プロローグ
意味のない人生だった。
不幸な人生だった。
たぶん、多くの人がボクの人生を語ってくれるなら、それは否定できないだろう。
不幸自慢なんかする気は無いが、両親がいるだけで良かった方なのかもしれない。
その両親はボクに様々な暴力を振るい、身体的に傷つけられ、精神的に追い詰められていたが、それでも生きていたのだから、良い方なのだとは思う。普通に学校に行かせて貰えたし、義務教育だけは果たしていたとも思える。
夏には「暑苦しい!」と押入れに閉じ込められて脱水症状直前の状態になり、次からは押入れに水筒を隠して、喉の渇きと暑さに耐えていた。
冬には「見てて寒いんだよ!」と家から追い出され、寒さに凍えて震える体を懸命に抱きしめて、近所のスーパーから拝借したダンボールに包まって寒さを凌いだ。
一日に食べられる食事は、学校の給食だけで毎日空腹に耐えて、土日が休みなことを毎週呪ったくらいだった。
暑さで死ぬ人、寒さで死ぬ人、飢えて死ぬ人が世界にいるのは知っている。
それに比べてしまえば、生きているのだから不幸ではないだろう。
ボクの不幸は、ただ両親が屑野郎だったとそれだけの話だ。
虐待されて生きてはいたが、そんな塵屑といつまでも一緒に居たいと思う人は、そんなにいないだろう。ボクも中学卒業を機に1人暮らしを始めて、ここからが人生の始まりだと意気込んでいた。
部活動が終わった中学三年の夏頃に、年齢を偽りアルバイトを始めた。バイトの先輩に仕事を押し付けられながらもお金を貯めて、休むことなく働き続けた。
世間一般の休日というのはボクには苦しみでしかなかった。
バイト場は、暴力を振るわれないだけで、小言はいわれるが屑野郎の金切り声に比べれば小鳥の囀りと変わらない。お客さんの意味不明なクレームなどは問題外。ボクにとってアルバイトとは憩いの場に等しく「この日、変わりにシフト入れ」と言われれば、喜んで引き受けた。賄いで食事ができるのだから当然だ。それに働けば自由になれるお金が手に入るのだから。
そして暇な時間は不動産屋を巡り、とにかく安い部屋を探した。
目標金額が溜まった時、ボクは両親に人生初めての反抗をした。
反抗とは言っても「1人暮らしを始めますから保護者の印鑑をくれませんか?」と震えて、噛みながら口を開いただけだったが、糞野郎共はボクがそんなことを言うのが許せなかったのだろう。
空のビール瓶を父に投げられ頭に当たった。母は書類をビリビリと破ってから丸めてゴミ箱に捨てながらボクに向かって叫び始めた。
意味不明な奇声を上げながら、それに合わせて父は倒れたボクを蹴り続ける。酷く歪な奇声と暴力の、いつもと同じ待遇だった。
最初にビール瓶を投げられたのは初めてだが、父に腹を蹴られひっくり返され背中を蹴られ、また腹にまた背中と壁際まで転がされ、それに合わせて意味不明な言葉を母が叩きつけられる。
痛みは感じる。
息ができない苦しみも感じる。
でも、いつものことだから慣れている。ただ頭だけはガンガンと五月蝿かった。
自分の体が、叩かれ殴られ蹴られる音を聞きながら、頭の中で響く音は段々と大きくなっていった。
そしてそのままボクは動けなくなった。
この時、死んでいたなら正に幸運だっただろう。
残念なことに意識はあった。目も何とか見えていたし、声も遠いが聞こえていた。仮死状態になっていただけなんだろう。
両親はボクの死体をどうするか普通に、落ち着いて世間話のように話し合っていた。
深夜になるとボクを車に乗せて、運び始めた。
どれくらい遠くに来たがわからないが、外に転がされると酷く寒かった。
「早く捨てて酒でも飲みに行こう」と言いながら、御丁寧にもボクの靴を置くと、ボクの服に石を詰めて、そのまま投げ捨てられた。
運が良いのか悪いのか、ボクは岩場には落ちずにそのまま海面に叩き付けられ海中に沈んでいった。
体は動かないのに、痛みと苦しみを感じられたのは不幸だろう。
呼吸が完全に出来ずに苦しかった。さすがに死ぬまで苦しめられたことはなかったので耐性もなかった。
これが死なのか……と考えて、今までのことを冷静に振り返っている自分がいた。
段々と息ができない苦しみと、体の痛みと寒さを感じてボクはもう自分で何が何だか解らなくなり始めていた。
生きたいと願い、死の恐怖に怯えて、両親を憎み、理不尽な世界を呪い、そして自分の人生を拒絶した。
これは違う、何かの間違いだ。
こんなのが終わりなのか。
ボクの人生は、何だったんだ?
これでは、本当に意味なんてない。
痛みに慣れて、苦しみ続けるだけって何だ?
あまりにも馬鹿げている。
そんな絶望を喚きながら、本気で怒ると自分の思考は冷静になるんだなと頭の片隅で考えてもいた。
最後に薄れていく意識で、体の苦痛は消えていき、精神が憎悪で勝ち残ったと実感した。
そうしてボクは死んだ。
初投稿!
15/01/09 編集しました。