魔導授業
「光一郎殿、服を脱いでください」
「…………」
呆れのあまり、声が出なかった。
セイナとの話が終わり(というより、逃げられ)。
教室に帰って来た光一郎に、
千代が至極真面目な顔でそんなことを言って来た。
「一応…確認なんだけど、千代さん?」
「はい、なんでしょうか?」
「それは……『魔導着』に着替えろってことだよね?」
「……?はい、無論そうですが?」
いや、誤解を生むだろ。
音で表すならば“きょとん”とした千代に内心でツッコム。
藤名瀬・千代は配慮ができ、察しもいい。
しかし、同時に天然でもあった。
とはいえ、千代は眉目秀麗と言って差し支えない少女だ。
そんな千代に服を脱げなんて言われたら、
まぁ、そのうまく言えないが、
そういう意味しかないだろう。
実際、何人かの生徒はこちらに注目している。
……まぁ、それはいいが…
そう思い光一郎は教室に備え付けてある時計を見る。
時刻は十時四十分。
次の授業が始まるまで五分しかない。
次の授業は、模擬戦の授業。
いわゆる、“実技”。
そのため、魔法に対して防御の役割を持つ魔導着に着替える必要性があるのだ。
ちなみに、魔導着と言いつつも。
魔法によって普通より丈夫に作られているだけで、
材質自体は普通の布と変わらない。
デザインが水着のようであることを除けば―。
そこでふと、
見回してみると、セイナの姿がない。
「千代さん…その……セイナさんは帰って来てないの?」
「いえ、一度帰って来ましたが、そのあと直ぐに着替えを持って女子更衣室に向かわれました」
「そう……ありがと」
「では、私も着替えに行くので、また後で」
そう言うと千代は着替え、
自分の魔導着を持って教室を後にした。
光一郎も“次の授業”のために魔導着に着替え始める。
教室の中にいるのは当然だが男子ばかり。
女子は更衣室で着替えている。
「なぁ、光一郎」
不意に話しかけられ誰かと見やる。
そこにはレイドがいる。
というより、
……このクラスで話しかけて来る男はこいつだけか…
クラスの生徒はその大半が未だに光一郎に気を使っている。
その事実を思いだし、着替えの手を止めないままに光一郎は応じる。
「ん?どうしたの、レイド?」
もちろん、レイドはもう魔導着に着替えている。
「いや、さ。レーシアさんとなんかあったのか?」
ギクッ。
……こいつ…鋭いな…
思わぬ人物に思わぬことを言われ、
少しばかり、慌ててしまう。
「別に話すようなことはないよ」
いつもなら、適当な言い訳を思い付く場面。
だが、今は誤魔化すので精一杯だ。
余裕がないのだ。
失敗を冒したから。
さっきのことを思い出す。
無論、告白された事ではない。
いや、セイナとの会話のことではある。
でも、告白のことではない。
光一郎が思い出すのは、
セイナと話した時の、
自分自身の“話し方”だ。
もっと正確に言うなら――“性格”。
……おもいっきり、“素”で話しちまった…
隠さなければならないはずの、光一郎本来の性格。
それを表に出して話してしまった。
完全な失敗だ。
何とかしなければ。
セイナ以外の人間にも知られる前に。
対抗策を打たなければ。
だが、セイナは他の人間に話すだろうか?
いや、おそらくルーナに報告するだろう。
そうなれば、ルーナが俺のことに関して調べるはずだ。
それは――困る。
そうなると、光一郎の“もう一つの秘密”が明かされてしまうかもしれない。
素の性格と偽の性格。
この秘密―行為はあくまで、本当に隠しておきたい秘密のため副産物に過ぎない。
絶対に明かしてはならない秘密を守るため、
光一郎は必要以上に天道家の長男らしい人間性を演じなければならなかった。
そのために生まれたのが“爽やかな好青年”の性格なのだ。
だが、ルーナが光一郎のことに関して探りを入れてきたら、
もう一つの秘密が、暴かれる。
明かされる。
知られてしまう。
特にルーナは駄目だ。
彼女は聖王国の人間。
つまり、彼女に秘密が知られてしまったら、
下手をすれば―。
聖王国そのものに知られてしまうことになる。
そうなれば、終わりだ。
今回の任務だけではない。
今まで積み上げてきた功績も。
積み重ねてきた努力も。
統べて、無駄に終わる。
それほどの、秘密を光一郎は抱えていた。
ならば、どうするか。
一先ず、千代に相談するか?
だが、もう一つの秘密は、千代ですら知らない。
光一郎の二つの性格の秘密は知っている。
しかし、それは光一郎が世間体を気にしてやっていることだと千代は思っている。
だから、あまり深くは話せない。
ならば、もう一つの秘密も知っている天道桃花や信治さんに相談するか?
いや、母さんは「自分で何とかしろ」と言うだろうし、
信治さんも本気で力を貸してはくれないだろう。
そもそも、今から書簡や遣いを出すには時間が無さすぎる。
今こうしているうちにも、
セイナがルーナに俺の性格のことを話しているかもしれない。
となると―。
やはり、自分で何とかしなければ。
先ず、セイナがルーナに俺の性格のことを報告しているか、確認しなければならない。
していなければ、それはそれで良い。
だが、もし。
ルーナが俺の性格のことを既に知っていたら。
――口封じをしなければ。
無論、光一郎とて、荒事は好まない。
話し合いで片付くならそれに越したことはない。
だが、万が一。
ルーナが話し合いに応じない場合。
俺は初めて―人を殺すかもしれない。
普段通りの表情で、
光一郎はそんな思考を巡らせ、
今まで避けてきた殺人に決意した。
魔導着にも着替え終わったので、
そろそろ、実技棟に移動しようと思った。
しかし――。
「お前――、やっぱ…レーシアさんとなんかあったろ?」
「―え?」
不意に、そして再び、
訝しむようなレイドの問に、
光一郎は唖然とした。
「えーと…なんでそう思うの?」
一体、こいつは何を考えてるんだ?
内心で思いながら聞くと、
「だって~お前さっき、変な顔になってたぞ?なんか隠してるだろ?」
なんてことを二ヤつき顔で言ってくる。
全く、表情に出していないつもりだった。
なのに表情の変化を読まれたのは、正直意外だった。
だが、その後の推理は的外れ《まとはずれ》も良いところだ。
「だから、別に何でもないよ」
「いや、ウソだな。例えば…告白された……とか?」
ギクッ。
前言撤回。
……こいつは油断出来ないな…
「いや、だ、だから、何にも無かったんだって!」
「いやいや!そんな言い訳通用しねーよ!」
「い、言い訳じゃないって!」
「まぁまぁ、いいじゃん。俺たちの仲だろ?な?」
なんてことを言い、レイドが無理矢理に肩を組んでくる。
「ちょ、ちょっと!?」
光一郎の方が背が高いので、少しバランスが悪い。
「なぁなぁ、どうなんだよ♪なんか言えよ~」
レイドは完全に友達気分だった。
そして、それが。
……なんなんだよこいつは………
光一郎にはとてつもなく、ウザかった。
てか、いきなり肩組んでんじゃねぇよ。
てか、マジで馴れ馴れしいな。
てか、“俺たちの仲”ってなんだよ、会ったの今朝が初めてだぞ。
もう、これだけで今回の任務が嫌になってきた。
しかし、そこでふと気付く。
「……あれ?」
「ん?どうした、光一郎?」
どうした、こうしたではない。
今教室の中には、
光一郎とレイドしかいなかったのである。
……ま、まさか…!
そう思った瞬間。
キンコーン、カンコーン。
と。
授業の始まりを報せる鐘が鳴り。
男子二人は、顔面蒼白で走り出した。
××× ××× ×××
そもそも。
魔法とは何か?
それは以前にも説明した通り、
魔導士が魔力というエネルギー源を素に、
「現象」の「過程」を無視し、
「結果」のみを引き起こす《技術》だ。
では、この技術を使うことのできる魔導士とは何者か?
基本的に魔法を誰でも使える物だ。
現に魔導技術そのものは至る所にある。
街灯は現在では炎の灯りではなく光属性の魔法が主流だ。
船や列車に動力源は、水属性と火属性を組み合わせた蒸気機関といわれる物だ。
遠方の人と話すことは『伝達』という魔法によって可能となった。
更に、一部の家庭では火属性の魔法で炊事や家事を行っている。
そして、これらを取り扱っているのは魔導士だけではない。
一般の人々もそうだ。
魔力は人間であれば誰でも持っている。
云わば視力や筋力と一緒。
視るための力が、視力。
身体を動かすための力が、筋力。
魔法を使うための力が、魔力。
では、魔導士と一般の人々との違いは何か?
それは魔導の知識と技術の違い。
街灯は多くが魔法の光灯りに変わったが、
そうではない地域の人からの苦情も相次いでいる。
船や列車の蒸気機関は便利ではあるが、
現状では製造に莫大な費用が掛かり、量産は出来ない。
遠方の人と話せるようにはなったが、
『伝達』の魔法はあらかじめ伝導のための回路を設置しなければならない。
家事炊事を魔法で行う家庭は増えたが、
魔法の事故を起こす家庭も年々増えている。
そして、そういった諸問題に取り組むため。
あるいわ、理不尽な災害や暴力から人々を守るため。
各国で育成が行われている国家“職業”。
それが魔導士だ。
魔導士と一般の人々の大きな違いはそこ。
一般の人々が使う魔導技術を、
より良いものにするため。
自分たちが使う魔導技術を、
より高度なものにするため。
日々、研鑽と努力を積み重ねる。
それこそが、魔導士という職業だ。
そして魔導士には特権がある。
魔法の使用。
魔導兵器の開発。
魔導技術の研究。
無論、好き放題に出来る訳ではない。
しかし、どれも素晴らしい特権だ。
だが、だからこそ魔導士には責任もある。
その力を私利私欲のためだけに使うなどあってはならない。
その力を必要としている人たちのためにこそ行使しなければならない。
故に、魔導士になるものには技術や知識、実力よりも真っ当な人格が必要だ。
もちろん、それは魔導士になっていない学生の頃から求められる。
それは学生自身が一番良く分かっている。
皆、魔導士になるための自覚があるもの達ばかりだ。
――だから。
そんな人間は居るわけがない。
授業に遅刻する人間なんて。
『遅れて、申し訳ありませんでした!!』
しかし、ルーナの目の前に、
そんな人間は二人居た。
しかも、二人とも友人だった。
しかも、二人とも各々の国を背負って立つべき人間だ。
レイドにはもう失望していたが、
これでは光一郎に対する評価も改めねばならない。
……殿方って…
「みんな……お馬鹿なのかしら?」
誰に言うでもなく、呟くルーナであった。
××× ××× ×××
光一郎とレイドは実技棟の大きな扉を、
半ば殴り付けるように開け走り込んできて、
間宮担任に直ぐに礼をして謝った。
『遅れて申し訳ありませんでした!!』
二人ともキレイな直角九十度だ。
「なんだ、君達。遅れてきたのか?」
間宮担任が聞いてくる。
「はい…申し訳ありません」
「すみません」
光一郎とレイドが順に謝罪する。
「……まぁ、天道くんはまだ良く分からないだろ、今回は仕方ないとしよう」
間宮担任は光一郎の方は初日ということで注意に留めた。
「……で?ヘイルスウィーズ、君は?」
間宮担任がレイドに問い詰める。
しかし、レイドは、
「いや先生、天道くんが実技棟の場所が分からないから道案内してたんですよ~」
なんてことを宣う。
もちろん、ここに来るまで。
レイドは一回も道案内などしてない。
「……本当かい?」
そう言いながら、間宮担任は光一郎に尋ねる。
そこで、
え?嘘ですよ?
―と、言うことも出来るが。
「――はい。本当です」
と言う。
レイドが隣で肩を撫で下ろすのが分かる。
すると、間宮担任がため息をついて、
そしてそのまま生徒たちに指示を始める。
おそらく間宮担任は、
レイドがただ単に遅れただけだと気づいている。
しかし、レイドは
「アハハ!危なかったなー」
なんて言う。
もう、めっちゃ馬鹿だった。
マジでこいつなんなんだ。
そう心中で呟き。
光一郎は実技棟の中を見回す。
そこでは今、
生徒同士の模擬戦が行われていた。
先程、間宮担任が出した指示だ。
『各自、望む者と模擬戦を行え』
非常に分かりやすい。
シンプルな指示だった。
だが、その指示は、
光一郎にとってはとても都合のいい指示だ。
「光一郎殿。授業に遅れてはなりませんよ」
「あぁ、千代――ッ!?」
後ろから声をかけられ、
振り向いた瞬間に思わず息を呑んでしまった。
先刻も話したように魔導着は水着のようなデザインなのだ。
もちろん、実用性を優先しているため。
足首から手首にかけて、肌をまんべんなく覆い。
華美な装飾などなく、色も無地の黒色だ。
だが。
否、だからこそ。
女性がそれを身に付につけると。
体つきがくっきり浮き出るのだ。
特に千代のそれは、凄かった。
豊かな胸元。
腰回りのくびれ。
臀部から太ももにかけての曲線。
女子にしては高めの160台の身長。
全体的な豊満さと、健康さで。
他の女生徒とは一線を画していた。
つまり。
……少し…ドキドキした…
仕方ない、だって男なのだ。
「?…どうかしたのですか?」
「い、いや!べ、別に!」
千代の質問に、
光一郎は答える。
慌てたせいで、かなり不自然だ。
それに気付いたレイドが例のにやけ顔で
「ふーん、光一郎も案外ウブなんだなぁー」
とか言ってくる。
もう、なんか殺したくなってきた。
だが、お陰で多少落ち着いた。
しかし、それも束の間。
「―若!授業に遅れるとは何事ですか!」
と。
女生徒がこちらに歩いてくる。
亜麻色の髪を肩口で切り揃えた。
眼鏡をかけた知的な顔作りの少女。
身長は千代と同じ程度だが、肉付きは千代の方が圧倒的に豊満。
しかし、その少女には千代には無い。
すらりとした、儚さのような美しさがあった。
だがその体からは怒気が滲み出ている。
「な、なんだよエレン…」
レイドがその少女をエレンと呼んだことで、
光一郎も少女の存在に合点がいく。
エレオノーラ・ウェイルドハイト。
レイドの従者の少女だ。
「なんだではありません!若、魔王国の王子ともあろう御方が授業に遅刻するなど、あってはならないことです!」
と、捲し立てる。
「わ、分かったからさ、そんな怒んなよ」
「いいえ!そういって何度も流しているではありませんか!今日と言う今日は許しません!」
「な、なんだよ許さないって…」
「もちろん!今日から毎日、放課後に座禅を組んで五時間!私の愛読書である『指導者になるため』という本を音読してもらいます!」
「ええぇぇ………」
「ちなみに、全三千ページです」
「ええぇぇ………」
そんな、主と従者の会話とは思えない。
否、会話とは“言えない”。
ものを聞くのにも飽きて。
光一郎はもう一度辺りを見て、
近くのレイドやエレンに聴こえないように千代に話す。
「やはり、俺に模擬戦の誘いは来ないな」
すると、
「えぇ、狙い通り……ですね」
と、千代が返してくる。
その通り。
これが光一郎の狙いだった。
光一郎は“ある魔法”を使わない限り、人一倍弱い。
そんな光一郎が模擬戦を行えば間違いなく、
負ける。
もちろん“ある魔法”を使えば勝てるかもしれないが、
今、あの魔法を使うわけにはいかない。
バレるわけにはいかない。
しかし、それでは誰にも勝てない。
しかし、負けることも出来ない。
光一郎は天道家の跡取りなのだ。
そんな人間に敗北は許されない。
ならば、どうするか?
簡単だ。
ならば、戦わなければ良い。
そもそも、戦わなければ負けることもない。
では、その方法は?
『各自、望む者と模擬戦を行え』
望む者。
光一郎は天道家の長男。
そんな人間とは気を使って誰も、
戦闘を望まない。
これが光一郎の狙いだった。
「…あ、そういえば……」
ふと、大事なことを思い出す。
「なぁ、千代……セイナのことなんだが…」
「はい、なんの話をしたのですか?」
「え、え~と……」
言いづらい。
だが、言わねばならぬこと。
故に手短に光一郎の絶対に“明かせない秘密”に触れず。
告白されたこと。
その中で素の性格を出してしまったこと。
全てを話した。
すると。
「……何故、セイナ殿をフッたのですか?」
と、聞かれる。
「そんなの決まってんだろ」
「なんですか?」
「俺は天道家の人間だ、俺の結婚する相手は公国の未来を共に背負って行ける人間じゃないとダメだ」
それが唯一にして、絶対の理由。
「……そうですね、不躾なことを申しました」
と、千代が謝る。
「別にいいさ」
「して、どうなさるおつもりですか?」
「それは――」
セイナ、あるいわルーナを説得する。
無理ならば最悪、口封じをする。
そう言おうと口を開いた瞬間。
「―ッ!?光一郎どの!」
「―え?」
千代に突き飛ばされた。
床に倒れる。
「な、なんだ―」
声をあげてさっき立っていた場所を見ると、
何かが高速で通りすぎる。
あまりの威力に後ろの壁を破壊し、貫通した。
壁には大きな穴ができる。
魔法で普通より頑丈な壁を、
破壊した。
間違いない。
さっき通った何かは、
魔法だ。
と、ここまでを一瞬で考えた光一郎は、
魔法が飛んでいった方向とは逆の方向。
つまり、魔法が飛んできた方向を見ると。
「天道・光一郎!!!」
と、青い髪の少女が、
セイナが立っていた。
セイナ・レーシアが立っていた。
そして――。
「今!この場で!私と決闘しろ!」
と。
言われてしまった。
どうやら、
少なくとも説得するのは、
無理っぽい。