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言語学者の金田一さん

 以前ドキュメンタリードラマだかで『金田一家三代』とかいう番組を観た記憶があります。金田一京助、春彦、秀穂の三人、主に京助を中心に、インタビューを交えて紹介してゆく内容でした。金田一家のルーツは岩手県だそうですが、京助は東京に出て日本語の研究をしていました。そこで結婚して、暮らしていくのですが、何故か石川啄木が転がり込んできました。

 金田一京助博士がユーカラ研究をしていて、その記録を残す為に自宅に知里(ちり)幸恵(ゆきえ)を住まわせていたのは、中学校の国語の教科書で習っていましたが、石川啄木まで住んでいた時期があったとは、その番組を観るまで知りませんでした。

 啄木がいた頃も、知里幸恵と共にユーカラの記録をしていた頃も、金田一家の家計は余裕が無かったらしいです。特に啄木が転がり込んできた頃は新婚時期であったとか。

 春彦博士がインタビュー映像で、父が親身に石川啄木の面倒をみてやっていたが、母はいい顔をしていなかった、もし夫婦して協力していたら子どもの自分は放っておかれたと思う、(そういう意味では)母には感謝していると言っていました。そりゃ子どもの気持ちとしてはそうですよね。いくら夫の親友とはいえ、短歌の才能はあっても生活力がない男性を家に住まわせているのは、家計に余裕があっても気分がいいものでないのに、着物や家財を質に出してまで遣り繰りしていたとなれば、家父長権が絶対の時代の妻の立場でも辛くなりますとも。

 わたしは石川啄木のファンではないですし、基本的に借金を踏み倒す人間は好かないのでどうしても辛口になってしまいます。「友が自分より偉く見える」と歌を詠んでいるらしいけど、実際啄木よりみんな偉いじゃないのよ、と言いたくなるのでした。

 京助博士がユーカラ研究をしている中で、アイヌの少女知里幸恵を自宅に招き、そのまま住まわせ、『アイヌ神謡集』を記録していきました。知里幸恵は元々体が弱かったらしく、無理が祟ったのか、二十歳前に亡くなっています。

 春彦博士も国語の研究をしていたのですが、この方はアクセントの研究ですね。

「雨」、「飴」、「橋」、「箸」、「柿」、「牡蠣」など地域によってのアクセントの違いを様々な場所に行って、聞き比べの調査をしたそうです。

 初めから「雨」と言ってくださいと頼むのではなく、「空から降ってくる水をこちらでは何と言いますか?」と言って訊いたのだそうです。(緊張して共通語風の発音になったら調査の意味が無くなるからでしょう)尋ねられた方は、学者さんの調査に気の利いたことを言わなくてはならないのか、謎かけかと素直に「雨」と言ってくれなかったという再現ドラマになっていました。

 秀穂氏のインタビューで、「父は自分の子どもや孫も調査対象にして、アクセントがどう、この世代から言葉遣いの変化が」と耳を澄ませていたと語っていました。

 秀穂氏はどのような道に進むか迷っていましたが、その時分は景気のいい時代でした。外国に行く希望があるのなら日本語教師になってみたらと父からアドバイスをされて、その需要のある時代だったので成功したそうです。現在の秀穂氏の仕事に繋がっています。

 学者が家業という時代ではありませんが、なかなか面白いと思って観ておりました。

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