第七話 辺境乱斗編
辺境の空は今日も晴れ 7
The periphery’s sky is still fine 7
辺境乱斗編 The periphery’s Brawled
【1】
三日後には盗賊団がやって来る!
このニュースは、エイフの街を駆け抜けた。しかし、駆け抜けただけ、と言ってもいいかもしれない。それほど、辺境の人々はこの危機に対して鈍感であった。
人の良い彼らにとって、狂悪な盗賊集団など、想像も出来ないのだ。天災の方が、まだ彼らの気持ちを高ぶらせたであろう。良くも悪くも、辺境は今まで平和でありすぎたのである。
正宗が盗賊団とやり合った翌日、ミラールは国境の兵営に留守番を残し、街の仮兵営へと出て来た。ピートの小隊には先に事態の説明はさせていたが、恐らく大して理解してもらえないだろう、そう踏んでいたので、自らみんなを説得してやろう、と思っていたのだ。
果たして、ミラールの予想通り、街の人々の反応は悪かった。
「そんな事いきなり言われても、わしらにはよく判らんでね」
エイフの街の長、エルヴァント氏はそう言ったものだ。
「なにのん気な事言ってるだ。俺ら、本当に殺されそうになっただに」
ミラールが証人として連れて来た、猟師の一人が血相を変えて言った。
「まあ、とにかく悪い奴らがこの村に向かって来てるのは確かなんですな」と、大地主の一人が口を開いた。「だとしたら、わしらは何をしたらいいですか?」
「だから、昨日言ったらあ」ピートがため息まじりに言った。「この二~三日はなるべく家の中でおとなしくして、夜でなくても鍵はしっかりかけて、畑仕事も放牧もなるべくしないようにって」
「そんな事したら、こちとらおまんまの食い上げだに」
「そんなのん気な事、言ってる場合じゃないって言ってるら」
そんなやりとりを横で聞きながら、思わずミラールは肩をすくめてしまった。
「あのね、みんな、よく聞いてね」それでもミラールは、不屈の忍耐力で己を押さえて言った。「今回来る、という盗賊団は、ダナウの地方警備隊でも目をつけている、札つきの悪い集団なの。どうしても実感がわかないのなら、イナゴの大量発生だとでも考えてみて。イナゴなら、まあ農作物の被害だけですむけど、盗賊団が来たら、私達みんなの命が危ないのよ。
お願い、真剣に考えて。これは、だれか一人だけの問題じゃないの。エイフの街、辺境全域にまたがるほどの大問題なの。この騒ぎが収まるまでは、私の言う事を聞いて。でないと、取り返しのつかない事になりかねないの。だから、お願い」
長と大地主たちは、互いに目を見合わせた。そして、長が口を開いた。
「判った。隊長さんがそこまで言うんだ。エイフ村の皆へは、わしが責任をもって今回の事態を説明して、それなりの対処をするよう指導しよう。そのかわり、隊長さんには盗賊団の事はすっかりまかせる。それでいいだな?」
「ええ。是非お願いするわ。急いでね」
ミラールは真顔で答えた。普段なら笑顔の一つでも見せる所なのだが、今回に限りそんな余裕はなかった。
昨日の晩に早馬をダナウに走らせた。遅くとも今日の夕刻か晩ごろにはダナウに着くはずだ。早馬には状況を説明した手紙も持たせている。盗賊団の殲滅を考えている軍としては、おそらく二個か三個中隊を派遣して来るだろう。その準備とここまでの移動で二日半かかると見て、三日半。時間的にはギリギリで間に合うかどうか、である。幸い、エイフの街は、古えの街道の要所であり、要塞としての機能も持っているので、今でも上手く街の中を閉鎖すれば、籠城作戦も可能である。しかし、これはあくまで「盗賊団は三日後に来て、軍の応援は三日半後に来る」という仮定での話である。実際にどうなるか、は全く判らないのである。
(取らぬ雄鹿の皮算用、とは良く言ったものだわ)
思わずミラールは苦笑してしまった。
「とにかく、みんなの力で村を守らなくちゃいけないわ。十人一組の自警団を組織して、夜には子供は、小人数で出歩かないように見廻って欲しいの。勝てるかどうか判らない勝負をするより、まずは負けないだけの用意をしなくてはいけないわ」
ミラールの言葉に、村の顔役達はあいまいにうなずいた。
本当に大丈夫かしら。
ミラールは、内心首をかしげざるを得なかった。
とにもかくにも、エイフ村を挙げての大自警団が組織された。主に村の若い衆で構成された自警団は、二十組を数えた。一個大隊に匹敵する大集団である。
「エイフ村って、こんなに若い人がいたの?」
ミラールは思わず横に立っているピートに小声で尋ねた。
「そんな事、言ってる場合じゃないら、隊長。なんか一言、みんなに言ってあげるだら?」
「そーでした」
ミラールは薄く笑った。「辻」に集まった二百人は、何となく一組ごとの列になり、てんでに立ち話をしている。いかに広い「辻」も、中央の噴水を正面にして集合すると、かなり窮屈な感じがする。皆、がやがやと落ち着きがない。
ミラールは、三段構造になっている噴水の真ん中の段に登った。皆の頭二つほど高い位置になる。
「みんな、正面に注目ーーーっ!」
ミラールのよく通る声は、二百人のざわめきを貫いた。皆が正面に注目する。ミラールは、皆が正面を向いたのを確認すると、口を開いた。
「みんな、よく聞いて。今日から二~三日のうちに、このエイフの村を、最悪の盗賊団が襲おうとしているわ。その盗賊団は、他の辺境地域でも悪行をはたらいて、軍からも目をつけられている、非常に厄介な相手よ。そんな連中に、私達が対抗するには、水も濡らさぬほどの団結でもって当たるほかはないわ。あなた達は、私達第十四小隊、引いてはダナウの地方警備隊と共に、このエイフ村を悪の手から守る使命をになっているのよ。
ダナウの本隊には、早馬を飛ばしています。でも、おそらく応援が来るのは、早くても三日後になるでしょう。本隊が来るまでに、盗賊団がここへ来る確率の方が高いわ。つまり、エイフの村を守るのは、あなた達なの。エイフの村の平和は、あなた達のがんばりにかかっているわ。
ねえ、みんな、この村が好きでしょう?この空や、森や、川が好きでしょう?みんなで力を合わせて、この辺境を守りましょう!」
おーっ!
期せずして、二百人の雄たけびが響き渡った。ミラールのアジテーションに、若者達の使命感が刺激されたのだ。
良かった。とりあえずやる気を出してくれて。
ミラールは、内心ほっと胸をなでおろした。これで反応が悪ければ、打つ手無しだったからだ。
「隊長は、なろうと思えば、この村の長にでもなれるだらなあ」
そんな事を苦々しく呟いたのは、村長のエルヴァントであった。
【2】
自警団が発足して一日がたった。ミラールのアジテーションの威力はかなりのもので、村全体に頼もしい緊張感と連帯感が生まれていた。
街の仮兵営へは、小隊の兵隊達が交代で見廻わりにやって来ていて、今日はリスキンの分隊が来ていた。分隊が仮兵営に来るのは、自警団の緊張感を断やさないためであったが、実際には分隊の面々の息抜きも兼ねていた。それほどまでに、国境の兵営の空気は張りつめていたのだ。
ミラールは、隊長用自室の机に腰を降ろして、窓の外をながめていた。隊長用自室は三階にあるので、そこから国境付近が一望出来る。ミラールは、ぼんやりと国境付近に目を走らせた。
「隊長、失礼しますよ」
軽くノックをして、イグロウがのっそりと入って来た。後ろから、正宗もついて入る。
「あら、司祭様、どうしました?」
ぼんやりとミラールが尋ねた。
「隊長こそどうしたんです、ぼんやりとして」イグロウは笑いながら尋ね返した。「大変なのはこれからじゃないんですか?」
「全くだわ」ミラールは肩をすくめた。「でも、盗賊団については、発見さえ早ければ、私はそんなに心配していないの。だって、三~四十人ほどの集団なら、前もって準備しておけば、二日や三日はしのげますからね
私の心配は、どちらかというと、内部ですね」
「内部?何が?」
と正宗。不精ひげが生えて来て、ずいぶんと荒々しい雰囲気を醸し出している。
「うーん、例えば、兵隊達の緊張感が保てるか、村人達の危機感が保てるか、それに、盗賊団に裏をかかれはしないか」
「λεζφα(レイファ) ραμμ(ラム)〈ウラをくすぐる〉?」
「λε (レ)ζτανν (イッガヌ)ραμμ(ラム)〈ウラをかかれる〉」正宗のとんちんかんな間違いに、イグロウがすかさず突っ込みを入れた。「――裏をかかれるとは、どういう事ですか?」
「うーん」そう言ったきり、少しの間ミラールはだまり込む。「――今、私達がしている事は、あくまで真っ正面から紅竜義勇団と対決しようとしている、という事なの。もし、この間みたいに少人数でかく乱されたら、打つ手がないかも……」
「――とりあえず、あのアホのバスターにも置き手紙はしときましたから、イザという時には手を借してくれるとは思いますよ」
「バスター、いなかったの?」
「ええ。二~三日帰ってない様子でしたが、まあ、あいつの事ですから、別の場所にいても、部屋の手紙を見るくらいの芸当は出来るんじゃないでしょうかね」
イグロウは、かなりバスター、そして黒魔術に対して嫌悪感を抱いている。一言一言が辛辣である。
「こんな時こそ、バスターには役に立って欲しいのに。彼の力も頭数に入ってるんですからね」
ミラールは肩をすくめながら言うと、また窓の外に目をやった。陽はかなり傾き、二日目の夜がやって来ようとしていた。
明けて、三日目の朝がやって来た。
一日目、二日目は、ミラールのアジテーションが効いていたので、自警団もほどよい緊張感を持って行動していた。しかし、三日目になると、その気持ちもだらけ始め、徐々にお祭り騒ぎ的な雰囲気になりかけていた。
「兵営の隊長さん、盗賊が来るって言ってただに、何も来ないに。何も心配いらないじゃないかいね?」
靴屋の二男、九歳になるイェントが切り出した。
「お前もそう思うら?俺もそう思うだよ。みんな、がんこ(すごく)見まわりとかしてるだけど、何も起こってないでねえ」
そう答えたのは、織屋の長男のグレンである。このイェントとグレンは同い歳で、大の仲良しである。二人は、エイフの街では知らぬ者のないほどの悪ガキであった。
「なあ、俺、思うだけどやあ、本当に盗賊団とかが来るのかどうか、見に行ってみまいか?」
イェントが、ささやくように言った。
「ためだよ!」
「あぶないに!」
そう声をそろえて言ったのは、マールとエリアである。『封印の城』での一件以来、マールとエリアは今まで以上に仲良くなっていた。
「なんだよマール。お前は向こうで、エリアとイチャイチャしてればいいだよ。よけいな事言うな」
グレンが辛辣に言う。マールは頬を赤らめながらも、後には引かなかった。
「でも、あの隊長さんが言ってただら、悪い奴らが来るって。だったら絶対来るだよ。油断してたらきっとあぶないだに」
「何だよ、お前随分と隊長さんの肩を持つだなあ。さては、お前、隊長さんにほれてるら?」
「何言ってるでーや。そんなこと言ってる場合じゃないら」
「あー、うるさい」イェントは手をひらひらと振った。「女とイチャイチャして、度胸のなくなった奴と話しててもしかたないら、グレン。俺らだけで、様子を見に行きまい。どうせ大した事もないだでさ」
「そうだな」
イェントとグレンの二人は、マールとエリアを放ったらかして、その場から立ち去ってしまった。マールは、一歳年上の彼らにかなわないのが悔しかった。しかし、このままでは良くない、という事も良く判っていた。
「エリア、ちょっと頼みがあるだけど」
「なあに?」
「俺、あの二人を追っかけるで、エリアはおねえちゃんを呼んで来て欲しいだ。おねえちゃんなら、あいつらを止めれるでね」
「うん、わかった」
エリアはこっくりと頷くと、マールに手を振りながらかけて行った。それを見送ると、マールは先の二人を追いかけて走り出した。
「ねえねー(おねえちゃん)、ねえねいるー?」
エリアが、呼びかけつつ家に入って来た。
「なあに、どうしたのエリア」
暖炉の前で編み物をしていたフェリスが、顔を上げて応えた。
「あ、フェリスねえね。あのね、マールがね、イェントとグレンを追っかけていっちゃったの。マールがね、ねえねを呼んで来てって言っただけど、どうしよう?」
「えっ?マールたちが、どこへ行ったって?」
「悪い人たちの様子を見に行くって、イェントとグレンが。で、マールが止めようとして追っかけてったの。ねえねも手伝ってって」
「た…大変だわ」フェリスは編み物を放り出した。「エマ、シルフィ、ティファ、リリエス、ちょっと来て!」
フェリスの呼びかけに、妹達がぞろぞろと集まって来た。「街の粉屋の八人娘」と呼ばれ、一人も男の子が生まれなかった女一族である。一番上の姉が嫁に出ているので、残り七人姉妹のまとめ役は、二女のフェリスが努めていた。
「みんないるわね。―――ミルフィエは、リリエス」
「奥で寝てるに」
「判った。でね、みんな聞いてね。イェントとグレンの二人が、街の外に出て行こうとしてるんだって」
「またあの子たち?」
「放っといたらいいだに」
妹達はてんでに酷な事を言う。それだけ、二人のいたずらに迷惑させられている、という事である。
「そう言うもんじゃないわ」思わず苦笑しながら、フェリスはたしなめた。「それに、彼らを止めようとして、マールも行っちゃったらしいの」
「それは大変だわ」
マールはかわいいので、人気も上々である。
「とにかく、私はあの子達を追いかけるから、みんなは家から出ちゃだめよ。エマ、みんなを頼むわね。それと、シルフィ、あなたは、兵営に行って、この事を伝えて」
「カーツのにいに(おにいちゃん)に言えばいいの?」
シルフィがいたずらっぽく笑いながら言った。フェリスの頬が染まる。
「別に誰でもいいから。急いでね。そしてあなたも、用が済んだら家に帰って来て、もう外に出ちゃだめよ。判ったわね。
じゃあ、みんな頼んだわよ。ちゃんと言われた通りにしてね」
フェリスはそう言い残して、家を飛び出して行った。
【 3 】
フェリスは家を飛び出すと、小走りに街中を抜けながら考えた。
(もし国境付近まで様子を見に行こうと考えるなら、恐らく街の石壁の北西の割れ目から出て、森の離れに入って、鹿の入浴場からイウリアスの森へ入る道を使うはずだわ)
このコースは、いわば国境付近へこっそりと行く場合の常套ルートであり、フェリスも小さい頃に良く使ったコースでもある。
(森の離れに入る前に見つけなきゃ)
森の離れとは、牧草地の真ん中にうっそうと茂る小島のような森で、一旦ここに入ると、どの方角から出て来るか、見当がつかなくなる。それに、森の中では子供の方が動きやすい。そのまま見失ってしまう可能性もある。
(カーツがすぐに来てくれたらいいだけどな)
フェリスは、声に出さずに呟いた。
牧草地のなだらかな丘をいくつか越えた時、フェリスの目に三人の子供の影が映った。森の離れの少し手前である。
息を切らせて追いつくと、イェントとグレンが、食らいつくマールを相手に取っ組み合いをしているところであった。
「なんで邪魔するだあ、お前は!」
「隊長さんがだめって言ってるだもん。やめた方が絶対いいだ」
「やっきりする(腹が立つ)やあ、こいつ。あんまりしつこいと、ぶっさらう(ぶんなぐる)に!」
まあ、マールのお陰で追いつけたわ。良かった。
フェリスはほっと胸をなでおろした。
「イェント、グレン、待ちなさい!」
フェリスは、年上の威厳を見せて言った。三人の動きが止まる。
「てめー、この、マール!お前がエリアに言ってちくらせただな」
イェントがマールを睨んですごんだ。マールも負けてはいない。きっとイェントをにらみ返す。
「二人とも聞いて。今日明日にも、悪人たちが来る、というのに、国境に近付いたら危ないって事くらい、判るでしょ?何かあったらどうするの?」
「何かあるかどうかも判らんら。どーせ、何もないで大丈夫だよ」
フェリスのたしなめに、グレンが間髪を入れずに答えた。イェントもグレンも、半分意地になっているようだ。
「本当に悪い事が起こってからじゃ遅いのよ。ね、ここはいったん街に帰って…」
フェリスは言いかけて、止まってしまった。森の中から、三人の人影が出て来たのだ。薄汚れたボロの着物に、凶悪そうな面構え。腰にはそれぞれ蛮刀をぶら下げている。
「おや、街の様子を見に来た途中で、こんなЕвеθиаи(エヴェスナン)〈かわい子ちゃん〉に逢えるとはな。役得って奴かい?」
出っ歯の男が、ニヤニヤ笑いながら言った。
「Юегс(ウェグス)〈ガキ共〉はいらねぇ。このИаλαъ(ナレイ)〈ねえちゃん〉だけいただいちまおうぜ」
もう一人の、猿のような顔をした男も、出っ歯に合わせる。
「いや、全員捕まえる」
眼帯をした、三人の中のリーダーらしき男が、ボソリと言った。
「なんでだよ、ボス」
猿面が、不満そうに尋ねた。それに、ボスはあくまで淡々と答えた。
「この街は要塞を兼ねたような作りだ。正面からぶつかっても抵抗されるだけだ。人質がいれば、門も開けやすいってこった」
「けっ、つまんねーな」
出っ歯がぶつぶつと呟いた。
「さあ、お嬢さん、それに坊主たち、一緒に来てもらおう」
ボスが、やはり淡々と言った。フェリスは、三人の子供達を抱きかかえて、気丈にも男をにらみ返した。他に出来る事は無かった。
「兵隊さーん、いるー?」
息を切らせて、シルフィが仮兵営に駆け込んで来た。
「やあ、シルフィ、どうしただ、そんなに慌てて」
のんびりとカーツが尋ねた。今日の当直は、リスキンの分隊である。
「あ、カーツにいに、いいところにいた。フェリスねえねが大変だよ」
「大変?何が?」
「あのね、イェントとグレンが、悪者達の様子を見に行っちゃっただって。それで、マールが追っかけてって、それをねえねが追っかけてっただよ」
「そっそりゃあ大変だっ!」
カーツは、聞くなり飛び出そうとした。その首根っこを、リスキンがつかまえる。
「慌てるな。恋人が心配なのは判るが、一人では動くな。
ロぺル、ハットと一緒に隊長を呼びに行ってくれ。馬を使え。大至急だ。アベルは、カーツと一緒にフェリス達を追ってくれ。
アベル、しっかりカーツを見といてくれ。暴走しない様にな」
「はいはい、さあ、行くに、カーツ」
そう言ってアベルがふと見ると、すでにカーツは兵営を飛び出していた。
「まっ待てったら、カーツ、おーい!」
アベルはあわててカーツの後を追った。
(国境へ行こうとするなら、北西の割れ目から離れへ行くはずだ。フェリスも同じ道を行ったはず)
カーツのその予想は当たっていた。このルートは、悪ガキ連中の暗黙の固定ルートなのだ。
しかし、カーツとアベルが森の離れの近くまで来た時には、もはや誰の人影も無かった。ただ、地面に、フェリスがいつも着けていたブローチが落ちていた。
街の仮兵営には、沈痛な空気が漂っていた。ロぺル、ハットの二人から知らせを聞いたミラールは、大いそぎで森の離れに向かった。小隊のだれに聞いても、国境付近へこっそり行くルートは、北西の壁の割れ目から、森の離れへ抜ける道だ、という答えが返って来たからである。
しかし、そこで彼女達が見たのは、フェリスのブローチを握りしめ、離れの周辺をふらふら見て回っている、ショック状態のカーツと、それをおろおろとなだめるアベルの二人だけだった。ミラールの経験豊かな目をもってしても、盗賊達の足跡を見つける事は出来なかった。だが、彼女らが盗賊達にさらわれたのは確実であった。
「よりによって、最悪のパターンをやられてしまったわ」
ミラールが苦虫を噛んだような表情で呟いた。
「きゃつらにしてみれば、兵法通りの定石で攻めて来たわけですな」
やはり渋い表情で、リスキンが応えた。
「ああ、マール、ばかなマール」オラウ夫人は、うなだれて頭を抱えた。「あの子ったら、前にも隊長さんにご迷惑を掛けただに、またこんな事をしでかして…」
「違うに、オラウおばさん。マールは、よくがんばっただよ」
カーツが弱々しく言った。少し前まで、パニック状態だった彼も、ミラールやイグロウの説得、あるいは慰めに、何とか落ち着きを取り戻しつつあった。
悪ガキ二人の親達は、しゅんとうなだれ、何かを言う元気もない。
「誰が良い、悪い、という事ではないわ」ミラールが、そんな皆を見渡して言った。「とにかく、フェリスや、マール、イェント、グレン、みんなが無事である事を信じるしかないわ。それに、主導権は、人質を取った盗賊団の方にあるわ。感情に流されて、うかつに動く事だけは慎まなくては」
「向こうの出方を待つしかないのでしょうか…」
「今のところはね」リスキンの問いに、ミラールは苦々しく答えた。「トール達の活躍何如、てところもあるし…。辛いけど、待つのも作戦のうちよ」
トール軍曹の分隊は、第十四小隊の中で最も足が速い。彼らは、その足を生かして賊の拠点を捜索している最中である。敵の位置が判らない、という事は、自分達の行動が全て後手にまわってしまう事になり、極めて不利である。
トール達の勘と速さに、ミラールはすがるような気持ちであった。
そこへ、エルヴァント村長が飛び込んで来た。
「隊長!村人が、賊に人質にとられたってのは、本当だかいや!?」
「残念ながら、本当の事です、エルヴァントさん」
「あんた、なんちゅう事をしてくれたでーや。村を守るだなんだっちゅうて村人達をあおり立て、兵隊の真似事をさせて、あげくの果てには女子供を人質にとられて…。一体なんのための兵隊だいね、必要な時には役に立たんで」
「長、いくら何でも言いすぎじゃないか?」
リスキンが思わず立ち上がって言った。
「何が言いすぎなもんかい。うまい事を言って村人の心を惑わせてたぶらかして。わしが長になって二十年になるが、あのアルセア戦役の時でも、こんな事はなかっただ。それが、隊長、あんたが来てからっちゅうもの、何だい、変な事や荒っぽい事ばっかり起こって、しまいには村人を操っておかしな事をさせて。あんたは、この村を乗っ取りに来ただか、この村をつぶしに来ただか!?」
「何を言ってるだあ、長」
「長こそどうしただ、おかしいに」
アベルとピートが、むきになってエルヴァントに詰め寄った。
そこへ、顔役のオガンとアンヴァルが駆けつけて来た。
「エルヴァント、やめんかい」
「酒のんで、わめいたってどうにもならんに」
二人してエルヴァントの両腕を捕らえた。
「すまんの、隊長」オガンが、すまなそうに顔を曇らせて言った。「長は、どうも賊の一件の事でイーブルが入っとる(ストレスがたまっている)だ。堪忍してやってくれ」
「いいえ、別に」ミラールは無表情で言った。「私は気にしてないわ。ありがとう。あなた達も気にしないで」
エルヴァントは、尚もわめいていたが、地主の二人に引っ張られて強引に連れ去られた。その姿を見送りながら、ミラールは固く拳を握りしめた。
「隊長…」
心配顔で、リスキンがささやくように言った。
「大丈夫。それに、今はそれどころではないわ」
そう答えたミラールの表情は、今までリスキンが見た事もない曇って弱々しいものであった。
ミラールは、大きく息を吸い込んだ。自分が女である事、人より多少物事を広く見渡せる事で、心ない者達から謂われの無い誹謗を受ける事は、何も今に始まった事ではない。そんなささいな感情のもつれよりも、今は大事な事がある。ミラールは鉄の意志で気持ちを切り換えた。
ミラールは、まだ心配げな顔をしているリスキンに微笑みかけた。
その表情には、また本来の強さが戻っていた。
【 4 】
長い一日が暮れようとしていた。太陽はすでに、高いラウアー山脈の向こうに隠れてしまい、残照が辺境の山野を紅く染め上げていた。
血の色、かな。
ミラールは、声に出ない程の声で呟いた。
もし何かあった時のために、と、兵隊達に簡単な戦闘訓練をさせて来た。しかし、そんなミラール自身、この平和な辺境で、血なまぐさい武力衝突があるとは思ってもいなかった。辺境の、たゆとうような時間の中で、軍人してのミラールは、すっかり呆けていたのである。
もう少し呆けていたかったな。
ミラールは苦笑いをかみ殺した。失ったものほど恋しくなるものである。
「隊長、隊長、トール達が帰って来たに!」
ベン伍長が息せき切って飛び込んで来たので、ミラールは一気に現実に引き戻された。
「隊長、ただいまです」
「おかえり、トール」ミラールは、笑顔でむかえたが、すぐに真顔に戻った。「で、どうだった?盗賊達の居場所は判った?」
「はい。国境から二十 Kmほど離れた山の中に、小さく開けたくぼ地があるだけど、そこにたむろしてたです」
「人数はどれくらいだった?」
「イグルーが三つほど建ってたで、はっきりとは判らんかったけど、ざっと見て、二十人ぐらいはいたと思うだ」
「そう。じゃあ、十人くらいは多めに見積っておいた方がいいわね」
「場所が判ったなら、さっそく救けに行こう」
今まで、置き物のように黙り込んでいた正宗が突然口を開いた。
「そうね…。そうしたい所だけど、『さっそく』はね…。とりあえず、救出に向かう場合の隊編成だけはしとくわね。
リスキン、アベル、モルタ、ロウ、トール、マーカス、カーツも行くわね」
「はい」
「正宗もお願いね」
「当分だ」
「当然だ、と言ってくれたのよね。ありがとう」
ミラールがそう言った時、扉をノックする音がした。
「誰だいや?」
ロペルが声を掛けた。と、ノックの主は自分で扉を開けた。そのでかい体を押し込んで、外から中が見えないようにする。イグロウであった。
どうしたの?とミラールが問い掛けようとするのを目で止めて、イグロウはことさらに大きな声で言った。
「こちらに来る途中で道を尋ねられたので、案内して来ました。リスキン『隊長』はおいででしょうか?紅竜義勇団のボスという方をおつれしました」
その場にいた全員が息を呑んだ。
ミラールの反応は早かった。
音も立てずに裏口へ行き、扉を開ける。アベル、モルタ、ロウ、トール、マーカス、カーツ、そして正宗が、ミラールの合図で素早く出て行く。最後にミラールが出た。扉を閉める前に、リスキンに向かって"引きのばすように"合図を送り、ウィンクと共に親指を立てた。リスキンは、緊張した面持ちで、やはり親指を立てた。
「ああ、司祭様、ありがとう。どうぞ客人を通してくれたまえ」
リスキンは、やはり大きな声で答えた。その声にまぎれて、ミラールは扉を閉めた。
ミラール達はこっそりと、しかし大急ぎで動き出した。
「カーツ、あなたの恋人、フェリスだっけ、もの凄く頭がいいじゃない」
「そうだかいや?」
「そうよ」ミラールは、驚きも顕わに言った。「きっと、フェリスは兵営の事について何がしかの訊問を受けたはずよ。その時に、リスキンを隊長だって言って、私の事は黙っていたのよ。これがどういう事か判る?」
「何か凄い事だかいや?」
アベルが口をはさんだ。
「もの凄い事よ。もし『女の隊長がいます』なんて答えていたら、私は身動きがとれなかったわ。私が出なければ、向こうも不審に思うでしょう。それに、知らない、とも答えられない。リスキンなら、兵営の中で、私以外では一番経験もあって、時間嫁ぎも出来るわ。リスキンががんばって時間を嫁ぐ間に、私達は盗賊のアジトの下調べが出来る。それだけ、人質を救出する成功率が上がるって事よ。フェリスは、見事な機転を働かせてくれたわ」
「やっぱりフェリスは賢いだあねえ」
「カーツにはもったいないに」
アベルとマーカスがそんな軽口を叩く。
「そこまで頑張ってくれたんだもの。絶対に無事に救けてあげるわ。待っててらっしゃい」
ミラールは、自分に言い聞かせるように呟いた。
ミラール達一行は、一 時間半ほどで、盗賊のキャンプに着いた。キャンプのまわりには、特に侵入者用のワナは見うけられない。相当にこの辺境は舐められているようだ。
ま、仕方ないけどね。
ミラールは肩をすくめた。自分がそうだったのだ。恐らく、ラウアー山脈に近い村落は、基本的に、ここのようなのんびり気質が当たり前なのだろう。
陽は既に落ち、辺りは薄闇に包まれている。しかし、キャンプの様子は手に取るように判る。中空にかかる半月を追いやるかのように、キャンプ内では煌々とかがり火が焚かれ、晩飯の用意で走りまわる当番の姿までも、はっきりと照らし出している。野豚を三頭丸焼きにしているところを見ると、やはり二十人ではきかないらしい。
「ほら、隊長」トールが指を差す。「あの、三つめのイグルー、少し小さくて、他の二つより立派だら」
確かに、十人以上が雑魚寝出来るようなイグルー二つの間に、ひとまわり小さい、しかし造りがしっかりしたイグルーが建っている。他の二つは、ロープで無理矢理地面に縫い止めたような乱暴な造りである。
「なるほど。親玉がいそうなのは、あのイグルーね」
ミラールは頷いた。人質がいそうなのも、そこである。子供だけならともかく、妙齢の少女も一緒である。親玉が近くに置いておこう、と考えるのも不自然な想像ではない。
「カランスキーが、少しでも紳士である事を祈りましょう」
カランスキーとは、盗賊団『紅竜義勇団』の親分である。
「よし、さっそく行くぞ」
正宗が、刀に手を掛けて立ち上がりかけた。
「待ちなさい!」
ミラールが、正宗の袖口をつかんで引き止めた。
「なぜ?」
「無闇に突っ込んでどうするの?」
「賊は二十五人ぐらいと見た。わしが十五人、みらーる殿が十人倒せば、終わりだ」
「人質はどうする気よ」
「何かされる前に全員斬る」
「無理に決まってるでしょ」
ミラールはため息をついた。
「じゃあ、どうしたらいいだいや?」
カーツが尋ねた。賊のアジトを目前にして肚がすわったらしい。かなりしっかりして来た。
「とりあえず、もう少し待ちましょう。今はまだ賊達が元気だからね」
イグルーは、くぼ地の中心から少し北寄り―山脈側―に建てられている。山を背負って、正面防衛主体の構えである。
カランスキーは軍人だったのかしら。それとも、どこかの村で軍と衝突した事でもあるのかしら。大規模戦用の陣構えをしてる。辺境の村人からの小規模の反撃は考えていないのね。
ミラールは声に出さずに呟いた。
「ねえ、隊長」
マーカスが、ぼそりと口を開いた。
「なに、マーカス」
「あいつら、みんな強そうだねえ」
「あら、そうかしら?」
ミラールはことさらに明るく言った。
「だって、色んなとこで悪さをしてる奴らだら。きっと強いに。そんな奴らから、フェリス達を救けられるだかいや?」
マーカスの言葉は、兵隊達全員の思いを代弁していた。
「何言ってるの」ミラールは笑顔を見せた。「あなた達だって、最近訓練をして、強くなってるじゃない。それに、今は闘う事より、彼女達を救ける事を第一に考えて。必ず出来る、と思えば、必ず出来るわ。もっと自分自身に自信を持ちなさい。そして、必ず救ける、という強い意志を持つの。これが大事なのよ。強い意志は、不可能を可能にする力を持っているわ。弱気になっちゃだめよ」
ミラールは力強く言った。今、憶病風に吹かれては困るのだ。盗賊団と兵隊達、どちらも烏合の衆であるが、同じ烏合の衆なら、気迫で勝った方の勝ちである。
「ぼくらがやらんで、誰があの子らを救けるだあ」
カーツが、燃えるような目をして言った。
「そうよ、その調子よ」
ミラールは言ったが、強い意志を持たなければならないのは、むしろミラール自身の方であった。
賊に比べて、手駒が弱い。
ミラールの心配はそこにあった。
しかし、やるしかない。
前向きに考えるしかなかった。
時間は九 時をまわったらしい。月も山の端にかかろうとしている。
「あ、誰か来たに!」
見張りをしていたマーカスの声に、皆は飛び上がる様に反応した。
「見せて」
ミラールは、マーカスと位置を入れかえた。權木の間で、向こうからは絶対に見えない、しかも、こちらからはよく見える絶好の場所である。
確かに、一人の男がキャンプに入って来た。数人の賊連中が出迎えて、二言三言交わす。男から何かを聞いた出迎え組が、大声で全員に聞こえる様にわめく。それを聞いて、キャンプの中がざわめく。
「あいつ、兵営にやって来たボスって奴ね」
ミラールは呟いた。
「リスキンは何を話しただいね」
カーツがミラールに、ささやくように尋ねた。
「さあ、とりあえず無理はしてないと思うけど…」
ミラールは言いかけて、ふと言葉を止めた。カーツが尋ね返そうとするのを、手で制する 。
後ろから、何か気配がする。
彼女の手は、ゆっくりと腰のククリへと伸びた。全身が緊張する。
「私です。斬りかかって来ないで下さいね、隊長」
そう言い置いて、大きな影がぬっと茂みの中から出て来た。
「司祭様!どうしたんです、こんな所へ?」
ミラールは目を丸くして尋ねた。
「あのボスって男を尾行て来たんですよ」
イグロウは平然と答えた。
「そうじゃなくて、何で私達のこの場所が判ったのか、と尋ねてるの」
「ここへ来る道が、賊達のザルみたいな警備網の中でも、もっとも手薄な所でしたから。それに、上手に足跡を消した跡がありましたから。多分このあたりだろう、と見当をつけたんですよ」
「カンタンに言ってるだけど、凄い事なんだら?」
アベルがミラールをつついた。
「もの凄い事よ。城都にだって、私の消した足跡を見つけられる兵は、そんなにいないわよ」
ミラールは正直舌を巻いた。このガタイのいい司祭は、まだ何かを隠している。ミラールは多大な興味を引かれたが、今はそれどころではない。彼女は、ふくれ上がった好奇心を無理矢理押さえ込んだ。
「――ところで司祭様、あのボスと、リスキンの間では、どういう約束が成立したんですか?」
「賊は、エイフの街の無血開城、そして金品、若い娘の差し出しを要求して来ました。
リスキンはそれは出来ん、と突っぱねましたが、人員を盾に取られているので、無理に抵抗する事も出来ません。そこで、明朝八 (グン)時までに街中の金品を全てまとめて賊に差し出す、という事で、即時降伏はまぬがれました」
「娘はどうしたの?」
「集めた金品を運ぶ人数だけでカンベンしてくれ、と」
「相手はそれを呑んだの?」
「はい」
「ふーん」ミラールは大きくうなづきながら腕を組んだ。「よっぽど舐められてるわね、私達」
「抵抗してくるなどとは考えてもいないでしょうね。人質もいる事ですから」イグロウも腕を組んだ。「賊達は、ダナウからの援護部隊の事を、多少気にしているくらいですね。地方警備隊ぐらい、大したもんじゃないと思っているフシもありますよ」
「いよいよ舐められてるわね。とにかく、私達はその地方警備隊の到着をあてにしてるんですからね。賊をやっつける、という前に、まずは人質を救出して、追手を振り切って街の中へ逃げ込む、これが作戦よ。
せっかく司祭様が来てくれたから、申し訳ないけど作戦に参加してもらうわ」
「私は構いませんよ」
「聖職者だのに、いいだかいや?」
トールが、そんな趣勝な事を言う。
「しかたないでしょ。猫の手も借りたいくらいなのよ。それも使える手をね」
ミラールが、イグロウを見てニヤリと笑った。イグロウは、それに曖昧な表情を返しただけだった。
【 5 】
「なあ、ねえちゃん。俺と遊ばねえか?うん、と言ってくれりゃあ、その縄をほどいてやってもいいぜ」
カランスキーの何度目かの言葉にも、フェリスは真っ正面からにらみつけるだけであった。
イェントとグレンは、すっかり落ち込んでぐったりと横たわっていた。マールは、フェリスをかばうように身を乗り出して、周りににらみをきかせている。左の頬が赤くはれ上がっている。
「フェリスねえちゃんに何か変な事してみろ!俺がお前らをぶっさらうに!」
マールが必死な面持ちで叫んだ。
「まったくお前は威勢のいいЮег(ウェグ)〈ガキ〉だな。そんな奴、俺は嫌いじゃねえぜ」
カランスキーは言いつつ二人に近寄ると、足でマールを小突いた。マールはなす術もなく転がされた。
それには少しも構わず、カランスキーはフェリスのおとがいにそのゴツい手を掛けると、顔を近付けた。フェリスは首をひねって距離を取ろうとしたが、カランスキーの万力のような力がそれを許さなかった。
「見れば見るほど、ここいらの辺境でくすぶってるにゃあ惜しい、いい女だな。どうだ、俺の女にならねえか?物にも金にも不自由はしねえし、好きなだけ遊んで暮らせるぜ」
「それをあんたとするんでしょ?お断わりだわ」
フェリスは気丈に言い放った。カランスキーは手を放すと、その手の甲でフェリスを張り飛ばした。フェリスは土の上に倒れ、尚もそこからカランスキーを睨みつけた。
「全く気のつええあまだ。俺がお前を手下の中に放り込まない事に感謝しろよ。奴らは女に飢えてるからな、夜が明けるまでемсе(イェムス)され続けるぜ」
フェリスはオールル語は判らないが、意味は判った。顔を赤らめながらそっぽを向いた。
カランスキーの下卑た笑い声がイグルーの中に響いた。
ミラールは、フェリスの声を聞いて、今にも飛び出しそうなカーツを押さえるのに必死だった。カーツの口はマーカスが押さえている。
「はいはい、どうどう。もうすぐ救け出すから、落ち着いて」
ミラールは、小さいが強い口調で言った。せっかくここまで近付いたのに、ここで騒いで見つかっては、苦労も水の泡である。
結局、ミラール・カーツ・マーカス組、正宗・モルタ・ロウ組、イグロウ・トール・アベル組の三組に分かれた。ミラール組は、イグルーに接近して人質の救出、他の二組はかく乱するための別動隊である。
見張りの二人をミラールの寸勁で眠らせて、親玉イグルーのすぐ近くまで来たのだ。別動隊が動くまでは、じっと石になってガマンしなければならない。
大飯をかっくらった盗賊どもは、イグルーの中で大いびきをかいて眠っている。しかし、眠っているといっても、数々の修羅場をくぐって来た連中である。不隠な気配を察したら、すぐにでも飛び起きて来るだろう。油断は禁物である。
やがて、カランスキーのイグルーの明かりも消えた。いびきが聞こえて来る。
「もーガマン出来ん、行くに!」
カーツは言うが早いか、イグルーの横すそに取りついて、中にもぐり込んだ。
「あ、待ちなさい!」
慌てて止めようとしたミラールの手が空をつかんだ。
「フェリス、フェリス」
カーツが小声でフェリスに呼びかけた。
後ろ手に縛られたまま、疲れて眠っていたフェリスだったが、ゆっくりと目を開けて、声の主がカーツである事を確認すると、そのやつれた顔をほころばせた。
「来てくれたんだ」
「隊長さんも一緒だ。さあ、帰ろう」
カーツは、フェリスを一度抱き締めると、そのままの態勢で縛ってある縄を解いた。
今までは優しいばかりだったカーツの凛々しい態度に、フェリスは思わず彼に抱きついた。
その気配に、イェントとグレンが目を覚ました。
「あ、カーツにいに」
「救けて、こわいよお」
二人は口をそろえて叫んだ。
「こら、大声出しちゃだめだ」
そう言うカーツの声も高い。
「何者だ。俺のイグルーへ入り込んで来やがったのは」
カランスキーの声が暗がりから聞こえ、燐寸が擦られた。ランプの明かりに、カーツ達、そしてカランスキーの威丈夫が浮かび上がる。
「何だ、このЕбб(イェブ)〈小バエ〉は」カランスキーは剣を手に、ゆっくりと立ち上がった。「そうか小僧、お前、この娘のアレかい。せっかくここまで来て残念だったが、別れのемсе(イェムス)はなしだぜ」
カランスキーは言うなり、大剣を振りかぶった。カーツはフェリスをかばいながらも、思わず目を閉じた。
次の瞬間、ミラールがククリでイグルーの壁を突き破って突っ込んで来た。カランスキーは咄嗟に振りかぶった剣をククリに叩きつけた。ミラールはその一撃を腕の力を抜いていなしつつ、頭と肩で体当たりを食らわせた。さしもの巨漢も後ろに吹っ飛んで引っくり返る。
「カーツ、フェリス、大丈夫?」
ミラールは身構えながら尋ねた。
「私は大丈夫」
フェリスは答えながらも、既に動いてマールの縄を解いた。遅れて入って来たマーカスが、イェントとグレンの縄をナイフで切る。
「いてえな、このあま。それにしても、この俺を転がすたあ、大したタマだ」
カランスキーはそう言いつつ立ち上がった。
「全然効いてないみたいね」
「いやあ、そうでもないぜ。かなり傷ついたぜ、俺の繊細な心はよ」
ミラールとカランスキーは、互いに剣を手に向かい合った。一・七ノースに満たないミラールと比べると、二ノースを越えるカランスキーは、まるで小山の様に見える。
一~二 分ほど、二人は微動だに睨み合った。カーツもマーカスも、少年少女を連れて、何も出来ないまま立ちすくんでいた。
そこへ、外から賊達の怒鳴り声が聞こえて来た。
「ようやく動いてくれたみたいね」
ミラールはニヤリとした。
「ぼーう、ちゃんとоФэзе(オフェーゼ)〈お仲間〉がいらっしゃったのか」
「一人二人で動くほど、私は命知らずじゃないわ」
「そうかい。だが、詰めが甘いな」
カランスキーは、ニヤリと笑った。
次の瞬間、イグルーの横の壁が扉のように開き、三人の賊の手下達が入って来た。
カーツもマーカスも、即座に武装を解かれた。
「親玉のイグルーだぜ。これくらいの仕掛けはさせてもらってるぜ、ねえちゃん」
「このっ…!」
ミラールは動きかけたが、カーツ達ののどに剣を当てられると、舌打ちをして両腕を下げた。
「そうそう、それが賢いぜ、ねえちゃん。оФэзе(オフェーゼ)のためにもな」
カランスキーは、ニヤニヤ笑いながらミラールのククリを取り上げると、地面に突き立てた。
「俺はな、強い女は好きだぜ」
「あら、そう。私は不粋な大男は大嫌いよ」
「俺も、生意気な女は嫌いだ」
カランスキーは言うなり、右手で平手打ちを食らわせて来た。思わずミラールはよける。次の瞬間、抜けたと思った右手が返って来て、ミラールは吹っ飛ばされた。
「生意気な女は嫌いだっつったろ?」
カランスキーは歯をむき出して 笑った。
ミラールは、そんな熊男を睨みつけながら立ち上がった。咄嗟に力の方向に体を浮かせたので、見た目よりはダメージを受けてはいない。しかし、その重たい一撃には、内心舌を巻いていた。
確かに、ちょっと甘く見すぎていたわね。さあ、どうする?
ミラールは自問した。そこへ、カランスキーが重ねて声をかけた。
「どうするもこうするもねえぜ、ねえちゃん。外のоФэзе(オフェーゼ)に、刀を納めるように言うんだな。お前ら、まだまだ死ぬ齢じゃあないぜ」
カランスキーはイグルーの外の気配に耳を向けた。刀を打ち合う金属音が、心なしか近づいたように思える。
「投降して命だけは助かるか、抵抗して全滅するか、どちらか好きな方を選ばせてやるぜ」
カランスキーがニヤニヤしながらそう言った瞬間、十クレグラノースあるイグルーの柱が、三本ほどバターのようにあっさりと断ち切られた。布が一瞬空中に浮いた状態になり、次の瞬間バサリと大きな音をさせて地面に落ちた。
賊たちは―カランスキーさえも―一瞬棒立ちになる。ミラールはククリの鞘に差してある投げナイフを、マーカスとフェリスに剣を突きつけている賊達の右手首に突き立てた。賊達は悲鳴を上げて剣を落とす。そこへマーカスは肘打ち、フェリスは肘打ちに金的蹴りをおまけした。
ミラールはカーツに向かって突進すると、カーツが賊の剣を押さえた一瞬のスキに、こめかみに中指の関節を立てた突きを見舞う。賊は白目を向いて倒れた。
ミラールが素早くククリを拾って外を見ると、そこには長大な刀をひっさげた正宗が、シルエットになって屹立していた。
「Ταρα(タラ) Υωεζ(グェス) ζραωω(ラウ) θωερομμ(スエロム) λεντοζζ(レントス)〈大かたそんなこったろうと思ったよ〉」
「どこで憶えたのよ、そんな言葉」
ミラールはあきれて肩をすくめた。
「なめるなこのアマ、てめえら、構わねえからこいつらをひねりつぶせ!」
カランスキーがおめいて、段平を振りかざした。それを合図に、再び乱闘が始まった。
正宗は、長大な刀を下段八双に構え、周囲に目を配る。三人の賊が、血のりで汚れた剣を振りまわし、飛びかかるスキをうかがっている。
既に、正宗の刀に二人が倒れている。賊達もうかつには飛び込めない。
『無駄な事はやめて、降伏しろ。おぬしらの命まで取るつもりは毛頭ない』
正宗は、ヒノモトの言葉で言った。賊達には当然判らない。仮に判ったとしても、手を引くような連中ではない。正宗は一つ深いため息をついた。
『死にたい奴からかかって来い』
その言葉が判ったかのような間で、一人が突っ込んで来た。正宗はその剣を外へ払うと、返す刀で相手の胴を狙った。賊は、払われた剣を素早く返して、正宗の一撃を受ける。
そこへ、もう一人が足を狙って低くないで来た。正宗は手首を返して長大な刀のきっ先で受ける。がら空きになった正宗の左半身に対し、一人が顔面へ突き、一人が胴へ横なぎの攻撃を操り出して来た。三人一体の見事な連続攻撃である。
ええい、どうにでもなれっ!
正宗は夢中で、顔面への突きをかわしつつ、左横蹴りで胴を斬りに来た男の手首を押さえようとした。突きは何とかかわしたものの、蹴りが相手の左手に入ってしまったため、振る勢いは止めたものの、逆に相手の手首を内側に返す結果になった。賊の剣が、浅く正宗の脇腹に入る。
『不覚っ!』
正宗がうめいた瞬間、鋭い金属音がして脇に入った剣が折れ飛んだ。思わずその場の全員が棒立ちになる。次の瞬間、まばゆく輝く光の矢が四本、折れた剣を持ったまま呆然としている賊の胸に突き立った。光の矢は、突き刺さった瞬間に閃光をまき散らしながら消え、それを受けた賊は後ろに吹っ飛ばされて、気を失った。
『何だ、これは?』
「Ес(エ) θαττ(サット)〈何だ、こりゃあ〉?」
正宗のヒノモト語と、賊のスリアク語が、期せずして同調した。間を置かずもう四発、光の矢が飛んで来て、もう一人が餌食になった。正宗は素早く体勢を立て直すと、度を失っておろおろしている残り一人を、真っ二つに斬り抜いた。その血刀をぬぐいもせず、次の攻撃にそなえて眼を四方に配りつつ、正宗は考えた。
(今の光の矢は、どこかで見た事がある…。そうだ、以前、ナガントへ向かう途中で賊に襲われた時、確か最初の攻撃があの矢だった…)
以前には、光の矢に仲間を失い、今度は同じものに命を救われた。
『ばすたーめ、奴に借りが出来てしまったな』
正宗はぼそりと呟いた。その唇がうすく笑っていた。
賊のキャンプの上空百ノースほど上に、バスターが浮かんでいた。魔法の力を纏っているので、上空の風にも全く影響を受けていない。そんな彼の周囲に、光の矢が十数本、キャンプの方向を向いたまま静止している。
戦場を見下ろしていたバスターの目が動き、指がかすかに動いた。すると、光の矢が二本音もなく飛んで行き、リスキンの背後から斬りつけようとしていた賊の背中に突き立って消えた。
H6 末 ?
20190131改
註 : 『第一話 転任』『第二話 三人の迷子』『第三話 魔法の杖』『第四話 流浪の魔道師』『第五話 アルバドの最後の息子』『第六話 “道”を忘れたサムライ』そしてこの『第七話 辺境乱斗編』のこの部分までが、私が二十数年前に書き溜めていたものです。阪神淡路大震災や引越し等で中断してしまい、そのまま陽の目を見る事は無いかと思っていましたが、「小説家になろう」という媒体のお陰で、何とか決着をつける事が出来ました。出来れば、この物語を最後まで書き続けたいと思います。




