光の都とか、花の都とか言われていたけれど
『へんなエッセイ』の作者井川林檎さんにインスパイアされての章でございます。
昔、『香水 ある人殺しの物語』(パトリック・ジュースキント著 池内紀訳 文春文庫)を職場の昼休みに読みました。読みはじめて、すぐに後悔しはじめました。昼ご飯を食べながら読む本じゃなかった、うわわ、と感じたのです。
昼休みだけの時間で読み終わるような内容ではなかったのですが、続きの読むのに情熱が薄れ、斜め読みのように読了してしまいました。
作者はドイツの人だそうですが、物語の舞台は十八世紀のフランスのパリ。巷でゴミ屋敷とかニュースで伝えられますが、当時のパリはゴミ屋敷どころか、街そのものがゴミ溜めみたいな様子なのです。
市場の魚を捌く担当の女性が赤ん坊を産み落として、その子を溢れる生ゴミと一緒に捨ててしまおうとします。ところがその赤ん坊は助けられ、母親はしょっ引かれていくのが冒頭です。いくらなんでもと思いますが、描写として、魚の生ゴミに赤ん坊を混ぜて捨てても見付からないのが納得できる、ゴミだらけの街なのです。助けられた赤ん坊が主人公で、長じて体臭が一切ないけれど、あらゆる香を嗅ぎ分け、調香するのに天賦の才を持っている設定となります。主人公がどんな人生を送るか、興味のある方は原作をご覧ください。
小説を書く関係から、十八、十九世紀のパリの様子を調べておりますが、人間が生活している以上、綺麗な部分ばかりではございません。ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、十八世紀のパリに上下水道がありませんでした。その上で、何階か建ての建物に人は住んでいました。エレベーターの無い時代、上層ほど粗末、そして、使用人や安い家賃しか払えない労働者が暮らしていました。上水道がないので、水を容器に入れて部屋まで運ばなきゃいけません。また、下水道がないので、排泄物は部屋に置いているおまるで済ませて、一声掛けて、窓から捨てていました。
そんなこんなで、生活ゴミも似たような捨てられ方をしており、いくらヨーロッパ大陸が乾燥しているからって沙漠地帯じゃなし、腐敗や風化するまで時間が掛かり、パリは臭かったと言われています。『香水』に書かれているパリの様子はフィクションの為の誇張ではないのです。
サン=ジュストはセーヌ川で水泳をするのが趣味というか、鍛錬していたそうですが、水温が泳ぐのに向かないような季節はどうしていたんでしょうねえ。絞った布で体を拭くくらいしていたのでしょうか。
古代ローマ人は帝国を拡大したら、ちゃんと大浴場を建設していたのですが、ローマ帝国が滅びて、キリスト教の信仰が拡がると、裸を晒すのはよくないと入浴が廃れはじめ、ペストの流行で感染源のように言われて、大浴場が否定されちゃったそうです。
体臭が強いのは生命力が強い証みたいな言説があり、そしてみんな臭いので気にしなかったそうですが、それは違うと声を大にしたくなります。
人が集まる都市圏で生活用水は死活問題。飲み水はなんとか川から運ぶ、近くの水の汲み上げ場所で汲む、もしくは水売りの商人から買って運んでもらうとなりますが、排水の方が何とも言えません。
女好きのアンリ4世が朝帰りの途上で、頭からおまるの中身を被った話をどっかで聞いたことがあります。
パリの泥は生ゴミ、排泄物でできており、黒くて、服に付いたりしたら決して落ちない汚れになったし、特殊なので、靴や服の汚れからパリにいったかどうか、解るなんて描写があると、ひええと感じます。
ナポレオン3世が政権を取って、まずはパリの生活環境を改善しようとしました。そんな中の工事で上下水道の整備なんですが、既存の建物に水道設備の設置をしたがらない人が多くて時間が掛かったようです。我が主人公がパリに行く頃には大分工事が進んでいるはず。です。
しかし、鹿島茂の『パリ・世紀末パノラマ館』(中公文庫)を読んでいると、こんな一節がありました。
「一九二三年に国際アナーキスト大会に出席するため、パリを訪れた大杉栄は泊まったホテルのトイレが粗末な汲み取り式で「そのきたなさはとても日本の辻便所の比じゃない」と驚いている。」
大正十二年、関東大震災の後に大杉栄が命を落とす直前のことだと思われます。パリのトイレが水洗式が汲み取り式を上回り始めた程度でした。ホテルでもそーなんだ、と思いました。
子細に説明してもお読みになる方は楽しくないと思い、簡単にしか書いておりません。参考にした本を挙げておきます。
『十八世紀 パリの明暗』 本城靖久 新潮選書
『馬車が買いたい!』 鹿島茂 白水社
『明日は舞踏会』 鹿島茂 中公文庫
『怪帝ナポレオン三世』 鹿島茂 講談社学術文庫 などです。
遠藤周作の『王妃マリー・アントワネット』(新潮文庫)でも、市井の暮らしで、窓から捨てる話が出てました……。




