閑話休題 伍乃壱
辺境の空は今日も晴れ 閑話休題 伍乃壱
聖堂の大ホールに、朗々と聖句の詠唱が響く。息長く韻がたゆたい、ホールの隅々にまで音が染み込んで行く。
タ陽がステンドグラスを通り、聖堂内を紅く染める中、フラブ教中央教会の最高権威、マルエイサー大司教は聖句を唱え終わり、息を調えた。ゆっくりと声の余韻が消えて行く。
「素晴らしい詠唱でした」
静かな声を背後に聞いて、マルエイサー大司教は振り向いた。いつの間に入って来たのか、参拝者席の中ほどの列に、一人の女性が座っていた。
「これはこれは、エイミス様」マルエイサー大司教は柔和な笑顔を見せた。「お忙しいところを、お呼び立てして申し訳ありませんでした」
「いいえちっとも。むしろ、アーラーンさんに来て頂いたお陰で大手を振って外出できるので、お礼を申し上げたいくらいですわ」
エイミスは屈託なく笑った。アーラーンとは、中央教会の司教で、マルエイサー大司教の秘書役である。メスタから来たドロ族で、黒い肌がこの国では珍しい。彫りの深い男前である。
「べっ別に男前とか関係ないでしょ?」
エイミスは誰れにともなく言いながら、頬を染めて頭の上を払った。
「エイミス様に来て頂いたのは、お伝えしたい事があるからなのです」
マルエイサー大司教は、穏やかながら厳しい表情で口を開いた。
「はい。お聞きします」エイミスは落ち着いて答えた。「私を城から呼び出した、という事は、まだ大公の耳には入れたくないお話、と考えればよろしいでしょうか?」
「その通りです」マルエイサー大司教は頷いた。「まだ確認がとれた訳ではありませんので、余計なご心配はお掛けしたくはないのです」
「判りました。お聞かせ下さい」
エイミスは大司教の近くまで行くと、彼が椅子に座るのを見て、自分も腰を下ろした。
「私の友人でもある、オーランド=ケッスレーが、教えてくれたのですが…」
「ファンネル騎士団長の?」
「ええ、そうです。彼は、辺境を旅するランバラッタに依頼して、特にガンロートの動行を調査していたのです。そのお陰で、昨年の『ガンロート事変』も最少の被害で済んだのですが…」
マルエイサー大司教は、そこで沈痛な面持ちで言葉を切った。
「…そうですね。結果としては未然に防ぐ事が出来ましたが、その巻き添えで、小さな命が…」
エイミスも唇を噛んだ。
「その時の残党が、また動き始めた、という報告があったらしいのです」
マルエイサー大司教は、苦渋に満ちた表情で言った。
「何ですって?」
「ガンロートでは、一部の貴族は今だに、ガンロートの祖はロウドロン族で、ランカスター公国のフランク族より古い血統を持つ、誇り高い国だ、と信じる国粋主義的思考の持ち主が少なくない。ガンロート独立を目論む者達は、そんな主張をも利用して、国民の意識を操ろうとしているのです」
「古いとか新しいとかだけで優劣が決まる訳じゃないのに」エイミスは肩をすくめた。「国と国民を守る事が出来るなら、お父様も独立を反対する事はないと思うけど」
「独立に乗じて、国内で優位に立ったり、大きな権益を手に入れようと画策しているのでしょう」
「はあ」マルエイサー大司教の言葉に、エイミスは溜め息をついた。「やだやだ、大人って」
「今はまだ公国内での不隠分子の活動は確認されてはおりませんが、もしかすると、以前のように独立運動を扇動する者が現れるやも知れません」
マルエイサー大司教のその言葉は、エイミスの表情を曇らせた。
「また、あんな悲しい事が起こるかも知れない、という事ですか?」
「警戒する必要はあるかと。ただ、これはあくまで私と、ケッスレー団長との悲観的想像に過ぎません」
「何もないに越した事はありませんものね」
「一応、何が起きても対応出来るように、弟子を呼び寄せる段取りはしてあります」
「お弟子さん?アーラーンさんじゃなくて?」
「ええ」マルエイサー大司教は、寂しげに微笑んだ。「本当は、こんな事で声を掛けたくはなかったのですが。文武両道に秀でた男です。今は田舎の教会へ行っているのですが」
そこへ、扉を破って男が二人堂内に飛び込んで来た。正確には吹き飛ばされたのだが。それは、聖堂の前を守っていたエイミスの付き人、ブレスター兄弟であった。
開けっ放しになった扉の向こうには、革製の胸当てを付けた男達が数人、剣をぶら下げて立っている。
「何者だ!?ここを大司教様の聖堂と知っての狼藉か!?」
エイミスは厳しい声で咎めたが、男達は構わず堂内に闖入して来た。
「こ奴ら、大司教様を狙って…」
ブレスター兄弟が立て直しながら言った。
「ガンロートの独立派の中には、フラブ教会の影響力を敵対視する者もおります。曰く、フラブ教会が民族独立の気運を押さえ込んでいる、と」
マルエイサー大司教はゆっくりと席を立ちながら言った。
「何なのそれ?とんだ言い掛かりじゃない!」
エイミスは唇を尖らせた。
「こいつらは、オールル辺りの傭兵くずれですね。恐らく雇い主の顔も知らんでしょう」
ブレスター兄が剣を構えつつ言った。
「独立派に雇われたかどうかは、証拠がないって訳ね」エイミスは言いつつ、半歩前へ出る。「ダルス兄さん、大司教様をお守りして」
エイミスは光線剣を抜いた。青白い光が溢れる。さすがの傭兵達の間にも動揺が走る。
「何よ、ファンネルがいるとは聞いてなかった?」
エイミスは不敵な笑みを浮かべた。
「ご心配はありがたいのですが、ダルス、そしてオブレル、あなた方は自分の仕事を全うして下さい」
マルエイサー大司教はそう言って、エイミスの横に並んだ。手には銀色の棒状の物を持っている。
ブンと唸ると、純白に煌めく光の束が生まれた。
エイミスの目が丸く見開かれた。
「私も、自分の身は何とか守れますから」
マルエイサー大司教は静かに言った。傭兵達に更なる動揺が走った。
「皆さん、ここは大聖堂です。殺してはいけませんよ」
マルエイサー大司教が、光線剣を持ち上げながら、落ち着いた声で言う。鋭い眼光は既に先頭に立つ男を捕らえていた。
閑話休題
20180514了
註 : ブレスター兄弟
兄 ダルス(ヒメール号操舵士)
弟 オブレル(ヒメール号かま焚き)




