きつね色を英語で表すと
拙作『君影草』を執筆するにあたって、1867年のパリの万国博覧会を調べました。
1867年のパリの万国博覧会にはヨーロッパ各国の王侯貴族が訪れています。日本からも最後の将軍徳川慶喜の弟、昭武が訪問しています。
万博でイギリスの王太子が見学ついでにオペレッタを観劇し、その主演女優に熱を上げたとか、次いでやって来たロシア皇帝と皇太子とその弟たちも同じオペレッタを観て、やはり主演女優を気に入ったとか、実はロシア皇帝は息子と同年代の若い愛人を呼びよせていたとか、影のお話も出てくるのですが、プロイセンの王室とその方々は調べても浮いたお話が出てきません。
プロイセン国王と王太子夫妻、ビスマルクとモルトケがロシア皇帝一家と同時期にパリに来て、万博だけでなく、ナポレオン3世主催の閲兵式や大晩餐会に招かれています。わたしの調べ方が足りないのか、プロイセンの方々はお固くて、単なる外交、表敬訪問と割り切っていらしたのか。
ビスやんは普墺戦争後の戦後処理、北ドイツ連邦を成立させ、その憲法を作成、議会で承認させるお仕事が立て込んでおり、神経痛だかなんだか体調不良が度々。ビスやんの伝記や記録を見ても、北ドイツ連邦の成立とルクセンブルグ危機から一気に普仏戦争に記載が飛んでいて、パリ万博に行った話は載せられていません。ヴィルヘルム1世は七十歳だったから羽目の外しようがなかったのでしょうし、王太子は妻ヴィクトリアを同伴していたし、イギリス王太子とは性格が違うのでしょう。
プロイセンが万博に出展したのが大砲だそうで、どちらも華やかさが今一つと申しましょうか。
なんだかなあと思って、そういえば別の本に王太子の奥さんの記述がなかったっけと『貴婦人が愛したお菓子』(今田美奈子 角川文庫)を見てみましたらば、ありました。「フリードリッヒ三世皇后ヴィクトリア フリードリッヒ皇后トルテ」と題したアイシングをたっぷりとかけたケーキが載っていました。自由主義思想の持ち主で、夫をその思想を伝え、時には舅やビスマルク、夫とも対立したけれど、自分を曲げようとしない女性だったとの説明です。
また、本には1866年と誤記されていますが、1867年の万博記念のチュイルリー宮での大晩餐会の絵がカラーで載っていました。ラッキー!
絵を見ると、庭園――アトリウムらしい――にカーペットを敷いてテーブルを並べている様子です。人数が多いと庭まで使わないと晩餐のテーブルも足りなかったのでしょうね。
どんな所にヒントが潜んでいるか解りません。
図書館で『ペルシア王は「天ぷら」がお好き?』(ダン・ジュラフスキー著 小野木明恵訳 早川書房)という本を見付けました。ペルシアの王様らしい男性が帽子だかターバンに羽飾りではなく、海老の天婦羅を付けたイラストの表紙です。なんとなく、興味惹かれて借りてきました。
トマトケチャップと呼ぶけれど、何故「ケチャップ」ではなく、「トマトケチャップ」なのか、の疑問から始まっています。
まだ読みはじめたばかりですが、なんか面白いです。安価な飲食店の方が高価な飲食店よりもメニューの品数が多いし、お客が色々と選べるようになっている、高価な店ほどシェフにお任せとかシェフのお勧めとメニューにある、もしくはメニューで選べるようになっていない、中間くらいの店だとメニューにやたらとホンモノと付けてくるなど、外国の著書だけど、なんとなく日本でもあるんじゃないと、笑ってしまいます。
後はメニューにやたらと形容詞が付いているなど。かりっとした、スパイシー、ふんわりとした、優しい甘さ、などなど。
その中で食べ物の色の一つで、きつね色と訳されていましたが、その原語というか原文を示す単語が、”golden brown”でした。試しに和英辞典を引いてみましたら、きつね色は”light brown”でした。
「明るい」よりも「黄金の」がお狐様らしいかしら?
意外な所で意外なネタが拾えるから、違うジャンルでも本を読むのは楽しいです。




