『プルトニウムファイル』読了にあたって
極東軍事裁判酒田臨時法廷で、石原莞爾は証人として出廷した。満洲事変の参謀は、太平洋戦争前に予備役に編入されていた。また、膀胱癌の闘病生活を送っており、リヤカーに乗せられての移動での出廷だった。
検事から最大の戦犯は誰かと問われて、こう答えたという。
「トルーマンである」
無差別の空爆により非戦闘民を殺戮したのは国際法違反であり、第一に戦争責任を問うべきはアメリカ合衆国の大統領であると主張したのである。
老いた病人でありながら、博覧強記のこの人物は、法廷に来た検事が日本や中華民国の事情に疎いと見抜いて散々に意見したと伝わっている。また取材に来ていた外国の記者たちに教えを乞われたとも。
トルーマンはフランクリン・ルーズベルトが任期中に病死した為に、副から正の大統領になった人物だ。マンハッタン計画の着手も東京大空襲も、ルーズベルトが存命中の出来事なので、病死しなければ、石原莞爾は最大の戦犯はルーズベルトだと答えただろうか。(真珠湾攻撃だって合衆国の情報機関が掴んで報告しているのに、ルーズベルトは何もしなかったというのだから、政治家は業が深い)
『プルトニウムファイル』(上下二冊 翔泳社 アイリーン・ウェルサム著 渡辺正訳)を読み終わって思ったのは、国家は嘘を吐く、そのことだった。
日本は広島・長崎に原子爆弾を落とされ、敗戦したが故に原水爆の脅威を嫌というほど知った。しかし、アメリカ合衆国は勝ったが故に、そしてソ連との冷戦に突入したが故に、原水爆の凄まじい威力や、放射性物質の人体への影響を、国民に知らせようとしなかった。
原子爆弾の放射能は爆発した時が一番強く、すぐに影響がなくなります、爆発の時は背を向ける形でうつ伏せになっていればやり過ごせます、と軍が国民に説明していた。原水爆はただの熱光線の攻撃くらいの認識だから、アメリカ合衆国では原爆投下は戦争の早期終了に役だった、正当な手段だったと主張する人々が多いのではと邪推したくなる。
原子爆弾の開発以前から、レントゲン技師やラジウムを含んだ蛍光塗料を時計盤に塗っていた工員たちに、放射性物質の影響と考えられる健康被害が出ていた。
また、マンハッタン計画のニューメキシコ州にあるロスアラモス研究所で、トリニティ実験や広島・長崎の原爆投下の前と後に、二回、臨界事故が起きている。トリニティ実験では爆発そのものだけでなく、科学者の予想を超えて、死の灰が広範囲に飛び散っている。
それでも、国民には大事なことを知らせていない。
研究所での事故や、研究員の健康管理、そしてトリニティ実験、広島・長崎での実際の成果でどれだけの威力、そして放射能の影響があったのか、科学者にも医者にも充分サンプルは得られただろう。
それなのに何故、アメリカ合衆国は自国民を被験者として人体実験を続けたのだろう。何の説明も無しに、患者にプルトニウムを注射し、または放射線を照射し、妊婦に放射性の鉄を含んだ飲料を栄養のいいカクテルだと誤魔化して飲ませ、IQの低い子ども施設で放射性物質を混ぜた飲食物を摂らせた。
プルトニウムを含む放射性物質の影響を調べるには行き過ぎとしか言いようがない。この人体実験の真相を追うジャーナリストから知らされて、新しい治療法だくらいにしか言われなかった、栄養剤のようにしか説明されていない、と次々と証言が出てきた。健康を害した真の理由がやっと解ったという人が大勢いた。
東西冷戦の中、ソ連の原水爆開発、そして宇宙開発の競争で、どれくらいまでの放射線量なら人体へ影響がないか、原水爆を使用した後に軍事作戦が続行できるか、軍は知りたがった。
診療データからはっきりしたことは言えないし、ここまでなら大丈夫と線引きはできないと抗弁しながらも、医者は責任を取れないと軍に折れた。
ネバダ州やビキニ環礁での核実験で、多くの兵士が爆心地の側に待機させられ、戦闘機のパイロットはキノコ雲の中を飛んだ。刑務所で、放射線の照射の希望者を募った。
網膜にキノコ雲の形の跡が焼き付いたパイロット、こんな体になるのなら放射線の照射に希望しなかったと呟く囚人。
この本の著者の調査により、人体実験を受けた人々がいると明らかにされ、その後の追跡調査の報道により、この著者はピッーリツァー賞を受賞。
放射性物質の自国民への人体実験の調査委員会が組まれ、報告書が提出された。そして1995年、当時の大統領、ビル・クリントンが謝罪会見を行い、被験者や遺族に補償が出されることになった。大概、国家の補償というやつは手厚いものではない。そして、クリントン大統領の謝罪会見の直後には、O・J・シンプソンの妻殺害の判決が出ると全米中が大騒ぎしていた。このタイミングでは、どのニュースに大衆が注目するか。
国家は国民の利益を守るためにありながら、嘘を吐き、あえて不利益を隠す。長い目で見れば、国民の益になる(経済や教育の投資のような)政策の可能性があるにしても、放射線の研究の為の実験は不幸しか生まず、結果があまりにひどすぎる。
ナチスドイツや旧日本軍の人体実験だけでなく、アメリカ合衆国の人体実験の記録を知るためにも、『プルトニウムファイル』は、もっと多く読まれるべき本である。




