ジャックと豆の木的な妄想 或いはバイロンの『チャイルド・ハロルドの巡礼』刊行時のような妄想
古い話で恐縮ですが、平成二十三年の年末のテレビのニュースで、野菜が巨大化とテロップが流れたので、つい画面に見入りました。大根、白菜、牛蒡などの冬野菜が大きくなりすぎたとの報道なので、どれくらいの大きさなのか、真逆童話の『ジャックと豆の木』のごとくオバケなんとかと呼びたくなるくらいに成長したのかと、好奇心丸出しでおりました。はい、お莫迦さんです。
テレビの画面に現れたのは、なんのことはない、普通の大きさの野菜に見えました。わたしも一緒に観ていた姑も、口々に「なあんだ、大したことないじゃないか、普通の大きさだ」と言いました。規格の袋や箱よりもちょっとばかり大きくなった程度で巨大化なんて言葉を使うのは、農作物にも生産者にも失礼だろうと感じました。それでも規格外品になってしまったので、出荷できずに廃棄となると報道されていました。
その後、二十三年末から二十四年の初頭の天気の乾燥続きで、ほうれん草などの冬野菜が成長せず、野菜の品不足が報じられました。同じ年に「MOTTAINAI」を提唱していた女性が話題となっていただけに、豊作貧乏ではなく、規格外に育っただけなら本当に「勿体ない」なあと思っていました。
童話の『ジャックと豆の木』、豆の苗を植えたら次の日には天にも届くほどの成長をしていた豆の木のお話です。有り得ないと解りつつ、そんな奇跡が起きないかと人間、期待します。ちょっとの投資でハイリターンとでも言いましょうか。
バイロンはわたしにとって、好きな詩人というよりは十九世紀のイギリスの歴史上の人物です。別のエッセイでも書きましたが「ディオダディ館の幽霊会議」の逸話、ブロンテ姉妹やスタンダールに影響を与えたと聞くと、へえ偉い詩人さんなんだと間の抜けたことを考えていました。(ロマン主義時代の詩人を愛好する方、怒らないでください)
実家にあった故事成語辞典みたいなのに、「一夜明けたら有名に」(それとも「目覚めたら有名に」だったか)の言葉がありました。これはバイロンが二十代半ばくらいの時に長編詩の『チャイルド・ハロルドの巡礼』を刊行した時の言葉だと説明されていました。それまで無名で外国を漂泊していたバイロンが詩集を出したら、すぐに脚光を浴びて、有名になったことに驚いての一言だそうです。
公募の小説に落っこちて、文才はないのかも知れないけれど、もしかしたらネットで発表してみたらまた違うかも知れない。公募だと、一次落ちは講評も何ももらえないけれど、ネット小説なら気軽に感想を書き込めるようになっているから、ここはいいけど、ここら辺は読み辛いよと指摘をしてくれる読者がいるかも知れない。案外発表する媒体と相性が合えば、好評を得るかも知れない。
そして、夜が明けたら何らかの話題になっているかも知れない。
人間、幾つになっても煩悩には限がございません。
そして発表してみると、発表時はアクセスがあっても大した数はなく、ポイントも感想もない。
所詮は妄想、儚き願望に過ぎないのだと、幾度目かの現実の重さにうなだれるのです。
拙作を読んでくださる方々がいらっしゃるのだから、それに感謝し、趣味と割り切って作品を綴り、発表していこう。そしてまたタイミングが合えば公募に再挑戦してみようかと仕切り直しを考えるのでございます。
努力が必ず報われるとは限りませんが、労せず幸いを得ようなど虫の良い甘いことは望まず、こつこつとやっていこうと思うのです。『ローマは一日にして成らず』って言いますから。




