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プロイセンの大王

 プロイセンの大王の称号付きで呼ばれる王様の名前をよく忘れる。というより覚えていない。自分で勝手に「ジャガイモ啓蒙大王」と仇名を付けてしまったので、大事なお名前が記憶から抜け落ちてしまった。お陰で、ドイツ語圏の王様なのに、フランス語で「フレデリック大王」とズレた呼び方で、史料を捲ってしまう。

 この十八世紀の王様はロシアのエリザヴェータ女帝、オーストリアのマリア・テレジア女帝、フランスのルイ十五世の寵姫ポンパドール女侯の三人の女性の包囲網ですったもんだしながら、プロイセンを(主に戦争で)強国に創り上げた君主だ。

 しかし、まあ、女大嫌いだったらしいけど、頑張ったんだね、と乾いた気持ちで思います。

 軍人王と呼ばれたフリードリヒ・ウィルヘルム一世の長男と生まれて、将来の国王としてきびしーく躾けられた。これはどこの国の跡継ぎでも同じようなものだけど、虐待じゃないかと怖くなってしまう。フリードリヒ王太子はフルートの演奏と、哲学書の読書を好んだ。しかし、父王からは柔弱な趣味だと目に映り、止めろと言われ、それだけでなく、所持品検査で父王自らの手で部屋の中まで荒らされた。

 遂に王太子は側近と家出を試みた。そして、その日の内に捕まる。

 王太子は監禁状態にされ、王太子の親友とも言うべき臣下が責を受けることになった。

 王太子の為に、臣下は死刑と決定となり、父王の命令で、王太子はその刑を見届けなければならなかった。

 王太子は泣き、臣下は「殿下の為に喜んで死にます」と刑を受け入れた。

 王太子の下にも王子がいたけど、廃嫡にならず、そして父の跡を襲って即位後、文化芸術の後援ばかりに傾くかと思いきや、しっかり軍備拡張、ポーランド分割による領土獲得など、プロイセンの富国強兵に成功。南米から輸入されたジャガイモは、当時花を鑑賞するくらいで、食用にされていなかったが、痩せた寒冷地でも栽培できると、食糧としての栽培を推奨。

 啓蒙思想の下、「国家第一の(しもべ)」と精励し、大王の称号付きで呼ばれるようになる。

 どえらいもんである。哲学書を読んで、理想を抱くはできても、実践できるかはその人の立場や個性に左右される。よっぽどご本人の性格が強く、側近にも優秀な人材に恵まれていたのだろう。

 ロココ調の無憂(サンスーシー) 宮殿を愛し、愛犬とともにここに葬って欲しいと大王は遺言した。東西ドイツ統一後にそれは叶えられ、お墓には花と一緒にジャガイモが供えられている。写真で見ると、何故か笑ってしまう。

 父が決めた政略結婚の相手はいたが、ほとんど共に過さなかったとか。世襲君主の務めの一つ、後継者の育成は弟に任せたらしく、フリードリヒ二世の跡を継いだのは弟アウグスト・ウィルヘルムの息子、フリードリヒ・ウィルヘルム。

 フリードリヒ二世の奥さんだったエリザベート・クリスティーネという女性はマリア・テレジアの母方のいとこ。いくら政略結婚とはいえ、ろくろく顔を合わせず、文通しながらの生活でありながら、夫に敬意を持っていたとか。屈辱的だなんだと大騒ぎをする癇性の女性でなくて、こればかりは大王のさいわいでござった。

 めちゃくちゃな環境で、ぐれたり、拗ねたりしないすごいご夫婦である。

 参考文献

 『人は権力を握ると何をするか』 歴史探検隊 文春文庫

 『ドイツ王室1000年史』 関田淳子 中経出版

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