実際耳にしてみないと解からなかったこと
NHKの『SONGS』はいつも視聴する番組ではありませんが、大竹しのぶが出演して『愛の賛歌』を歌うというので、観てみました。この時点で、大竹しのぶがミュージカルで自ら歌っているとか、紅白歌合戦で『愛の賛歌』を歌っていたのとか、全く知りませんでした。(オードリー・ヘップバーンの映画『マイ・フェア・レディ』の歌はヘップバーンが歌わず、歌唱シーンは口パクの例もありますから)
番組を観て、感心しました。芸能人ってすごいなあ。大竹しのぶってどちらかというと、憑依型の女優で、若い頃は魔性の女扱いだったし、なんでも芸の肥やしの演技派女優で、それは今でも同じなのでしょうが、歌もソロで充分聞かせられるんだと驚いたのでした。
『愛の賛歌』というと、越路吹雪が歌っていた歌詞のバージョンがカラオケに入っているのでしょうか。『愛の賛歌』というとその歌詞が浮かびます。
しかし、二十代の頃学生気分の延長でフランス語の勉強をしようとしていて、『愛の賛歌』の原詩と、日本語の対訳が載っている本を読みました。越路吹雪の歌とは全く違う印象、というか、越路吹雪バージョンはわりと日本人向きにされているのだと気付きました。
だって原詩に忠実に訳された言葉は、貴方と一緒なら地の果てまで、髪を染めてもいい、友も国も捨てると、つらつら続くのです。ここまで女が自尊心を振り捨てて男に縋りついていいのか、男も女にこんなに迫られたら、重い、責任取れないと逃げたりしやしないかと、心配になりました。
実際恋愛してみての気持ちの盛り上がりってかなり危ないんだと知るには、まだ若かったのです。
またまたNHKの番組で恐縮ですが、朝ドラ『花子とアン』がありました。ナレーションは美輪明宏で、毎回、「ご機嫌よう、さようなら」で締めくくられていました。主人公の腹心の友、蓮子が駆け落ちする場面で、いつも劇中で使う音楽ではないのが流れ、え、これは『愛の賛歌』の前奏じゃないかと思っていたら、今度美輪明宏の歌声が流れはじめました。
呆気。
それも歌詞は原詩に近い。
蓮子は地位も名誉も、空虚であっても金銭的に不自由しない暮らしを捨てて、若い男性の許に走るのです。確かに愛する男性と二人暮らせれば、何も要らない、『愛の賛歌』の内容そのものの場面。
単に文章で読んだだけでは解らない、メロディに乗せて、愛する人と人生を歩みたい気持ちを想いながら聞かなければならなかったのねと、胸に迫りました。
これ放映時かなり話題になり、その年の紅白で美輪明宏は『ヨイトマケの唄』ではなく、『愛の賛歌』を歌うことになった記憶があります。
大竹しのぶが歌った歌詞は、美輪明宏のバージョンと少し違いますが、原詩に忠実。
オペラや舞台劇、映画も粗筋だけ読んでも、通俗的とか、何それってのもありますが、実際の上映やビデオなどで鑑賞して、ぽろぽろ泣いてしまった経験があります。本も実際読んでみたら、粗筋や評論だけじゃ知らないまま過してしまう所だったと感じる同様の経験。
全部が全部観て、体験できる訳ではありませんが、大切にしたいです。
大竹しのぶ、昭和六十三年に舞台で『ガラスの仮面』の北島マヤの役を演じています。東京だけの公演だったのかなあ、地方で観られたらいいのにと悔しく思っていました。当時は大竹しのぶ、リアル北島マヤの感覚でした。
今、仙台文学館で、『ガラスの仮面』展をしているのですが、『ガラスの仮面』ってまだ完結していないんですよね? 高校・短大辺りで、北島マヤと姫川亜弓が『紅天女』の試演をするとか、マヤが紫のバラの人の正体に気付き、速水真澄への気持ちに気付きとなっていたように覚えているのですが、それから進展したのでしょうか? 決着着くまで読まない方がいいような気がしています。