レイチェル
岩崎都麻絵「この前は楽しかったわ」
惠美子「良かったわね」
都「架空の作品の評論ったって、嘘八百、どんな風に読み手の興味を引いて楽しませるか、小説の基本のキ、あたしとっても楽しかったわ」
惠「それで調子に乗ってここで書評をやらせろというの? まあ構わないけど、真剣に書き起こしたら、書評だもの、書き綴っているのがわたしかあなたか区別も何にもない、同じになるでしょう」
都「それでもいいじゃない。なんちゃって書評だけじゃ物足りなくなったのよ。
あ、事情の解らない方がいらっしゃるかと思うので、説明しておきます。錫蒔隆さん主催の月イチ『三十と一夜の短篇』に参加しておりまして、この人の10/2発表の作品は『じけんのきじ(三十と一夜の短篇第66回)』で、その中であたしが架空の本についての書評を出している形になっています。新聞や雑誌によくある新刊・話題の本の紹介・書評ってヤツを真似したものです。真似事だけじゃなくて、実在している本の書評もさせてよう、とこの人におねだりしました」
惠「それで取り上げる本はなんでしょう?」
都「ダフネ・デュ・モーリアの『レイチェル』(創元推理文庫、務台夏子訳)です」
惠「有名な『レベッカ』じゃないんだ」
都「ヒッチコックの映画も含めて有名な『レベッカ』じゃないんです」
惠「ヒッチコックは『サイコ』しか観たことないじゃない? 『レベッカ』もそうだし、前に紹介したことのある『レディに捧げる殺人物語』をヒッチコックが映画化してたんだと驚いたくらいよ。(『断崖』)
話は変わるけれど、「レベッカ」も「レイチェル」も『旧約聖書』に出てくる女性の名前から由来している名付けだけど、それは話の内容に関連するの?」
都「してないと思うなあ? だいたいメアリやマリーが聖母マリアに因むと知っていても、それで聖女のような女性を描くと限らないんだから。そもそもレベッカもレイチェルも旧約聖書に出てくる男性の妻や母な訳だし」
惠「フレディ・マーキュリーが飼い猫にデライラって付けたのと変わらない?」
都「さあ?
前置きはいいとして、文庫本の紹介欄に「もうひとつの『レベッカ』として世評高い傑作」とある『レイチェル』の話に移ります」
惠「どうぞ」
都「冒頭、『レイチェル』は主人公「わたし」ことフィリップ・アシュリーがすべてが終わって回想する語りから始まります。『レベッカ』も主人公「わたし」が物語が終わった後の日常を描きつつ始まります。二つの作品の違いは、『レベッカ』の「わたし」の名前が不明なこと、若い女性であることです。
『レイチェル』の主人公は若い男性で、フィリップ・アシュリーの名前があり、イギリスのコーンウォールの一領主の従弟で相続人です。領主はアンブローズ・アシュリー、独身で、フィリップとは親子ほど年齢が離れています。読んでいくと、アンブローズの父が兄、フィリップの父が弟で、フィリップの両親が早くに亡くなり、アンブローズが引き取って育てたのが解ります。
アンブローズは女嫌いというか、人付き合いを煩わしがっており、結婚せず、跡継ぎはフィリップがいると公言していました。フィリップは従兄を父とも兄とも信頼し、愛しています。フィリップは顔かたちばかりか仕草もアンブローズとよく似ていると言われています。年齢を重ねて、アンブローズは健康の為にと勧められ、冬は暖かい場所、南ヨーロッパで過すようになります。
フィリップが二十三の年の冬、アンブローズはイタリアに旅立ちました。いつもは手紙をしげく送って寄越すのに、途中から便りが届かなくなります。春になっても帰ってくる予定を報せてこない。フィリップが苛立っていると、アンブローズは結婚したと報せてきました。相手はイタリアの貴族の未亡人で、血筋を辿るとアシュリー家と親族のレイチェルという女性。当主の結婚によって、この女性が跡継ぎになる子を生すかどうかに関わらず、フィリップの立場は微妙になります。でもフィリップはそんなことよりもアンブローズが自分の知らない所で、結婚なんて信じられないと不安に苛まれます。やがて夏になり秋になり、冬になってもアンブローズ夫妻は帰国してきません。しかし浮かれた調子だったアンブローズの手紙の様子が変わってきます。アンブローズもまた何かに不安を抱き、妻を警戒しているように読み取れます。春になって届いた手紙を読んだフィリップは矢も楯もたまらず、イタリアに向かいます。
イタリアで見聞きしたのはアンブローズの死でした。既に葬儀は終わり、埋葬され、妻のレイチェルはアンブローズの私物を持って屋敷を出た後でした。屋敷の使用人やレイチェルの友人で弁護士のライナルディにアンブローズの闘病とレイチェルの献身を聞かせられても、フィリップは納得できません。余計レイチェルへの疑いや恨みを募らせるばかりです。
屋敷に戻ると、フィリップはもう坊ちゃまではなく旦那様です。アンブローズの遺言状は書き換えられていなかったので、フィリップが相続人のままです。二十五歳になったら全てフィリップのものになります。現在二十四歳、もうじき誕生日が来ます。それまではアンブローズの友人で、フィリップの教父(洗礼式の立ち合い人)のニック・ケンダルが後見人として管理します。
夫の遺品を渡したいとレイチェルから連絡が入ります。フィリップと行き違いになったのです。お喋りで厚かましいオバチャンを勝手に想像していたフィリップの予想は外れました。レイチェルは小柄で慎み深い、大きな目が印象的な年上の女性。園芸が好きで、自ら庭づくりをし、薬草などを使っての民間療法に詳しい、動き回るのをいとわない。ケンダルをはじめ周囲の人々に品よく振る舞い、レイチェルは皆にも好印象を与えます。フィリップの気持ちはすっかり塗り替えられていくのです。フィリップの生活は一変しました。相続する遺産がなく、夫の私物も返そうとする未亡人が気の毒だと、フィリップはレイチェルに財産を与えなければと考えはじめます。初めは年金の形で毎年お金を渡す、まず真っ当な案なのですが、異性にのぼせ上ったフィリップは、読み手が冷静になれと声を掛けたくなるような暴走を始めます。
サプライズのプレゼント、実は相手を困惑させるだけの結果が多い、難しいものです。
フィリップは二十五に達し、自分で自分の財産を動かせる権利を得て、レイチェルに準備していた全財産を譲る旨の書類を彼の女に示して結婚を申し込み、一夜を共にします。翌朝、ご機嫌のフィリップに対し、レイチェルは警戒し、かれを寄せ付けようとしません。
この状況で求婚に承諾する女性はいない、と筆者は思います。著者ははっきり年代を記していませんが、物語舞台は十九世紀中頃のイギリス、女性参政権がなく、女性の財産は配偶者の管理下にされてしまうような時代で、おまけにフィリップの財産譲渡書には再婚条項が入れられ、レイチェルが再婚したら財産はフィリップに戻すとされているのです。「わたし」と結婚したらどちらが財産を保有していても同じじゃないかと、考えるフィリップはその時代の男性であり、脳内お花畑の恋心、断られるとは一切考えていません。幼馴染でケンダルの娘ルイーズがその点を突いてくるのですが、まったく理解できないのです。
戸惑うフィリップは夜に彷徨い歩き、体調を崩して寝込みます。アンブローズの手紙が思い出されます。レイチェルとの結婚を後悔し、妻とその友人、医者も信用できないと訴える文面。アンブローズは父親と同じく脳にできた腫瘍が元で病み、亡くなったと言われ、その病ゆえに精神的に錯乱していたのだろうと説明されていたものの、フィリップの頭には疑惑が再びもたげてきます。アンブローズが結婚後に書き直そうとした遺言状の内容や、遺品の本の間から出てきた紙片が一層混乱を招きます。アンブローズは何故妻を信じられなくなったのか、そういえば屋敷をリフォームするとレイチェルは金を使っている、そして毒のある庭木を知っている、レイチェルは薬草茶を淹れてくれる。身の危険を感じたフィリップはルイーズに協力を頼みます。果たして……。
一途な愛情と、それと同じ強さをもって正反対の方向へ進む疑惑と憎しみが鮮やかに描き出されています。
運命の女性「レイチェル」は多彩な色合いをもって、主人公も読者も翻弄します」