「はせを」は悪くないと解っているの
松尾芭蕉を信奉されている方、俳句を嗜まれる方、申し訳ございません。松尾芭蕉は悪くないと解っているのです。悪いのは大人の事情です。
私事ですが、良人は五年前に車を買い換えました。震災の為ではなく、そろそろ買い換え時と思っていた所に地震が起きました。既にボロ、バッテリーも危ない状態でした。そんな時に地震と津波で、自動車が需給不足になって、なかなか新車購入が難しかったのですが、念願かなって新車を手に入れました。
そうなると、ドライブに行きたがります。
その年はドライブに付き合って疲れました。
中尊寺への観光やら、鳴子の紅葉を見てから山形の実家に向かうとか、やたらと遠出をしたがりました。
改めて気付かされるのが、東北の名所と呼ばれる所に、「奥の細道」の看板やノボリ、松尾芭蕉の句碑があること。
山形県尾花沢市の道を通っている時に、「松尾芭蕉連泊の地」のノボリが出ているのを見て、だんだん腹が立ってきました。別のエッセイでも紹介しておりますが、宮城県名取市の史跡の「藤原実方中将の墓」が、松尾芭蕉に庇を貸して母屋を取られる状態なのです。実方中将の墓は勝手な修復ができない所為もあるのでしょうが、木々に囲まれ、かなりの劣化状態です。それなのに、西行はきちんと実方の墓にお参りしたのに、松尾芭蕉は梅雨とぬかるみの所為で墓所まで辿りつけなかったのに、お墓の入口に付近には芭蕉が植えてあり、芭蕉の句碑なんぞ鎮座ましましているのです。
ああ、なにゆえ東北の名所に一々松尾芭蕉を出してこなくてはならないのでしょう。
「芭蕉が泊まり歩いた豪農や商人の家はどうか知らんが、実方中将の墓も、松島も中尊寺も立石寺も芭蕉が生まれる前から存在しているし、芭蕉が来ようが来まいが立派な場所だ!」
わたしは助手席で叫んでいました。
良人からなだめられました。芭蕉をパンダと同列にしてしまう良人のセンスには何とも言えないものを感じてしまいますが、まあ少し気が鎮まったのでした。
その後お稲荷信仰のある二男とともに宮城県岩沼市の竹駒神社にドライブに行きましたら、また松尾芭蕉の句碑。
「蹴倒してやる!」
立派な句碑をどうこうできる訳はなく、叫んだだけでした。
小野篁が陸奥守で赴任してきた時の鎮座した稲荷社というのに……。
『奥の細道』とはみちのくの住人に複雑な感情を呼び起こす古典なのです。