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空耳で聞いた外国語の表記

 鹿島茂の『渋沢栄一 算盤篇』で、渋沢が如何にして、経世済民をヨーロッパから学んでいったかを読みました。本音は1867年のパリの万国博覧会に日本が参加していたので、側面から万博を調べられないかの下心。

 渋沢栄一が自身で付けていた記録や幕臣たちが付けていた記録に「フロリヘラルド」、或いは「フロリヘラル」と呼ばれる人物が出てきます。これは駐仏日本名誉総領事の”Fleury-Herald”、フリュリ=エラール、銀行家でした。

 日本からヨーロッパへの船旅の中でフランス語の勉強をしようとしたらしいのですが、渋沢は船酔いがひどくてモノにならなかったようです。まあ、でも到着したらいくら通訳さんがいたとしても、渋沢は下っ端の金庫番係プラス徳川昭武一行のムードメーカー係でしたし、自分一人に通訳を付けられる身分の人間じゃないのでした。頑張ってたようです。渋沢栄一の『航西日記』の一部を国会図書館のデジタルコレクションをネットで拝読しておりましたが、これって元の綴りは何だろう? の単語にぶつかりました。

「マルセール」、「チユイロリイ」、「(金銭の単位を)フランク」、「ウイルサヱル」あたりは読んでいて解りましたが、「ボワデブロン」が一瞬どこそれとなりました。

「ボワデブロン」、”Bois de Boulogne”、あああ、今の日本語でいうとこの「ブローニュの森」のことじゃないですか。

 言い回しも色々と変わっていますので、ふうんとあれこれ想像しながら読み進んでおります。「尋問」って所謂警察関係の方がする尋問じゃなくて、会見や会話を指すよねとか、「町會所」ってパリの市庁舎のことだよね、「町會所」と書くと公民館か町内会の集会所みたいだなぁ、なんて。

 知らないことを手探りで学んでいくのが大変なのは、どんなことでも同じです。初めて外国に行っての苦労を笑えません。

 水戸藩から、将軍徳川慶喜の異母弟昭武がヨーロッパに渡ったのは数え年で十四歳。満年齢からいったら十二歳。マルセイユに上陸した時の記念写真を渋沢史料館から出ている図録で見ましたが、ホントにちっちゃい子どもです。周りを囲む家臣団が皆大人ばかりで、真ん中に徳川昭武が椅子に座って写っていますが、雛人形のお内裏様みたいです。ヨーロッパでの言葉や習慣に慣れない中で、競馬や舞踏会にお呼ばれして――元服していたから大人扱いとはいえ――、大変だったでしょう。

 外国語を耳で聞いて、日本語のこんな言葉に聞こえる、とは色々と例のあるお話で、有名なのは、「掘った芋いじるな」と「湯飲み」でしょうか。わたしが子どもの頃観たテレビドラマ『熱中時代 刑事編』で主演の若き日の水谷豊がアメリカ娘を警護する任務に就くにあたって、脇役の伴淳三郎から「知らんぷりと言うとアメリカ人は座る」と言われます。

 水谷豊、それを信じず、座ってくださいと”Sit down,please.”とアメリカ女性に言ってみても通じず、「知らんぷり」と言ったら座るコメディシーンがありました。

 参考

『澁澤栄一滞佛日記』 大塚竹松編 日本史蹟協会 国立国会図書館デジタルコレクション

『徳川昭武滞欧記録』 大塚竹松編日本史蹟協会 国立国会図書館デジタルコレクション

『渋沢栄一渡仏一五〇年 渋沢栄一、パリ万国博覧会へ行く』 渋沢史料館


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