達より二十歳は上なので、この分隊が兵営の中で最も落ち着いている。

過去には山脈越えの最大の要衝であった旧街道も、今では放牧地と麦畑の広がる、のどかな辺境でしかない。道々の畑や牧場から手を振る人達に手を振り返しながら、ミラールは急ぐでもなく歩を進めた。

アローン小川を越えると、小川に沿って教会へと昇る道がある。その道の辻に、冬は店じまいをする「国ざかいの

宿」がある。かなり古い店で、「宿」を生業としていたのはもう数百年も前の事であり、今では腰掛け茶屋として細々と商売をしているのである。

その店前を掃除していた太った女が、兵隊達を見て、頭を下げた。

「やあ、おばさん、おはよう」

リスキンは手を振りながら挨拶をした。そのまま街道を離れて店の方へ歩いて行く。ミラールも、別にその勝手な行動を叱るでもなく、彼の後について行った。

「おばさん。こちらが新しい隊長さんだに」

リスキンが笑ってミラールを紹介した。女は、どうもどうもと愛想よく頭を下げたが、その女が誰なのか、ミラールは紹介されなくとも判ってしまった。

「あなたは、ピート軍曹のお母さんですね?」

ミラールは微笑みながら尋ねた。

「そうだけんが、何で判るだね?」

おばさんが目を丸くして尋ね返すのを聞いて、ミラールは吹き出してしまった。実はこの「国ざかいの宿」の家族は、五人兄弟全員が母親に生き写しなのである。ちなみにピートはここの四男である。

しばらく二人して初対面の挨拶をしていたが、おばさんがふと思い付いたように口を開いた。

「あ、そうそう、隊長さん。ほんの二十 (アングーン)くらい前に、司祭様が街に向かって行ったに。走ればまだ追いつくら?」

「だらなあ」

リスキンは答えると、ちらりとミラールの顔を見た。

「……走るの?」

ミラールは、複雑な表情で囁くように言った。それに対し、リスキンは目顔で頷いた。

一つ小さな溜め息をついて、ミラールは宣言した。

「では、司祭様を追いかけます。全員、駆け足!」

掛け声と共に、六人の兵隊達は街道を走り出した。

確かに司祭は、二十分ほど先行していた。一、三ディボノースの差がついており、馬に乗ってゆっくりと歩いていたイグロウに兵隊達が追い付いたのは、三ディボノースほど走ってからであった。一番に追い付いたのは、走る前には乗り気ではなかったミラール本人である。

「やっと追い付いた!」

額に汗を浮かべて肩で息をしているミラールを見て、イグロウは笑って声を掛けた。

「どうしたんです、隊長。兵隊さん達と駆けっこですか?」

「ご冗談を」ミラールはおどけて肩をすくめた。「私はそんなに若くはありませんよ。司祭様がちょっと前に街に向かったって聞いたから、わざわざ追いかけて来たんじゃありませんか」

「そうでしたか。それはそれはご苦労様でした」

イグロウはそう言うと、身軽に馬から降りた。ミラールと並んで馬を引きながら歩き出す。

そこに、ミラールにだいぶ水を開けられていた兵隊達が追い付いた。

「隊長、さすがに足が速いだねぇ」

ハット上等兵が肩で大きく息をつきながら言った。

「僕らは毎日走り回ってるだに、どうして隊長に追い付けなかっただろ?」

ロペルが首をかしげた。

「走り方が違うからだ」

リスキンが笑いながら言った。彼は、ミラールの次にイグロウに追い付いている。

「どう違うだ?」

アベルが尋ねた。

「呼吸の方法と、手足の使い方が違うんだ」

リスキンはそう言い置いて、兵隊達に「走り方」の説明を始めた。

そんな彼らをそのまま置いておいて、ミラールはイグロウに話しかけた。

「ところで司祭様、今日はどんな御用事ですか?」

「明日は豊穣祭ですからね。祭壇にお供えする供物やら何やらを買い出ししようと思いまして」

「あら、まあ。もうそんなになりましたっけ」

ミラールは苦笑いして言った。辺境ののんびりペースに合わせていた彼女は、すっかり日にちの感覚を失ってしまっていたのである。

「隊長こそ、今日はどうしたんですか?ピクニックに駆けっこですか」

彼らの後ろでまだ「走り方講義」をしている兵隊達を肩ごしに見つつ、イグロウが尋ねた。

「またそういう事を言う」ミラールはふくれて見せた。「今日は視察を兼ねて街の人達に挨拶しに行くんです。マラソンは単なる僥倖ですよ」

「まあまあ、そう怒らずに。街の人は、みんないい人ばかりですよ。隊長もきっと気に入るでしょう」

ミラールの頭二つ上で、イグロウの無骨な顔が笑った。


【2】


エイフの街は、この広大な僻地、エイフ村で唯一の人口密集地である。旧街道によって繁栄していた頃の壮麗な建築の跡が今もまだ見られはするものの、街そのものの規模は最盛期の十分の一以下になっている。今残っているのは、かつては巨大だった宿場街の、宿や商家の集まっていた中心部のみである。

街に一歩入って、ミラールは大きく溜め息をついた。彼女は士官学校に入っていた頃、自由科目として建築学、建築美術を学んでいた。その彼女にとって、この街は古様建築の生きた見本のようなものであった。

「凄い!この街、今だにアラン=ヴァールス様建築が生きてるなんて!」

ミラールは、いたく感激して叫んだ。アラン=ヴァールス様建築というのは、六百年程前にアラン=ヴァールスという芸術家が生み出した建築様式で、小さなレンガを緻密に組み上げ高い床と壁を持ち、意味も無く上階を回廊で結びつけた、壮麗な、別の言い方をすれば、無駄の多い建築様式である。都では、とっくに消え去ってしまったものである。

「へえー、この建物の良さが判るなんて、隊長もなかなか博識ですなぁ」

イグロウはミラールの知識の深さに舌を巻いた。彼がアラン=ヴァールス様とその貴重さを知ったのは、この地にやって来て、教会の書斎にあった古い先輩の記録を読んだ時が最初であったのだ。

ミラールが街並みをうっとりと眺めながら歩いているうちに、一行は町の中心にあたる、街道の四つ辻へとやって来た。

「隊長。ここが旧街道の「トルマン」で、エイフの街の中心でもあります。ここから北へ行くとキルクの村があり、その先は海になります。ここは遥かな昔から、馬車や旅人の駅になっていて、辻の中心の噴水は、昔も今も住人や旅人の憩いの場となっています」

イグロウが観光案内のような説明を始めたが、それはすぐに中断された。一人の少年が、息せき切って走って来たのだ。

「司祭さま、それに兵隊さんたちも、急いで兵営まで来てちょーだい!」

「一体どうしたんです?」

目を丸くしてイグロウは尋ねた。

「マールとエリアとオルタンが、迷子になっちゃっただよ!」

「それは大変だ」

イグロウは、ミラールを目でうながすと、小走りに走り出した。

「自分達は、先に行ってます!」

リスキンはそう言うと、残りの四人と共に走り出した。

そんな彼らを見て、まだ辺境に来て日の浅いミラールは、目を丸くしながらイグロウの後を追った。

たかが迷子で、こんなに大騒ぎするなんて!

ミラールは心中大いに驚いていた。


主に冬の間に使用する街の兵営の前には、二十人ほどの男女が集まっていた。

「マール達が迷子になったですって?」

イグロウが、ミラールの紹介もそこそこに切り出した。

「そうだよ」オラウ夫人が泣きながら答えた。「うちらが畑仕事をしてる間に、うちのマールと、エリアとオルタンが遊びに行っただよ。昼ご飯までにはちゃんと帰って来るように言っといただに、時間になっても帰って来ないだよ。心配になったで街中捜しただけど、どこでも姿を見てないって言うだよ」

「誰も見てないって?」

リスキンが横から尋ねた。オラウ夫人は無言で頷いた。

「牧場や森は捜してみましたか?」と、イグロウ。「キルク村の方の街道や、用水路の方は?」

「捜してみただよ」若者の一人が答えた。「だけんがどこにも姿も見えないし、行ったような形跡もないだ」

街の人々やイグロウや兵隊達がわいわいと言い合っているのを横で見ていながら、ミラールは首をひねっていた。迷子ぐらいで、なぜこんなに大騒ぎをしなくてはならないのか。川や崖に落ちた、という事はないだろう。もしそうなら無事な子が必ず帰ってくるはずである。まあ三人とも落ちてしまっていれば別だが……。

ミラールは兵営の前の道を目で南へ辿った。道は途中で整備が悪くなり、そのあたりで柵がせき止めている。その先は上り坂になっており、森の中の恐ろしく古めかしい巨大な城へと続いている。

どこにもいないとなれば、あの城の中に入ったとしか考えられないじゃないの。

住人達は、意識して城の事に言及するのを避けているようだ。しかし、このままでは埒が明かない。ミラールはそう考えて、口を突っ込む事にした。

「ねえ、皆さん。あの城は調べたんですか?」

その途端、その場の空気が凍りついた。毛の生えた心臓を持つ(と、ミラールには思われた)イグロウすら、一座の者達と同じ心境にあるかと思われる、複雑な表情を見せた。それは恐怖と絶望の感情であった。

先程までの喧騒が嘘のように、水を打ったように静かになった彼らを見て、ミラールは尚も言葉を続けた。

「これはどういう事ですか?最も迷子が迷い込んでいる可能性のある場所を無視してみんなで騒ぎ立て、そこに話しが及ぶと黙り込んでしまう。これではまるで捨て子を正当化するためにわざと騒ぎ回っているようだわ。さあ、誰か、あの城の事を話して下さい。そうでなければ、私は納得が行きません!」

ミラールは柳眉を逆立てて一同を睨み回した。

「判りました」しばらくの沈黙の後に、イグロウが口を開いた。「布教所へ行きましょう。そこで話します。ハット、ローサク爺さんを呼んで来て下さい」


皆は、「辻」にほど近い所にある教会の出張所、「布教所」に入ると、各々自分の場所を決めて席に着いた。ミラールは、イグロウの正面に腰を降ろした。

「さあ、話して下さい」

ミラールにせかされて、イグロウは重い口を開いた。

「実は、あの城は、この街が出来る前からこの地にあったもので、街の人達は『封印の城』と呼んでいます」

「『封印の城』?」

「そうです。そして、あの城に迷い込んで、生きて再び出て来た人はいないんですよ」

イグロウがそこまで言った時、ハットがローサク爺さんを連れて入って来た。

「司祭さま、連れて来たに」

「ありがとう。ローサク爺さん、ご苦労様です。ここに掛けて下さい」

イグロウは、自分の横に爺さんを座らせた、

「司祭さん、わしに何か用かね?」

「爺さん。こちらは新しい兵営の隊長のオルテール隊長。隊長、こちらは酒屋の隠居でローサク爺さん。村一番の物知りで通ってます。

――で、爺さん、『封印の城』のこと、隊長さんに話してもらえないですか?」

「『封印の城』の事か…」ローサクは一つ大きな吐息をついた。「その昔、この地方一帯は、ネクロマンスル族という、魔法を自由に操る一族が支配しておったらしいずら。彼らは、虚空から物を生み出し、闇の中から怪物を呼び出す事が出来たのじゃ。そんな彼らが、異民族の侵入や、山脈から降りて来る異形の怪物どもから自らの土地を守る為に、彼らの魔法の粋を極めて造ったのが、あの城ずらよ。

あの城の中には至る所に闇から呼び出した魔物が配されておって、トロくさい侵入者が不用意に部屋などに踏み込もうものなら、その化け物が頭から食い尽くしてしまう、そんなワナをこしらえただ。

ネクロマンスル族は、とうの昔に滅びてしもうたが、あの城と、その中におる化け物どもは城の中に封印されたまま、今でも迷い込む哀れな犠牲者を待ち続けておる、という事ずらよ」

その話を聞いて、迷子の母親達は一層涙をこぼして嘆いた。他の迷子捜しを手伝った者達も、兵隊達も、絶望の表情でそんな彼女らを見つめた。

ミラールはしばし苦い表情で腕を組んでいたが、ふと立ち上がると、イグロウの腕を取って扉の外まで引っ張り出した。

「どうしたんです、隊長」

「どうしたんです、じゃありません」ミラールは、潜めた声にあるだけの憤りを込めて言った。「まさか司祭様まで、あのデタラメな伝説を信じてるんじゃないでしょうね?」

「半分は疑ってます」

「半分?」

「しかし、あの城に入り込んで、行方不明になった人が大勢いる、これも事実です。あの城には何かがあるんですよ」

「何かがある、で済ましてしまうんですか?」ミラールはムキになって言いつのった。「司祭様ならお判りでしょう。この土地に、魔法を操るネクロマンスル族がいた、なんて全くの嘘っぱちです。この土地には、先住の土俗民と、アルマント大陸からやって来た海賊民、ロウドロン族、そしてオールルのオルバツ族しかいなかったんですよ。怪物が封印されているだの何だのと、そんなのはただの警告伝承にしか過ぎないんです!そんな伝承があるくらいだから、きっとあの城の中には危険があるのでしょう。だからといって、中に迷い込んで、不安で泣いている子供達を無視するなんて、絶対に間違ってるわ!」

ミラールの言葉は、最後の方は皆に聞こえる程大きくなっていた。強い怒りが、彼女の美しい顔に凄絶な表情を刻み込んでいた。

その顔で睨み付けられると、さすがのイグロウも思わず腰が引けた。

「リスキン!」

鞭のような鋭い声に、リスキンを含む兵隊全員が無意識のうちに直立した。

「はいっ!」

「今から城内を捜索します。ロープとランプを集めなさい」

「……」

さすがのリスキンも、この命令にはすぐには返事が出来なかった。根っからの軍人である彼にしても、生まれてからずっとこの辺境に育ち、『封印の城』の伝説を聞いて来たのである。幼い頃から心に刻み込まれて来た恐怖は、そう簡単に払拭出来るものではない。

しかし、ミラールの叱咤は、その場の恐怖をも吹き飛ばした。

「ロープとランプを!早く!!」

強い命令口調には全く慣れていない兵隊達だったが、この一言には体が勝手に反応した。


【3】


迷子捜索隊一行は、『封印の城』への道を塞ぐ柵の前に集まっていた。肩にはロープの輪を掛け、ベルトにランプを下げた兵隊達の顔には、一様に恐怖の表情がこびりついていたが、ミラールだけは、やり場のない憤りと迷子救出の使命感に頬を紅潮させていた。

「隊長、気をつけて下さいよ」イグロウが心配そうな顔で言った。「化け物の話を信じている訳ではありませんが、それでもきっと何かはあるでしょう。ミイラ取りがミイラにならないよう、慎重に慎重を重ねて下さい」

「司祭様こそ、しっかりと彼女達を元気づけてやって下さい。人の感情というものは、運命すら左右する力を持っているんですから。待つ人達の希望が強ければ強いほど、生還の可能性は高くなるのですからね」

ミラールはそう言うと、小さく敬礼した。

「あなたは司祭になった方がいいかも知れませんな」

柵を越えて城へ向かったミラールの背に向かって、イグロウは思わず呟いた。


城の玄関は、巨大な鉄格子で閉鎖されていた。脇に格子が一本外れた所があり、子供一人が通り抜けられるほどの穴が開いていた。格子越しに内側を覗くと、厚くほこりの積もった床に、種々の動物の足跡に混じって、小さな子供の足跡が三人分見つかった。

「やっぱりこの中だわ。みんな、入るわよ」

ミラールは言うなり、錆び付いた潜り戸に掌底を打ち込んだ。格子の潜り戸は、十ノースほど奥まで吹き飛んでいった。

ぽかりと開いた潜り戸をミラールが潜ると、しぶしぶながら兵隊達も後をついて来た。

「隊長、やっぱりこわいよぉ」

「僕らも出られなくなっちゃうに、きっと」

ハットやロペルが口々に泣きを入れるのを無視して、ミラールはどんどん奥へと進んでいった。

床は丹念に研磨されたタイルが敷き詰めてあり、天井はドーム形に湾曲させてあり、相当の重量をも支えられる構造になっている。ほぼ三ノースおきに支柱がもうけてあり、その天井付近には異形の怪物を象った石の明かり立てが、巨大な牙をむいて廊下を見下ろしている。支柱と支柱の壁には、壁の内側と外側で大きさの違う窓が作られている。外の方が小さいので、外から内は見づらく、窓から入る事も出来ないようになっている。窓枠、壁と天井の境、扉などには、波を図案化した、といわれる古式(オマール)波形(スルフェル)紋様が浮き彫りにされている。

「素晴らしいわ。三千年もの昔のロウドロン族の建築様式、ドルバロウ様がほとんど無傷で残っているなんて……」

ミラールはあまりの大発見に、つかの間自分の目的を忘れかけた。だが、この城の建築様式を知った瞬間、彼女の心のどこかで警報が鳴った。ただ彼女にはまだこの警報の意味が理解出来なかった。

ミラールは、全員を集めて指示を出した。

「この城の建築は、部屋が異常に多いはず。だから、手を分けると我々自身が迷子になりかねない。そこで、一団となって行動し、部屋を調べたらまた必ず同じ場所へ戻るように。そうして全員揃ったところで、また移動をする。いいね?」

「はーい」

返事に元気がない。

「何度も言うように、ここに化物はいません。ただ恐ろしく古いだけなの。それは保証するわ」

「はーい」

今度の返事は、少し元気があった。

「では、迷子捜しに、出発!」

「おーっ!」

城内に入っても化物が出て来ないので、兵隊達はかなり元気を回復していた。ミラールの言葉に鼓舞されて、しっかりとした足取りで歩き出した。

彼女らは、お互いが見える程度に分散して、部屋を覗き込んだ。だいたいの部屋は、窓からの明かりが差し込み、しかも家具らしきものも何一つ無かったので、一瞥しただけで誰もいない事が判った。ただ、アベルの覗き込んだ部屋は、窓が無く、室内は暗闇に閉ざされていた。ランプを掲げてみても、光は部屋の奥までは届かない。

さすがに恐くて部屋の中までは踏み込めなかったので、アベルは闇に向かって声を掛けてみた。

「マール、エリア、オルタン、いるかい?」

闇の中で、何か音がしたような気がした。

「マール、マール、いるのかい?」

今度はもっと大きな声で言ってみた。やはり物音がする。アベルのその声は、ミラールにも聞こえた。その時、彼女の脳裏に、先の警報の理由が浮かび上がった。それは、ドルバロウ様建築の、恐ろしき特徴であった。

ミラールは、脱兎の如く走り出した。

「マール!マール!いるだったら返事しろ!」

アベルはついに大声で呼んだ。その瞬間、部屋全体が鳴動した。その音と揺れに、アベルは扉の前に棒立ちになる。そんな彼にミラールはタックルをすると、扉の正面から飛び退いた。次の瞬間、部屋の天井が崩れ落ち、その破片が扉の外にまで飛び散って来た。

ドルバロウ様の恐るべき特徴。それは、音に反応して天井が崩壊する仕掛けだったのである。

「アベル、大丈夫?」

ミラールが、アベルを助け起こしながら尋ねた。

「え、ええ、何とか……」

アベルは今だ呆然としながら答えた。

「隊長、大丈夫ですか?」

「アベル、隊長、大丈夫?」

他の兵隊達が口々に言いつつ駆け寄ってきた。そんな彼らを身振りで制して、ミラールは口を開いた。

「みんな聞いて。この城は古代ロウドロン族の作り出したドルバロウ様建築で作られているわ。この造り方は、基本的に窓の無い部屋の天井は、ある程度以上の大きな音に反応して崩れて来るように細工がされた様式なの。多分、以前この城に入って行方不明になった人達は、この細工に掛かってしまったのだわ。私達は、それと同じ轍を踏むわけにはいかないわ。なるべく、誰かを呼びつける時でも、大声を出さないように」

「ではどうやって連絡を取り合えば良いでしょうか?」

「あら、リスキン。私に訊くまでもない でしょう。あなた達が毎日のように使っている方法でいいのよ」

「なるほど。口笛ですね」

「ええ。――それと、窓がある部屋でも、油断してはだめよ。窓がある部屋は、床が崩れる可能性があるから。

では、あらためて行くわ。みんな、くれぐれも気を付けて!」

「はい!」

兵隊達は、元気に答えた。目に見えない不安、怪物の恐怖と異なり、大声を出すと崩れる仕掛けというのは、自分の注意だけで克服出来るものである。その事実が彼らを力付けたのである。

徐々に奥へ進んでいった彼らは、床にうず高く積もったほこりの上に、真新しい子供の足跡三人分と、犬科の動物の足跡が入り乱れてついているのを見つけた。リスキンが三度口笛を吹くと、別の方向に行っていた兵隊達もやって来た。

「この足跡は何だいね?」

カーツが犬科動物らしき足跡を指差して、誰ともなく尋ねた。

「狼じゃないらね?」

ハットが不安げに言った。

「マールたちの足跡とは関係ないって事はないだかねぇ?」

ロペルがそんな気楽な予想をしたが、リスキンは首を振った

「マール達の足跡は、明らかに慌てて走り出した様子を表している。狼か野犬かは知らないが、何かと出会って、驚いて奥へ逃げ出したのだろう」

「みんな、気を付けて」ミラールが言った。「今からこの足跡を追うわ。何が起こっても対処出来るように、警戒を怠らないように。いざとなったら剣を使いなさい」

「でも僕たち、剣なんか使った事ないに」

ロペルが不安を露にして言った。ミラールは内心頭を抱えた。

「持っていないよりはマシだわ」

ミラールは口の中で呟くと、皆をうながして歩き出した。

足跡は、廊下を左に曲がり、右に曲がり、しばらく続いていた。何か動物に追い立てられているにしては、長い逃避である。

「いやらしい相手だわ」ミラールは呟いた。「獲物をいたぶって遊んでいるのね。どうせなら、私が追い付くまで遊んでいて欲しいところだわ」

やがて足跡は大きな広間へと入っていった。その広間には扉がなく、中が一望出来た。広間は二百四十バイノースほどもある広大さで、床は所々穴が開いている。そのいくつかの穴の一つの縁に、五匹の野犬がうろついており、穴の中に向かって唸ったり、吠えたりしていた。


【4】


その野犬達は、ミラール達の足音を聞き付け、一斉に頭をめぐらせた。その目は凄まじいまでの飢えにぎらつている。四肢も胸も骨が浮き出しており、犬と言うよりは骨ばかりの怪物に見える。

「あの穴の中だわ」

ミラールは確信して言った。

「でも、あんな犬がいるだに、どうやって助けに行ったらいいだよ?」

カーツがそう言った瞬間、野犬達が飛び掛かって来た。

二十ノースはあった間が瞬時に埋められた。ミラールは咄嗟にクックリを引き抜き、身をかわしざまなぎ払った。だが、クックリは刃側に湾曲のある短剣である為、抜き打ちに斬る事は難かしい。剣背で叩く結果となった。どすんとこもった音を立てて、クックリは野犬に命中した。肋骨を数本折られて、野犬は悲鳴を上げて吹き飛ばされた。だが、床に叩きつけられながらも、素早く立ち上がる。

野犬達は多少怯んだようだが、それでもミラール達を自分の食糧にしよう、という考えは捨てていない。少し遠巻きにしながら唸り声を上げている。

「これだから野生の凶暴な動物は嫌いよ」

ミラールは冗談めかして言うと、クックリを構え直した。目はー瞬も野犬達から離さない。

兵隊達は剣は抜いたものの、リスキン以外は全く剣術など知らない。クワを持つように剣を構えている。

肋骨を折られた野犬が、その痛みに怒りをつのらせ、最もスキの多いハットに飛び掛かった。

「わあっ!」

ハッ卜は慌てて剣を振り回したが、犬は素早くそれをかい潜って、ハッ卜に牙を立てようとした。ミラールは、彼を被おうと飛び出しかけた。

次の瞬間、その犬の首が飛んだ。血がハッ卜の体に飛び散る。リスキンの剣が一刀のもとに断ち斬ったのだ。

彼女の隙をついて、野犬が二匹飛び掛かって来た。ミラールは一匹に右手のクックリで斬りつけた。それが躱されるのにまかせて、その勢いを利用して左に一歩震脚し、もう一匹の犬に左の拳を突き込んだ。

フン!」

ミラールの発勁が爆発した。コルトルトの一部地方で秘密に伝えられている「覇極拳」の凶猛な一撃である。脊髄が折れ、犬は即死し、広間の中心の穴近くまで吹っ飛んだ。

「すごい!」

現在の状況を忘れて兵隊達が叫んだ。

「ほら!気を抜くな!」

ミラールが怒鳴った。彼女のクックリを躱した犬が、今度はロペルに向かった。しかし、彼の長剣に阻まれ、飛び込めずに立ち止まる。

ミラールは、ふと震脚した足元を見た。石畳に亀裂が入り、少し沈んでいる。床はかなり脆くなっているようだ。へたに室内で暴れ回れば、子供達と同じように床下に崩落しかねない。

「みんな、部屋から出て!犬を誘い出すのよ!」

ミラールは言いざま、兵隊達を背中で室外へ押し出した。兵隊達は五人まとめてよろよろと廊下に出る。それを追って、ミラールは野犬達に背を向けた。

野犬はそれを見逃さなかった。ぐいと身をたわめると、牙を剥いてその背に飛び掛かった。だがしかし、それはミラールの誘いであった。

野犬の牙が届く直前、ミラールは右足を左足の後ろに交差する形で引くと、一気に背後に体を開いた。

剣を振り出す腕の力に、体を開く回転力が加わって、ミラールのクックリは野犬の胴体をきれいに輪切りにした。あまりに鮮やかに切断したため、野犬はまだ下半身の無い事に気付いていなかった。上半身だけで牙を剥く。その顔面に、やはり大きく勢いのついたミラールの左掌が撃ち当った。犬の両眼がその衝撃で飛び出した。下半身はミラールの足許へ、上半身は廊下の壁まで吹き飛んだ。

ミラールはそのままクルリと回転すると、再び野犬に背を向けた。背後には何もないかのようにゆっくりと歩いて広間を出る。

残った野犬二匹は、今回はさすがにミラールの背に飛び掛かろうとはしない。頭を低く落とし、見上げるようにして、彼女を睨み付ける。

ミラールは廊下に出ると、再度野犬に向き直った。ドルバロウ様式は、部屋の屋根や床に崩落しやすい細工をしている分、壁や廊下は頑丈に作られている。部屋の屋根はクシャミひとつでも崩れかねないが、廊下はトホームがダンスを踊ってもゆるぎもしない。

「さあ、犬っコロ、おいで」

ミラールは指先で手招きをした。しかし、さすがに他三匹の死に様を見ているので、すぐに飛び掛かってはこない。ジリジリと近付きながら、様子を見ている。

しばらく、野犬とミラールの睨み合いが続いた。ミラールは、穴の中にいると思われる子供達の事を考えると、どうしても焦りの表情を押える事が出来なかった。張り詰めている緊張の糸が揺らぐ。

野犬はそれを嗅ぎ付け、一気に隙を見て飛び掛かろうと、さらに身を沈める。

その時、リスキンが鋭く口笛を吹いた。その場にいた全員が、その音に飛び上がった。

飛び上がったその勢いで、野犬の一匹がミラールに飛び掛かって来た。十ノースの距離を一歩で詰めて、彼女に迫る。

ミラールも飛び上がった勢いで、反射的に反応した。どしんと震脚し、左の掌を野犬の顔面に真正面から撃ち込む。

野犬の首が胴体にめり込んだ。地を噴き出しながら吹っ飛び、もう一匹の野犬の足許に転がった。

四肢を痙攣させて横たわる仲間の死骸を見て、ついに野犬は戦意を喪失した。くるりと背を向けると、反対側の出口から駆け出して行った。

犬が消え去ってからもしばらく緊張を解かなかったミラールであるが、戻って来る気配がないのを確認すると、大きく息を吐いて、構えを解いた。

「隊長、もう大丈夫かいや?」

ロペルが、大きな声を出すと野犬が戻って来る、とでもいうように、囁くような声で尋ねた。

「ええ、もう大丈夫よ」

ミラールは振り向いて、笑顔で答えた。今までの修羅場が嘘のようなその笑顔に、兵隊達の緊張は一気に切れた。

リスキンを除く全員が、腰を抜かして座り込んだ。

「あー、助かった」

「ほら、まだ終わった訳ではないわ」ミラールは手を叩いて言った。「マール達がまだあの穴の中にいるのよ。早く助けてあげましょう」


ロープを廊下の柱に結び付け、ミラールは広間の真ん中の穴までやって来た。震脚でひび割れる程弱い床なのだ。他の兵隊達は廊下で待たせておく。

「マール、マール」ミラールは大声を出さないよう気を配りながら、穴の中に声を掛けた。「マール、エリア、オルタン、大丈夫?けがはない?」

暗がりの中で、声に応えるような物音がして、すぐに止んだ。しばらく沈黙する。

ミラールがもう一度声を掛けようと思った時、光の輪の中に一人の少年が入って来た。七~八歳くらいの年で、顔も服も汚れてはいるが、その瞳には元気そうな輝きがある。その少年の持つ雰囲気に、ミラールは一瞬心の痛みを感じた。

「クリス…?」

思わず口に出して呟いてしまった。

「俺はクリスじゃねぇ、マールだ」少年は強い口調で言った。「お前は誰だ?お化けや妖怪じゃないだろうな」

その構えたマールの様子に、ミラールは我に返って言った。

「ご免なさい、マールくん。私は兵営の新しい隊長よ。あなた達を助けに来たの。誰か怪我をしてない?」

マールは、警戒を解かずにミラールを睨み付けた。かなり怖い目に遭ったので、信用が出来ないのだろう。

「リスキン」ミラールは振り返らずに言った。「ここまで来てロープを引っ張って。マール達を救出するわ」

ミラールは言うが早いか、三ノースほどの深さの穴の中に飛び降りた。

マールはミラールを間近に見て、さらに一歩退がった。拳を強く握り締めて、負けん気を見せて睨み付ける。

彼女のランプの光に、マールの後ろで小さくなっているエリアとオルタンが浮かんだ。オルタンは右足を手で押さえて震えている。ミラールが二人を見ようとすると、その視線を遮る様にマールが立ちふさがる。体を震わせながらも、恐怖から一歩も引こうとしない。

「マール、二人を守ってくれていたのね。ありがとう。でも、もういいのよ。後は私達兵隊にまかせて。一緒にここを出ましょう」

ミラールがそう言った時、穴の上からリスキンが覗き込んで声を掛けて来た。

「隊長、大丈夫ですか?」

リスキンを見て、マールの緊張の糸は切れた。初めて逢うミラールには気を許す事が出来なかったのだが、リスキンが隊長と呼ぶ以上、心配はいらない。

そう考えるより早く、マールはミラールにしがみついて泣き出していた。気丈にミラールを睨み付けた彼も、今はただの八歳の少年であった。

そんな彼を、ミラールは優しく抱きしめた。


ミラールを先頭とする迷子捜索隊が、三人の迷子をおぶって仮兵営に帰って来るのを見て、母親達は嬉し泣きに大泣きした。オルタンが右足をくじいてびっこを引いている以外、彼ら三人には怪我も異常も無かった。

親子が抱き合って無事を喜び合っている様を、ミラールは瞳をうるませて見守っていた。イグロウは、そんなミラールに無言で頭を下げた。


【5】


翌日の豊穣祭は、今までにない盛り上がりを見せた。昨日の「三人の迷子救出作戦」とその成功は、たった一晩で村中の誰もが知る所となった。神殿でのミサが終わると、人々は兵隊達に群がり、『封印の城』へ乗り込み、子供達を救出して尚且つ生還した彼らの武勇伝を聞きたがった。

義務を果たしただけだ、と思っているミラールにとって、大勢の人々が興味津々で話を聞きに来ることは、当惑と迷惑以外の何物でもなかった。リスキンを始めとする兵隊達にとっては、自らの恐怖を克服して挑んだ一大武勇伝であり、充分称賛に価するであろう。ただ、ミラールは違うのだ。

武勇伝の講釈会場は教会から兵営へと移り、尚も続けられた。ミラールを始めとする兵隊達が、一言も聞き漏らすまいとする熱心な聞き手達から解放されたのは、晩の九 グンを過ぎてからだった。

その翌日。ミラールは偏頭痛の頭を抱えて教会を訪れた。

書斎まで勝手に入って来たが、イグロウはいなかった。いつもなら、午前中の仕事に一段落をつけた彼が、ここでガフィを一服しているはずである。案の定、コンロの上にガフィのポットが掛かっており、沸騰寸前になっていた。

「司祭様、こんにちは。いらっしゃいますか?」

ミラールはコンロの火を落としながら呼び掛けた。その時、書庫の扉から埃が煙のように吹き出して、その煙と共に埃で真っ白になったイグロウが転がるように飛び出して来た。

「やあ、これはこれは……隊長……おはようございます……」

イグロウは、埃にむせながら挨拶をした。

「一体どうしたんです?そんなに真っ白になって」

ミラールは目を丸くして尋ねた。

「いやね、『封印の城』について調べようと思いましてね。資料が無いかと思って、古本をひっくり返してみたんですよ」

「その甲斐はありました?」

「ええ。多分。これに書かれているようですよ」

イグロウは手に持っていた本をミラールに渡すと、埃を洗い落としに洗面所へ行った。

ミラールは、椅子に腰を下ろすと、手にした本に眼を落した。表紙には飾り文字で『東方辺境地誌』と書かれている。書かれたのはフラブ暦六二八年とあるから、今から千六百年ほど前である。恐ろしく古い文献である。

表紙をめくってみた。扉があって、それをめくると枕書があった。

「……」

その枕書に目を通して、ミラールは軽く肩をすくめた。文章はオマールアルキスタンで書かれていたのだ。文法は現在のアルキス語とは異なっているし、アルファベットも現在はない物があったり、現在ある物が無かったり、語彙にしても現在とはかなり異なる。いかにミラールが博識とはいえ、この文章を半分も解読出来ない。読めるのは、古代文献学者か司祭士くらいのものである。

それでも目次くらいは何とか読む事が出来た。その中に、「封印の城」という項目があった。つまり、あの城は、この本が編纂された時代から封印されていた、という事だ。

「どうですか、判りますか?」

タオルで濡れた頭を拭きながら、イグロウが帰って来た。

「全然」ミラールは頭を横に振った。「目次の項目くらいは何とか判るんですが、文章は、文字を追うだけで、さっぱり」

「そうですか。意外ですね」

イグロウは心底驚いた顔で、ミラールの手から本を受け取った。

「私はただの軍人ですよ」

「ただの、は余計だと思いますがね」

イグロウは、まるで友達からの手紙を読むように本に眼を通すと、あるページを開いた。

「隊長、ありました。『封印の城』に関する記述です」

そう言い置いて、イグロウは声を上げて読み始めた。その内容をイグロウの読み上げた通りに記すと、こうである。

――ラウアロウの地は、フランク王国国王統べらざる時、オルバツ、並びにロソの民住みたり。その上にこれらを統ベる民、ロウドロンあり。

ロウドロンの民は海賊を生業とする海の民なれど、その造船の業、陸にありても秀でたり。すなわち罠作りなり。

興国の父、ヘリウス=ランカスター閣下、この地を攻めし時、その勢力に抗せんが為に罠仕掛けの城を建立す。ロウド・ラップ城、ダル・アーヌ城それなり。かの床、天井、音に反応し崩るる仕掛けあり。ラサロ・ステナ樹の樹脂を用うる仕掛けなり。

この仕掛け、ー暫の下には判じかねざれば、不用意に近付くは危険なり。それによりてこの二城をば封じたり――

聞き終わって、ミラールは大きく溜め息をついた。

「すごい。今は既に断えてしまった幻の建築様式が、文献と実物の両方とも現存するなんて。正に歴史の発掘だわ」

「私も、こんな貴重な資料がこんな田舎の教会の書庫に眠っていたとは思いもしなかったですよ」イグロウもそう言いつつ、溜め息をついた。「この分なら、書庫を全部ひっくり返したら、歴史学界をもひっくり返すような発見があるかも知れませんな」

「今、二つの城の名がありましたね」勝手にカップにガフィを注ぎながら、ミラールはイグロウに尋ねた。「何でしたっけ。ロウド何とか……」

「ロウド・ラップ城とダル・アーヌ城です」

イグロウは言いつつ自分のカップを差し出した。ミラールはそれにガフィを注いでやった。

「そう。その城ですけど、この周りにもう一つ城があるんですか?あるとすれば、どっちがどっちなんですか?」

「あるにはありますよ」イグロウはそう言うと、ガフィをー口飲んだ。「海辺のキルク村と、エイフ村との境に『ドラゴンの(ドラゴンダラヌー)』と呼ばれる遺跡があります。ドラゴンの、と付くぐらいですから、かなり広大な遺跡なんですがね」

「『(ダラヌー)』?」

イグロウの言葉を、ミラールは聞きとがめた。『(ダラヌー)』という言葉に聞き憶えはなかった。ちなみに、『庭』はアルキス語では「フィロス」という。

「ああ。この地方の方言みたいなものです。かなり前から使われているみたいですが、このダラヌーという言葉、ちょっと分解してみて下さい。どうなりますか?」

「ダラヌー……」ミラールはちょっと考え込んだ。「ダラヌー……、ダル・アーヌ……。あっ!」

「はい。多分村境の遺跡がダル・アーヌ城で、こちらの『封印の城』がロウド・ラップ城だと思います」

「素晴らしいわ。建築学史上に残る大発見だわ」

ミラールは頬を上気させて、また溜め息をついた。

「では、あの城を調査しに、大勢の学者達がこの村に押し掛ける、という事になるんですかね?」

イグロウが嫌そうな顔で言った。彼は、今の静かな辺境が気に入っているのだ。有名になって、人が大挙して押し掛ける、そんな事態にはなって欲しくないのだ。

「まさか」そんなイグロウの気持ちを察してか、ミラールは明るく笑った。「あの城は改めて封印するんですから。少なくともあと数十年は誰の目にも留まる事はないでしょう」

「えっ!?」

「今日、兵隊達が総出で、あの城の入口という入口、出入りの出来る穴という穴を塞いでいます。もう誰もあの城に迷い込む事はなくなるでしょう。それに、兵隊達には、昨日の時点で『やっぱり化け物はいた』という話をするように、口裏を合わせてありますから、村人なら誰一人としていらない好奇心を起こす事もないでしょう」

「どうしてですか?歴史的な大発見ですよ。この事を中央に報告すれば、大袈裟ではなく、あなたの名前は永久に歴史に残りますし、きっと学界から多額の報奨金がもらえるでしょうに」

「だって、私には名誉もお金もどうでもいい事ですもの。それに」そこまで言って、ミラールはいたずらっぽい笑みを浮かべた。「伝説は伝説として残っていたほうが、ロマンがあっていいでしょ?」

「あなたという人は……」

イグロウは思わず吹き出してしまった。

「あら、そんなに笑う事もないですわよ」ミラールは冗談とも本気とも取れる口調で言った。「あの城の内部に入り込む事は、化物がいようといまいと危険には違いないんですから、それなら『あの城はドルバロウ様建築で、音を立てると崩れて来るから危ない』などと難しい説明を改めて加えるよりも、『お化けがいるから入っちゃいけません』と今まで通りに説明しておいた方が、村人達にも判り易いじゃありませんか。物理的な危険よりも、心理的な恐怖の方が抑止力が強いものなんですよ」

「まあ、確かにここの人達は純朴で素直ですから、それが彼らにとってはいい事かも知れませんけどね」ようやく笑いの収まったイグロウは口を開いた。「それにしても、あなたは本当に不思議な方ですね。今までこの辺境に来た隊長さん達とは、ひと味もふた味も違いますね」

「そうですか?」

「ええ。あなたは真面目で正義感が篤く、自らを律する強い心と、既成の価値観に囚われない柔軟な心を合わせもっています。以前までの隊長には無かった性格です。それに」

「それに、何です?」

ミラールは、次に来る言葉に期待しながら尋ねた。イグロウは、そんな彼女の期待に応えるべく口を開いた。

「今までのどの隊長より"まとも"ですよ」


ミラールが兵営に帰ると、マール、エリア、そしてオルタンの三人がそれぞれの両親と共にやって来ていた。改めてどうしても礼がしたい、という親達のたっての希望で、兵営の食糧庫には、辺境で入手可能な最も高価なワイン「白いしずく(スラトルム)」が三樽納められた。

時間(グーン)かけて感謝の言葉を言い尽くした両親達は、やっと満足してミラールを解放した。

彼らに見えないようにぐったりと腰を下ろしたミラールの前に、ひとりマールが引き返して来た。

「隊長」

「は、はい?」

ミラールは慌てて笑顔を作った。

「これ、あの城の穴の中で見つけたヘンな巣の中にあった卵。隊長、取っといて」

マールはそう言うと、いびつな形をした卵らしきものをミラールに差し出した。彼女はその卵に見憶えがあったので、一も二もなく受け取った。

その夜、ミラールはその卵を兵隊達に見せた。蹴まりほどもあるその卵を、兵隊達は誰も見た事はなかった。

「隊長、これ、何の卵だいね?」

「えらい古いようだけんがねえ」

ロペルとオットーがのぞき込むように見ながら尋ねた。

「百年は前の卵のようね。もう死んでるけど。この卵が孵らなくて本当に良かったわ」

ミラールはそう言うと、卵を割った。中から、蛇のミイラが転がり出て来た。よく見ると、その蛇には首が八つあった。

「あの城、昔はだいぶ湿気があったみたいね。どうしてかは知らないけど、ありがたい事に今では乾燥しているけど……」

「隊長!」リスキンが声を震わせながら言った。「こ、これ、もしかして、ヒドラじゃないですか?」

「そうみたい」リスキンとは対照的に、ミラールは淡々と言った。「どうやら、あの『封印の城』には、大昔には本当に化け物がいたみたいね」

兵隊達は、一斉に身を震わせた。今さらながら、改めて恐怖がわき起こって来たのだ。

「辺境って、すごい所なのねぇ」

ヒドラのミイラを見つめて、ミラールはしみじみと呟いた。



おわり


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