第八話 帰還命令 1
辺境の空は今日も晴れ 8
The periphery’s sky is still fine 8
帰還命令 Return Instruction
【1】
紅竜義勇団を退けた次の日の朝。
傷の応急処置だけして、疲れ切って泥のように眠り込んでいたミラールだったが、夜明けと共にグラフ大佐に叩き起こされた。
「やあ、おはよう、ミラール!今日も良い天気だぞ!」
「何よ、ラス。ずいぶんとテンション高いのね」
元気の良すぎるグラフに対して、ミラールはまだ肩で息をしている状態だ。
「何を言ってるんだ、ミラール。今日は紅竜義勇団全滅のめでたい日じゃないか」
「そうね。ラスが来てくれたお陰で助かったわ」
それは本心からであった。いいタイミングで地方警備隊が到着した事で、盗賊団が暴走する前に一網打尽にする事が出来た。エイフ村としては、ほぼ無傷でこの難局を乗り切れたと言える。
「盗賊団全員を連行する為の護送船がこちらへ向かっている。そいつが来るまで、もう一日厄介になるぜ」
グラフはそう言って豪快に笑った。
二個中隊が駐留したエイフの街は、にわかに賑やかになった。盗賊団を未明に捕縛した為、軍としての任務は終わってしまっていたので、護送船が来るまでは休暇扱いとなったのだ。
ランカスター公国の軍紀は厳しい事で知られている。ただ、予定外の休暇で兵隊達は大いにハメを外していた。
エイフの街も、戒厳令が解かれたすぐ後に訪れた、この突然の賑わいを楽しんでいた。辺境からすると、地方都市のダナウでも立派な都会である。しかも、ダナウは城都の影響を強く受けている街である。地方警備隊の兵隊達の話題は、全てが都会の香りのするキラキラした話題なのであった。普段とは違う緊張を強いられた村人にとっては、鬱憤を晴らす最良の機会だったのである。
このお祭り騒ぎを、憎々しげに眺めている者がいた。村長のエルヴァントである。彼にしては珍しく、ビアーパブ『辻亭』で朝からビアーをあおっている。顔役のオガンとアンヴァルは心配そうにそんな村長を見ていた。
「なあ、本当にどうしただあ、エルヴァント。何か変だに?」
オガンが声を掛けたが、エルヴァントは渋い顔をしたまま答えない。
「村長、あんたまだ隊長さんの事を…」
アンヴァルが言い掛けたが、エルヴァントにギロリと睨まれて口をつぐむ。
「これを見ろ」エルヴァントは苦々しく言った。「街の中が兵隊で溢れてるに。先の戦争の時でさえ、こんな事は無かっただに」
「でもお陰で盗賊も捕まって、俺達は助かっただら?何を文句言うこんがあるでぇや」
オガンが肩をすくめる。
「お前こそ何言ってるでえ。兵隊なんぞ、権力を持たせたら何をしでかすか判ったもんじゃないで。あんなでっかい船で飛んで来て、大砲や剣も一杯持って。物騒で気が休まらんわいや」
「ダナウの兵隊達は、街でも大人しいって聞いてるに」
「それがあいつらのやり方だって、まだ気付かんだかオガン。所詮は戦の駒どもだ。どうせ問題を起こすに決まってるだ」
エルヴァントはそう吐き捨てると、ビアーを注文した。
「クズだクズだとは思っていたが、あんた正真正銘のクズだな、村長」
いつから居たのか、バスターがワインボトルを手に立っていた。
「うるさい。余所者が余計な事を言うな」
エルヴァントは振り向きもしない。
「オガンの言う通りじゃねえか。兵隊は嫌いだが、危ない時には助けろってか。都合の良い事ばっかり言ってんじゃねえよ」
「あの隊長が盗賊団に手を出さなかったら、こんな大事にはならなかったかも知れんかったら」
「お前、耄碌してんのか?猟師達がやられそうになってたのを、マサムネと兵隊達が助けたんじゃねえか」
「黙れ、マホー使いが。とにかく、あいつらが早くいなくなりゃ、それで良いだ」
「まあその辺が本音だろうよ」
バスターは鼻で笑った。エルヴァントは憮然としてさらにビアーをあおった。
その時、『辻亭』の扉が静かに開き、二人の男が入って来た。どちらも略装の法衣を纏っている。マントにはフラブ教会の紋章が刺繍されていて、見るからに都会から来た、という風情である。
そのうちの背の高い壮年の男が店内を見渡すと、カウンターに着いているエルヴァント達の近くまでやって来た。
「失礼。この街の方とお見受けしますが」
「わしは村長のエルヴァントだが、あんたらは何モンだいや?」
エルヴァントは殊更に上からの態度だが、男はあくまで慇懃である。
「我々は城都のフラブ教会本部から来ました。私はワラン司教、こちらはイファル司祭です。こちらに赴任しているローブマン司祭殿を訪ねて来たのですが、どちらにおいでかお判りでしょうか?」
「ローブマン?」
村の顔役三人は互いに顔を見合わせた。
「イグロウの事だろうが」
バスターが吐き捨てるように言った。
「イグロウ=ローブマン司祭殿です」
ワランは辛抱強く操り返した。
「ああ、司祭様か」
エルヴァントはようやくイグロウと繋がったようだ。
「この街の中にはおられないのですか?」
「昨日は色々あっただで、今は大教会にいると思うに」
「そうですか、ありがとうございます」
ワランとイファルは頭を下げると、マスターの茶を勧めを丁寧に断り、そのまま『辻亭』を出て行った。
「何だっただかいや、今のは」
アンヴァルが訝しげに言った。
「城都からって、一体何の用だっただいね?」
オガンも首をひねる。
エルヴァントは一人憮然としたままビアーをあおった。
イグロウはいつもより遅い朝の勤行を終えて、書斎に戻って来た。デスクの椅子に腰掛けると、大きく溜め息をつく。
彼の両腕は、しっかりと包帯が巻かれている。昨夜の騒動で負った小さな傷がかなりあったので、兵営で手当てをして貰っていたのだ。
イグロウは久し振りに剣を握った。昔は騎士としての訓練も受けた事がある。素人に毛の生えた程度の盗賊であれば、何とかなると思っていたのだが、実際には自らの修行不足に愕然となった。
「また、練習を再開しなければな」
イグロウは、暖炉の上の壁に掛けてある、銀色の棒を見上げながら呟いた。
丁度その時、火にかかっていたポットの蓋がカタカタ鳴り始めた。イグロウはそのお湯でガフィを立てる。馥郁たる香りが部屋全体に漂う。
その香りを大きく吸い込むと、ささくれ立った気持ちも少しは和らぐ心地がした。
争いは、もう懲り懲りなんだがな。
イグロウは声には出さずにそう呟くと、熱いガフィをすすった。そこで初めて空腹に気付いたが、何故か食欲は感じなかった。
ゆっくりと時間を掛けてマグカップ一杯のガフィを飲み終えると、イグロウは箒を手にして教会の正面扉の前に出た。広いエントランスの砂を掃き落とし始める。
掃除を始めて程無く、どこからか自分を呼ぶ声が聞こえた気がして、イグロウは手を止めた。しばらく耳をすましていると、また声が聞こえた。階段の下からだった。
下の道からエントランスまでは少々長い階段がある。その下に三人の人影があった。
「おーい、司祭さまー、おいでだかいやー?」
大きな声で叫んでいるのは、下の牧草地で羊を飼っている、ロフルであった。
「ロフルおじさん、おはようございます。どうしたんです今日は?」
イグロウも大きな声で返した。
「司祭さまを訪ねて来たって人達がいただで、案内して来ただ」
ロフルはそう言って、後ろの二人を示した。二人は、イグロウを見上げて小さく会釈をした。ワランとイファルであった。
イグロウは二人を書斎へ通した。応接室はあるのだが、普段使わないそこは、既にイグロウの荷物置き場と化していたのだ。
イグロウは改めてガフィを立てると、二人の客人に手渡した。
「まあどうぞ。すいませんな、こんなむさ苦しい所で」
イグロウは恐縮して頭を下げたが、ワランとイファルは気にする風もなく、ガフィをすすった。どこの教会でも大概は同じようなものなのだ。
「もの凄い田舎で、驚いたでしょう?」イグロウは笑いながら言った。「私も、最初は途方に暮れましたよ。城都と比べると、何も無いも同然でしたから。まあ、今ではすっかり慣れましたがね」
「昨晩は大変だったと伺いましたが」
ワランが尋ねた。
「そうなんですよ。近頃この辺りを荒らしていた盗賊団がやって来て…」
「それで、軍隊が派遣されて来ているのですね」
「昨晩は大騒ぎでしたよ」
「それは、その時の傷ですか?」
イグロウの両腕の包帯を見ながら、ワランが言う。
「ええ、まあ…」
イグロウは曖昧に頷いた。
「ところで」一瞬空いた間で、イグロウは話題を変えた。「お二人は、なぜこんな辺境へおいでになられたのですか?」
イグロウの言葉に、二人は居ずまいを正した。
「ローブマン司祭殿、私達は、マルエイサー大司教様からのご依頼を賜り、やって参りました」
「マルエイサー大司教様から?」
その名前を聞いて、イグロウの胸に疼きを伴った辛い記憶が蘇った。この十年、忘れるとも無く心に蓋をして来た、悲しみの記憶である。
「はい。イグロウ殿を城都にお連れするように、と」ワランは遠慮がちに口を開いた。「私は、詳しい経緯は存じ上げません。ただ、ローブマン司祭殿には城都に戻りにくいご事情がある、とだけ伺っております」
ワランはそう言いながら、鞄を引き寄せ、中から一通の書状を取り出した。
「マルエイサー大司教様は、ローブマン司祭殿は恐らく迷われるだろう、と仰っておられました。ですので、このお手紙を読んで頂いて、その上で判断して欲しい、と。そして、このお手紙を読んで、それでも決めかねる、という事であれば、無理強いはしないで欲しい、とも仰っておられました」
ワランはそう言うと、書状を差し出した。イグロウは少し躊躇してからそれを受け取った。
書状には几帳面なアルキス文字で『イグロウ=ローブマン司祭殿へ』と認めてある。イグロウにとっては見慣れた懐かしい文字である。それは、まさしくフラブ教中央教会の最高権威にして、イグロウの師匠でもある、マルエイサー大司教の手になる文字であった。
イグロウは、ぺーパーナイフで封を開けると、微かに震える指先で手紙を取り出した。ゆっくりと開く。
手紙は、表書きと同じ几張面な文字で埋まっていた。
イグロウは手紙に目を通した。
つづく
20190328




