仕草としての『捨て目捨て耳』
「都麻絵」は「岩崎都麻絵」で、わたし、「惠美子」の別ペンネームです。たまに別人格として、エッセイに遊びにきます。
都麻絵(以下 都)「今回の『卅と一夜の短篇第17回』、題名のことで何にも言ってくる人いなかったの?」
惠美子(以下 惠)「今までのところおりません」
都「なんだか詰まんないわね。内容とどう関連があるのかぐらい突っ込まれるかと思ったのに」
惠「ミステリのジャンルだと、ある意味「捨て目捨て耳」であることが大事でしょ。一応、手の内は晒しておかないと、アンフェアになりますから。
『あとみよそわか』って幸田文を読んだことないのに、言葉だけ知っていて、題名に使おうかと思ったけれど、これはお呪いの言葉だと思い出して、止めました。類似の言葉で「捨て目捨て耳」にしたの」
都「草柳大蔵の『お嫁にいくまえの44章(下)』(大和文庫)にある『捨て目捨て耳ということ』で読んでいた内容をうっすらと覚えていたのね、エライエライ」
惠「自分のいる場所、通る場所で、やり過ごしたこと、危険はないか、忘れ物、片付け忘れはないか、一声掛けることはあるかと見聞きし、気を配る。
この言葉で言われたことはないけれど、一人前の顔をするなら気を利かせなさいとか、自分が散らかしたんじゃなくても片付けて綺麗にしておきなさいとか、躾けられてきているし、そのように家族や教師、上司から注意を受けてきている人はいると思う。(ちゃんと日常でできているかどうかは別よ)」
都「過剰な心配りや「おもてなし」がブラック、賃金につながらない労働になると、あれこれ言われているのに、これは難しいですね。日本人の美意識でしょうか?」
惠「さあ? 現代ではともかく、20世紀までは大切だった美意識でしょう。『捨て目捨て耳』も幸田文の『あとみよそわか』も残っている言葉ですから。
あんまりギスギスしたくないですよ」
都「あなたは、職場で夜遅くまで残業していて、一休みしようと、みんなにココア淹れたりしてたもんね。余裕のない職場だったから、かえってあんたそれで潰れたんじゃないの?」
惠「今更どうにもならないことほじくり返しても仕方ないし、血糖値下がって頭働かない状態で残業したって能率悪いだけじゃない。どうせまた次の日の定刻に出勤して、終わりの見えない残業するのが解りきってたんだもの」
都「二十代の残業と三十代後半での残業の重みは違ってたのね」
惠「そういうことにしていてちょうだいな。
どこまで力が及ぶかは、本当に解らないし、相手が迷惑がっているかも知れないけれど、余計なお世話にならない程度に、住環境や仲間に気を配れるのはいいことだと信じたいの」
都「そういう人の好さがオバチャンなんだけどね」




