共同作戦
何かを焦がしたような臭いと、土煙特有の乾燥した匂いが、ルーナの鼻孔を擽る。
聖王国第三王女――ルーナは未だ学園の中に居た。
ルーナは淡い金の髪に、太陽の輝きに反射させながら辺りを一瞥する。
そこは、校舎から離れた、運動場であった。
そして、そこには生き残った生徒と数人の教員が集められている。
ルーナは二つの理由により、彼らを運動場に移動させた。
一つ目は、崩れかけの校舎が倒壊する危険性。
校舎の外壁が頭上に落下しては命に関わる。
故に、落下物の危険性の無い開けた場所―運動場に移動した。
二つ目は、崩れかけの校舎に“伏兵”がいる可能性。
レイドの獅子奮迅の活躍により、大半の敵は無力化出来た。
しかし、敵の伏兵がいないとも限らない。
その場合、最も隠れやすいのはあの校舎だ。
故に、隠れる場所がなく―また、敵の伏兵が現れても数で勝るこちらが有利となる運動場を選んだ。
この選択は、今のルーナに出来る最善の選択だった。
――しかし。
「なぁ…これから、どうなるんだ?」
「分からねぇよ…分かるわけないだろ!?」
「だ、大丈夫だよ! きっともうすぐ外から助けが来るって!」
「すぐっていつだよ! 分かりもしねぇのにテキトーなこと言うな!」
「おい…やめろよ。俺たちが争ったって仕方ないだろ……」
ルーナの立つ位置から、少し離れた場所で声が聞こえてきた。
多くの生徒は不安に駆られていた。
尤も、その理由は明確。
「…姫様……何故、まだ学園内にいるんですか…?」
そんな問いを投げ掛けられた。
問いを投げ掛けたのは先刻、武力集団との戦闘で痛手を追った青い髪の騎士だ。
騎士セイナは、生徒達の群れを、少し離れたこちらへ歩いてきていた。
「―――ッ! セイナ!? もう、大丈夫なの?」
ルーナは歩くセイナに駆け寄りふらつくその体を支える。
「あ……すいません、姫様」
「良いのよ、多少回復はしたようだけど、未だ万全にはほど遠いでしょう? ……今だけ私の腕に寄りかかることを許すわ」
申し訳なさそうに眉を下げるセイナにルーナは明るく返す。
「……はい、感謝します…姫様」
すると、セイナも笑って返答する。
「……それで、姫様…さっきの質問なのですが…何故、まだ学園内に留まっているんですか?」
それは至極当然の質問だ。
確かに、ルーナは倒壊と伏兵、二つの危険性は理由にこの運動場に移動した。
しかし、実際のところ、運動場よりも安全な避難場所がある。
それが学園の外だ。
武力集団の大半はレイドに“殲滅”され先頭不能となっている。
だが、伏兵の可能性がある以上、学園の中にいる限り襲われる危険がある。
それに生徒達からしてみれば、ついさっき人が大勢死んだような場所には長居などしたくないと思うのが心理だ。
そして生徒の中には学園の外の方が安全だということを理解している者もいる。
故に、生徒達は不安になっている。
学園の外に避難しないのだろう?、と。
そして、それはルーナも理解している。
では、何故、学園の外に避難しないのか。
それにも、理由はある。
「それは――」
ルーナがセイナに理由を説明しようとしたその時。
「―ルーナ殿、ただいま戻りました」
声がした。
見やると、茶の髪を風に靡かせた藤名瀬・千代が正門の方角からこちらに歩いて来ていた。
後ろには、レイドの従者エレンと、セイナと同じくルーナの騎士であるアトラスの二人もついてきていた。
「おや? セイナ殿、もう体は大丈夫なのですか?」
「レーシア様…出来れば。まだ、安静にしてください」
「………気をつけろよ」
千代、エレン、アトラスの三人は、セイナを見るなり各々心配を口にする。
「え? あ、ありがとう……ていうか、アトラス? あんた姫様のそば離れてどこ行ってたのよ?」
三人の気遣いに感謝を口にしながらも、セイナはアトラスに問を発する。
尤も、それは質問というより詰問に近かった。
セイナ自身が戦闘不能の状態であるため、アトラスは主であるルーナを守ることを最優先にしてルーナの側を離れるべきでは無い筈だ。
無論、セイナが逆の立場でも、同様の判断をする。
にも関わらず、アトラスはルーナの側を離れていた。
故に、セイナはその理由をアトラスに問いただした。
――しかし。
「その理由は私から説明するわ」
言葉を返したのはアトラスではなく、ルーナだった。
「……どういうことですか? 姫様?」
「アトラスは私の命令に従っただけなの」
「……命令……?」
主の言う“命令”の意味が分からず、セイナはルーナに尋ねる。
「安心なさい、ちゃんと説明するわ…さっきの質問とも関係することだから」
「さっきの“質問”って…?……あ!」
言いながらセイナは思い出す。
“質問”とは先刻セイナがルーナに聞いていた、学園の中に留まっている理由のことだ。
「アトラスと千代そしてエレンの三人には、学園の外の様子を観てきてもらったのよ」
「学園の外……?」
ルーナの答えに聞き返すセイナに、ルーナは更に答える。
「えぇ、理由は大きく分けて二つあるわ。一つは正門に至るまでの道程の安全確認。もう一つは――」
「学園の外が――安全かどうかの確認」
「―――え?」
……学園の外が“安全かどうか”…?
謎の武装集団が占領したのは南座学園の内部のみ。
そう信じていたセイナには、学園の外の安全確認をすることの意味が理解出来なかった。
そんなセイナの意図を察したのか、ルーナは説明する。
「順に説明していくわ…先ずは、正門までの道程が安全かどうかだけど……これは、簡単ね?」
「え、えぇと……あ、敵の伏兵…ですか?」
少しの思案の後に、セイナは答えた。
それにルーナはにこやかな笑顔を作る。
「えぇ、その通り。正解よ――そして、それが学園の中に残っている理由でもある……学園のどこに敵の伏兵が潜んでいるか分からない以上、闇雲に移動するのは危険、わかるわね?」
「はい、姫様、では――」
ルーナの説明にセイナは理解を示す。
しかし、次いで問を口にする。
「――では……姫様、学園の外の“安全確認”とは…学園の外にも敵の伏兵が潜んでいるかもしれない……ということですか?」
そのセイナの問いに、ルーナは。
「まぁ……そういう理由もあるわ」
と、どこか煮え切らない答えと表情だ。
「詳しくは……彼らの報告を聞いてからにするわ。千代? 外の様子を話してちょうだい」
「はい、ルーナ殿」
促された千代は短く首肯すると、報告を始める。
「まず、運動場から正門に至るまでの道程には、凡そ伏兵らしき者は見当たりません、エレン殿が《探知》の魔法による探索を行ったので間違いないでしょう」
千代が話しながら、エレンに視線を送る。
エレンもその視線を受けとめ頷く。
自分の怪我を応急処置してくれたことといい、エレンはどうやら支援系の魔法を得意としているようだ、とセイナは思った。
「それで、次に学園の外の様子ですが……驚くことに、正門の周り約百メートル程度には人は一人もいませんでした」
「一人も…いない?」
セイナは半ば信じられず、声を出した。
ここ南座学園は「公国・神威」の首都「宮代」の中心部に位置している。
そして、宮代といえば公国一の大都市だ。
多くの人間が住み、多くの人間が訪れる。
街の各所には鉄道が延び、馬車が走っている。
それが宮代という都市だ。
そんな宮代の中心部に誰も居ない。
その事実がセイナには信じられなかった。
――しかし。
「しかし、これは好機ではないでしょうか?」
「―――え?」
不意に千代が言うことに、セイナは思わず聞き返した。
「先程も言ったように、学園の周りには今は人は一人もいませんでした……おそらく、交通規制が敷かれこの学園の周りには人払いがなされているのだと思われます……つまり、伏兵も確実に居ないということです」
なるほど。
と、セイナは納得した。
学園が謎の武装集団に占拠されてから既に二時間ほどの時が過ぎている。
それだけの時間があれば、魔法協会の制圧部隊が動きだしてもおかしくない。
彼らの交通規制により、学園の周りに人払いがなされた。
そう考えれば、宮代のような大都市の中心部に人が居ないのも頷ける。
「姫様、確かに逃げるなら今が好機です!」
「ルーナ殿、どうなさいますか?」
セイナがルーナに逃亡を勧め、千代もルーナにその意思を尋ねる。
一秒にも満たない間に何かを考えた様子のルーナは一瞬だけ瞳を細めて尋ね返す。
「千代、もう一度確認させて? 学園の外には本当に“一人の人間”もいなかったのよね?」
「……? はい、そうですが?」
千代は訝しむようにしなからもルーナの問いに答える。
そして、ルーナはその答えを受け取ると、
「……そう、分かったわ、ありがとう……では――」
そう言って、指示を出す。
「この場に留まりましょう」
残留の指示を。
『――――え?』
思わず、その場にいたルーナ以外の四人は声を漏らした。
それぞれ細かい差異はあれど、一様に驚いていた。
次いで、千代が疑問を口にする。
「な、何故ですか? ルーナ殿? いったい、どんな理由で――」
「理由は簡単よ」
千代が質問を言い終わらないうちに、ルーナが説明を始める。
「千代? あなた言ったわね? 『外には一人の人間も居ない』と……」
責めるような口調ではなく。
まるで、丁寧に包みの結びを解くような口調で説く。
それに、千代も適切に応える。
「はい、そうです……ですが、それはおそらく魔法協会の制圧部隊による人払いで――」
「――では…その制圧部隊はどこにいるの?」
『―――――あ………』
……そうか…
そこで、千代、エレン、セイナ、アトラスの四人はルーナの言わんとしていることに思い至った。
「確かに……『学園を武装集団から解放するために周りの人間を避難させた』…というのは分かりやすくて、最も合理的な理由だわ」
各地域の治安維持も魔法協会の活動の一つ。
故に『魔導学園の占拠』などという大事件は可能な限り、被害を少なくしてより迅速に解決しなければならない。
「だけど、この場合はそれは当てはまらないわ、だって私たちの保護を目的にしているなら。生徒が助けを求めて学園から出てきたら、直ぐに助けられるように“学園の近く”に部隊を配置する筈だわ」
ルーナは冷静に淡々と語るが、その中には砂粒ほどではあるが、確かに警戒の思いがあった。
制圧部隊が学園の外に配置されていない、その“意味”に対する、警戒。
「……つまり、魔法協会の――正確に言うなら、その上層部には“生徒の保護”よりも“重要な目的”がある…ということよ……」
生徒を保護し被害を最小限に留める。
そんな目的ならば。
学園の内部を調べるために、部隊を広く展開させ、優秀な魔導士を動員する。
武装集団との交渉も必要になるだろう。
しかし、現状、そんなことはなされてはいない。
それは魔法協会――引いてはその上層部に別の“目的”があることを示していた。
「それは……武装集団の“殲滅”などでしょうか?」
エレンがおそるおそる聞いてくる。
随分と物騒な言葉が出てきたが――
「――それは違うわ」
と、ルーナは断ずる。
「…何故ですか?」
エレンは不安を押し殺しながら尋ねる。
「もし、仮にそんなことが目的なら部隊を配置しない意味は無いわ……寧ろ、その逆ね。大部隊を展開して、数にものをいわせて“皆殺し”……私たちごと…」
『――――ッ!?』
その場の四人が声を詰まらせ、息を呑む。
しかし、対照的にルーナは尚も冷静に言う。
「安心なさい、学園の外に部隊が一人もいないのならその心配は無いわ……」
ルーナの言葉に、四人は思わず肩を撫で下ろす。
だが、ルーナの心境は正反対だった。
実は、ルーナには魔法協会の“目的”に心当たりがあった。
人払いは行われた。
しかし、制圧部隊を展開していない。
つまり、その“目的”は一般人だけでなく、制圧部隊の者にも“知られてはならない”程のものなのだ。
そして、この学園には都合の良いことにそんな存在が三つある。
一つは、天道家の嫡男である、光一郎。
一つは、聖王国の第三王女である、自分。
一つは、魔王国の元王子である、レイド。
誰が狙われているかは分からない。
しかし。
……何か、まずいことが起きている…
なんとも嫌な核心を持って。
ルーナは未だ、学園の中に居た。
××× ××× ×××
三人の男が対峙している。
尤も、それは三つ巴の構造などではなく、紛れもない二対一。
しかし、戦力は圧倒的な“一”の有利。
故に、二人の男はその差を埋めるべく後退りをしながら小声で作戦を話していた。
それを見ながら、“一”――式島・進治は思う。
……全く…甘いですねぇ…
二人は全力で進治と相対している。
こちらから、目を逸らさず、構えも全く崩れない。
実際、進治以外の人間が見れば隙が全くないと思ったかもしれない。
だが、進治から見れば――まだまだ甘い。
進治にはレイドと違い〈魔導真眼〉何てものは無い。
しかし、進治にも見えるものはある。
それは、呼吸。
と、言っても、そのまま心肺機能のことを指しているのでは無い。
呼吸とは様々なもので表れる。
単純な息の吸引と排出。
筋肉や神経の動き。
視線の揺れる先。
それら、人の体のいわば“リズム”のことだ。
その呼吸を進治は長年の経験で見切れるようになった。
そして、呼吸を見切るということは。
相手の動きを見切るということだ。
息の吸引と排出は動くタイミングを。
筋肉や神経の動きは動く体の部位を。
視線の揺れは体の動く行き先を。
それぞれ、如実に教えてくれる。
故に、進治から見れば、二人はどこから仕掛けても簡単に崩せるような存在だった。
しかし。
進治は――攻撃する気にはならなかった。
……全く、甘いですねぇ…
それは二人にではなく、自分に対しての言葉だった。
今、自分のやるべきことは分かっている。
しかし、思わず期待してしまう。
光一郎が――如何にして自分を攻略してくるのか。
それが、楽しみなのだ。
……これが……親心というものなのでしょうか…?
深い感慨を抱きながら、しかし、そんなことはおくびにも出さず進治は光一郎達に視線を向ける。
すると、光一郎もその視線を受けとめ、鋭い眼光を向けてきた。
どうやら、作戦会議は終わったようだ。
「打ち合わせは終わりましたか?」
進治は確認のために声をかける。
すると。
「……なんだよ、俺たちの話が終わるのを待ってたのか? 随分と余裕じゃねぇか…?」
と、光一郎の不遜な物言いが帰ってきた。
それに、進治は。
「ええ――実際に余裕なので♪」
と、文字通り余裕綽々で答える。
『――――――ッ…………』
動揺を隠しきれないのか、息を呑む音が聴こえる。
進治の雰囲気に呑まれ、二人の体が一瞬だけ固まる。
明らかな、“隙”。
無論、それを進治は見逃さない。
……さあ、どうしますか?…
―――進治は動いた。
××× ××× ×××
レイドに“作戦”を伝え、光一郎は進治は見ていた。
真っ直ぐな廊下の、約五メートル先に進治は居
る。
……上手くいくだろうか…?
進治に対抗するための策としては、およそ最善手である。
その確信はある。
だが。
余裕綽々な進治を見ていると、濃密な不安が光一郎の心を覆っていく。
その進治がカツカツと歩き始めるのを、光一郎は見た。
魔法陣を展開する様子は無い。
……魔法を使わないつもりか…
思い、レイドに視線を送る。
すると、レイドは首を横にふる。
〈魔導真眼〉を有しているレイドは魔力の流れを読み、魔法の使用の有無が分かる。
そのレイドが魔法の使用を否定した。
つまり、進治は今、魔法に関しては完全な生身だ。
しかし、進治と光一郎達の距離が三メートルを切ったとき――
進治はその距離を跳躍により詰めてくる
「―――――!」
いきなりのことに驚く。
しかし、もちろん油断などしていない。
確実に、的確に、対処する。
そもそも、進治は魔法未使用。
対して、光一郎は『天体魔人』により身体能力の向上した状態。
レイドも進治が跳躍した瞬間に、『身体強化』の魔法陣を展開し、身体能力を上げている。
進治の攻撃を確実に回避し、反撃を行うことが出来る。
そう、確信した。
その瞬間。
進治が息もかかる距離に居た。
「―――――――――――ッッ!!?」
一瞬前まで。
空中にいた筈。
その男が今は光一郎に肉薄し――
「――――遅いですよ」
などと言ってくる。
「―――――光一郎ッ!」
レイドに名を呼ばれ、我に返る。
……とにかく――倒す…!
そこから、光一郎は半ば反射神経で動いた。
魔導兵器を持っている右手は“今は”使わない。
代わりに左手を、進治の顔面へと突き出す。
無論、容易く避けられる。
しかも、こちらの死角となるように光一郎の左側に。
なので、その左手を更に左に振り、再び神経の顔を狙う。
進治はこれを上体を反らすことで回避。
間髪いれずに、光一郎は右足で滑らせるような蹴りを入れる。
吸い込まれるのは、進治の両足。
勿論、骨を折るつもりの攻撃だ。
しかし、それすらも進治は見切る。
軽くジャンプすることで光一郎の右足は進治の足の下を通り抜ける。
改めて、尋常ではない。
魔法を一切使わない状態で。
身体能力の向上した相手と白兵戦をやってのける。
到底、光一郎にどうこうできるレベルではない。
――しかし。
今は光一郎の狙い通りだった。
光一郎は両足の位置を瞬時に変え、右手を後ろに引き絞る。
進治は今、空中に居る。
ジャンプしたから。
否、正確には光一郎によりジャンプ“させられた”。
誘導された。
そして、空中では回避は出来ない。
身体能力が違うので防御も不可能。
全力の攻撃を叩き込める。
銃を持ったままの右手。
一見すると殴りにくそうだが、銃の硬度と重量が加わり、高い威力を持つ。
その右手をただ全力で叩き込む。
狙うは進治の脇腹。
最初から殺す気はない。
戦闘不能にさせるため、肋骨の数本を貰う。
その覚悟で撃ち出した右手は――。
空振った。
「―――――え?」
……そん…な……馬鹿なッ!?…
あり得ない。
確かに、右手は進治に向かって真っ直ぐに進んでいた。
外れるなんてあり得ない。
しかし。
進治の体に。
銃の先端が触れた瞬間。
進治の体が回転した。
横に一回転し、光一郎の攻撃から外れた。
「―――隙あり」
その言葉にハッとすると、進治の左拳が飛んで来ていた。
……しまっ…
思うが遅く、光一郎の胸板に衝撃が走る。
だが、それは耐えられる筈だ。
進治の拳には『身体強化』は使われていない。
だから、身体能力が高い状態の光一郎ならば耐えられる。
―――――その筈だった。
「―――ガハッ―」
が、予想に反して光一郎の体は後ろに飛ばされる。
光一郎はぼろ雑巾のように廊下を転がり、滑り、やがて止まった。
驚くことに、約十メートルは飛んだ。
「――光一郎ッ!」
慌てたレイドが光一郎に駆け寄ろうとする。
――――が、しかし。
「敵から目を逸らしてはいけません」
進治が右手を――刀を振り上げる。
……クソッ…!
内心で悪態をつきながらも、レイドは進治の降り下ろした刀をギリギリのところで見切った。
半身を反らして、刀に空を斬らせる。
来るとわかっていたためか、先刻よりかは遅く感じた。
しかし、落ち着く暇もなく次の攻撃がきた。
進治が体を一回転させ、刀を横薙ぎに振るう。
遠心力も加わり、さっきより速い。
……でも…!
軌道が読めた。
このままなら、刀の刃はレイドの喉元を抉る。
故に、それを止めるためにレイドは右手に『防護障壁』を展開する。
ギリギリだが、自分の展開速度ならば間に合う。
その筈だった。
刀の刃が視界から消えるまでは。
……―――――ッ!?…
腕の軌道はそのままに。
手首の角度のみを変えた。
よって、刃の角度は下がる。
レイドの喉元を切断する筈の刃は、一転してレイドの両の太股を切り裂いた。
傷は深くない。
しかし、確かな痛みと出血により一瞬体勢が崩れ――
「――君も隙あり」
進治はそれを見逃さず。
刀を握ったままの右手でレイドの胸板を殴る。
「――――グッ!」
先の光一郎と同様に、飛ばされる。
……『身体強化』を使ってるのに…なんで…?
そんな考えは、廊下の床に激突した時に止まる。
「……れ、レイド…大丈夫か……?」
自分もあまり大丈夫では無さそうな光一郎が聞いてくる。
「……あぁ、まぁな。大丈夫だ」
レイドは半ば、意地と気合いで答える。
「……そりゃ、頼もしいな……」
レイドの言葉に信頼をおきながらも光一郎は思う。
だが――どうする?、と。
いったい、何故、負けた?
そんな疑問が光一郎とレイドの中に渦巻く。
魔法を使い迎撃の態勢は万全だった。
それなのに、魔法を使っていない者に負けた。
いったい、何故?
「今の攻防の中で、私は三つの“技”を使いました」
そんな二人の疑問に、まるで答えるかのように進治が語り始める。
「まず、君たちの目の前に一瞬で移動した技ですが……実際には、一瞬で移動なんかしていません。歩き方に緩急をつけることで敵に『素早く動いた』と“誤認”させる歩行術です」
「次に、光一郎くんの渾身の攻撃を空中で避けた技。これは体術の一種です。体の“芯”をずらして敵の攻撃の力を利用して回避する技です……これを応用すると敵の体の芯をずらして、少ない力で敵を飛ばしたり出来ます……君たちを殴り飛ばしたのはこの技ですね」
「最後は、レイドくんの両足を斬った技ですが……まぁ、これは単純な剣術ですね。強いて言えば敵が、攻撃を防ぐための対処を始めたところで刀の軌道を変える技……『後だしジャンケン』ならぬ…『後だし剣術』でしょうか? 尤も、ジャンケンと違い、負ければ死にますが」
まるで、授業でもするように進治は語る。
いや、実際、授業なのだろう。
進治にとっては、教えているのだ。
実力の差を。
「光一郎くん…レイドくん」
不意に、進治が二人の名を呼ぶ。
そして。
「もう、やめませんか?」
なんてことを宣う。
「な、何を――」
光一郎が進治に声を返すが、進治はそれを遮る。
「私はね? こんな意味の無いことはしたくありません」
呆れたような、疲れたような、そんな表情だ。
「光一郎くんのことは殴りたくありませんし……レイドくんを必要以上にいたぶりたいわけでもありません……」
それは光一郎には凡そ本心に見えた。
―――だが。
「ただ、私は――レイドくんに死んでほしいだけです」
それも本心であった。
……やっぱり、戦うしか……ない…!
光一郎はそう決意した。
――しかし。
どうする?
どうやったら勝てる?
作戦はある。
だが、本当にその作戦で勝てるのか?
進治がさっき語った技。
その存在を光一郎は知らなかった。
まだ、知らない技があるのでは?
このまま挑めば。
俺は敗け。
レイドは無惨に死ぬのでは?
そんな、暗くて、黒い不安感が光一郎を蝕む。
「――光一郎」
そんな光一郎の名を呼ぶ人間がいた。
レイドだ。
「な、なんだ?」
光一郎が聞くとレイドは静かに答える。
「作戦通り行こう」
「……え?」
心を読まれているかのような言葉に。
思わず、聞き返してしまった。
「で、でも…上手くいかねぇかもしれねぇんだぞ……?」
光一郎は、自らの不安をさらけ出すように話す。
「もし…上手くいかなかったらお前は――」
「大丈夫だ」
光一郎の言葉を制して、レイドは微笑む。
「きっと、上手くいくさ――俺はそう信じてる」
信じてる。
その言葉が光一郎の胸に刺さる。
不安が薄れ、安心感が増す。
二人ならば、という安心感が。
「――――よし、やるか」
レイドの笑いに応えるように、光一郎も笑う。
「おうっ!」
それを受け、更にレイドも笑う。
二人の男は、立ち上がる。
三人の男が対峙している。
「……どうやら、諦めてはくれないようですね……?」
『――あぁ!』
進治の問に、二人の声が重なる。
「それでは………」
表情から笑みを消し。
進治が刀を――抜く。
右手に持ったものとは、違う。
右腰に差した、もう一振りの刀を。
左手で抜く。
――――――二刀流。
「本気で行きます」
そう一言話した進治から。
目に見えない、圧力が増す。
淀んだ空気のように、重い。
だが、二人はそれに押されず立っていた。
「スウウゥゥゥゥゥッッ……」
その音が、息を吸っている音だと気づいたのは進治の構えを見てからだった。
二振りの刀を前で交差させた特殊な構え。
そのまま、ゆっくり歩き始める。
『―――――』
進治のその構えには威圧感がある。
押し潰されそうな威圧感が。
だが、ここで引き下がる訳にはいかない。
なんとか、この男を撃退するのだ。
コツ。
と、進治の靴底が廊下の床を叩く。
二歩。
三歩。
と、ゆっくりと、しかし確実に距離を縮めてくる。
四歩。
五歩。
六歩。
そして――
七歩目で――進治が駆けた。
『今だッ!』
光一郎とレイドは同時に声を挙げ、それぞれ別の方向に駆けた。
光一郎は前に、レイドは後ろに。
前方の光一郎と進治の距離は、既に五メートル程度。
その距離で、進治が跳んだ。
……来た…!
おそらく、例の誤認させる歩行術。
……なら、目で追っても意味はない…
そう、内心で断ずると、光一郎は跳躍中の進治に向かって『流星弾』を放つ。
ズドン。
と、銃口から眩い流れ星が飛び出す。
星は、空を切り裂きながら進む。
素早く動いたと誤認する歩行術。
しかし、歩いてくる軌道は変わらない。
ならば、その軌道を真っ直ぐに撃ち抜けば良い。
そして、実際、進治――否、進治が歩行術により作り出した幻影の進治は流星に撃ち抜かれ、霧散するように消える。
よって、その後ろにいた、本物の進治に流れ星が向かう。
「――――おや?」
進治は驚きながらも、そんな気の抜けた声を発する。
しかし、高速の魔弾を紙一重で避ける。
『流星弾』は進治の頬を掠めるも、
後ろに流れ、飛んでいく。
「―――驚きましたね」
音もなく着地した進治は、少し、笑っていた。
「まさか……君が、私に『流星弾』を使ってくるとは…」
その笑いは、心底楽しそうに歪んでいた。
「殺傷能力の高い魔法なのに……躊躇わずに使うとは」
「あぁ……だから、使うつもりは無かったんだ…」
『流星弾』及び『天体魔人』は光一郎が秘密としている魔法だが、無論、進治は知っている。
その殺傷能力も。
だが、光一郎はだからこそ、撃つことが出来た。
『流星弾』は高速、高威力の魔法だ。
しかし、異常な実力の持ち主である進治ならば回避や防御も可能。
魔法の事前情報があれば尚更だ。
だから――進治が死なないと確信して撃った。
――――しかし。
「光一郎くんも……人を撃つことの出来る人間になれたんですか…なんだか、嬉しいですね♪」
進治はそんな風には考えていない。
「ですが――解せませんね!」
進治は駆け込みながら問を発する。
「何故、君が前衛なんですか? 光一郎くんの魔法は実質『流星弾』だけでしょう?」
「―――ッ! だったら、なんだ!?」
進治が降り下ろす、二振りの刀を間一髪で避けながら、光一郎は言葉を返す。
その時、光一郎の右肩と左の手首に傷が生まれる。
「光一郎ッ!?」
後方からレイドが声を掛けてくるが。
「駄目だッ! 来るなッ!」
声を放って、レイドを制する。
「でも――」
「作戦通りにするんだろ!? 俺なら――大丈夫だ」
「……分かった」
光一郎の説得にレイドは納得し、地に手をつけ己の“やるべきこと”を始める。
……良し…!
そう、思った、直後。
「―――それが解せないんですよ」
進治の蹴りが、光一郎の腹に突き刺さる。
「―――グッッ」
身体能力を向上させた状態とは思えない、激痛が生まれる。
しかし、倒れる訳にはいかず、なんとか堪える。
「光一郎くん――何故、君が前衛なんですか?」
進治は笑いを称えたまま、疑問を口にする。
「君の『流星弾』は遠距離でこそ、真の力を発揮する魔法。ならば、君は後衛にまわり、私を『流星弾』で牽制するべきだ」
「あぁ…まぁ、そうだな」
光一郎は進治の言葉に同意を示す。
何故なら、それは間違いのない事実。
本気で進治を倒すことを目的にするなら。
光一郎が後衛、レイドが前衛。
もしくは、光一郎とレイドで遠距離からひたすら攻撃する。
それが、定石だ。
それ故の進治の疑問は、光一郎にも分かる。
――――だが。
「理由なんか――言うわけないだろ?」
と、不遜に誤魔化す。
だって、その理由こそが作戦の要なのだから。
「まぁ…別に…理由なんか、どうでも良いですね」
一転し、進治は戦闘状態に戻る。
「私の目的は――彼ですからね!」
進治が後ろのレイドに向かって走り出す。
「――おっと」
光一郎はその道を遮り、行く手を阻む。
レイドは今、戦闘を行える状況ではない。
だから、進治をレイドの元に行かせるわけにはいかない。
「行かせねぇぜ―進治さん」
「君に出来ますか? ……私を止めることが!」
二人は同時に動いた。
光一郎が『流星弾』を撃つ。
進治がそれを、ギリギリのところで避ける。
更に、進治はそのまま、光一郎の後ろに抜けようとする。
しかし、光一郎の鋭い蹴りが、行く手を阻む。
だが、当然、進治はその蹴りに当たりにいかない。
走行の方向を変え光一郎の左胸に刃を伸ばす
――
……や、殺られる…!?
完全に回避不能なタイミングの攻撃に、光一郎は覚悟した。
が、しかし。
「――――あ」
と。
短く呟き、進治の動きが停止する。
まるで、大事なことを思い出したように目を丸くしている。
刀も胸板の数ミリ前で静止する。
……今だッ!…
進治の不意な停止に光一郎は再度蹴りを放つ。
だが進治は、刹那の間に我に返り後方に跳躍し逃げ延びる。
着地した進治は――少し、不機嫌だった。
「―――そういうことですか」
……バレたか…
進治の短い言葉に、光一郎はそう判断した。
そして、その判断は間違っていない。
「“作戦”などと言うから、何かと思っていたら……なんのことは無い、ただの“囮”ではないですか」
進治の断ずる言葉に、光一郎は返す言葉を持たない。
「いったい後ろでレイドくんが、こそこそと何をしているのか分かりませんが……おそらく、時間のかかる魔法の準備をしているのでしょう? そして、その時間を稼ぐために、君が僕の足止めをしている……そういうことでしょう?」
……やはり、バレている…
進治の語る推測は、光一郎の建てた作戦そのものであった。
だが、作戦がバレるのも“作戦の内”だ。
最も重要なのは――ここからだ。
「しかし――作戦が分かっても解せませんね……嘗められている気分です」
「……なに?」
進治の不快を示す言葉に、光一郎は思わず聞き返した。
「囮作戦は構いません。レイドくんがどんな“攻撃魔法”を準備していても構いません。ただ――気にくわないのは一つ、君が囮をやっていることです」
そう語る進治の目は笑っていない。
「ど、どういう――」
「君が囮をしている理由は二つあります」
光一郎からの問を遮り、進治は切り出す。
「一つは、レイドくんにしか出来ないことがあるから。そのためには君が囮になるしかない」
「あ…あぁ、そうだな」
光一郎は進治の言葉に相槌ながら、密かに畏れを抱いていた。
「そして、二つ目……それは、私が君を殺せないこと」
進治の放った言葉は真実だ。
進治さんには光一郎は殺せない。
その確信があっただから、光一郎は囮を引き受け。
先の戦闘では実際に、進治は攻撃を躊躇った。
光一郎を確実に殺せる状況でありながら、殺せなかった。
そういう意味では、進治の言葉は事実であり、また光一郎の狙いも的中したわけではある。
しかし、誤算が一つ。
「まったく……私も嘗められたものですね」
進治が見たことの無い笑みを見せていた。
……まさか…
光一郎は自分の予想が外れることを祈りながら、進治に尋ねた。
「もしかして……怒れてんのか……?」
その問いに、進治は――
「私が? ハハ、まさか」
と、肝が凍りつくような、鋭い眼光で答えた。
激怒していた。
……まずい…
そう思い、一歩後ろにさがった。
その瞬間。
両足に、激痛が走った。
―――――ッ!?
両足を見る。
すると、そこには足一本につき、一振りの刀が刺さっていた。
そして、それは進治が突き刺したものだった。
「―――痛いですか?」
僅か数ミリ目の前で、進治が聞いてくる。
だが、光一郎の胸中にあるのはその問いへの答えなどではない。
……いったい、どうやって…
ついさっきまで、確かに距離をとっていた。
にもかかわらず、現在では目と鼻の先に進治はいる。
どうやって、こんな速度で?
光一郎は思う。
しかし、答えは得られず進治の言葉は続く。
「痛いでしょうね…でも、少しの間ですから我慢してください……殺しはしませんから」
そう言うと進治は、両手に握った刀を光一郎の両足に更に押し込んでくる。
「グぁ…アがァ――グッッ………」
血肉を抉り、冷たい金属が己の中に侵入してくる。
その激痛は――否、苦痛は、身体能力の上がった状態ですら、耐え難いものだった。
しかし、それでも刀は、まるで豆腐でも切るかのように光一郎の両足を貫き、突き刺さる。
それどころか、その先――廊下の床にすらその刃を裁てる。
「……なッ!?」
大理石で出来た床に鉄の刃が刺さるなど、あり得ない。
ということは、この刀は――
「『神楽』――この魔導兵器の銘です」
やはり、魔導兵器。
「使われている魔法は《鋭化》。切れ味が増すだけという単純な魔法ですが、その分威力は高い……量産型の魔導兵器です」
……クソッ!…
内心で悪態をつき、進治に銃を突き付ける。
この距離で『流星弾』が当たれば無事ではすまない。
出来れば、撃ちたくないが、そんなことを言う余裕はない。
覚悟を決めて、引き金を引く。
その刹那。
刀を離した進治の両手が、光一郎の両肩を強かに打ち付けた。
……痛てぇ――だが…!
耐えられる。
そう思った、次の瞬間。
両手から力が抜けた。
「――――え?」
力なく垂れるだけの自分の両腕を見て、光一郎は遅れて驚く。
……な、なにを…
この問の答えはすぐに返ってきた。
「さっきの“体の芯をずらす体術”の応用です――これで、五分は力が入らないでしょう」
進治はそう言うと、光一郎の後ろに向かって歩き出す。
魔法の準備をしている、レイドへと。
「――――ッ、ま、待てッ!」
光一郎は声を挙げ、進治を追おうと体を動かす。
しかし、両足を地面に縫いつけられ、追うことが出来ない。
「ッ、クソッ! クソッ!…クソォッ!」
それでもなお、悪態を撒き散らしながら無様に体を振る。
その時同時に両足から鮮血も飛び散る。
「光一郎くん、大人しくしてください。出血多量で死んでしまいます…何で、そんなに頑張るんですか?」
呆れたように進治が言う。
しかし、それに従うことは出来ない。
「うるせぇッ! あんたに――レイドを殺させないために決まってんだろ!?」
痛みに耐え、光一郎は声の限り訴えた。
しかし。
「――では、レイドくんにはさっさと死んでもらって君が頑張る理由を無くしてしまいましょうか」
進治は無情にも、レイドに殺意を向ける。
「ま、待て―――」
光一郎が再度静止を促そうとした。
その時。
「助けてくれッ! エレンッ! ルーナッ! 千代ッ! 俺と光一郎は今、本校舎東棟の四階にいる! 敵に襲われてる! 助けてくれッ!!」
突如、レイドが大声で叫び始めた。
それを聴いた進治は思わず。
「―――――――――――は?」
きょとんとして、呟いた。
だって、レイドはそれを。
地面に膝まずき。
地面に手をつけたまま。
地面に向かって言い放ったのだ。
当然、その声は誰にも届かない。
「なに、してるん……ですか?」
進治は思わず聞いてしまった。
しかし。
「フッ――言わないさ」
と、レイドは立ち上がりながら、清々しい顔で笑う。
その表情に。
進治は目を見開き、気を引き締める。
「君……何かしましたね?」
進治はレイドに鋭い眼光を向けながら尋ねた。
それに、レイドは――
「だから、言わないって」
と、再び勝ち気な表情で言う。
進治はその表情を見たことがあった。
それはレイドの表情という意味ではない。
進治は今までの人生の中で。
今までの戦場の中で。
戦いの中で。
その表情を見てきた。
その表情は。
すべてを見通したような表情は――
勝利を確信したときの表情だ。
進治が倒した敵。
共に戦った仲間。
いずれにしても、その表情をした人間は危険。
進治は長年の経験でそれを理解していた。
故に、気を引き締めた。
……速攻で決めます…
そう内心で呟いた進治は、光一郎の両足に残してきた刀『神楽』の代わりに両腰の鞘を刀に見立て、二刀流の構えをとる。
それに応じて、レイドも構える。
右手を前に突きだし、左手を後ろに引き、両足も同様にした構えだ。
おそらく、魔王国の格闘術だろう。
大戦の頃に同じような構えを見た気がする。
さすがに、どう攻略したかまでは覚えていない。
そもそも、そこまでの強敵ではなかった。
しかし、否、だからこそ。
目の前のレイドに油断するわけにはいかない。
そう心に思った、約一秒後。
レイドの呼吸が――僅かに乱れた。
……好機…!
と、見るやいなや、進治は駆ける。
進治の全力の“歩行”は約二歩でレイドとの距離を殺す。
白兵戦の距離に近づかれた、瞬時にそう判断したレイドは『防護障壁』を展開しようとする。
だが、速度で進治は完璧に勝っていた。
迷いも躊躇いなく、凶器とかした鞘を振り上げ。
レイドの頸に降り下ろ――
「レイド! 伏せなさい!」
レイドの後方から声がした。
進治にとっては前方。
よって、前を見やると。
一発の光の弾が飛んできた。
……しまっ…!
光の弾に対応すべく、振り下ろしかけていた鞘を光の弾に投げつける。
ほとんど、目の前に近づいていた光の弾と鞘がぶつかり呆気なく鞘は破壊される。
しかし、光弾の勢いは止まらない。
「―――――ッ!」
まっすぐに、自分に迫る光。
進治はもう一本の鞘を自分の体と光の弾の間に滑り込ませ、なんとか防御する。
だが、更にミシミシッという音を発てて鞘は砕けていく。
……ダメですね…
二本目の鞘も諦めて、鞘を手離し体を横にスライドさせ光弾を回避する。
……これで…!
そう思ったのもつかの間。
更に前方から複数の物体が飛来する。
一つは先刻と同じ光弾。
一つは正反対の黒く丸い煙の塊。
一つは――なんと人だ。
まず、煙の塊が地面に落ち、そのまま煙幕のように辺りに拡散する。
……目眩ましですか…
しかし、進治に目眩ましは通じない。
確かに、近くにいるはずのレイドの姿すら見えない。
だが、進治は目を閉じ飛来する物体の“気配”のみに集中する。
――だが、しかし。
……おや?…
感じ取れたのは光弾の気配のみ。
仕方なく、光弾のみに集中し光弾を避ける。
体を横に逸らしただけで光弾は進治の後ろに通り抜けていった。
……これは――いったい?…
もう一つ、否、もう一人の人間は?
その疑問が生まれた瞬間にそれはきた。
刀だ。
進治の斜め後ろから、突如人間が刀で襲い来る。
ギリギリで殺気に気付き、身を屈めることで回避する。
初太刀を回避されたと判断した強襲者は、その後、光弾が飛んできた方向へと走って去ってしまう。
しかし、そこで更に進治に疑問が二つ浮かぶ。
今の剣撃に心当たりがある。
見覚えがあるのだ。
そして、それとは別にその強襲者が何かを担いでいたような――
「――まさか」
進治が“担がれいたモノ”の見当がつくのと同時に。
前方から風が吹く。
おそらく、風属性の魔法であろうが、殺傷を目的としたものではない。
辺りの煙を晴らすためのものだ。
しばらくして、視界が開ける。
「おやおや……これはこれは………」
進治は目の前の光景に半ば言葉を失った。
そこには、“五人”の人間がいた。
二人は光一郎とレイド。
問題は残りの三人。
一人は、茶髪。
右手に刀、そして左肩に光一郎を携えた、千代。
一人は、亜麻色の髪に知的な印象を受ける。
レイドの体を支える、エレン。
一人は、金髪と超然たる威風をもつ。
冷たくこちらを警戒するルーナ。
紛れもなく。
光一郎とレイドのための“救援”だった。
……どうして、此処に…?
内心で疑問に思いつつも、理由は分かっている。
さっきのレイドの叫び。
あれが、救援要請として、彼女たちに届いたのだ。
だが、どうやって?
「知りたいか?」
光一郎の声だった。
満身創痍で無様にも同年代の少女に担がれ、しかし、勝ち誇った顔を浮かべた光一郎だった。
「光一郎殿? 立てますか?」
「……痛ぅ、あぁ、なんとかな……」
千代に地面に降ろしてもらい、ヨロヨロになりながらも、なんとか立つ。
「…教えてもらえますか?」
そんな光一郎に、進治は教えを求める。
すると光一郎は。
「――《拡声》だよ」
と、簡潔に答える。
「………はい?」
意味がわからず、進治は尋ね返す。
「安心しろよ、進治さん。ちゃんと順をおって説明する」
そう言うと、光一郎はレイドを示す。
「まず、第一に俺とこいつの作戦は、そもそもあんたを倒すことではなく…“助けを呼ぶ”ことだった」
そこは分かっている。
問題はそれ以外だ。
「つまり、俺が囮をしている間に、レイドが準備していたのは攻撃魔法ではなく救援を呼ぶための“仕掛け”だよ」
「仕掛けとは……何ですか?」
「それが、《拡声》だ」
「それは魔法の《拡声》ということですか?」
「あぁ、もちろん」
と、光一郎はさも当然のように答える。
しかし。
「いや、それは……不可能でしょう?」
「なんで?」
「拡声で大きくしたところで、声の届く範囲はしれています、どこに居るかも定かではない人達に救援要請を届かせるなんて不可能です」
進治の言葉は――正しい。
《拡声》は声を大きくする魔法だが、その声は通常よりも多少大きくなるだけだ。
学園の敷地全てに音を届かせることなど不可能だ。
「確かにな…」
と、光一郎も認める。
だが。
「だが、学園内なら可能だ」
次の瞬間、意見をひっくり返す。
「……どう言うことですか?」
「この学園には《拡声》の音を全ての場所に届ける為に学園の各所に“回路”が張り巡らされている」
それは、今から約二時間程前。
この学園を占拠した武装集団も使っていた“放送回路“。
確かに、それを使えば学園の敷地内にいる限り声を届けられる。
「しかし――やはり、不可能だ」
と、進治は断ずる。
「何故?」
逆に光一郎が尋ねる。
「確かに、回路は学園の各所に張り巡らされている……しかし、それは音を“発する”ことは出来ても音を“流す”ことは出来ない…それができるのは教室の中の回路だけだ」
再度、進治は真実を口にした。
学園の各所に張り巡らされている回路は校舎の壁や地面に埋められており、使えず、その姿を見ることも出来ない。
その姿を見ることが出来るのは、各教室に備え付けられた『音を流す専用の回路』のみ。
つまり、教室のなかに入らない限り回路は使用できないのだ。
「ですが、レイドくんは戦闘の間教室には入っていません、ですから―不可能です」
きっぱりと言い切る進治に、しかし。
「いや、可能だ――レイドならな」
と、言い返す。
「確かに、回路は教室の中にあるものしか使えない――だが、それは回路がどこにあるのか把握できないからだ」
教室にある回路は姿が見えるようにしてあるから使える。
逆に言えば、壁や地面に埋められている回路もそこにあることを的確に把握できれば使える。
「そして、レイドならば床や壁に埋まっている回路も〈魔導真眼〉で視ることが出来る」
「―――――なるほど」
そして、回路を見つけたレイドはエレンや千代たちに自分たちの状況を伝えた。
エレンや千代の場所は《探知》でも使えば直ぐに分かる。
後は、救援が来る前に殺されないようにするだけ。
「―――で? どうする? 進治さん?」
光一郎は既に答えを知っているがあえて聞く、という風体で尋ねる。
「まだ――レイドを殺すの止めるよな?」
その問に進治は直ぐには答えず、数歩さがり―
「いやだと、言ったら?」
刀を拾う。
瞬間に光一郎以外の全員が戦闘態勢に移る。
しかし。
「――止めろよ」
光一郎は進治に語った。
「いくら進治さんでも、この状況じゃ勝てない…だから……止めてくれよ」
その光一郎の言葉には思いやりが感じられた。
つまり――。
現在の状況は光一郎の狙い通りなのだ。
光一郎はレイドを殺させるつもりも、進治を殺すつもりもなかった。
そのためには、進治を殺さずに戦いをやめさせる必要があった。
そのために、光一郎は自分が囮になり時間を稼ぎ、仲間を呼んだ。
その時、進治は思った。
自分は光一郎を殺すつもりは無かったが、本当に相手を殺すつもりが無かったのはどちらなのだろう。
と。
……全く、今回は私の…
「……完敗ですね」
「進治さん……」
進治の言葉を聞いた光一郎は、ほっと胸を撫で下ろした。
「それでは、私は敗者らしく、とく立ち去ります……もう少ししたら、正式な救助部隊が来るので、それまでは君たちで頑張って下さい」
進治は光一郎たちの間を通り抜けながら、そんなことを言って立ち去ろうとする。
しかし、「あ、そうだった」と呟くと進治はレイドに振り向く。
そして。
「レイドくん……君にとある人から伝言です、シャルテリーゼ彼女は――生きている、と」
……シャルテリーゼ?…
エレンとレイド以外の皆が疑問符を浮かべる。
「おい……レイド、それって―――」
誰なんだ?
という言葉は続かない。
何故なら、レイドの表情が今までに無いほどに、白く蒼い。
そして、
「……しゃ、シャルが……い、生きてる…………?」
と、か細い声で尋ねる。
しかし。
「これ以上は私からは言えません」
と、言うと進治は静かに階段を降りていった。
こうして、魔王の息子と英雄の息子の共同作戦は終わった。
謎を残して。
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