閑話休題 陸乃壱
辺境の空は今日も晴れ 閑話休題 陸乃壱
フラブ暦2242年のある日。
六歳のエイミスは、父であるランカスター大公の狩りに同行した。狩りというのは名ばかりで、実際には領内の見廻りが主であり、所謂 御幸である。
今回訪れたガルザ領は、代々続くガルザ卿の治める山岳地であり、ラウアー山脈からの大瀑布を含む景勝地、エイバラーン渓谷を擁する一大保養地である。ラフヌス共和国のタンタルスとの国境線であり、平野で他国と接している唯一の国境地帯でもある。国境を越えたタンタルスの地方都市であるナガントは、陸上交通の一大拠点であり、各国の文物の集まる巨大交易場であるが、ガルザはあくまでのんびりとした行楽地である。
そんなのんきな街であるガルザも、ランカスター大公とエイミス姫の御幸に大いに盛り上がりを見せていた。
特に大公家の一粒種の美少女、エイミス姫の人気は凄まじく、そんな愛娘を見て大公はますます目尻を下げるのであった。
ガルザ侯爵の歓待を受けた翌日、大公親子は小型飛行艇に乗って、渓谷上流にあるラウアー山脈内の盆地へ出掛けた。ガルザ侯爵狩猟地として他の狩人は一切立入りを許されない土地であり、今回は久々に本気の狩りが行われる事となった。
代々ランカスター大公家は弓の名手として知られている。大公家の一族は、必ず一度は狩り場へ出て、弓の腕の研鑽、獲物を捕る経験、そして命の上に自分と領民の命がある事の認識をするのが伝統となっている。
家臣団を艇付近に待たせて、父娘二人は原生林に分け入って行った。
エイミスは生来感覚が鋭敏で、獲物の位値を素早く感じ取る事が出来た。午前中に大きな山鳥を二羽捕らえたので、二人でそれを処理して昼食とした。大きな鳥だったので、一部を燻製にして、それぞれがおやつとして小袋に入れた。
午後からは、より大きな獲物を求めて奥へ歩を進めた。ガルザ侯爵から、奥は大型の四つ足獣「ケッツァ(シカ)」がいると聞いていたのだ。ただ、ケッツァを捕食する大型獣「サーヴァー」と、ラスヴェル族には気を付けろ、とも聞かされていた。
「どうだエイミー、大丈夫か?」
力強く歩きながら、大公が問うた。
「うん。大丈夫よお父様」エイミスは元気良く答えた。「山鳥はかわいそうだったけど、わたしたちが生きていくのにとっても大事な事なのも、良く判ったわ」
「お前は聡い子だ」
大公は満足げに頷いた。自分は兎をどうしても捌けずに、泣いていた事を思い出していた。
そんな感慨にふけっていた大公は、ふとエイミスが黙り込んでいるのに気付いた。何か気配を感じたようだ。
「どうした、エイミー」
「何か近付いて来てる。前の森の中」
エイミスは前方に目を凝らす。大公には何も判らなかったが、ややあって藪の中を何かが動く物音が聞こえて来た。
「大きいな。ケッツァか?」
そう呟いた大公とエイミスの前で、藪が爆発するように掻き分けられ、中から巨大な毛むくじゃらの熊のようなモノが飛び出して来た。
「サーヴァーだ!」
大公は叫んだ。サーヴァーは、六本の足で二人の前に歩み寄って来ると、二本足で立ち上がった。優に三ノースはある。
サーヴァーはもの凄い声で吠えた。その血走った目は怒りに染まっている。
「エイミー、退がっていろ!」
大公はエイミスの前に出て、素早く弓に矢を三本つがえる。ランカスター大公家の秘技「トライボウ」である。
放たれた矢は、サーヴァーの右目、喉、胸に突き立った。喉と胸はほぼ効果は無かったが、目を潰す事は出来た。サーヴァーは猛り狂って前足で大公を張り飛ばした。その鋭い爪は辛うじてかわしたものの、近くの木の幹に叩きつけられ、大公は地面に転がった。
続いてサーヴァーはエイミスに牙を立てようとした。エイミスは咄嗟に身をかわしたが、矢筒の肩掛けが牙に引っ掛かった。サーヴァーはエイミスをぶら下げたまま走り出した。エイミスは慌てて矢筒のベルトを外そうとするが、自分の体重が掛かっているのでうまく行かない。
「どうしよう?」
思わず呟きながら周りを見回したエイミスは、サーヴァーが矢傷以外で血を流しているのに気付いた。どうやら刀傷のようである。
「こんな大きな奴に刀傷つけるなんて!」
『奴』なんて言うと、普段ならお父様に怒られちゃうな。
エイミスはそんな事を考えた。大した度胸である。その度胸のお陰で、エイミスは思い付いた。
「そうだ、ナイフだ」
エイミスはサーヴァーの口元で振り回されながらも、ポーチからナイフを取り出し、地面の柔らかそうな所で一気にベルトを切った。エイミスの体は積み重なった落ち葉の上に落下したが、その下に堅穴あり、四ノースほど下まで落ちてしまった。幸い下にも落ち葉が大量にあったので、外傷は免れたものの、とてもよじ登る事は出来そうにない深さであった。
その直後、サーヴァーの吠える声が轟き、次いでそれが悲鳴のようになり、重たい物が倒れる音が響いて来た。
穴のすぐ近くに、何かいる。
エイミスは気配を感じ取っていた。
少し時間があって、穴の上から顔が覗いた。猿のような毛に被われている。それが、何かうなり声を上げた。
「そうよ。わたしは人間よ」
エイミスは、それに返した。何故か、そのうなり声を理解出来たのだ。
また毛むくじゃらがうなった。
「へえー、あのサーヴァー、あなたの獲物だったのね」
うなり声。
「そうね。だからわたしも助かったのね」
そこでエイミスははたと気付いた。
「そうだ。わたしのお父様は 無事?」
うなり声。
「よかった。大した外傷じゃなくて」エイミスは明るい声で言った。「ねえ、もし良かったら、わたしをここから助け出してくれる?」
それを聞いて、毛むくじゃらはすぐに穴の底まで飛び降りて来た。人型で、一・九ノースほどの身長。頭が小さく、手足が異様に長い。エイミスから見て、見上げるような長躯に思わず距離を取ろうとして、穴の壁に背をつける。
「いたっ!」
右肩後ろに痛みを感じて、エイミスは顔をしかめた。指先で触ってみると、少し血が出ているようだ。それを見て、毛むくじゃらがうなる。
「そうね、サーヴァーの牙が引っ掛かったみたい。でも大丈夫よ。ありがとう。えーっと…」
うなり声。
「イントール。イントール=アイラントって名前なんだ」
うなり声。
「ラスヴェル族の族長の五番目の息子なのね」
エイミスがそう言った時、穴の上から声が聞こえて来た。
「おーい、エイミー、外傷は無いか?何だそのケダモノは?」
「お父様!ご無事なの?」
「私は大丈夫だ」
その言葉を聞いて、エイミスの目から涙が溢れた。
「どうしたエイミー、そいつに何かされたのか?」
「んーん、違うの」エイミスは首を振った。「お父様が無事で、うれしかっただけ」
「今、狼煙を上げて助けを呼んだ。すぐに出してやるから心配するな」
「ありがとう、お父様。でも大丈夫よ、この子がいるもん」
「上でサーヴァーが死んでるが、そいつがやったのか?」
「そいつじゃないわ。イントールよ。わたしを助けにここまで降りて来てくれたの」
エイミスはそう言ってから、イントールに向き直った。
「イントール、おねがい。ここから連れ出して」
エイミスがそう言うと、イントールは彼女をひょいと抱き上げ、軽々と壁を登り、穴から脱出した。
それ以来、大公たっての希望で、イントール=アイラントはエイミスの護衛として城都に同行して、そのまま彼女の近くに居る事となったのである。イントールは、かの「東方遠征」にも同行している。
「と言う訳で、乙女の柔肌にこんな傷がついちゃったの。ひどい話でしょ?フランツ」
エイミスは服の襟口をずらして、肩の古い傷を見せながら言った。
アルオット大隊長から逃げ出す為に『海の家』を飛び出したエイミスは、フランツを連れて『ヒメール・コクィーナ(ヒメール号の台所)』という店に飛び込んだ。超高級店として名高いこの店に存在する、と噂には聞いていた「絶対指定席」に通されたフランツは、嫌でも彼女の正体が判ってしまった。
そんな彼女に肌を見せられて、フランツは自分が「男として認識されていない」という事実に否応なく気付かされてしまったのだった。
閑話休題
20190310了




