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やりきれない悲しみと、悔しさ

 漫画家のこうの史代の名前を知ったのは大分昔、恐らく十年以上前だ。雑誌『ダ・ヴィンチ』に連載していた呉智英の『マンガ狂につける薬』の中でこうの史代の『夕凪の街 桜の国』を紹介していた。

 毎月紹介される漫画と活字本に興味そそられたが、それを全部読みはしなかった。『夕凪の街 桜の国』もそういった一冊だった。いつかは読みたいと考えていた。だが、時間だけが経った。

 朝日新聞で宮部みゆきが『荒神』を連載していた時の挿絵画家がこうの史代だった。宮部みゆきの物語は素晴らしかったが、挿絵を忘れてしまうのは惜しかった。その粗筋と挿絵すべてを載せた『荒神絵巻』を刊行後すぐに購入した。

 去年の十一月下旬からこうの史代原作の『この世界の片隅に』が映画化され、上映された。そしてその映画を観にいった。

『この世界の片隅に』はキネマ旬報の昨年の邦画ベストワンに選ばれた。映画や原作漫画を目にした方々は多数いらっしゃると思う。

 わたしは今年になってやっと『夕凪の街 桜の国』を購読した。なんともやりきれない思いになった。これはまた『この世界の片隅に』とは違った形の原爆の悲劇の物語なのだ。

『夕凪の街』では、終戦の年から十年を経た広島の街で暮らすヒロインがいる。母と二人で暮らし、ヒロインは小さな事務所で働いていて、その収入で生計を立てている。十年前の八月六日に父が亡くなり、妹は行方不明、亡くなったのだろう。母は大火傷を負ったが助かった。姉とヒロインは焼け野原の中、死にかけた人々や遺骸をかき分けるように街を歩き、生き抜いた。母は火傷から回復して元気に動けるようになったが、姉は原爆投下から二ヶ月後に急に寝付いて、亡くなっていった。遠方の伯母の許に疎開の為に預けていた弟は伯母夫婦の養子になって戻ってこない。

 ヒロインの心の中には常に葛藤がある。自分は生きていていいのか、生きる資格があるのかと。死ねば良かったのにと誰かに思われてきたと。そんな中、同じ職場の男性から好意を寄せられ、迷う。受け入れる資格があるのか。

 思い切って男性に伝える。(台詞は広島の言葉遣い)

「自分が生きていてもいいのかと教えてください。十年前にあったことを聞いてください」

 男性は優しく受け止める。

 しかし、十年を経てなお、原爆の影響がヒロインを襲う。

 朝の時間を襲った閃光と灼熱は一瞬で何もかも吹き飛ばしたけれど、そこから抜け出し生活を送る者が、その爆弾で何故生きる力を奪われていくのだろう。原爆投下時に亡くなった方々も無念だったろうけれど、生き延びた方々が様々な症状に苦しんでいく悔しさ、悲しさ。差別。こうの史代はあとがきで、「この物語は読者の心に湧いたものによって完結する」旨を述べている。

 まさしくその通り。直接的に原爆の悲惨さを描写しない代わりに、生きる喜びを捨て、でも生きようとしている姿、毎日のように頭をかすめる惨状の記憶がヒロインの心と同じように読者の心を苦しめる。


 ――生きていていいの。死んでよかった人間なんていない。仕合せになっていいんだよ。


 わたしはヒロインに呼びかけ続ける。

 続く『桜の国』は世代が変わり、『夕凪の街』のヒロインの、養子にいった弟の子どもたちが主人公になっている。またここでも原爆の影響が、そして忘れてはならないことが述べられている。

 もっと早くに読んでいれば良かったと後悔している。

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