模擬戦闘
前回から長い間を置いての投稿となりすみません。
私生活が立て込んでのことなのでどうかご容赦いただきたく思います。
晴れ渡る青空の中に白い雲が点々と浮かんでいる。
その下を二人の男が行く。
一人は天道・光一郎。
もう一人は式島・進治。
二人が向かっているのは、
目の前に大きくそびえ立つ光一郎の“自宅”。
天道家の屋敷だ。
公国・神威の中心たる首都「宮代」。
その更に中心に位置するこの家は、
今の空と同色の白い外壁に青い屋根を特徴とした、
“家”とは名ばかりの“城”だ。
「…進治さん…別についてこなくて良かったんだぞ?」
「そんな風に遠慮しなくていいんですよ?」
……遠慮してねぇよ、普通に嫌がってんだ!…
光一郎が進治の存在に嫌がっているのは単純なことだ。
「進治さん…頼むから母さんに変なこと言うなよ?」
「信用ないですね~、私個人としては君がこの監視任務に就こうと就くまいとどちらでも構いません」
「じゃあ、なんでついてくんだよ」
「言ったでしょう?私はこの任務の現場責任者――つまりこの任務のリーダーです。ですから、私には君がこの任務のメンバーになるのか把握しておく必要があるのですよ?」
「…あぁそーかよ」
ふざけた態度だが進治の言うことは正論だ。
というかむしろ今回のことは光一郎の方に非があるのだ。
――今から一時間前。
魔法協会「魔導制圧部隊」隊長執務室―つまり進治の執務室―で光一郎はとある任務を任されようとしていた。
それは存在しないはずの魔王国の元第一王子、
レイド・スラッシュ・ヘイルスウィーズの監視任務。
任務事態は簡単。
監視対象が危険な存在であるかを、
すぐそばで見張り、見極める。
ただそれだけの任務。
しかし、光一郎にはこの任務を受けられない―。
否。
受けたくない理由があった。
もちろん監視対象が危険な存在であった場合、
そのすぐそばにいる光一郎はとても危険だ。
だが、光一郎はそんなことは気にもしていなかった。
光一郎が真に気にしているのは、
監視対象が魔導学園で生徒として在籍しているということだ。
何故なら監視対象が生徒として在籍している以上、
光一郎自身も、学園に生徒として潜入しなければならないからだ。
そして、それには問題がある。
光一郎の誰にも明かしてはいけない“秘密”に関する問題が。
「いやはや、何度見てもこの家の広さには慣れませんね」
一般的な扉の二倍近いサイズの天道家の扉を通り、
家の中に入った進治の言葉は、
この家に来たことのある者ならば、
全員、同じ感想を抱くであろうものだった。
天井に設えられた豪奢なシャンデリアは煌びやかな光を放つ。
その光を白い大理石の床が美しくはね返し、
床とは対照的な赤い絨毯が床がの上に敷かれている。
外見と同様に内装も、
“家”というよりは“城”に近い。
しかし、この家が「天道家」、
すなわちこの国の国主の家である以上。
それはなんの冗談でもなくこの家が、
“王城”であることを示している。
「ははは、こんなに広いと迷ってしまいそうですねー。迷子になっても泣いたらダメですよ?光一郎くん?」
「…くだらねぇこと言ってねぇで、さっさと“会い”に行くぞ」
もっとも。
光一郎も「魔導制圧部隊」副隊長という職業柄、
あまり自宅には帰っていないから、
実は本当に迷ってしまいそうだが。
今はそれどころではない。
二人が今から会いに行くのはこの城の主――。
公国・神威の最高権力者、天道・桃花“公爵”。
かつて魔王国の最後の魔王を討伐した大英雄であり、
光一郎の母親だ。
「……はぁ…」
母親と仕事の話しをする。
その事実が気の重いものだった。
しかし、いつまでも気を揉んでいても仕方ない。
母である桃花の待つ場所へと歩き始める。
いくつかの廊下と階段を通り、
たどり着いた場所は桃花の書斎だ。
扉を数回ノックすると数秒後、
中から若い女性の声で「入れ」と一言。
「失礼します」
そう応じて中に入る。
書斎の中には三人の人間がいた。
一人は部屋の主、天道・桃花。
純白の長髪と青い不敵なつり目を持ち、
三十代後半の年齢でありながら、
その容姿は二十代後半と言っても通じるほどに若々しく妖艶だ。
今は書斎の奥に設けられた机の椅子に腰かけている。
一人は光一郎と同い年の少女、
名は藤名瀬・千代。
髪は茶の長髪をポニーテールに結っており、目は緑色の瞳。
つり気味な目と鋭い顔立ちが、
本人の立ち居振舞いと相まって、
凛とした雰囲気の美少女だ。
座っている桃花の隣に体の芯をぶれさせることなく直立している。
一人は中太りの中年男性、
この中では唯一光一郎とは面識のない人間だ。
彼も千代と同様に桃花の隣に立っている。
――今の光一郎は知るよしもないが。
彼の名は桐堂・義博、
件の魔導学園「南座学園」の学園長である。
「おぉ、誰かと思ったら光一郎と進治か。どうした?」
二人の入室に反応して桃花が声をかける。
光一郎は“爽やかな好青年”の笑顔を作り、
桐堂学園長と千代の方を一瞥しながら答える。
「はい、“母上”。お客様がいらっしゃるようですがよろしいですか?」
「あぁ、気にするな」
……そうじゃなくて、話しを聞かれたくねぇんだよ…
内心では悪態をつきながら、
しかし、表情は穏やかなまま光一郎は応じる。
「では…、今日母上とお話したいのは僕の元に来た“監視任務”についての話しです」
その言葉を聞くと桃花は口の端を歪め――不敵に微笑んだ。
さらに桐堂学園長と千代も少し驚いた表情を見せている。
「――?」
……どういうことだ?…
分けが分からずきょとんとしていると桃花が口を開いた。
「安心しろ光一郎、この桐堂・義博は南座学園の学園長。つまり監視任務の協力者だ」
「それは…本当ですか?」
光一郎は桃花ではなく進治に真偽を問うた。
「えぇ本当のことですよ」
返ってきた肯定の言葉に光一郎は手袋を着けた手で頭を掻き、
溜め息をついた。
そして、
先ほどの爽やかさは何処かに消え。
乱暴に言い放つ。
「それを先に言えよ“母さん”、変に芝居しちまっただろうが」
雰囲気の変わった光一郎に、
桐堂学園長は明らかに驚き、
他の三人は訳知り顔だ。
「おぉ悪かったな、お前が真面目に芝居してんのが面白くてついな」
「しかし――相変わらず人の目を気にする人ですね。光一郎殿。」
不意に声をかけてきた千代に、
光一郎は少し疲労感は覚えた。
千代の言葉は内容に反して口調に皮肉めいた雰囲気はない。
千代が言ったのはその凛とした態度にふさわしい率直な意見だった。
そして光一郎はこの素直な性格が苦手だった。
「…あぁ、千代、お前にも今回の監視任務のお誘いが来てたのか」
「えぇ、私は学園に潜入する貴方の支援を任されています」
千代は部署こそ違うものの、
光一郎と同じ魔法協会の人間だ。
これまで光一郎とはいくつかの任務で同じチームとして行動し、
時には共に修羅場をくぐったこともある。
しかし、その一方で千代は魔導学園の学生でもあった。
在籍してる学園は監視対象も在籍している南座学園。
つまり千代は以前から学園にいることを見込まれ、
今回の監視任務では学園の知識に乏しい光一郎を、
補佐する役目を任されたのだ。
「――では、光一郎殿。今回もよろしくお願いします」
千代が手を差し出し握手を求めてくる。
しかし、光一郎には今その手を握ることは出来なかった。
「……悪いが俺が今日ここに来たのはその話しを断るためだ」
そう言うと光一郎は桃花に向き直り言葉を放つ。
「母さん、今回の監視任務。俺は学園への潜入を辞退させてもらう」
「ほう…なんでだ?」
桃花は不敵な笑みをその美貌に張り付けたまま問を投げ掛けた。
……しらばっくれやがって…
「そんなの聞かなくても分かってんでだろ?俺の“性格”のことだ」
天道・光一郎には二つの性格がある。
それは光一郎と親しい人間、
もしくは共に仕事した人間ならば知っている“秘密”。
光一郎は相手に応じて、
状況に応じて、
その性格を使い分けている。
一つは光一郎が作り出した「紳士的な好青年」のような性格。
一つは光一郎が生まれもった「乱暴で粗野な不良」のような性格。
何故に二つの性格を使い分ける、
なんていうことしているのか。
それは光一郎の本当の性格である「不良のような性格」が天道家の長男に相応しいものではないからだ。
誰に言われたわけではない。
母親である桃花だけでなく、
周りの人間は一度として光一郎に「天道家の長男の名に恥じぬ人間になれ」などということを言ったことはなかった。
しかし――光一郎には天道家の家長として何処に出ても恥ずかしくない人間にならなければならない理由があった。
故に、
この性格も光一郎が自分で考え決めたことだ。
否、性格のことだけではない。
光一郎は天道家の長男に相応しい人間になるために幼少の頃から努力を続けていた。
人の上に立つ人間となるため、
帝王学や政治学に社会学…果ては戦略学まで学んだ。
優秀な魔導士となるため、
魔術学は勿論、格闘術などの実践戦闘で必要なものは、
全て学んだ。
そしてこれらは全て独学だ。
家庭教師をつけるのも、
学園という教育機関に入るのも、
光一郎にとってはあまり効率的なやり方ではなかった。
故に光一郎は学校というものに通ったことはなく、
同年代の友はほぼ皆無だ。
しかし、そんな光一郎の元に来た任務は、
一年の間、魔導学園に潜入し続けるというものだった。
今更光一郎が学園で学ぶべきものは残っていない。
無論、任務である以上。
そんなことで仕事を投げ出す訳にはいかない。
だが、“光一郎の性格”のこととなると別問題だ。
光一郎にとっては「好青年の性格」は、
一瞬の間でさえ気を抜かない“演技”なのだ。
当然、精神的な疲労は相当なものだ。
今までは社交界の場などで一、二時間程度。
長くとも五時間がいいところだ。
しかし、学園は違う。
一日六時限から八時限の授業。
それが365日。
「そんな長期間…俺は本当の性格を隠し通すことはできねぇ。それが理由だ」
その言葉に桃花は「フフッ」と短く嗤う。
「なるほどなぁ…、お前の言いたいことは分かったよ。それで?私にどうしろって言うんだ?」
挑発するような物言い。
しかし光一郎は冷静に答える。
「何度もとぼけんなよ。進治さんにもう聞いてんだよ、今回の監視任務の命令を出したのは…母さんなんだろ?」
「なんだよ進治。もうバラしたのか~?」
「あはは、すみませーん。聞かれたんで答えちゃいました」
進治も桃花もふざけた口調だが言っていることは真実。
今回の監視任務を、
魔法協会の常任理事として発案したのは――。
桃花なのだ。
「だから母さん、発案者である母さんの権限で俺を作戦から外してくれ」
それこそが今日光一郎が自宅に戻ってきた真の理由だ。
「ん~、なるほどなぁ。お前の言い分は分かったよ、…だがダメだな」
「…なんでだ?」
桃花の切り捨てるような言い方に光一郎は抗議する。
「単純なことだよ、お前以外に適任者は一人しかいない、だがそいつが監視対象との直接の接触は避けたいって言っててな」
「つまり――、そいつが監視対象と接触してもいいと言えばいいんだな?」
「あぁ、それならこっちは構わないぞ。」
「じゃあ教えてくれ、そいつの名前と居場所を――」
光一郎の目的は簡単だ。
自分以外の適任者というその人物の元へ行き、
その人物を説得する。
もしくは――“模擬戦”で納得してもらう。
そのための質問だったが――。
「それは――私のことです」
と、淡々とした口調で言うのは藤名瀬・千代。
「――え?」
思わず千代に聞き返す。
「ですから、貴方以外の適任者とは私のことです」
「マ、マジか……」
意外なことではなかった。
彼女は以前から南座学園に在籍している。
寧ろ自分よりも適任者だろう。
問題は二つ。
一つは彼女がとてつもなく頑固だということ。
少なくとも光一郎には説得する方法は思い付かなかった。
そしてもう一つ。
彼女が南座学園において、
学園内“最強”であるということ。
「ではどうします?光一郎殿。言っておきますが私は譲る気はありません」
「あ、あぁ…えーと…」
答えに窮していると桃花が悪魔の一言を言った。
「簡単なことだろ?お前らは魔導士だ。だったら決着は模擬戦でつけろよ」
それに二匹目の悪魔、
信治が同意する。
「なーるほど。それはいい考えだ」
さらに、悪魔じゃないが、千代も。
「確かに、分かりやすくていい。私の方に異存はありません、どうします?光一郎殿」
と、賛成の意を示す。
どうもこうも正直ごめんだが、
説得よりは可能性があるのも事実だ。
光一郎はゆっくり頷いた。
××× ××× ×××
『魔導模擬戦闘』。
通称“模擬戦”と呼ばれるそれは書いて字の如く、
魔導士による模倣の戦闘だ。
規則は時と場合によるが共通して言えるのは、
対戦相手に致命傷を与えないこと。
もちろん魔導技術は扱いを誤れば危険な技術だ。
しかし今回に限って言えばその心配はほとんどない。
何故なら、
光一郎の対戦相手である藤名瀬・千代は、
南座学園の実技科目は常に首席。
模擬戦における戦績は入学から今までで、
相手に致命傷を与えず、
自分も深手を負わず、122戦122勝の。
完全無敗。
まさしく学園内最強。
対して光一郎が今現在使える魔法では、
彼女にかすり傷を負わせることも難しい。
「おい、準備できたか?」
自分と千代が向かい合って立っている場所から充分な距離をとって母親である桃花の声が届く。
場所は書斎から天道家の裏庭に変わり、
人数も五人から四人に変わっていた。
「なぁ、あの桐堂っておっさんは?」
一人居なくなった人物のことを考えて聞いてみる。
「あぁ、居ずらそうにしてたんで帰してあげましたよ」
進治が答えてくれた。
実際は桐堂学園長のことなどどうでもいいのだが、
少しでも緊張をほぐしておきたかった。
自分と千代は五メートルほどの間を空けて向かい合い、
それとは垂直な方向に桃花と進治が
さらに、倍の十メートルの間を開けてこちらを見ている。
桃花が植物の世話を嫌うので、
庭といいつつもそこは芝生が植えられただけの、
無駄に広い空間、
おそらく30平方メートル程度はあるだろう。
……足場は悪くない。風も今は吹いてないな…
状況は相手が千代であること除けば悪くなかった。
「おーい、準備できたのか?いいならいいって言えよ?」
桃花が待ちくたびれたように言うので――準備を始める。
光一郎が上着の懐から二つのものを取り出す。
一つは拳銃。
形はいわゆる自動拳銃。
全体が白色で所々に青い装飾の付いた一級品だ。
もう一つはその拳銃のグリップの底から入れるための物。
いわゆるマガジンと呼ばれる物だ。
この二つは――魔導兵器。
現代における魔導技術の最高傑作。
それが魔導兵器。
そもそも魔法とは、
魔導士のもつ魔力というエネルギーを源に「現象」の「過程」を無視して「結果」を引き起こす特殊技能。
しかし、魔法を使うと、
少なからず魔導士の体に負担が掛かる。
そこで魔導士の体に掛かる負担を肩代わりし、
戦闘において優位に立つために開発されたのが魔導兵器だ。
そしてこの二つは二つで一つの魔導兵器。
もっと正確にいうと本体となる「銃身」と補助の役割を果たす「マガジン」の魔導兵器。
光一郎はマガジンの方を見る。
そこには青白い光で“15”と記してある。
……全部で十五発か…
それを確認して光一郎はマガジンを本体である拳銃に装填する。
これで光一郎の“悪あがき”の準備は完了。
千代の方を見やる。
書斎の時とは装い新たに武術の胴着姿。
更に、左右の腰に一本ずつ打刀と呼ばれる刀を差している。
……あっちも準備万端か…
千代の戦術は光一郎にとってはよく知るところだ。
だからこそ厄介だということも分かる。
「――光一郎殿」
「あ?」
不意に千代から声がかけられる。
「光一郎殿は“あの魔法”は使わないのでしょう?」
光一郎にしか聞こえない程度の声。
そして光一郎しか分からない“あの魔法”という言葉。
「……まぁな」
光一郎は肯定する。
正直、
その魔法が使えればまだ勝てるかもしれない、
だが、今は使うわけにはいかなかった。
「では、――私も私の得意な魔法は使いません」
「――は?」
その言葉が意外で聞き返してしまった。
「手加減をするつもりではありませんが……あなたが全力ではないのに私が全力を出すのはあまり正々堂々とした戦いではないでしょう」
「そうか――」
……これはひょっとしたらひょっとするぞ…
少し勝ちの目が出てきたので気持ちを新たにしてみる。
そして二人で桃花の方向を見る。
「こちらは準備万端です」
千代が桃花に報告するので
「こっちも準備万端だ」
と桃花に報告する。
すると待ちくたびれたように頷いて、
桃花が右手を真上に挙げる。
「では、ただいまより模擬戦を始める、相手を気絶させるか相手に敗北を宣言させれば勝ちだ……それでは、――始め!」
右手が降り下ろされた。
先に動いたのは千代だった。
まず、左腰の刀を右手で抜き去り、
そのまま駆け出す。
「参ります!」
そう声を放ち光一郎からまだ三メートル以上あるところで刀を真横に薙ぐ。
……来た!…
瞬間――。
光一郎は右に跳んだ。
するとすぐ左、
今まで立っていた場所を一陣の風が―。
“斬った”。
地面が抉れ、芝生が舞い、土が散る。
光一郎は着地した瞬間、
すぐに右手に握った拳銃を、
駆けてくる千代に向けて――。
引き金を引く。
撃鉄の音は――鳴らない。
代わりに銃身の内部で青白い“魔方陣”が展開され、
そこから光輝く弾丸が激しい音と共に発生、
銃口を通り飛び出す。
立て続けに三発。
真っ直ぐ千代へと飛んでいく。
千代は刀を一薙ぎ。
再び発生した烈風に煽られ、
弾の軌道が僅かにずれ、
千代の身体の一、二センチ隣を通り過ぎる。
「くそっ!」
悪態つきながらもさらに六発、引き金を引く。
「数が増えた所で!」
気合いの一声と共に今度は千代も連続で六薙ぎ。
全ての弾丸が軌道を僅かにずらされる、
千代の身体ギリギリを掠めていく。
しかし、烈風の方の勢いは止まらず光一郎に襲い来る。
「マ、マジかっ!」
大きく左に跳躍。
なんとかギリギリ避けきった。
着地に成功し千代を見る。
すると、千代がもう近くに居た。
光一郎が跳躍している間に駆け込んでいたのか、
二人の距離は僅か一メートル。
刀の刃が届く距離。
「貰いました――」
そう言って彼女は刀を――捨てた。
「―――!?」
驚愕に顔を染めるのも束の間。
千代はもう一本の刀――、
右腰の刀の柄を握り、
そのまま居合いの要領で抜き去る。
その刃は光一郎の服の上をギリギリのラインで、
通過した。
そう思った。
しかし服は切れ皮膚も僅かに斬られている。
「……ちぃっ!」
千代の抜き去った刀の刃は青白く光っていた。
否――光っているのではなく「帯電」していた。
しかし、一撃で決めきれず千代の腕は延びきり、
胴体に大きな隙が出来る。
それを見逃す光一郎ではない。
銃口を向け引き金を引く。
「もらっ――」
た。
と言い終わる前に千代が大きく後方に跳んだ。
発射された弾丸は的を失い地面を抉る。
「……相変わらず、馬鹿みてぇな運動神経だな…」
「いえ――そちらこそ、 馬鹿の一つ覚えのようにすさまじい射撃ですよ」
……褒めてんのか貶してんのか、わかんねぇよ!…
しかし、実際に光一郎の射撃の腕は確かなものだ。
千代が烈風で軌道を逸らさなければ弾は全て千代の体を貫いていただろう。
そう――、烈風が無ければ。
「――『風刃丸』」
先刻、千代が手を放し今は芝生に突き刺さったままの刀。
銘は『風刃丸』。
「振るうことによって突風を生じさせる――『風刃』の魔方陣を刻んだ刀型の魔導兵器…」
魔導兵器は魔導士から魔力の供給を受けることで魔導士の代わりに魔法を使用している。
しかしどんな魔法でも使えるというわけではない。
魔導兵器には製造の際に主要となる魔法があるが、
それは一つの魔導兵器に原則一つのみ。
そうでなければ魔法同士が互いに邪魔しあって正しく発動しない。
そして魔法は発動に際して「魔法陣」の展開が必要不可欠だ。
魔方陣は各魔法ごとに一つずつしか無く、
また、同じものは一つとして無い。
「量産型の魔導兵器でありながら扱いが難解なため少数しか製造されていない魔導兵器。……それをここまで使いこなすんだから――化け物みたいだな」
自分に迫る弾丸を烈風によって逸らす――。
……本来、攻撃に使われる魔法を防御に用いる、なんて馬鹿馬鹿しい剣技だ…
「それはどうも」
無表情で無感情に千代が言う。
「だがそれもさっきまでの話しだ」
光一郎が対照的に“確信”を込めて言葉を放つ。
「……と言うと?」
訝しむような千代の問いに光一郎は応じる。
「簡単なことだろ?だってお前が今手にしているのは……『雷刃丸』だから」
今千代が唯一手にしている魔導兵器。
銘は『雷刃丸』。
「そいつの魔法は刃を帯電させることによって攻撃に異常な威力を持たせる『雷刃』」
「だから?」
「『雷刃』は確かに馬鹿みてぇな威力の魔法だ。実際、直接切ってもねぇのに服はこのザマだ」
光一郎の服は――否、
服と皮膚は『雷刃』の電撃によって切れていた。
これが『雷刃』の威力を如実に表している。
しかし――。
「しかし『雷刃丸』には一つ弱点がある」
「……それは?」
「射程の短さだ」
圧倒的な威力を持った魔法だがその反面攻撃の範囲が刃とその周り五センチメートル程度。
それが『雷刃丸』の弱点。
「確かにそれは事実です。ですがまた近づけば良いだけの話しではありませんか」
「出来ねぇよ。お前が後ろに大ジャンプしてくれたおかげで距離が開いた」
一度は刀の刃が届くまでに迫った二人の距離もいまや――三メートル程度。
「この距離で俺はまず外さねぇ。そしてお前には弾丸を避けるための『風刃丸』が無い」
そしてもう一度。
“勝利の確信”を込めて光一郎は告げる。
「俺の勝ちだ」
ここで千代が敗北を宣言してくれれば最高だが
「つまり…私に降参しろと…?」
全く降参するつもりも無く千代が言う。
「あぁ、降参してくれ」
「残念ですが、貴方に学園に潜入することを拒否する理由があるように…。―私にもレイド・スラッシュ・ヘイルスウィーズに近づく訳にはいかない理由があるのです」
……理由か…
千代の言う理由とやらが気になりはしたが今問い詰める訳にもいかない。
そこで千代が鋭い視線で言葉を続ける。
「それに……私にも勝機はまだあるでしょう」
千代の言葉にも光一郎と同じ―、
又はそれ以上の確信が込められていた。
……なにを企んでいやがる…
光一郎は千代の視線を受け止め、
千代の作戦に考えを巡らせるが――。
そんな思考の中断させるように千代が――。
地を駆けた。
すさまじい速度だ。
だが、光一郎は素早く銃口を向ける。
「――甘いな」
千代の作戦は簡単なものだった。
……俺の気を逸らしてその間に一太刀あびせるつもりか…
だがそんな戦略は光一郎には通じない。
誤って千代を殺してしまわぬように千代の右足に狙いを定めて。
引き金を引く。
放たれた一筋の光弾は真っ直ぐに千代の右足に伸びて行く。
そして千代の右足を貫く――ことはなかった。
「――!?」
光一郎が驚愕に目を見開く。
千代が弾丸を避けたのだ。
確かに千代の身体能力は17歳の少女としては優れたものだった。
しかしその動きはおよそ人間のものでは無い。
……まさか――『身体強化』か!…
『身体強化』。
書いて字の如く、身体能力を強化する魔法。
最も簡単でほぼ全ての魔導士が使える魔法を示す“五等級魔法”。
しかし簡単であるからこそ、
その効果の個人差は著しい。
魔力の量も魔導技術の才能も一般的な人間であれば筋肉を強化する程度。
だが、千代は前者も後者も共に天才的なものを持っている。
故に『身体強化』であれ千代が使えば筋肉だけでなく、視力、嗅覚、聴覚、皮膚、骨髄、神経、呼吸器や三半規管に至るまで強化される。
もちろん、今の光一郎の弾丸を避けることは造作も無い。
……くそっ!…
悪態をつきながらもさらに弾丸を放とうと銃を構えなおし――。
「――今ので十一発目……残りは四発ですね」
「――ッ!?」
不意に千代が呟き、その言葉に光一郎は驚愕する。
千代が言ったのは――光一郎のもつ魔導兵器のそのマガジンの“残弾数”。
……把握していたのか…!?…
発射された弾丸をただ数えるだけでは残弾数はわからない。
光一郎が千代の魔導兵器の能力を理解していたように――、
千代もまた光一郎の魔導兵器の能力を把握していた。
「――だったら……残る四発に全てをかける!」
光一郎が迷い無く引き金を引く。
その回数は連続で――四回。
残弾全ては銃口より吐き出された。
そしてその全てが進む方向は――違う。
一発目は迫り来る千代に真っ直ぐに進んでいく。
二発目は一発目のやや左側。
三発目は一発目のやや右側。
四発目は一発目のやや上側。
……これで逃げ場はねぇぞ…
そう。
一発目で正面を。
二発目で左側を。
三発目で右側を。
そして四発目で上向への回避を封じた。
二人の距離は僅かに二メートル。
『身体強化』を使っていてもこの距離とこの数は避けきれない。
「――甘いですね」
千代が止まる。
回避ではなく、待ち受ける。
そして、青白く帯電する『雷刃丸』を上段の構えから降り下ろす。
「セアァァァァァッッッ!」
……ま、まさか!…
そのまさか。
『雷刃丸』は光弾を捉えぶつかり合う。
光と雷の激しい攻防。
無数の火花が刹那の間に散った。
そして光弾が弾かれ地面に激突する。
「『雷刃丸』の威力に私の『身体強化』の筋力を上乗せすればこんなことも出来――」
千代が言葉を途中で切ったのは光一郎が自分に走り込んでいたからだ。
……なんのつもりですか!?…
もう、光一郎の弾丸は尽きている。
そして千代の言う“あの魔法”を光一郎が使わないのであれば接近したところで光一郎にはなにも出来ない。
そのはずだった。
光一郎が懐から――新しいマガジンを取り出すまでは。
「……え?」
光一郎は閃光の速度で古いマガジンを捨て新しいマガジンを入れる。
そして千代の右足に、
ぴったりと銃口を突きつける。
「――零距離じゃあさすがに回避出来ねぇだろ」
不敵に笑う光一郎の顔が目の前にある。
……と、討られた…
そう思い。
次の瞬間に走るであろう傷みに覚悟する。
――が。
それは唐突に起こった。
不自然なほどいきなり。
不可解なほど突然に。
千代のもつ『雷刃丸』の刀身に太陽光が反射した。
その方向は光一郎の両目。
「――ッ!」
……今だ…!…
光一郎に出来た隙は一瞬。
そしてその一瞬が千代には充分だった。
光一郎の胸ぐらをつかみ地面に倒す。
「…ぐはっ!」
そして拳銃を蹴り飛ばし、『雷刃丸』の切っ先を向ける。
「ハァハァハァ…」
「ゼェゼェゼェ…」
二人の呼吸の音が空間を暫くの間支配する。
それを切り裂いたのは光一郎だった。
「……降参だ。俺の…負けだ」
「模擬戦はそれまで!二人とも頑張ったな、じゃあ監視任務の潜入者は光一郎ってことで」
桃花が心底楽しそうに言うのを聞きながら千代は思っていた。
……さっきの日光の反射は…?…
自然現象と割り切ってしまえばいいだけのことだ。
だが勝負が決まるあの瞬間のことだけに、
千代には何か拭えない違和感があった。
……そういえば桃花殿は光属性の使い手でしたね…
なんてことを思って桃花を見ると――彼女もこっちを見ていた。
「――!?」
不敵な笑みは底知れない「何か」を見る者に感じさせた。
「――おい」
「は、…は、はい?」
不意に光一郎に声をかけられて我に帰る。
「不本意ながらも俺が潜入任務を行うことになった。てことはさっき言ってたようにお前が俺のサポートをしてくれるんだろ?」
「え、えぇ。それが私の今回の任務ですから」
凛とした雰囲気を取り戻し千代が答える。
すると光一郎は少し恥ずかしそうに、
――右手を差し出す。
「……まぁ、なんだ。さっきは任務を受けるつもりがなかったから断ったけど…今はもう決まったことだからな…よろしく頼む」
「……あ」
……別に気にしていませんよ…
光一郎が言おうとしているところを知り千代はその手を右手で握る。
「えぇ、よろしくお願いします。光一郎殿」
先刻、桃花の書斎ではなされなかった“握手”を二人は今なした。
互いに信頼を確かめあって。
「それはそうと…お前、得意な魔法は使わないって言ってなかったか?」
過ぎたことに文句をつけるつもりはない。
だが、最初に言っていた約束というか制約のようなものを思い出して光一郎は問うた。
『光一郎が“ある魔法”を使わないことのハンデとして千代も得意な魔法は使わない』
しかし『身体強化』は千代の得意な魔法の一つであることを光一郎は知っている。
それに千代は答える。
「えぇ、ですから使わなかったではありませんか、“最も得意な魔法”は」
……はぁ…
「いや、まぁ、そんなこったろうと思ってたがな」
苦笑混じりに光一郎は言う。
これが光一郎が千代に一目おきながらも、
その性格を苦手としている理由だ。
誇り高く、凛とした真っ直ぐな態度。
しかしその反面言葉足らずというか――。
一言で言うなら。
天然なのだ。
何はともあれかくして南座学園に潜入しレイド・スラッシュ・ヘイルスウィーズを間近で監視する人間が光一郎に決まった。




