センチメンタルな話
『山怪 山人が語る不思議な話』(田中康弘 山と渓谷社)を読んでいます。著者は農林水産業の取材をしているカメラマンだそうです。マタギの方々との交流が多く、そんな山の中や山里での不思議な出来事を聞き、それをまとめていった本です。
むかしむかしのお話ではなく、取材先の人々からの体験談、近しい人からの伝聞です。そんなの気のせいだと言われても、合理的な説明の付かない話です。体験した人たちは、狐に化かされた、狸の悪戯だ、天狗にさらわれたというしかないのかも知れません。命を落とした方々のお話も綴られています。狐や狸なんて迷信だ、怖い目に遭ったことはない、と取材してもそう主張する人たちもいます。そんな人たちでも、ビール瓶ぐらいの太さのある蛇を見た、慣れた山なのに迷ったと肝を冷やした経験はあるのです。
自然の中には畏怖すべき何かが宿っているのでしょう。
わたし自身は視る能力は無いし、不思議な体験もないのですが、自然は豊かであると同時に人智の及ばない怖さがあると感じた経験はあります。
子どもの頃、山形市は冬にもっと積雪があったように感じています。屋根に上って、祖父や父が雪下ろしをしていました。軒に大きな氷柱が垂れ下がっていました。小学生の低学年の時、軒下を歩いていた人が落ちてきた氷柱が頭に当たって亡くなった事故を聞きました。屋根には上れないけれど、手に届く場所の氷柱は壊しておくのが安全なのだと壊していました。
でも、学校帰りのいつもの道ではない道を通っていこうと狭い路地に入ろうとしました。(子ども時分、通学路を、朝はともかく帰りは守らず、寄り道したり、悪戯心で他人様の庭を通ってみたりと莫迦をやっていました)狭い為に軒が近く、子どもの手ではへし折れないような太い氷柱が垂れ下がっており、これが通っている時に落っこちてきたらとすっかりおじけづいて、元の道に戻りました。
屋根から下ろした雪や、玄関先など歩く場所の雪掻きをして除けられた雪は、街中でしたので、側溝に捨てられていました。
別の冬の日で習い事に出掛ける時、歩いていると向こうから自動車がやって来ました。雪がなければ車は徐行も何もなくすれ違うような道路でしたが、雪の所為で狭くなっていました。踏み固められていない側溝のあるはずの場所にわたしは足を入れました。
入れた途端に胸まで雪に埋まりました。車はそのまま行ってしまい、わたしはなんとか自力で雪の中から這い出しました。冗談抜きで自宅近くで遭難するかと思いました。
雪山や、雪原、踏み固められていない雪のある場所にかんじきやスキーを履かずに足を踏み入れれば、胸までどころか頭の上まで埋まりかねないと話には聞いていましたが、実体験するのはまた違った怖さでした。
自分の身のほかにも、近在や同じ学校だった人が、川の増水で流された、落雪に埋まった、そういった事故で亡くなりました。
また、平成二十三年三月十一日の午後、旅行から帰途の男性が乗る飛行機が着陸寸前に仙台空港から羽田に突然行く先を変えました。地震と津波の情報から着陸の変更になったのです。羽田に着いて、しばらくは交通と通信の麻痺で自宅に帰れなかったそうです。しかし着陸していたら、もっと大変になっていたことでしょう。
わたしが去年の秋に仙台空港に行った際に、「ここまで津波が到達しました」との案内パネルがありましたが、その高さは、わたしの頭のはるか上です。
津波から助かったその男性は別の出来事で、去年亡くなりました。
どうしてなんでしょう。
毎年のように、世界のどこかで大規模な自然災害が起こり、少なからぬ人命が失われ、大きな事件や事故で命をおとしていく人たちがいます。用心に用心を重ねて避けられることばかりではないので、おろおろとして、祈るばかりです。
自然の起こす力に人間は無力でも、せめて人災による事件・事故はなくせないものでしょうか。
自然の大きな力に思いを馳せていたら、感傷的になってしまいました。