閑話休題 膝乃壱
辺境の空は今日も晴れ 閑話休題 膝乃壱
ダンブル=ドンブリは、丸っこい体を更に丸くしてテーブルに両肘をついた。やはり丸っこい顎を支えて、大きな溜め息をつく。
「何よ、溜め息なんてついちゃって。ツキが逃げるわよ」
バレス=トーレムがドンブリの溜め息を聞いて、近付いて来た。オネエ言葉だが、歴とした男である。
「大の大人が浮かない顔しちゃって、どうしたのよ?」
トーレムは笑いながら腕を組んだ。掌や前腕は存外に逞しい。
「んー、何かこう、刺激が無いっていうか…」
ドンブリはぼんやりと呟いた。
「何言ってんのよ。せっかくの平和な一時なんだから、満喫しなきゃ」
トーレムはそう言ってタバコを大きくふかした。
ここは城都ランカスターの中心、ランカスター城である。その西玄関上のピロティーは城内で働く者達の休憩所となっている。二人はそこで一息ついているのだ。
「そうは言ってもなあ、三 ヶ月ほど前までは、最少限の道具と材料で、如何に姫様にご満足頂けるか必死で腕を振るったもんだが、今では何もかも道具が揃った場所で二十人も手伝いがついて、どんな材料でも手に入るんだ」
「何よ、幸せな事じゃないの。呆れた」
トーレムは肩をすくめた。
ドンブリは、ランカスター城の副料理長であり、あの、既に伝説となっている『エイミス姫の東方遠征』にも料理長として隨行している。ちなみにトーレムも見張り兼航海士として同行している。
「まあ、確かに今思い返してみると、結構面白かったよね、冒険」
トーレムは遠くを見るような目付きで言った。
「ああ。不謹慎だと思うが、面白かった」ドンブリも笑って言う。「もちろん今の状況も、大公様ご夫婦や姫様にお食事をご用意させて頂けているのだから、有り難いとは思うんだがな」
「要するに、今の生活は生ぬるい、と」
「あの毎日を体験してしまうとな」
「でもさ、あんな冒険を毎日してたら、命がいくつあっても足りないわよ」
トーレムは身震いして言った。
「別に、わざわざあんな危険な目に会うつもりは無いけどな。せっかく拾った命だからな、何かもっとこう、常に新しい物に挑戦したいっていうか…」
ドンブリは考え考え言葉をひねり出した。特に何か計画がある訳ではないらしい。
「大公様ご家族のお食事を作ってるっていうのに、そんな事考えてんのね」
トーレムが笑いながら言った。
「そう言われると思ってるから、考えが纏まらないんじゃないか」
ドンブリは鼻をふくらませた。
「何よ、贅沢な悩みじゃないの。大公様直属の料理人なんて、望んでもなれない人の方が多いんだから」
「そうかも知れんが…」
ドンブリは腕を組み、空を見上げた。その視線の先には三階のテラスがあり、そこから下を見下ろしていた女性が、ドンブリの顔を見て、にこやかに手を振った。
「ひっ姫様っ!」
ドンブリは両目が飛び出すかと思った。そのまま椅子ごと後ろにひっくり返る。
「ちょっと、何やってんのよダンブル」
そう言ったトーレムだったが、ドンブリの視線の先にいる人物を確認して、息を呑んだ。
「ダンブルー、トーレムー、ごきげんよう!そっちに行くから、ちょっと待っててね!」
エイミスは朗らかに言うと、踵を返して屋内に入った。
待て、と言われて逃げる事も出来ず、二人はエイミスがピロティーに着くまでじっと耐えて待っていた。
程無くエイミスが息を切らせて二人の元へやって来た。
「もう、よりによって階段が廊下の向こうにあるんだもん。かなり走っちゃったわ」
「姫様を走らせてしまって、ごめんなさいね」
トーレムは頭を下げた。
「何よ、他人行儀ね。今は侍女長はいないわよ」
「…エイミー、どこから聞いてた?」
ドンブリは恐る恐る尋ねてみた。
それに、エイミスは眩しい笑顔で即答した。
「溜め息つくとツキが逃げるってとこから」
「最初っからじゃない」
トーレムは肩を落とした。
「ご免ね、ダンブル。つまらない思いさせて」
エイミスが少しうなだれて言った。それを聞いて、ドンブリとトーレムは頭を抱えた。そうなると思ったから聞かせたくなかったのに!
「でもね、私も良く判るよ、その気持ち」エイミスは顔を上げた。表情は明るい。「何だか、凄い体験しちゃったもんね。大冒険。あれの後じゃあ、こんな小さなお城に閉じこめられてたら、息が詰まっちゃうよね」
『小さなお城』の部分はともかく、二人は大きく頷いた。
「ねぇ、それで一つ提案があるんだけど」
エイミスは少し声を潜めた。その顔には、悪戯っぽい笑みが浮かんでいる。
「なになに?」
トーレムが、そしてドンブリが遠慮がちにエイミスに顔を寄せる。
「ダンブル、独立しちゃえば?」
エイミスの意外な言葉に、二人とも思考が停まる。
「ダンブルは、今の城内での料理人という立場が物足りないんでしょ?そりゃそうよね。有り余る食材で決まった人に食事を作るだけだもんね。それなら、いっその事下町にでも料理店を開いて、どこの誰が食べても"おいしい"って言ってくれるような料理を作る、そんな"冒険"はどう?」
ドンブリは目を丸くしてエイミスを見た。エイミスは、ドンブリが漠然と考えていた事を明確な言葉にしてくれたのだ。
「でも、いいのエイミー。ダンブル辞めさせちゃって」
トーレムがエイミスの顔をのぞき込みながら言った。
「んー、ダンブルのご飯が食べられなくなるのは残念だけど、あなたの腕試しを応援してあげたいもん。大丈夫、お父様とお母様は、私からも説得してあげるから。それに」
エイミスは楽しげに顔をほころばせた。
「あなたのお店が出来たら、私もお出掛けしやすくなるもん」
フラブ暦二二五三年九月、アルセア戦役の「終結宣言」から十日後、『獅子の壁』の南の城門にほど近い『アルス通り』沿いに、一軒の料理店が開店した。
店名は『ヒメール・コクィーナ』。『ヒメール号』の台所、という直接的な名前を付けたのは、エイミスだった。
「さてと、今日から新しい"冒険"の始まりね」
前掛けを結びながら、トーレムが言った。公女付きの航海士だった彼も閑職をもて余していたので、ドンブリに付いて来たのだ。
「そうだな。一丁頑張ろうか」
ドンブリはのんびりと言うと、キッチンに近い席のテーブルを軽く叩いた。そこには『絶対指定席』の札が立てられていた。
それは、エイミスがいつ来ても良いように用意された特別席であった。
20190704




