正体不明
青い空を眺めている。
レイドのいる教室は三年一組。
成績によってクラスの振り分けが行われる南座学園において。
このクラスは成績が最上位であることを示している。
そしてレイドは、その教室の窓から青空を眺めていた。
その空の中を大きな鳥が飛んでいる。
ひょっとしたら、眺めていたのはその鳥の方だったのかもしれない。
なんの柵もなく、自由に空を飛ぶ鳥が。
――羨ましいから。
何にも縛られることもなく。
何かに気を使うこともなく。
何かに遠慮することもない。
完全な自由。
レイドはそれが羨ましかった。
しかし、レイドは自身が自由を求めている訳では無い。
確かに、嘗てのレイドは自由だった。
ヘイルスウィーズ王国の第一王子としてあらゆる勝手が許され。
どんな重い罪を犯しても赦された。
が、10年前のあの日。
魔王国が滅亡し、自由を失った。
だが、元々レイドには自由に執着など無かった。
もちろん、多少の苦労はあった。
自らが育った国が無くなって。
王子という立場を失い、たくさんの困難に直面した。
でも、自由への執着なんてものは無かった。
だから、自由を失っても、辛いことなんて何も無かった。
本当に辛かったのは、
救えなかったこと。
一人の少女を。
自由を“与えたい”少女がいた。
その少女を守りたかった。
その少女を救いたかった。
だから、努力した。
必死に努力した。
魔導のこと。
戦争のこと。
政治のこと。
あらゆる知識を身につけた。
何度も挫けそうになった。
でも、諦めなかった。
それこそ、常に何かを考え、何かと戦っていた。
どうしても彼女を救いたくて。
でも、救えなかった。
それが辛かった。
努力が実らなかったからじゃない。
努力が無駄に終わったからなんかではない。
断じてそんな理由ではない。
レイドのしたことがしてはいけないことだったからだ。
彼女のためになると信じていた。
そうすることで彼女を救えるのだと。
愚かにも、信じていた。
だから、迷わず。
疑わず。
躊躇わずに行動した。
しかし、それは間違いだった。
失敗だった。
過ちだった。
故に、彼女はもう――いない。
そして、国もない。
残ったのは、後悔だけだ。
レイドの行いが起こした悲劇への。
後悔のみ。
だから、レイドに出来ることは何もない。
レイドのせいで、彼女はいなくなった。
レイドのせいで、国は無くなった。
そんな人間に出来ることは。
何かをするような資格は――ない。
「でも、ルーナ怒らせたかもな……」
先刻のルーナとの話し合い。
聞かれたのだ。
『光一郎についてどう思うか』と。
その問いにレイドは答えた。
『良いやつ』と。
確かに嘘ではない。
だが、レイドにとって光一郎は、それだけで済ませていい相手ではない。
レイドの推測では。
光一郎はおそらくレイドを監視するためにやって来た。
そんな人間を前にして『良いやつ』なんて感想だけでいいはずがない。
何故ならば、
光一郎がレイドを危険と判断したら、
ひょっとしたら、殺されてしまうかもしれない。
それほどのことを魔王国はしたのだ。
しかし、それでも。
いや、だからこそ、レイドは考える必要がある。
光一郎について。
ルーナについて。
自分自身について。
でも、資格がない。
レイドには何かを成すような資格は。
何かを成そうとする想いはない。
何かをしようとして以前のような過ちを犯すくらいなら。
何もしない方が――善い。
「……でも、やっぱルーナは怒ってたよなぁー」
自分に失望し。
その美貌をに砂一粒の怒りを滲ませていた少女を思う。
だが、ルーナにどう思われようと知ったことではない。
無論、光一郎にもそれはあてはまる。
たとえ、殺されることになろうとも。
そんなことを考えながら、レイドは空を眺めていた。
××× ××× ×××
「さあ、天道くん自己紹介を」
「はい、先生」
三年一組の教室の中。
光一郎は、担任教師である妙齢の女性、間宮・香里に促され自己紹介をする。
「初めまして。天道・光一郎と言います。これから一年間よろしくお願いします」
爽やかな好青年の笑顔。
この笑顔を見たことのある人間ならば。
光一郎を品行方正な青年だと確信するであろう、表情。
その表情を作りながら光一郎は内心で毒づいていた。
……はあぁ、これは疲れるな…
この笑顔をこれからの一年間ほぼ毎日作らなければならない。
そう考えただけで軽く目眩がする。
しかし。
そんな光一郎の想いとは裏腹に。
クラスから歓迎の拍手が鳴り響く。
「よし、では天道くん、君は藤名瀬さんの席の隣に座りなさい」
「はい、先生」
間宮担任に促され光一郎は席に移動する。
教室の席の配置は、縦五列、横六列の全三十席。
光一郎が向かっている席は教卓から見て、
一番右端の一番後ろの席。
教室の窓側の一番後ろの席だ。
その席は、間宮担任のいう通り千代の隣の席だ。
だが、それだけではない。
「やぁ、レイド。これからよろしくね」
「おう、よろしくな、光一郎。後ろの席から叩いたりすんなよ」
「あはは、やだなー。そんなことしないよ」
光一郎が座る席、その前の席にはレイドが座っている。
無論、偶然ではない。
その席は長年、空いていた。
レイドを監視する人間が座るために。
そんな席に光一郎は静かに座る。
教卓を見ると、間宮担任が今日の授業について話している。
だが、光一郎はその話しを、半分も聞いていなかった。
端から、今日の予定など頭に入っている。
そんなことよりも、もっと他に考えなければいけないことがある。
「光一郎殿。これからの方針は?」
千代が光一郎にしか聞こえない程度の声で聞く。
それは、もちろん、任務に関することを聞いている。
「…とりあえず、あの二人だな」
そう言って、光一郎は自分の席とは真逆の席。
教室の入口に最も近い席を見る。
そこにいるのは、鮮やかな金髪の少女、ルーナ。
そして、その席の隣と後ろの席に座る、二人の従者。
セイナ・レーシアとアトラス・アウグスト。
「……アウグスト家、それにレーシア家」
光一郎は二人の苗字――その家名を口にする。
「あの、お二方の苗字がどうかされたのですか?」
どうかしたのか、なんてレベルではない。
光一郎にとって、従者二人の苗字は大きな問題だ。
だが、そのことに千代は気付いていない。
「千代、お前は知らないだろうが……あの二人は聖王国の、“貴族”だ」
「――!?、それは真ですか?」
千代が驚きながらも、小声で聞いてくる。
どうやら、光一郎が気になっていることにやっと気付いたようだ。
ルーナ・エル・ライトは聖王国の貴族だと言われている。
しかし、その従者である、アトラス・アウグストとセイナ・レーシアも聖王国の貴族だ。
だが――。
「そんなことは本来はあり得ない」
「えぇ、そうですね」
光一郎の言葉に千代も賛同する。
通常、貴族に仕えるのは平民だ。
貴族が貴族に仕える、などということはあり得ない。
しかし、アトラスとセイナはルーナの従者。
あり得ないことが起きている。
「……何か…あるな。あの三人、何かを隠してる」
確かな確信を孕ませた言葉。
「どうします、調べますか?」
千代が聞いてくる。
無論、答えは決まっている。
「あぁ、調べてくれ。だが、感付かれないように…慎重にな」
「えぇ、もちろんです」
千代の返事を聞き届け、光一郎は教卓に目を向ける。
そこでは、間宮担任が未だに話しを続けているが、どうやら終わりに向かっている。
「では、これから一年間、このクラスの全員で頑張っていきましょう」
その言葉で光一郎の任務が学園生活と共に始まった。
目下の目的は、従者の正体を掴むことだ。
××× ××× ×××
もうじき、授業が始まる。
だが、教室の中は。
……明らかに、ざわついてるな…
この学園が初めての光一郎でさえ分かるほど。
教室はざわついていた。
おそらく。
――光一郎がいるから。
光一郎は、公国・神威の国主―天道家の長男。
つまり、公爵の位を持つ者だ。
そんな光一郎が教室にいては、皆、気が休まらない。
ちなみに。
千代も貴族だ。
千代の藤名瀬家は公国・神威の辺境にある古都「御劔」の領主だ。
そして、剣術と魔導の名門でもある。
故に、光一郎と同等。
あるいは、光一郎以上に有名だ。
だが、それでも一年から学園にいる千代と、
今日はじめて学園に来た光一郎では、
当然、周りの反応も違う。
「ねぇねぇねぇ、アンタ、ダレ?ひょっとして、新入り?」
『……え?』
不意な質問に思わず、光一郎と千代は二人して声を出した。
質問してきたのは同じクラスの少女だろう。
ウェーブのかかった長い髪はブロンド。
勝ち気なつり気味の目はグリーンミントに輝いている。
「ん?…なに?どうかしたの?」
と、少女が再び問うてくる。
もちろん、光一郎に対して。
内心で思う。
どうかした、ではない。
ついさっき、クラスメイト全員への挨拶を済ませたばかりなのだ。
なのに、誰か、と聞かれる。
気づけば、周りの生徒たちもこちらに注目している。
……こ、この状況でなんて言えばいい…
「…え、えーと、一応、さっき名乗ったんだけど…」
「え!マジで!?ごめん、寝てたから気付かなかった~」
「あ、そうなんだ、初めまして天道・光一郎と言います。よろしく……」
戸惑いながらも光一郎は自己紹介をする。
すると、
「へぇ、光一郎、ね。よろしく♪」
と、なんとも明るい声と表情で、少女が手を差し出してくる。
おそらく、握手を求められている。
「アタシ、明日木・麻里。マリでいいわよ」
その少女の手。
麻里の手を握ろうと、光一郎も手を出す。
しかし。
「……って……え?」
光一郎の手を無視して。
麻里の手は光一郎の頭を――。
撫で始める。
「……………………」
光一郎は思わず絶句した。
否、千代も。
周りの生徒たちも。
揃って、絶句した。
その中にレイドやルーナたちの姿も見えた。
全員、絶句していた。
……俺は………何を……されてるんだ………?
「……え、えーと……」
意味不明さ、極まれる状況の中。
麻里の目的を聞くため、
なんとか声を出す。
「な、……なに、してるの……?」
「ねぇねぇ、光一郎さ!この、髪の色、地毛?マジ、キレイなんだけど!?」
と、質問を無視して麻里が詰め寄ってくる。
その様子はあまりに無邪気だった。
「う、うん。もちろん、地毛だよ」
「えぇぇ!マジで!いいなー、アタシのは『変色』なんだよねー」
そう言って麻里は別の手でブロンドの髪の毛先をいじる。
麻里の話す『変色』とは魔法のことだ。
簡単、何てレベルではなく。
魔導の知識があれば誰でも使える魔法だ。
もっとも、今はそんなことはどうでも良い。
「あ、あの、そろそろ――」
撫でるのをやめてほしい。
そう言おうとしたその瞬間。
「――ちょっと、あなた!もう、止めなさいよ!」
光一郎と麻里の間に、割って入ったのは。
千代でも、光一郎自身でもなく。
青い髪の少女。
セイナ・レーシアだった。
何故か、その表情には怒りが見てとれる。
……な、何がどーなっているんだ…!?
胸中では疑問しか、浮かんでこない。
おそらく、この教室全員一致の感想だろう。
初対面の人間――それも、天道家長男の髪を撫でることも。
それを止める人物が、
これまた光一郎と初対面の筈の少女であることも。
全くの理解不能だった。
しかし、そんなことはいざ知らず、セイナと麻里は動き出す。
先に動いたのは麻里だった。
「はぁ?てゆーか、いきなり話しに入ってこないでよ!」
……いきなり人の頭撫でたやつに言われてもな…
続いて、セイナが反論する。
「知らないわよ、光一郎が嫌がってんだから止めなさいよ!」
……とりあえず、知らねぇ奴に呼び捨てにされるのも嫌だ…
そして再び麻里。
「フンッ!嫌がってるとか、アンタに光一郎の何が分かるの!?」
……お前は俺のこと分かんのかよ…
再びセイナ。
「ハッ!あなたよりは光一郎のこと知ってるわよ!」
……なんで知ってんだよ!お前は俺のなんなんだよ…
「てゆーかさ、セイナ、アンタさっきからなに、怒ってんの?」
……たぶん、お前の態度に対してだよ…
「そんなの……そんなの決まってるでしょ!あなたが光一郎の頭を撫でたからよ!!」
……そこなのかよ!てか、なんでお前が怒るんだよ…
「あ…分かった!アンタも光一郎のこと撫でたいんでしょ!?」
……なんで、そーなるんだよ、可笑しいだろ…!
「は、はぁ!?そ、そんなの……そんなに、撫でたいわけじゃ…」
……ちょっとは撫でたいのか!?なんなんだ、コイツら…
麻里とセイナ。
二人のやりとりに、光一郎は辟易としていた。
だが、そろそろ止めねばならない。
「……ね、ねぇ、二人とも?一旦、落ち着いて…ね?」
おそる、おそる。
半ば懇願するように言う。
だが、二人は聞く耳を持たない。
「自分も撫でたいならそう言えばいいじゃん!」
「だ、だから!そういうわけじゃないわよ!!」
「………」
とてもじゃないが、光一郎一人では二人を止められそうにない。
そう思い、光一郎は隣の席の千代へと視線を向ける。
千代と光一郎の目が合う。
だが――。
「………」
千代は頬に汗をたらし。
静かに――目を逸らした。
……逃げやがった…
明らかに、千代はこの件に関わるのを避けた。
しかし、それとは対照的な人物が一人。
ルーナだった。
「――セイナ、その辺になさい」
その声は光一郎にとって、はじめて聞く声だった。
聞く者を圧倒する威厳と超然とした雰囲気を纏っていた。
およそ、貴族令嬢の発する声ではない。
例えるなら、
一国の王女。
それがふさわしかった。
「も、申し訳ありません。ひ――お嬢様」
瞬間、セイナの態度も、なにやら騒いでいた女から忠実な従者へ変わる。
否。
そのセイナの立ち居振舞いも、
従者のモノというより、
王に仕える、騎士のものだった。
少なくとも、光一郎はそう感じた。
「ごめんなさいね、麻里さん。セイナが失礼したわ」
このルーナの声は打ってかわって、立派な貴族令嬢だった。
「……別に、アタシもカッとなっちゃったから、お互い様っしょ」
麻里は以外にも少し申し訳なさそうにしている。
どうやら、根は素直な性格のようだ。
「あなたにも、ごめんなさいね、光一郎」
「え?あ、いや、いいんだよ。形はともかく、僕のためにしてくれたことだから」
正直、余計なお世話だと言わざるを得ないのだが。
そんな、本音は出すわけにはいかないだろう。
「じゃあ、アタシ授業の準備するからまたあとでね~」
そう言うと、麻里は光一郎と同じ列の一番前の席に戻って行った。
そこが麻里の席なのだ。
「では、私達も戻りましょ……セイナ」
「はい、お嬢様」
ルーナとセイナも自分たちの席に戻って行く。
が、戻ろうとする瞬間にセイナがこちらに振り返り、
「この授業の後……東棟の四階、特別教室に一人で来て」
と、光一郎にしか聴こえないほど小声で言ってくる。
一瞬、迷ったが。
「うん、分かった」
と、返す。
すると、セイナはすぐに自分の席へと戻る。
周りの生徒も授業の準備を始めている。
光一郎もすぐに授業の準備を始める。
しかし、そこで視線に気づく。
前の席のレイドが自分を見ていた。
ニヤニヤ笑って。
麻里とセイナに振り回された光一郎のことを、
明らかに面白がっていた。
そして、一言。
「いやー、光一郎。お前メチャクチャモテるんだな~」
何てことを言ってくる。
「あ、あはは…」
光一郎は渇いた笑みだけ返し。
こいつ、殴りてぇ。
そう思った。




