底本?
三、四年前、藤原道長の『御堂関白記』がユネスコ記憶遺産に登録されました。その時のニュースで、「平安時代の政治家藤原道長の日記……」と流れて、ああ、そうか、藤原道長って政治家だったんだっけと、変なことを思いました。『紫式部日記』あたりを読んでいると、デキのよい長女と家柄が良く年齢も上の奥さんに頭が上がらないおっちゃんのイメージができてしまっていて、大臣や摂政を務め、人臣位を極めた人物なのを忘れていました。
『御堂関白記』は道長自身が書いた自筆本で残っています。子孫の方がきちんと保管していました。その為、道長は字が下手だ、誤字がある、墨塗りで記述を消した箇所があると、学者さんから指摘されています。学生時代に恩師に連れられてのゼミ旅行で、京都の陽明文庫に参りました。そこで『御堂関白記』の原本を拝見したはずなのですが、ほかの書物や掛け軸に気を取られてよく覚えていません。ですが、確か一条天皇が崩御される直前、道長の長女で一条天皇の后の彰子と最後の言葉を交わす記述だったと、先生が読んで教えてくださいました。
その後も写真などで『御堂関白記』を見て、確かに誤字や墨塗りはあるけど、そう字は下手でもない、日記だから、丁寧に書いていないだけ、の印象です。
『源氏物語』や『枕草子』の自筆本は残っていません。残っていたら大発見ですが、当時から娯楽ものとして貸し出され、書き写されてきたので、風化、散逸したのでしょう。写本は書き写されているうちに、誤字が出てきたり、勝手に書き足されたりと、出てきてしまいます。
平安時代は貴族の娯楽でしたが、時代が下るにつれ、武家や豪商が古来から伝わる教養として写本を欲しがり、貴族は写本を作り、その講読やらしながら小遣い稼ぎをしていくようになる訳です。
丸谷才一と大野晋の『光る源氏の物語』(上・下 中公文庫)で、二人して『源氏物語』を読み解きながら、なんとか本ではこう、あれそれ本ではこうなっていると細部の記述を提示しながら解りにくい箇所の解釈を試みている場面がありました。『源氏物語』の最終話『夢浮橋』の最終行が、「とぞ。」で終わる本があるが、「とぞ、本に侍める。」と終わる本もあると紹介しながら、延々と二人で対話していました。そこは国文学者と小説家の解釈や物語の歴史など加わっての面白味というものなのでしょう。
さて、出来の悪い読書人のわたしは底本の比較や、使われている言葉遣いから時代の新旧を読み取るのはできるものではありません。それでも、あれれとなる所がありました。
山形県と宮城県にまたがる蔵王連峰ですが、これが『枕草子』に載せられていると言うので、わたしが父から分捕ってきた小学館の『日本古典文学全集』の『枕草子』の「山は」の段を見てみました。
――山は 小倉山。三笠山。このくれ山。わすれ山。いりたち山。かせ山。ひえの山。かさとり山こそは、いかならむとをかしけれ。……(以下略)
蔵王山がないじゃないの! 確か蔵王山の古い呼び方は「忘れずの山」で、蔵王連峰の一つの峰に「不忘山」の名で残っています。これは底本が違うのかしら。この本の底本は『能因本』を主にしています。
で、図書館に行って、そこの蔵書の『枕草子』を読んできました。図書館の『枕草子』は、小学館の『新編 日本古典文学全集』で、底本は三巻本系統第一類本の『陽明文庫蔵本』、欠けている部分は第二類本の『弥富本』で補ったとありました。ほかに底本の参考にされるのは『能因本』、『前田家本』、『堺本』と説明されていました。
ほんでもって「山は」の段です。
――山は 小倉山。鹿背山。三笠山。このくれ山。いりたちの山。わすれずの山。末の松山。かたさり山こそ、いかならむとをかしけれ。(以下略)
はい、ありました。「わすれずの山」。「わすれ山」と「わすれずの山」と一字違いで、全く逆の意味になっちゃいますよねぇ。
底本が違うと色々と違ってくるのだなぁと学んで、一人満足したのでした。
蔵王山がなぜ「わすれずの山」と名付けられたのかは、解りません。役の行者が蔵王権現を祀って、修行の場所としたから蔵王連峰の名が付いたと聞いています。蔵王連峰の一つ不忘山は誰を、何を偲ぶための山だったのでしょう。