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学者さんの情熱故の研究結果

 手元に丸谷才一のコラムを集めた文庫本『軽いつづら』(新潮文庫)があります。その『軽いつづら』の中に、「学者の情熱」の題名の一節があります。ここで紹介されている学者は角田文衞です。まず朝日選書の『待賢門院璋子の生涯 椒庭秘抄』が出されています。待賢門院璋子たいけんもんいんたまこは平安時代末期の鳥羽天皇のお后で、崇徳天皇や後白河天皇の母親なのです。この女性、大層美しい女性だったと伝わっているのですが、どうにもこうにも良くない噂が付きまとっていました。元々は藤原氏の出身で、白河法皇の養女の扱いになっていました。この璋子が年頃となって誰と縁付けようかと、白河法皇が関白家に声を掛けたが、断られ、白河法皇は自分の孫の鳥羽天皇に璋子を嫁がせました。関白家で有難いはずの法皇のお声掛かりの縁談を何故断ったか、これは璋子と通じる男性の噂があったかららしいとされています。

 鳥羽天皇と璋子の間に多くの子に恵まれますが、第一子の崇徳天皇は鳥羽天皇の子ではない、「叔父子」(おじご、またはおおじご)だと言われました。

 つまり祖父の白河法皇が我が后と通じて生まれた男の子なので、鳥羽天皇にとっては叔父であり、表向きは子なのだと。

 俗説なんですけどね。

 角田文衞は『待賢門院璋子の生涯 椒庭秘抄』の中で検証していて、わたしも読みましたが、凄いとしか表現のしようがありません。残っている記録から璋子の月経周期を推測し、それにオギノ法を援用して、璋子が崇徳天皇を受胎した時期には鳥羽天皇の許にいなかった、白河法皇の許にいた、だから叔父子の伝説は本当なんだと証明してみせたのです。

 下調べは学生にも手伝わせたのでしょうが、かなり綿密に調べられております。ただ疑問としては、そんなはっきり決め付けられないでしょう、あくまでも月経周期の推測なので、これが月経開始の日とか記録があったのではないのです。凄いけれど、実際月経や妊娠、出産をした身では、簡単に肯けないなあといった感想です。実際、ドン引きの女性学者さんもいるようです。

 話を丸谷才一に戻しますが、丸谷才一は角田文衞について、「学問に寄せる情熱の並々ならぬ人だが、とりわけ女人がからむと力が入るやうだ。」と書いています。

 そして、引用が長くなりますが、このように結ばれています。


「かねがねわたしはさう思つてゐたのだが、角田さんの『日本の女性名』全三巻が完成したときに、歴史家としての誠実な努力もさることながら、男として女が好きだから、これだけの仕事が出来た、と書評に書いた。その数ヶ月後、必要があつて電話をかけると、角田さんは留守で、奥様が、

『書評ありがたうございました。女好きといふこと、ほんとうにその通りなのでございます』」


 ああ、そうかあ、女性が好きなのねえ、容姿がさっぱり解らなくても、史料を発掘してどんな歴史があって、どのような女性だったか解き明かしたい、情熱の源泉はそこから湧き上がっているのかあ、と半ば呆れ、半ば感動したのでした。

 でもね、歴史が好き、SFが好き、ミステリが好き、女が好きとか、男が好きとか、BL、百合、ゲーム、ファンタジーでもなんでもいいんですけど、こうして物語を書き綴ろうとしているのだから、ベクトルが違うだけで、学者さんの情熱と一体何が違うんだろうって思いません?

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