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お江戸の事情

 パリの生活環境をご紹介したから、今度は江戸をご紹介してみましょう。多くの江戸の雑学で紹介されていますが、江戸や近郊の村々の生活用水としては玉川上水がありました。玉川上水の完成は十七世紀半ば、この頃には上水道ができていました。江戸の井戸は掘った物ではなく、玉川上水から引いてきた水です。当時の関東平野では掘っても塩気の多い水しか汲めなかったからだそうです。玉川上水が完成するまでは小石川(神田)上水を利用していました。赤坂付近の低湿地を溜池として、貯水池にしていたのが、地名として残っています。

 中世まで利根川が江戸湾に注いでいましたが、徳川家康の入府の頃から工事をしてそれを千葉県の銚子方面、太平洋に注ぐように灌漑工事をして、家光の頃に完成。暴れ川の坂東太郎の氾濫や海水の逆流をこれで防いでいました。

 江戸時代に、ロンドンやパリのような地下を貫く下水管を使っての下水道はありませんでした。

 でも、江戸時代に限らずですが、我々、ヨーロッパと違って、屋内で用を足した物を窓から捨てる習慣なんて持っていませんでした。汲み取り式で臭いため、屋外に設けられようとも、お便所はきちんと決められた場所に作られ、それを守ってきました。そりゃ、外出先やら何の設備もなさそうなアウトドアの場所あたりでどうにもならない状況もありますが、少なくとも居住空間の近くでそんな粗相をしないでしょう。

 江戸時代の暮らしの絵図や時代劇でも、長屋辺りには共同のお便所があり、井戸端には洗濯や炊事に使った水を流す排水溝があり、排水溝にはきちんとどぶ板がしてありました。パリの写真や絵図では街路に排水溝らしき溝があるのは解りますが、あくまで溝、蓋も板も無しです。

 山田風太郎の『八犬伝』で、滝沢馬琴がお便所の汲み取りにきた農民相手に、代価の大根何本寄越せと交渉している場面がありました。お便所の排泄物は汲み取って大きな桶に入れて大八車で運び、農村で下肥として利用されていました。これは高度成長期前くらいまで続いていたのではないしょうか。生活空間にばら撒いて、悪臭の中で暮らすなんてしていませんでした。

 上流の方々は相変わらずおまるを使用したり、臭いや虫が上ってこないくらいふかぁく掘った特製のお便所を作ったりしていました。上つ方は匂いに悩まされないようにされていたみたいです。

 大正時代に大杉栄がパリのホテルで驚いたような体験は、多分これからもあるんだろうなぁと思います。世界中の人たちで、水洗トイレ、或いは薬剤を使って排泄物をあまり目にしなくて済むトイレを使用できているのはまだまだ恵まれた生活をしている層です。野外に穴を掘って、の環境の人たちは世界中に多くいます。

 また、震災の時もライフラインが止まり、衛生面での心配が、トイレの問題でした。飲食を我慢できませんから、これもまた切実な問題です。人間、恒温動物ですので、代謝が激しいのです。

 言葉にするのをはばかる場所だから、お便所のことを「はばかり」と言っていましたが、無いものにはなりません。それこそトイレのないナントカは結局捨てどころに困ってしまうと決まっています。

 参考

 『日本史の謎は「地形」で解ける』 武村公太郎 PHP文庫

 『日本史の謎は「地形」で解ける 環境・民族編』 武村公太郎 PHP文庫


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