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Desperade~ならず者~  作者: おれごん
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よき人生

雅幸は、死を考えた。

 短い人生であった・・・、ここで終わるならば。

 ならず者のなれの果ては、一人寂しく死を迎えるしかないと。

 今までの人生でも、何度かそう思ったことがある。


「死を考えた時、懐かしい顔が走馬灯のように蘇るものだ」

昔誰かがそう云っていた気がした。

(浮かんでくるのは、楽しかった出来事かな?)

その時声がした・・・。

「死んでも楽にはなれないぞ!」


ふと目が覚めた。

(夢か・・・)

「マー坊、朝だよ」

「あ~おはよう」寝ぼけながらも声をかける。

「シャワーでも浴びて目を覚ましておいでよ」

「うん」そう言って、バスルームへ向かう。

(誰の声だったかな?)

雅幸は、思い出そうとしたが誰だかわからずにいた。


思えば色々なことがあった人生だった。

素晴らしい恩師や友達に出会った。

様々な経験をすることができた。

素敵な女性にも沢山・・・

 だが、どこかで歯車が狂ってしまった・・・。

何故だろう?何がいけなかったのだろうか?

何度も自問自答してみる。

馬鹿だった・・・。そう、自分を知らなすぎた。


 高校までは、きわめて真面目な青年であった。バレーボールを中学三年から始めて、高校3年間やり切った。当時は、全日本クラスの高校生が目白押しで大会でもよく当たった。当然、勝てないのでいつも3回戦止まり。だが、主将として最後までやり切った充実感は満足のいくものであった。

 本当なら、大学でもバレーボール部に入りたかった・・・が、セレクションでは身長その他の条件をクリアしないと入部すらできない。ある意味、それまでの人生で始めての挫折だったかもしれない。


 大学へは付属高校だったので、学部の希望も出せる程度の成績は収めていたが、漠然とした目標しかなかった・・・。希望提出日間際まで悩んでいた。

(社会に出て役に立つことを学ばなければ・・・)

 小さいころの憧れもあり

(教員免許の取れる学部を志望しよう!)と考えた。

 本当なら文学部志望で国語の先生・・・だが、文学部の募集人員は少なく厳しいようだ。

(ならば、法学部にしよう!)

社会科の教員免許が取れるらしい・・・と、友人が言っていたので。誠に安易な選択であった。


 そんな中、高校2年の夏に知り合った裕子ちゃんとも何となく離れ離れになってしまった。

彼女は、まだ中学2年生で、バレー部の仲間と三浦海岸へ行った折にナンパした女の子だ。以来、マメな雅幸は文通をしていたのである。バレー部も卒業して、週末に時間が出来たので出かければ遊べる時間も合ったのだが、大学へ行くにはお金もかかる・・・。いつしか、お互いの手紙のやり取りにも余裕が無くなってしまい、ついには年賀状を交わす程度になっていった。

(遊んでいないで、何かしなければ。)

そう思ってバレー部の同期の連中に聞いてみると、皆それなりにバイトを見つけて始めていた。

石井は、ケーキ屋、駒崎は喫茶店、中野は家業の手伝いで魚屋、松山はドーナッツ屋ETC

(みんな、ちゃんと考えているんだな。汗)

この時、自分の計画性のなさが骨身にしみた・・・。気がした。(笑)


 家に帰り母にこの話をすると、父に話したようで「野口さんの喫茶店はどうかな?」聞いてみるよ、といってくれた。野口さんは、父よりも少し先輩で、大学まで出ている近所では珍しいいいとこの出だ。自宅の1階で喫茶店を経営していて、父や母も休みになるとモーニングを食べに行っていた。今まで殆ど部活で家にも居なかった雅幸は、この時初めて知ったのだった。

「ありがとう」「頑張るからよろしく」そういって、自分の部屋へ戻った。


 後日、学校が休みの日曜日の朝、母が「一緒に野口さんの喫茶店に行こう」と言い出した。

(バイトの件だな・・・。喫茶店か。初めてだけどできるかな~?)

心配を抱えつつも、母と向かう。

「カランコロン」入口を開けると、音がする。

「いらっしゃい」明るい声がする。少し日本人離れした、女性が出迎えてくれた。

「あら、ママおはようございます」母が言った。

「あら、まーちゃん?大きくなったわよね~」笑いながらママが雅幸を出迎える。

「お世話になります」そう言って、ソファーに座った。

キラキラした赤いソファは、銀座のクラブかと思うほどに雅幸の目に映った。

それから暫く、大人同士が話していたが突然、後の強面の男の人が声を掛けてきた。

「中川さん。息子さんうちでバイトしないかな?」

「あら、木下さん・・・うちの息子使ってくれるの?」母が言うと。

「丁度、少し物件が増えて社員が辞めたから忙しいんだよ」強面のスーツを着たおじさんが答えた。

「出来るのかしら?」「大丈夫だよ」そんなやりとりを聞いていたら・・・

「マー坊、うちよりそっちのほうが稼げるぞ」笑いながらマスターが答えた。

「頑張ります」それしか言えなかった。

何とも初心な高校三年生だった。(汗)

 そんなことで、木下さんという社長が経営する会社でバイトすることになったのだ。

したがって、裕子ちゃんと会うことも出来ないまま、高校卒業まで休みの日はその全てをバイトに費やしたのである。ここで覚えたのが、ビル管理と言う仕事だった。やることはその殆どがビルの清掃で、毎週末の土日を、車に揺られて都内各地域を廻り、気がつけば櫻咲く三月を迎え、晴れて大学生となってゆくのである。


 この頃の大学は自由である。その昔は、学生闘争などにより大学は大きく揺れていた。学問をせずに、権力との闘争だと息巻いた多くの学生が、建物を占拠するなど荒廃していた。雅幸が入学する頃にも、まだその時代の学生が数名残ってはいたものの、闘争は火も消えて落ち着きつつあった。だから、雅幸にとっては、ほぼ何不自由なく楽しめる学生時代を謳歌できたのである。受講する教科も時間も自分で選考するのだから、ある程度の休みも取れるしバイトもできるからだ。

(親には学費を出してもらっているので、これ以上のおねだりもできない)

いわゆる(自立)である。だが、雅幸には悩みがもあった。

(自分が目立つことのないようなバイトがしたい・・・)人の目に触れることのない仕事だ。

何故気にしていたか?

 雅幸は、生まれながらに口蓋裂という先天性の病気を持っていたからで、思春期の彼には大きなハンデキャップだと、本人は決め付けていた。まあそれもそのはず、鼻は曲がり、唇は二つに割れて見るも無残な顔である。それでも、高校2年の夏の終わり、予てより親は手術をするよう薦めてくれた。

(見た目にも普通に戻れる)

そう思っていたのだが、結果さして変わり映えしなかった。

(今のバイトをつづけるか?)

だが、大学の新しい友達が欲しかった・・・。

そこで、GWに開催される学生主催の大学セミナーに参加することにした。

目的は、新しい友達を作る事。女性との接点をつかみたい。自分を変えたい。

そんなところだっただろうか?

(土日がバイトだと、遊ぶ時間もないな・・・)

雅幸は、木下社長のバイトをやめる決心をして母に伝えた。

「どうするのよ!うちはそんなにお金ないんだからね・・・」

母も確かに大変だったと思う。学費から何から結構な金額がかかっている。

「大学の近くでもあるらしいし。色々聞いて、出来れば学校が終わった後バイトするようにする」

そう答えて暫く考えることにした。それから二週間程度、入学後のオリエンテーションを終えて、ほぼ受講するカリキュラムもきまりゴールデンウィークを迎えた。三泊四日のスケジュールで富士山の麓、山中湖で合宿。今はもうないのだが、当時は矢沢栄吉さんの別荘もすぐ近くにあった。


実際の中身は、誠にうろ覚えだが自己啓発セミナーに近いカリキュラムだったように思う。

様々な形で自己表現したり、討論したり、班毎に出し物を検討したり。

大学教授も交えての数日間は、貴重な体験となった。

このセミナーを通じて、彼の人生は大きく変わった。

(うん。自信を持って頑張れば必ず報われる)

雅幸は、とても明るい性格だったがストレートに表現できるようになったのもこのお陰だ。

打ち上げの出し物は・・・シャネルズの「ランナウェイ」だった。

顔を靴墨で真っ黒にして、精一杯歌った。生まれてこの方初めての経験だった。

そう・・・本当はまだ飲んではいけないのだが、ビールを飲んだのもこのときが初めてだった。

(まずいな。ビールって・・・)

お酒との出会い。良くも悪くも彼の人生、このお酒がいけなかった・・・。

あとの祭りだが。(笑)


セミナーを終えて普通の大学生活に戻ったのも束の間、今度は学園祭である。

お世話になった先輩方の殆どが、そっくり実行委員会に所属していた。

「まーちゃん!一緒にやろうよ」

最初に声を掛けてくれたのが、文学部の先輩でリーダーだった奈緒さんだった。

(楽しそうだから、やってみようかな?)

「先輩!よろしくお願いします」断れない性格が何事もこうさせてしまうのだった。

「授業が終わったら、自治会室の隣に部屋があるから来てね!」そう云って去ってゆく。

(大丈夫かな?またお袋に怒られるかも・・・)

それはそうだろう。


高校受験の時「雅幸、高校に受かったらバレーは諦めろ」と監督に言われても、隠してバレーを続け

後でバレてしまった時には、お袋に散々怒られた。

「大学にいったら留年は駄目」ともいわれていた。

「余計なことはせずに、バイトするよ」とお袋には答えていたから、ちょっと後ろ髪を引かれた。

(やることをやれば、怒られないで済むから)

そう自分に言い聞かせて、勝手に応募してしまった。


(このことは内緒にして、早くバイトを見つけて頑張らなきゃ)

(しばらくは、授業に専念して単位もしっかりとるぞ)

ここまではよかった。

けれど、雅幸の性格は何かを始めると夢中になる・・・悪い癖だった。

周りが見えなくなることもしばしば。

結果、4年間学園祭に関わる事になる。しかも、自治会の役員まで引き受けてしまうのだった。

但し、良かった事もある。学園祭で知り合った先輩に、効率のよいバイトを紹介して貰った。

それから、学部の先輩にテスト問題を教えてもらうことも出来る。

(単位は、問題なく取得できそうだ)

(後は、卒業後の就職だけだな・・・)


自分が何をしたいのか?

それが見つかっていなかった・・・。

この時代、先輩方を見ていても就職難の社会背景があった。成績優秀でゼミの先生や先輩から引き抜いてもらえればまだしも、一人で立ち向かうなど六大学や国立大学を出なければ難しい時代・・・。

漠然とだが・・・(夢のある仕事がしたい)そう思っていた。


そのためにも、バイトをしながら社会勉強をする。それが、大義名分となった。

初めてのバイトは夜中の厨房清掃である。しかも、都内の一等地にあるホテルだ。

(これなら、昼間学校へ行き夜はバイトで稼げる)

まだまだ元気な年頃の雅幸には、寝る時間など考えてもいなかった。

(深夜の仮眠が出来れば大丈夫)

多分・・・生まれて初めて、降り立った駅。赤坂見附を出て横断歩道を渡り、日枝神社の脇を抜けるとそのバイト現場であるホテルに到着する。

(大都会だった)

「おはようございます」業界用語じゃないが、皆そう挨拶していた。

「おう!雅幸。待ってたぞ」紹介してくれた末長先輩がそこにいた。

「よろしくお願いします!」

そう挨拶をすると、現場の仲間を紹介された。殆どがうちの大学と某薬科大学の生徒だった。

「中川です。どうぞよろしくお願いします」そう挨拶して、まずはロッカー室へ・・・。

イメージとしては(汚いな~)第一印象である。

(あの煌びやかなホテルの裏側とはこんなものか・・・)正直幻滅した。

「君のロッカーは、ここね」主任が指を刺して指示してくれた。

「ありがとうございます」そう言って、ロッカーを開けると制服その他一式が用意されている。

(さすがにホテルの管理は行き届いているな)幻滅感が少しだけ和らいだ。

「着替えが終わったら、さっきの控え室に来てね」そう言って主任は去っていた。

(よ~しがんばるぞ!)雅幸は着替えが終わると、控え室にそそくさと向かった。


初めての経験は、色々な事を教えてくれる。

 一流ホテルのレストランの舞台裏・・・

 清掃業界の裏話・・・

 全国各地から就学している先輩方の田舎話・・・

その全てが雅幸が今までに知ることのなかった、本当の真実ばかりだ。しかも現実にそこにいる。

(大学で勉強しているだけでは、こういうことは学べない)彼はすばらしい経験に感謝していた。

レストランは、3箇所ある。和食・洋食・中華・・・である。

 新入りは決まって最初は中華の厨房を任されるのが常だった。何故なら、最も汚れている・・・。

しかしながら、厨房内の調理器その他はきれいに片付けられている。

汚れの多くは、釜の枠・・・中華なべを乗せる部分だ。中華料理は、多くの食材を様々な調味料や油で調理することが多いから、ガス釜の枠などは真っ黒である。焦げた煤をきれいに除去してピカピカになるまで磨き上げるのが仕事だ。

これが、慣れるまでは最も大変なのである。この仕事を要領よく出来る様になると一人前である。

だから、新入りはまず中華レストランの厨房に配置されるもである。

「じゃあ、やって見せるから。よく見て要領を覚えてね」主任の相賀さんが教えてくれた。

(さすがにバイトで主任になるだけのことはあるな・・・)

見ていてとても早くて、コツを得た段取りをしていた。

「ありがとうございます。大体のコツはわかりました。」

「後は任せるから、焦らないでやってみて」主任はそういうと、別の班の点検に向かった。

(よし!がんばるぞ!)雅幸は、新しい仕事の第一歩を滑り出した。


結局、バイト初日は何とか無事終わった。

「お疲れ様~!」

AM7:00に終わって、学校へ向かう。

(これからはこの生活が4年間続くんだな・・・)

そう思いながら、電車に乗っていると思わずうたた寝してしまった。

「中川君じゃない?」ふと気づくと誰かの声で目が覚めた。

顔を上げると、そこには渡辺さんの驚いたような笑顔が・・・

「あ~渡辺さん・・・おはようございます」雅幸が答えるとくすっと笑って

「中川君、声かけなかったら乗り過ごしてたね~」とちょっと意地悪っぽく笑った。雅幸は、まだ寝ぼけていたのか状況が良く飲み込めていなかった。

「えっ?どうして・・・」言うが早いか「新宿~新宿~」と駅のアナウンス

「ほら、降りるよ」渡辺さんが手を引っ張って雅幸をホームへ連れ出す。ようやく状況が飲み込めた雅幸は「ありがとう」そう言って恥ずかしそうに笑った。

赤坂見附から丸の内線に乗り、新宿駅で小田急線に乗り換えなければ学校へ着かないのだ。


 渡辺宣子、大学で同じクラスになりセミナーにも一緒に参加した、新潟から出てきた女の子。

(本当に純朴そうでかわいい女の子だ)

セミナーに参加していたときから、気になってはいたがGW明け初めて会ったので余計にびっくりしていたのだ。

「助かったよ」雅幸はそう言いながら、彼女と学校へと向かった。話題は専らセミナーの事になって、あの教授がどうの?とか、あの先輩がカッコいいとかそんな他愛もない話をしているうちに、向ヶ丘遊園駅に到着した。この大学の「名所」でもある「心臓破りの坂」を二人してゼイゼイしながら歩いて上った。

「朝からこの坂はつらいな~」雅幸がぼやくと

「このくらい田舎に比べれば全然へっちゃらよ」と宣子がまた笑う。

(笑顔がかわいいな)彼女の屈託のない笑顔は、雅幸のバイトで疲れた心にはとても輝いて見えた。

「今日の授業は何時まで?」雅幸が聞くと

「今日は、お昼で終わり」と宣子が答える。

「じゃあ、一緒にランチしようか?」と雅幸が聞く前に宣子が言った。

「同じ子と考えてたね~。そうしよう!。会館前にお昼ね!」そう言って二人は坂の上で別れた。

(宣子、かわいいな。お付き合いできたらうれしいな)

雅幸の心に何とも明るい兆しが差し込んできた、そんな瞬間だった。

(初めて彼女らしい彼女ができるかな?)

裕子と疎遠になってから、女性と話すのも食事をするのも始めてなのだ。

(よし!なんかバイトもOK。学校も楽しくなりそうだしバッチリだ)

雅幸は一人ほくそ笑んで授業のある三号館へと向かった。





















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