激情心理
亜麻色の髪を微風に揺らし。
エレンこと、エレオノーラ・ウェイルドハイトは学園長室の前で一人、
立ち尽くしいた。
……若…どうか、ご無事で…
主の身を案ずる。
無論、エレンはレイドの実力を知っている。
レイドがある事情で隠している、
実力を。
故に、あの男―ハンスと名乗ったあの男に負ける筈がないことは分かっている。
しかし。
エレンにとっては寧ろ――。
と、そこで。
バキャバキャバキャ。
と氷が割れるような音を発て扉が開く。
すると、その中からレイドが出てくる。
「――わ、若!」
エレンは無事な主の姿に安堵する。
外からでは中の様子を窺うことが出来ないので、心底不安だったのだ。
「若、よくぞご無事で――」
しかし、エレンは言葉をそこで切った。
学園長室の中から冷気が溢れ出す。
……これは、『絶対零度』…!?
それはレイドが得意としている魔法の一つだ。
無論、従者であるエレンはよく知っている。
そして、レイドがそれを使ったとなれば、
それはレイドの勝利を意味する。
見やると学園長室の中には一つの氷像が出来ていた。
それがハンスだということは容易に想像がつく。
故に、エレンが気にかけているのは勝敗ではない。
「若……魔王国の復興は、しなくて良いのですか…?」
ハンスが魔王国の元貴族であること、
レイドを利用して魔王国を復興しようとしていたこと、
それはエレンも気付いていた。
しかし、ハンス程度の男なら、
逆にレイドがハンスを利用して、魔王国復興の踏み台にすることも出来たはずだ。
それ故の質問だ。
――だが。
「良いんだよ、俺には…そんな資格は無いからな」
レイドは寂しげに、
悲しげに、
語る。
エレンにも理由は分かっている。
「―し、しかしッ!」
「良いんだ」
なおも、食い下がるエレンをレイドは制する。
「……申し訳…ありません」
エレンはもう何も言えなかった。
レイドの気持ちを動かすことが、
出来ると思えなかったから。
「いいさ、さあ、残りの連中はリーダーを失えば戦意喪失するだろう、さっさと説得して―」
レイドがそこまで言うと不意に口を閉じて、
自分の足元―廊下の床を見る。
「わ、若…?」
不安に思い声をかけるがレイドは反応しない。
しかし、次の瞬間顔色を変える。
「――ま、まずい……!」
そう言うと、
他の生徒が集められている庭園へ走り出す。
「若!? お待ちを!」
何が何やら分からずレイドを追ってエレンは走り出す。
そして、学園長室から少し離れた瞬間。
「――な、なに……!?」
音が聴こえた。
戦闘音。
声が聴こえた。
悲鳴や怒号や断末魔。
さっきまで聞こえなかった阿鼻叫喚が聴こえだす。
……こ、これは…?
「《防音》だ!」
戸惑いながらも走るエレンの疑問、
それに答えたのは前を走るレイドだ。
《防音》。
《拡声》とは正反対の音を遮断する魔法。
「それが《隠蔽》の魔法と一緒に学園長室の入り口の床に設置されてた、つまり、学園長室の中や近くにいる限り外の音は全く聴こえなかったんだ!」
レイドが焦ったように言う。
ちなみに《隠蔽》はその名の通り物体の姿形を隠匿する魔法だ。
「しかし、何故!?」
エレンは走りながらレイドに聞く。
学園長室の中となるとハンスも外の状況が分からなくなる。
いくらレイドを警戒してもデメリットの方が大きい筈だ。
「それは分からない、だが―もう最悪の状況になっている…!」
だいぶ近くになった戦闘音を聴きながらその通りだと思い、
エレンはレイドの後を走った。
××× ××× ×××
「ハァ……ハァ……ハァ……ッ!」
光一郎は階段を駆け足で登っていた。
校舎はボロボロだったが、
幸いなことに壊れているのは外壁が主らしく。
中身の廊下や階段はほとんど無傷だった。
「うおぃ! 逃げてんじゃねぇぞ!」
下の階段にいるロドリゲスが愉しげに叫ぶ。
「…ぐぅッ!」
腹の傷が疼く。
高熱で焼かれたため、
傷自体は塞がり、出血も多くない。
が、痛みが凄まじい。
切り傷をおっても傷口が熱を持つことはある。
しかし、実際に焼かれるのとは訳が違う。
火傷をおった、皮膚や血肉の全てが、
熱さを訴え蠢いている。
そんな感じだ。
「………なんか」
逃げときゃ、良かった。
不意に光一郎は考える。
まさか、相手がこんな魔導兵器持ってるとは。
ていうか、ルーナに「後のことは頼む」とか言ったくせに、あっさり腹刺されてるし。
超駄酒ぇ。
しかし、痛ぇ。
超痛ぇ。
ズキズキする。
ジンジンする。
一歩踏むごとに、
痛みが増す。
一歩進むごとに、
意識が飛びそうになる。
それに、さっきから汗の量も半端無ぇ。
ひょっとしたら、
このまま死ぬのか?
なんだそれ、
本気で、駄酒ぇな。
てか、死ななくても、死ぬほど痛ぇし、
やっぱ、
さっき逃げときゃ良かった。
そう思った。
しかし、同時に。
――でも。
守んなきゃな。
麻里を。
みんなを。
守れなかった人の分まで。
守ってくれた人の分まで。
どれだけ、無様になっても。
最後には死んでしまったとしても。
守らなくては。
そこで光一郎は最上階まで辿り着く、
そして、そこから屋上には“上がらない”。
階段の踊り場から廊下に渡り、
十メートルほど歩く、
すると行き止まりにぶち当たる。
東棟四階の特別教室。
セイナに告白された場所。
その廊下だった。
「残念だなぁ! もう、逃げらんねぇ!」
階段を登りきったロドリゲスが勝利を確信して笑う。
部下も連れずに一人で。
それを見て光一郎は思う。
「……参ったな」
……こんなに…上手くいくとは…
光一郎は制服の上着の懐に手を入れ、
その中のホルスターにかかった自動拳銃を取り出す。
純白の銃身に青い装飾の施された一級品。
……頼むぜ…
静かに、魔導兵器に語りかける。
以前のようにマガジンを装填し、
引き金を引く。
狙いはもちろん、ロドリゲス。
銃身の内部で魔法陣が出現し、
青白い弾丸が飛び出し、まっすぐに突き進む。
しかし。
「馬鹿が!」
ロドリゲスが光の刀を持った右手ではない、
左手を前に出す、
その手には灰色の直径一メートル程の円形魔法陣。
『防護障壁』が在る。
そして。
パキィン。
と、弾丸が『防護障壁』に弾かれた。
「…な、なに!?」
と、“あえて”光一郎は驚く。
更に、
「く、クソ! クソクソクソクソクソクソクソ! クソォッ!!」
と、悪態と共に十発立て続けに放つが。
パキィン。
パキィン。
パキィン。
パキィン。
パキィン。
全てが弾かれる。
それにロドリゲスは、
「ハッハハハハ! その程度か!?」
嘲笑し、突撃体勢をとると、
「死ねぇ!」
突貫してくる。
『防護障壁』を前面に押し出して光の刀を後ろで構えている。
『防護障壁』を行使しているため、『身体強化』が解除され速度は先刻に比べて遅い。
しかし、生身としてはかなりの速度だ。
それに、光一郎は――。
「――莫迦が……!」
嗤った。
そして――。
「『天体魔人』!」
魔法を行使う。
すると、光一郎の胸元が光を放つ。
その光が躰の全てを覆う。
それにより、躰に力がみなぎり、
腹の傷も回復はしないが、痛みは和らぐ。
そして、
光一郎は銃を構え直す。
眼を見開く。
『天体魔人』により、《強化》した視力。
その眼には多くの情報が流れ込む。
敵の足運び。
敵の筋肉の動き。
敵の刀の振りかぶった角度。
敵の全てを見切る。
そして、銃を構え直す。
視線の先に這わせるように銃口を向ける。
狙いを定め。
引き金を引く。
撃鉄の音は――鳴らない。
先程とは違い。
“銃口”に魔法陣が出現する。
白く輝く星形の魔法陣。
「――『流星弾』」
光一郎が銘を呼ぶと――。
白き光を撒き散らしながら、
一瞬だけ――。
一筋の流星が駆けた。
「―――――――――あ………………?」
ロドリゲスの口から音が溢れた。
ロドリゲスには反応出来なかった。
疾やすぎるが故に。
しかし、
遅れて、それはやって来た。
パリィンッ。
という音を残して、
『防護障壁』が砕け散る。
「…な、あぁ!?」
ロドリゲスが驚きに声を漏らす。
しかし、
「――ッ!? な、ぁ、があぁ!?」
その声は直ぐに苦悶の叫びへと、変わり。
思わず、右手に持った紅い光の刃を構成しているアーミーナイフを落としてしまう。
何故なら――、
「がああああああああぁぁぁぁぁぁっっっっ!! お、おぉ、俺の腕があああぁぁッ!?」
左腕が無いから。
ロドリゲスの左腕は根元で吹き飛んでいた。
ロドリゲスは残った腕の付け根を、
刀を取り落とした右手で抑えてうずくまる。
残った腕の付け根から赤い血が飛沫を上げる。
それに光一郎は、
「…はっ…こんな単純な罠にも気づかねぇのかよ」
ロドリゲスに近付き、
嘲笑する。
『防護障壁』の破壊。
左腕の喪失。
どちらも、『流星弾』によるものだ。
「俺の…! 俺の腕がぁぁぁッッッ! 跡形もネェじゃねぇかァッ!」
「おいおい…喚くなよ、跡形も無い訳じゃ無いだろ? ほら、そこに」
そう言って、光一郎は廊下を指差す。
ロドリゲスの後ろ、二メートルの位置に、
左腕が転がっている。
「ああああ…………ああああぁぁッ!」
それを目の当たりにしたロドリゲスが、
腕を拾いに四つん這い。
否、左腕が無いので三つん這いになって腕へ進む。
しかし、それを、光一郎は。
「――だから」
右足で蹴り上げる。
「―ぐはぁッ!」
『天体魔人』により《強化》された脚力の蹴りが脇腹に突き刺さり、
肋骨が数本、軋みを挙げる。
そんなロドリゲスを見下ろし、光一郎は、
「――だから、喚くなよ。片腕が飛んだだけだろ」
苛烈に蔑む。
その瞳には確かな侮蔑と怒りがある。
「く、クソがぁッ!? 俺がぁ! この俺様が…テメェごときに負けるなんて……!」
歯軋りと共にロドリゲスは屈辱を露にする。
しかし、それに光一郎は、
「あ? 何言ってんだ? 莫迦が」
眉根を寄せ、嫌悪を吐き出す。
「お前がここまで追い込まれてんのは…全部お前の自己責任で“自滅”だろうが」
「ああぁッ!? なんだと…テメェッ!?」
激しい苦痛と屈辱に耐えながらロドリゲスは反論する。
しかし、光一郎は。
「だって、その通りだろうが…あんな、分かりやすい挑発に乗ったのは誰だ? お前だ。 俺に一撃食らわしただけで調子に乗ったのは誰だ? お前だ。 自分が追い詰めてると“勘違いして”一人でここまで俺を追ってきたのは誰だ? お前だ。 俺の攻撃がお前の『防護障壁』を破れないと“決めつけて”無策で突撃してきたのは誰だ? お前だ。 全部―お前だ」
只、淡々と言葉を列ねる。
「お前がここまで追い込まれたのは、俺が強いからじゃねぇし、お前が弱いからでも無い。……お前が莫迦だからだよ」
「――――ッ! アアアアアアァァァァァッッッッッ!! クソがァァァァァッッ!!」
激情に身を任せ、
巨漢の男は魔導兵器を拾い、光一郎の正面に立ち上がる。
「まだだあぁぁぁッッ! 俺にはまだ! この『赤熱剣』があるんだよおぉぉぉッッ!!」
叫ぶその背丈は二メートル近くある。
その巨駆が右手を振り上げ、
アーミーナイフの刃から紅い光の刃が形成される。
そして、そのまま降り下ろす。
しかし。
「―やっぱ、莫迦だろ」
光一郎は一瞬、右足を後ろに引き身を屈め、
その後、右足を跳ね上げる。
かなり高い上段蹴り。
狙うのは、
ロドリゲスの右腕の肘の間接。
バキッ。
その音は、
光一郎の蹴りが、ロドリゲスの右腕の肘を砕いた音だった。
「―ッッア! ャアアアアァァァッッッ!?」
ロドリゲスの右腕がひしゃげ、あり得ない方向に曲がる。
当然、『赤熱剣』と呼ばれたアーミーナイフは手から溢れ、光を失い、床に落下する。
「グッッ…! …おぉぉぉぉぉぉああああ……!」
左腕は吹き飛び。
右腕は間接を砕かれた。
あまりの痛みにロドリゲスは悶絶している。
しかし―まだ立っていた。
なので、光一郎は。
「――――シッ」
下段蹴りを二発続けて放つ。
「ッアアアッ!?」
蹴りはそれぞれ、
左足と右足の膝は粉砕する。
ドスン。
ロドリゲスは崩れた。
頭の高さが光一郎の胸の辺りまで落ちてくる。
その顔に、光一郎は。
魔導兵器の銃口を向ける。
「……ヒィィ……!? ま、待て! 殺さないでくれ!?」
ロドリゲスの口から悲鳴が漏れる。
その光景に、
光一郎の怒りが爆発する。
「殺さないでくれ……だと?」
魔導兵器の銃口をロドリゲスの額に押し付ける。
「あれだけ…あれだけ殺しておいて……自分が死ぬのは怖いのか!?」
そう叫ぶ光一郎の声は―震えていた。
怒りに。
憎しみに。
悲しみに。
震えていた。
「そんなことは許されない…! 皆を殺したお前が…! 桐堂学園長を殺したお前が…! 生き残るなんて!」
魔導兵器の銃身をロドリゲスの口に押し込む。
「そんな…そんな理不尽は許されない…!」
「ん――――! ん゛――――!?」
ロドリゲスが声にならない悲鳴を挙げる。
助けてくれ、と。
しかし、光一郎にそれは逆効果でしかない。
「お前はッ! 罪を償わなければならない……その命で……!」
心の内で様々な感情が動き出す。
怒りが暴れ。
憎しみが蠢く。
憤怒が、
憎悪が、
再現なく生まれ続ける。
「お前が…お前みたいな蛆虫が生きて…なんで学園長が……」
桐堂学園長のオドオドした口調。
安心したときの笑顔。
脳裏に浮かぶ。
「……なんで…」
心の内で更に感情が動く。
悲哀。
悲しみが、
哀しみが、
光一郎の瞳から零れ出す。
「なんで……なんでなんだ……?」
なんで、皆が死ななくちゃならない?
問うが答えは返って来ない。
だが答えは既に分かってる。
自分が、弱いからだ。
自分に守る強さが無いから。
自分に身を挺する勇気が無かったから。
それなら、
俺にこいつを殺す権利は――。
光一郎は魔導兵器を、
静かにロドリゲスの口から引き抜く。
その手はもう震えていない。
「――カハッ! ハァ、ハァ……」
ロドリゲスが空いた口で大きく空気を吸い込む。
「た、…助かった――」
「――勘違いするな」
安堵の表情をするロドリゲスに、
光一郎が冷たくいい放つ。
「お前には聞かなきゃいけねぇことが山ほどあるからな」
光一郎は自分に言い聞かせるように言う。
「お前はそのために――生かす」
「あら――それは困りましたわ」
ザシュッ。
音を発して、
ロドリゲスの首が宙を舞う。
「な――ッ!?」
光一郎は戦慄し、後ろに退がる。
「お、…お前は……!?」
叫ぶように問いただす。
「ふふ、さっき振りですわね」
そこに居たのは大鎌を担いだ、
灰色の髪の少女だった。