2話 勇気じゃない
恐怖の拒否反応と戦う毎日ではあるが、平和に時は流れていく。
まず体を動かせるように、手足の運動をしていくのだが、段々と動かせるようになるのが実感できて面白い。手足の折り曲げとか、指を一本一本動かすとか、機械人形のように、動作を確かめていく運動ではあったが、他にすることもなく、自分の体を思い通りに動かせるようになるのは楽しかった。
食事の時が一番の苦労だった。
セリア母さんに恐怖しながら母乳を飲むという精神的な拷問であり、それしか口にできるものがないのだから、我慢するしかない。
ボクが生まれてから、寝たきりだったセリア母さんは、今では運動しているようで、壁に掛けてある剣を手にして外で素振りをしている音が聞こえてくる。
ディーノ父さんは朝食を食べたらすぐに出掛けていく。何をやっているかは詳しく解らないが、時々「イオ婆さんが腰を」とか「ゼーノ爺さんが足を」とか夜に話しているので、医者か何かなんだろうと思う。そして夜は大体ボクと一緒に過ごそうとしている。
特にお風呂は大体がディーノ父さんと一緒である。ちゃんと順番があるようでディーノ父さん・セリア母さん・ディーノ父さん・アンジェさんと一日置きに一緒に入っている。
見た目が優男でひょろっとしてるディーノ父さんだが、脱ぐとすごかった。
着痩せするタイプのようで、結構ガッチリとした筋肉をしており、そして……デカイ。ノーマルでデカイ。
鬼だと思う。
セリア母さんは女性特有のしなやかな筋肉をしており、胸の大きさ気にしているのか「一杯のんで小さくしてねー」などと唸ってたりする。そして「貴方は可愛いままでいてねー」と毎回お風呂で言われるのだが、赤ん坊に何言ってるんだと思う。
アンジェさんはバランスがいい体格をしている。ベスト・イズ・ベストというか、理想的な平均といえる感じである。
お風呂の時は、ボクの全身を手洗いで触りまくり「うんうん」と頷きながら、猫耳を動かし、また丹念に洗っては真面目に「ふむふむ」とボクを確認している。
一番長く一緒にいるのはアンジェさんだ。
ボクのお世話係なのか常に近くにいるし、そして勘が良いのか、尿意や便意を感じて「ンーンー」と言うと、ボクの感情がわかるのか猫耳がピクッと動いてから行動を始め「はいはーい」と返事をして、トイレに連れていってくれたりする。
ボクの面倒を見るのが楽しいらしく、耳を動かし尻尾が揺れている姿をちょっとでも可愛いなと思うと、尻尾をものすごく振りながら近づいて来るが、近づくとボクが怖がるのですぐに離れる。
(この人、獣人ってやつかな?)
人間の耳がある場所よりも上に、頭に猫の獣耳があり、お尻の上あたりから生えてる尻尾。他は普通の人間と変わらない姿だ。
ファンタジーの王道でいうエルフとかドワーフとか獣人。
ここは違う世界なのでは思う。
色々と摩訶不思議な生活だからだ。
まずトイレだが、『水洗トイレ』というか『水流トイレ』になっている。
どういう仕組みなのか、さっぱりわからない。木造で出来た和式スタイルで、絶えずに水が流れ続けている。
トイレの下に川でも流れているのかと、不思議でならないが便利ではあるとは思う。その流れの先がどうなっているかは、調べないほうがよさそうだ。
次にお風呂。
こちらも木造で、日本の温泉そのままな風情が強い。
木造の壁に開いた長方形の穴から、お湯が沸いて流れてきており、ある程度まで溜まると、溢れる前に止まる
洗い場の床は、ちゃんと角度が整えられており、壁の隅に集まりように流れていき、穴もない床に吸い込まれて消えていく。どうなっているのか本当にわからない。
ここまでで十分すぎる理由だが、決定的なのは、この世界に太陽が無いことだ。
明るい時間から暗くなる時間になると、曇り状態のようになり、そのまま真っ暗になっていく。窓から光が差し込んではくるが、日光ではなく、そのまま明るいだけで、影も無数の照明に写された、いくつもの薄い物だった。光源は確認できずに、目に優しい空が広がるばかり。
雨とかは降るようだが、ここはもう天体すら違うところだった。
太陽がない。それなのに何で明るくなるのか、暗くなるのか本当に解らない。
それに不思議なのは、日本語で喋ってるところだ。
生活習慣も日本に近い。家の中では靴を脱いでるし、スリッパによく似た物を履いている。着ている服の素材は解らないが、中学校のYシャツみたいな手触りで着心地は悪くない。茶色を基本色にした物が多い。
しかし、一番理解できないのは何といっても名前も知らない少女だろう。
滅茶苦茶に撫でたり頬擦りしてくる少女。そもそもこの少女、ボクにしか見えないようで三人ともまったく気にしない。
壁すり抜けたりして近づいてくるわ、こっちからは触れないのに一方的な感触だけあるわで、どう考えても幽霊っぽいのだが、何故か心地よく感じてしまい、ボクはそのまま眠ってしまう。
そんな少々不思議ではある世界だった。
慣れてきた生活の中で、ボクは新しい家族に恐怖してしまうのを克服したかった。
親という存在なら、前世の両親が原因だと思うのだが、アンジェさんにも恐怖を感じていた。
自分が人間恐怖症にでもなっているのか、原因はわからない。
それから何とか頭の重さにも慣れ、寝てるだけの生活から何とか座れるようになった。
偉大な進歩である。
これならもうすぐ自由に動けるようになるはずだ。
移動できるようになるのが待ち遠しい。
まだバランスが取り難く、揺ら揺らと体がちょっと動いているのが実感できる。
「おぉ! 座ってる? 座ってる! うひょー可愛い! 可愛すぎる!」
いきなりだが、いつものあの少女に後ろから抱きつかれていた。
おかしいな……ボクは最初に牢屋だと思っていた、ベビーベッドの柵に寄り掛かっているはずなんだが、何で後ろから抱きつくことができるのか?
右で頬擦り、左で頬擦りと交互に飽きることなく人形のように可愛がられてしまう。
行動とか存在はかなり不気味ではあるけど、可愛い子に密着されてるのだから悪い気はしない。何よりも彼女の存在は、本当に心地よく癒されている自分が実感できる。
そうして、いつものようにボクは眠りについた。
目を開けると、アンジェさんが驚いた顔で、ボクを覗き込んでいた。
どうやらボクは、彼女に抱えられて寝ていたようだ。
目が合うと、悪戯が見つかった子供のように目が泳ぎ始めて「どうしよう、どうしよう」というのが解ってしまう。
ボクが寝てる時に、ボクに遠慮せずに抱き上げていたのだろうと理解はできるのだが、何故か怖いと思ってしまう。
いつものアンジェさんなら、すぐにベビーベッドに寝かせて離れるのだが、ボクが怖がらない距離に置いてあるいつもの椅子に、ボクを抱いたまま座ってしまった。
いつもと違う行動に、これから何かされてしまうのではないかと、恐怖が高まっていく。
惨めに怖がってるボクに罵声を浴びせるのか、思い通りにならないから殴り始めるのか、考えれば考えるほど怖くなって何も出来なくなっていく。
戦々恐々していると、アンジェさんが深い溜息をついた。
「やっぱり私のこと、怖いですか」
苦しそうにポツリと呟いた。
「怖いですよね。私は自分の弟を……殺してしまったんですから」
その言葉に、ボクは更に恐怖して、アンジェさんはボクに言い聞かせるように語り始めた。
◇
ここ『カーミラ村』では、一人前になると外の世界へ旅に出なくてはいけないんです。
私が旅立ってからすぐに弟は生まれました。
旅の期間は五年ほどで、帰って来てからカーミラ村に住むか、外の世界に住むか決める掟があるんです。
伴侶を探すのが目的らしいですけどね。
私は外の世界が楽しかったから、色々な場所をみて、色々な経験をしたと思います。
家族と手紙で連絡しつつ、どんどん遠くに行きました。
そうして三年くらいしてから弟から手紙が届いたんです。
弟が字を書けるようになるまで成長していたんだと、長く旅をしていたことに気付きました。
時の流れを忘れていたんですよ。
見たことも無い物を見るのが楽しくて、知らないことを知るのが楽しくて、それで何となく弟に自慢したかったんですよ。
自分の体験を書いた手紙を送って、それに興味津々で楽しそうって手紙が返っててきて、もっと色々見て回って、色々教えてあげようって、本当に馬鹿ですよね。
手紙でのやりとりが一年くらい続いて、弟と両親から手紙が一緒に来たんですよ。
弟からは姉さんに会いたい、両親からは弟が病気だからすぐに帰ってきてくれって内容でした。
私、村からは本当に凄く遠いところにいたんですよ。
だから急いで村に帰ったんです。何ヶ月も懸けて。
間に合うわけないですよね、そんなに遠くにいたんですから。
帰ったら弟はもう死んでいて、お墓があるだけでした。
私、たくさんのことを覚えて、不思議なものを見てきたんです。
もしかしたら、弟の病気もわかったかもしれないんです。
もしかしたら、薬を持っていたのかもしれないんです。
結局私は、弟の顔も声も分からないままになってしまったんです。
馬鹿ですよね、家族なのに。家族だったはずなのに顔も声も分からないんですよ。
そのままショックで塞ぎ込んでしまったんです。
暫くしてから、セリアさんとディーンさんが尋ねてきて、生まれてくる子供の世話を頼まれたんです。
獣人は感覚が鋭くて、相手の感情が少し解るんです。だから村だと、獣人が子供の世話をするのが習わしなんですよ。
二人とも私に気を遣って任せてくれたんです。
あの二人は本当にお人好しで、自分の子供なのにほとんど私に任せっきりで――
――でも、やっぱり赤ちゃんのほうがよく解るんですね」
見上げると笑顔で泣いている人がいた。
「私が、あなたのこと大切にしないって、解って……いたんですよね」
(何故、ボクはこの人が怖いと思っているんだろう)
この時、心の底からそう思えた。
「私の弟、オーランって名前、だったんですよ」
(何でこの人は泣いているんだろう)
そして、心底不思議に思った。
「ごめんね、オーラン」
(ボクのせいじゃないのか?
この人を怖がってるボクのせいで、彼女は傷付いて泣いているんだ。
克服しようといって何もやってないじゃないか、前と同じように反抗するべきなんだ。
勇気を出して……いや、勇気なんて必要ない。
ボクはもうこの人が怖くないのだから、勇気じゃなくて行動で示さないと、解ってもらう努力をしないといけないんだ)
ゆっくりと手を伸ばす。
届かないなら、よじ登って届かせる。
左手で服を掴んで、体を起こして、そして右手でボクが傷付けてしまった人を助けたい。
手は彼女の頬に届いた。
あとは想いを伝えないといけない。
丁度、今のボクでも伝えられる言葉がある。
驚きで見開いている緑の瞳を見つめて、ボクは謝罪と感謝を込めて言葉を発する。
「アーン! アン! アーン!」
アンジェという彼女の名前を。
伝わってほしい。
今のボクの気持ちを。
彼女は笑顔に戻ると「ありがとう」と口にしてくれた。
アンジェさんが、どんな気持ちでボクと接していたのかはわからない。
言葉にすれば色々な単語が出てくるだろう。
それでも嫌な顔一つせずに、いつも笑顔でお世話してくれた。
これだけは間違いないことだと思う。
そして弟の死を自分のせいだと思うほど……顔も声も知らない弟を大切にしていたのだと、それだけはわかる。
身体的にはかなりきつかったが、やってよかった。
疲れたとかはどうでもいいと思える。
こんな嬉しそうに笑ってくれたのだから。
ボクは最初の一歩を踏み出せたのだから。
その後ボクを抱えたまま走り出して、外に飛び出て行き、セリア母さんに
「オーランが! 私のオーランが! アンと! 私のことをアンと呼んでくれましたよ!」
などと泣き腫らした顔で報告するアンジェさんは可愛いなと素直に思えた。
ボクは落ちないように、必死で彼女を掴んでいた。
すぐに次話書きます!(投稿とは言わない)