黒髪赤目
光一郎は動けなかった。
無論、体が拘束されているわけでは無い。
理由は一つ。
目の前に立つ大鎌を持った灰色の髪の少女だ。
彼女の放つ殺気に、身動きがとれずにいた。
「お前は……何者だ?」
絞り出すように質問する。
その質問の意味は単純だ。
この少女は強い。
彼女の纏う殺気が教えてくれる。
危険だと。
おそらく、光一郎より遥かに強い。
しかし、彼女はロドリゲスを殺した。
おそらく、口封じのために。
だが、彼女の実力ならば救出することも可能だった筈だ。
おそらく。
彼女はミリタリー服の連中の仲間では無いのだ。
先の会話でもそのような内容のことを話していた。
だから、光一郎は少女の正体は探った。
すると。
「あら、まだ名乗っておりませんでしたか? それは失礼を。私は“八条・七花”と申します、以後お見知り置きを」
と、驚くほど呆気なく答える。
それも笑顔で。
……な、なんだ、この女?…
少女の答えは光一郎の期待したものでは無かった。
だが、偽名だとしても、いきなり名を名乗るなど全くの予想外だ。
光一郎は、微笑みながら殺気を滲ませる少女―八条・七花に戦慄した。
「あらあら、そんなに怖がらないで下さいな…とって食べたりなどしませんわ…天道・光一郎様」
「――ッ!?」
光一郎は驚愕した。
名前を知られていたことに、ではない。
光一郎の白い髪と青い瞳を見れば。
光一郎が天道家の嫡男“天道・光一郎”であることは直ぐに分かる。
光一郎が驚愕したのは。
読まれたこと。
心の隅の恐怖を。
的確に読まれたこと。
光一郎は確信した。
この七花という少女は慣れている。
戦いに。
殺し合いに。
殺人に。
なんとかしなければ。
まともに戦っては駄目だ。
選べる選択肢は一つ。
逃げだ。
『天体魔人』が時間切れになる前に。
――逃げ切る。
光一郎は刹那的に状況を分析する。
七花と光一郎の距離。
約二メートル。
相手の得物の届く距離。
しかし、光一郎の『流星弾』を回避することも出来ない。
『流星弾』。
『天体魔人』を発動している間にしか放つことの出来ない、魔法。
しかし、その威力は絶大だ。
ありとあらゆる防御を貫く。
超高速の魔弾。
まさに、流星。
この弾丸を使える間であれば、光一郎が負けることはまず無い。
だからこそ、急いで逃げなければ。
『天体魔人』が時間切れになる前に。
光一郎の右には扉がある。
教室に入るためのドア。
つまり、教室の入り口。
そして、その教室の中に入りまっすぐ行けば。
窓がある。
そこから飛び降りれば直ぐに“庭園”に着く。
無論、飛び降りる際にかなりの衝撃を味わうことだろう。
だが、『天体魔人』により身体能力を《強化》されている光一郎ならば耐えられる。
庭園まで逃げれば、ルーナ達と合流出来る。
その考えに至った、光一郎は。
動いた。
「――――流星弾ォ!」
光一郎は右に大きく跳躍しながら、銃の引き金を引く。
照準は狂うこと無く七花を捉える。
しかし、これで仕留めるつもりは無い。
……一瞬で良い!…
一瞬で良いから、彼女の意識を防御に回す。
『流星弾』は超高速。
故に、不可避。
故に、防御不能。
おそらく、彼女の四肢のいずれかを吹き飛ばす。
だが、それで勝てるとも、思えない。
手練れた戦士は肉体的な痛みなど無視する。
片手や片足など棄て、敵の命を取りに来る。
しかし、一瞬でも隙は出来る筈。
だから、その間に教室の窓から飛び降りる。
―――その、つもりだった。
「いきなり、撃たないで下さいなぁ~」
七花が灰色の大鎌を前に出す。
大鎌の巨大な刃が『流星弾』とぶつかる。
しかし、衝突の衝撃は無い。
大鎌は破壊されていない。
確かに、『流星弾』は真っ直ぐに進んだ。
そして、その進行上に大鎌が在った。
しかし、『流星弾』が大鎌に衝突するその直前。
大鎌が薄く発光し。
その刃に『流星弾』が触れた瞬間。
『流星弾』が消滅した。
「―――――――え」
光一郎は思わず声を挙げた。
何が起きたか分からない。
しかし。
明らかに“相殺”されたのでは、無い。
まるで。
魔法そのものが“無効化”されたようだった。
「―――よっと」
そんなテキトーな掛け声で。
七花が大鎌を振るう。
――光一郎の背中に。
「――グッ!?」
背中に鈍い痛みが走る。
しかし“切断られた”訳では無い。
光一郎の背を強打したのは、刃の部分ではない。
切断能力の無い“尻”といわれる部位だ。
しかし、それでも凄まじい痛みだ
光一郎は背中を押された形になり、扉を破り教室の中に突入する。
教室の中の机や椅子にぶつかり、様々な音を発てる。
……く、糞が…
内心で悪態を吐く。
まるで、予想外だ。
『流星弾』が“無効化”されたことではない。
確かに、それも驚愕に値する。
だが、それ以上に――。
……『流星弾』に反応出来るのか…!?
『流星弾』は超高速。
しかし、その超高速に七花は反応した。
間違い無く『身体強化』を使っている。
しかも、筋力だけでなく視力まで《強化》しているのだろう。
だが、それでも、的確に大鎌の刃を『流星弾』に応せるのは異常と言わざるを得ない。
実力が――違う。
だが。
教室の中に入ることには成功した。
……今のうちに…!
窓から逃げる。
そのために立とうとした。
しかし。
「――――あ、痛ぅッ!?」
腹が痛い。
疑問に思い、痛む場所を見る。
そこには先刻ロドリゲスに負わされた刺し傷がある。
否、高熱で焼かれたため、火傷と言った方が正しいかもしれない。
しかし、そのおかげで出血も少ない。
かといって軽傷ではない、実際に今も強烈な痛みと疼きを主張している。
だが。
その痛みは、今は和らいでいる筈だ。
『天体魔人』は身体能力を《強化》する。
あらゆる器官を、強く、強固に、頑強にする。
故に、『天体魔人』発動中は痛みも和らぐ。
しかし、今、腹で蠢く熱と痛みは。
明らかに和らいでなどいない。
「……ッ! …な、なんで……」
言って、気付く。
『天体魔人』が解除されていることに。
手に力を入れるが、その腕力は光一郎本来の力。
《強化》された今までの力とは違う。
……もう、時間切れ…なのか?…
思うが違う。
まだ、余裕はあった筈だ。
そこで、思い出す。
『流星弾』が無効化されたことを。
――まさか。
さっき大鎌で背中を打たれた際。
……天体魔人も“無効化”されたのか…!?
光一郎は先刻よりも速く―速く速く、頭を回した。
身体能力が《強化》されていない以上、窓から飛び降りることは出来ない。
それどころか、今は満足に動くことすらままならない。
……考えろ、考えろ考えろ考えろ! この状況をなんとか…
打開する。
そのために、考えろ。
なんでもいい、なにか作戦を――。
「思い付きました?」
目の前に―光一郎を見下ろすようにして。
七花が立っていた。
「…く……ッ…そ……!」
上にある彼女の顔を見るために顔を上げる。
すると。
「………あら?」
と、一言。
次いで。
「あらあら、これは…どういうことですの…?」
と、何やら驚いたように光一郎を―。
光一郎の顔を見ている。
……なんだ?…
一体、彼女は何を驚いている。
そう思った。
その時。
「―――光一郎ッ!!!」
さっきまで、光一郎たちがいた廊下側から一人の青年が窓を破り教室に“侵入”。
否“突入”してきた。
その青年は――。
「――!? レイド!?」
今は亡き魔王国の。
王子であった。
「光一郎から離れろ!」
レイドは突入の際に割れた窓ガラスを撒き散らしながら、『防護障壁』を展開し、七花へと突撃する。
その動きの速度は『天体魔人』を使った際の光一郎と同等。
明らかに『身体強化』を使っていた。
……同時に二つの魔法を…!?
それを見て、光一郎は驚きながらも理解する。
レイドには魔導の才覚がある、と。
「―――チッ……」
七花はその突撃に舌打ちをし。
忌々しげに後方へ退がる。
およそ、三メートル程の距離をとり。
七花とレイドが対峙する。
「レイド…お、お前、なんで―」
光一郎がレイドの背中に語りかける。
しかし、レイドはそれを遮り、怒鳴る。
「うるさい! お前の方こそなんで――」
ちょうど、レイドが首を後ろに回し光一郎の顔を確認した。
その瞬間。
停まる。
言葉が、ではない。
レイドの時間が、停まった。
驚愕、故に。
目を見開き、息を呑む。
「……お、お前……光一郎…なのか…………?」
「…………はぁ?」
レイドの言葉の意味が解らず、光一郎は聞き返した。
「おい、レイド…お前、一体何を――」
続く言葉は無かった。
何故なら、見てしまった。
床に散らばるガラス。
この教室に突入した際にレイドが撒き散らしたものだ。
その中の、一際大きい破片。
それに、写る。
黒髪、赤目の青年を。
「―――――――――」
それは間違い無く。
光一郎だった。
天道・光一郎だった。
しかし。
髪は黒。
それも、レイドのような漆黒ではない。
炭だ。
どこにでも、転がっていそうな、炭。
瞳も赤。
これも、鮮やかな赤とはほど遠い。
鮮血とはほど遠い。
毒に侵された血のようにどす黒い。
当然。
白い髪も。
青い瞳も。
――無い。
天道家の証たる色は無い。
光一郎“自身”の色が有る。
そして“それ”は――。
“それ”こそが――。
光一郎の“絶対に隠さなければならない”。
秘密だった。
「あなた…天道家の血筋ではありませんの?」
七花が不思議そうに問い。
光一郎の秘密を暴きたてる。
「これは、驚きですわ。まさか、あの天道・光一郎が天道家の血を引いていないとは……」
……クソ…
これだけは。
この秘密だけは、守らねばならなかった。
誰にも知られてはいけなかった。
だが、知られてしまった。
……終わり、だな…
これで光一郎の人生は終わった。
“天道光一郎”は今、死んだ。
光一郎は天道家の嫡男として、努力してきた。
幼少の頃より、あらゆるものを学んだ。
魔導学、政治学、経済学、文化学、軍事学。
社交界での評価を上げるために、“もう一つの性格”まで作った。
進治の力を借りて、魔法協会“魔導制圧部隊・副隊長”という肩書きまで手に入れた。
全ては――。
天道桃花への恩返しのため。
十年前のあの日。
燃える戦場で。
数多の人間が死に逝く中で。
自分を見つけてくれた。
一人の子供を拾い、育ててくれた。
そして、血の赤と死の黒にまみれた自分に。
優しさの白と揺るがぬ青をくれた。
天道家の証である色を。
だから、恩返しをしたかった。
―天道家の優秀な長男になることで。
そのために、生きてきた。
だが、もう終わった。
魔王を倒した天道・桃花の実の息子。
誰もがそう思い、信じたからこそ光一郎は今の地位を得ることが出来た。
だが、知られた。
光一郎が桃花の血を引いていないことを。
……俺は――もう、死…
光一郎が喪失感と虚脱感に苛まれ。
俯いていると。
「光一郎……顔を上げろ」
「……………え」
レイドが光一郎の腕を掴んだ。
そして、無理に立たせる。
「な、なんだよ……」
光一郎は、こちらを真っ直ぐに見据えるレイドの瞳を直視できなかった。
本物の――魔王の血を引いた瞳が。
眩しい。
偽物の自分とは、違うから。
「光一郎…」
レイドが光一郎の両腕掴む。
一体何を?
そんな荒んだ光一郎に。
「お前は……お前だ」
レイドは静かに言葉かける。
「………え?」
光一郎は思わず目を合わせた。
そのレイドの瞳は。
やはり、眩しい。
だが、同時に。
優しさに溢れている。
揺るぎ無い意志に満ちている。
……………あ…
やはり、俺はこの目をどこかで―。
「光一郎…お前が…天道家の人間かどうかなんて、俺にはどうでもいい!」
レイドの手に力が入る。
その力が光一郎の腕に伝わる。
その想いが、光一郎に伝わる。
「お前を待ってる奴がたくさんいる……セイナも、千代も、麻里も、ルーナも。みんなお前に生きて欲しいんだ」
レイドの声には重みがある。
想いの強さの分だけ、重くなる。
そして、その想いは。
光一郎の胸の奥の方に。
確かに、響いた。
「みんな、お前が天道家の長男だから好きなんじゃない! お前が、お前だから好きなんだ!」
しかし。
光一郎はその言葉に俯いてしまう。
――だって。
「俺はお前に生きて欲しい……でも、それはお前が天道家の長男だからじゃない! お前が……俺の友達だからだ!」
「うるさい」
光一郎はレイドの手を払いのけ。
一言、口にした。
――だって。
「恥いこと言ってんじゃねぇよ…」
恥ずかしすぎて、笑いが吹き出す。
それに、レイドも。
「――ハッ。悪かったな…でも、何だよその話し方? それが素か?」
なんて言って、笑う。
ひとしきり、笑い合う。
――その時。
「いつまで待てばよろしいので?」
八条・七花の声がした。
その声にレイドは臨戦態勢をとり。
光一郎は腹を庇いながら腰を低くする。
少女は大鎌を構え、続ける。
「敵を前にして、よくそんなお喋りが出来ますわね」
言葉の内容に反して、その表情や口調に怒りや憤りは無い。
揺さぶりをかけている。
しかし、レイドは。
「まぁな」
まるで、焦りなど無く言う。
「お前のその大鎌…魔導兵器だな」
「ふふ、そんな子供でも分かることを言ったところで…なんの自慢にもなりませんわよ?」
レイドの発言に、しかし七花は悠然と言い返す。
そして、それは事実だ。
七花の構えた大鎌が魔導兵器であることは、光一郎でも分かった。
問題はその後。
一体どんな魔法が使えるのか。
攻撃型なのか、防御型なのか。
範囲はどれ程なのか、威力はどれ程なのか。
その魔法の具体的な情報と。
その魔法の攻略法が無ければ。
意味は無い。
しかし。
「その大鎌の魔法は――《封印》だ」
『―――え?』
レイドがあっさりと発した情報に。
光一郎と七花の声が重なる。
だが、レイドの説明は続く。
「《封印》は魔法に対して、その能力を発揮する珍しいタイプの魔法だ。能力は単純、“他の魔法の発動を阻害する”。早い話が魔法を“無効化”する魔法だ」
レイドは七花の持つ大鎌を指差し。
続ける。
「しかし《封印》は強力な魔法だが、その能力故に“複合”が出来ない」
何故なら《封印》は他の魔法を無効化する。
《烈風》や《火炎》といった属性の素となる魔法に《射出》等の指向性を持たせる副魔法を複合した場合。
風や炎が射ち出される。
しかし《封印》は別だ。
他の魔法を無効化する。
つまり、仮に《射出》を複合しても。
その《射出》自体を無効化してしまう。
つまり――。
「つまり《封印》は範囲が狭い…というか、その刃を直接触れさせなければ魔法を“無効化”出来ない……違うか?」
…レイドの推測に七花は――。
笑う。
「ふふふ、その通りですわ~。この『灰封の邪鎌』の『魔封印』は、魔法陣そのものか、魔法の対象となっているモノに刃を触れさせることで魔法を無効化いたしますの」
彼女は楽しげに、自らの魔導兵器の魔法について語る。
それに光一郎はなるほどと遅れて、納得した。
何故、光一郎の髪と瞳の色が変化―否、元に戻ったのか。
その理由が分かった。
光一郎の髪と瞳は元々は黒と赤。
それに、桃花が《変色》の魔法をかけ、白と青にしていた。
一週間前に、麻里と初めて話した際に光一郎は《変色》は使っていないと答えた。
もちろん、嘘だ。
そんなことを、馬鹿正直に答えては光一郎と桃花に血の繋がりが無いのがバレてしまう。
しかし、その《変色》も。
先刻、背中に灰色の大鎌―『灰封の邪鎌』の『魔封印』が当たった際に『天体魔人』と共に無効化されてしまった。
「さらに、お話しするのでしたら、私が一度《封印》した魔法は私が解除しない限り、半永久的に封印されたままですわ」
一体何を考えているのか。
心底楽しげに自らの秘密を語る。
しかし、それが本当なら。
光一郎は二度と『天体魔人』を使えない。
「それは…余裕のつもりか?」
レイドの訝しむような問に。
七花はやはり微笑みながら答える。
「まさか……ただ、〈魔導真眼〉を持つ方の前で隠し事なんて無駄ですもの」
「ま、魔導真眼……!?」
光一郎は思わず声を挙げ、驚いた。
〈魔導真眼〉。
あらゆる魔法の正体を暴き。
あらゆる魔力の流れを繙く。
何百万分の一で発現する、奇跡の魔眼。
真の天才にのみ許された魔導の才能。
それを、レイドが持っている。
その事実に光一郎は驚きを隠せなかった。
「ご託は良い。それより、どうするんだ?」
レイドは七花に問う。
「お前の目的は何だ? ミリタリー服の連中、とは違うんだろ?」
レイドのその推測には光一郎も同意見だった。
しかし。
「あら? どうして、そう思いますの?」
とぼけるように聞く。
それにレイドは冷静に答える。
「理由は幾つかある、服装の違いや戦闘能力の違い。だが、確信を持った理由は…一つ」
そこで区切りレイドは自分の目を指差す。
「それは〈魔導真眼〉。お前は俺に、これが有ることを知っていた、だが、あのハンスという男は〈魔導真眼〉の存在そのものを知らなかった」
ハンスという男とレイドがどういうやり取りをしたのか、光一郎は知らない。
だが、レイドの言葉。
それに宿る説得力は。
とても強く、揺るぎ無いものだった。
「組織や軍に於いて下の者に情報が開示されないことは度々ある、だがその逆はあり得ない。つまりお前はハンスの部下ではないということだ、しかし、リーダーは間違いなくハンスだ」
ならば。
「お前はハンスの部下でも上官でも無い……つまり他の組織の協力者だ」
さらに、レイドは捲し立てる。
「ついでに言うと、俺とハンスが学園長室の中で“話し合い”をしている間に《防音》と《隠蔽》の魔法を使って俺達を意図的に“隔離”した奴がいる…だが、ハンスやハンスの部下にはそんなことをする理由が無い……何より〈魔導真眼〉を以てしても気付くのに数秒を要した…あれほど、精密な《隠蔽》は……お前にしか使えないだろう」
レイドの推測は憶測の域をでない。
しかし、辻褄はあっていた。
更に。
「まぁ……大体はその通りですわ」
七花には焦った様子など微塵もなかった。
自分の情報をここまで暴かれたのに、なんだ?
この余裕は。
光一郎とレイドは何か目の前の少女から危険な雰囲気を感じとっていた。
しかし、その雰囲気は驚くべき形で裏切られる。
「それでは、私はこれで失礼致しますわ」
『―――!?』
光一郎とレイドは驚きのあまり絶句した。
七花がこちらに背を向けて歩き出したのだ。
「……お、おい!?」
光一郎は思わず、声を挙げ、呼び止めた。
それに。
「はい?」
なんて言いながら、七花は灰色のツーサイドアップを揺らし、振り向く。
「も、目的は? 果たさないのか?」
そんな問いに馬鹿正直に答える筈も無い。
しかし、光一郎は聞かずにはいられなかった。
すると。
「いえ、もはや“我々”の目的は達成されていますわ」
と、又しても。
七花はあっさりと答える。
「確かに、私個人としてはもう少し“遊び”たいのですが……このままでは、恐い“鬼”が来てしまうので、そろそろ失礼致しますわ」
「お、オニ?」
「“オニ”? おい……それって、まさか――」
キョトンとするレイドとは対照的に。
光一郎は尚も食い下がる。
七花の言う“鬼”に心当たりがあるからだ。
しかし。
「あ、そうそう。今はあなたの魔法は『魔封印』で封じておりますが私の魔力が底を突けば勝手に解除されるので、ご安心を――それでは、ごきげんよう」
光一郎にそう言い。
七花は教室から出て、廊下を風のように駆けていった。
「追わなくて良かったのか?」
暫くして、光一郎はレイドに聞いた。
すると。
「ん? あぁ、まぁ大丈夫だろ、あの物言いからすると、他の生徒達に手を出したりはしない筈だ」
そう言って、レイドは右手を開いてその手を眺める。
「それに……“確実に勝てる”とは思えなかったからな…」
「そうか…」
〈魔導真眼〉を持つレイドにそこまで言わせる。
それほどの実力を持つ七花に光一郎は改めて、戦慄した。
「それより、お前の方こそ追わなくて良かったのか?」
「はあぁ?」
光一郎はレイドの問いに、半ば呆れながら答えた。
「あのなぁ…俺はお前ほど強くはねぇんだ、お前は“確実に勝てる”と思えないって言ったけど……俺はその逆だからな? “確実に負ける”と思ってんだよ」
「なんだよ、その嫌な自信……」
「……てか、そもそも、俺の魔法は《封印》されてんのにどうやって闘うんだよ……腹もめちゃくちゃ痛えしよ」
「あ、それもそうか」
……コイツ…
さっきの鋭い推理からは想像できないキョトンとした顔に。
光一郎は思った。
「お前……それって、どっちが素なんだ?」
「いや、それはお前に言われたくねぇよ」
「俺は見ての通り“こっち”だよ」
「じゃあ、俺も“こっち”で」
「“じゃあ”ってなんだよ」
「ハハ、冗談だって…俺もこっちだよ」
なるほど。
結局、レイドも馬鹿なのでは無く。
馬鹿を演じる賢人だった訳だ。
光一郎がそう断じた時。
コツコツ。
と、足音が鳴る。
音は廊下を歩いてくる音だ。
七花が戻って来たのかと思い、身構える。
だが、その人物は光一郎のよく知る人だった。
「――進治さん!?」
廊下から教室に入ってきたのは。
黒い髪に二本の白いメッシュを入れ、真珠色の瞳を輝かせる妙齢の男。
式島・進治だった。
その格好は魔法協会の正装である紺の軍服。
両腰には得物として一振りずつ打ち刀が差してある。
「おや? 光一郎くん、こんなところに居ましたか」
進治はそう言いながら光一郎とレイドの前まで来る。
「光一郎……この人は?」
レイドが進治のことを尋ねる。
「あぁ、この人は魔法協会の人だ…俺達の“救助”に来た。そうでしょ?」
光一郎の問いに進治は。
「えぇ、そうですよ」
と、明るく、気さくに答える。
それに、レイドも。
「……そうか」
と、安心する。
すると。
「おや? 君はひょっとして、レイド・スラッシュ・ヘイルスウィーズくんですか?」
進治は何気無く、レイドに聞く。
「え? あ、はい、そうですが?」
それにレイドも何気無く答える。
すると、進治が。
「やっぱりそうでしたか~、それではレイドくん――」
進治は笑顔で腰に手を回し――
「死んでください」
刀を抜き去った。