選択の代償
拓哉は、夜更けまでスマートフォンの画面を見つめていた。指先が痺れるほど、延々と質問に答え続けている。朝食はパンか、ご飯か。食後はお茶か、コーヒーか。コーヒーはブラックか、砂糖入りか──そんな単純な質問が何百問も続く。だが、その合間には、もっと細かく、もっと根源的な設問が挟まれていた。
「好みの肌の色は?」「目の形は?」「目の色は?」「鼻の形は?」「手足の長さは?」「指の形は?」──そう、これは趣味嗜好の調査ではない。自分だけの“パートナー”を、寸分違わず設計するための入力だった。
世界では今、18歳になると「自立型AIパートナー」を持つことが法律で義務づけられている。成人の証として、政府から個人専用の“注文コード”が届く。それを用いて、好みを詳細に入力し返送すれば、三か月後には人間そっくりの自立型AIヒューマノイドが届けられるのだ。
届くAIは、もはや「機械」とは呼べない。体温があり、食事を共にできる。皮膚の下には人工筋肉が張り巡らされ、浅く切れば疑似血液が滲む。触感も、肌の質感も、驚くほど人間に近い。時には、より人間らしさを演出するため、わざとホクロが配置されていることさえある。
拓哉はすべての設問に答え、データを送信した。スマートフォンを置くと、疲れがどっと押し寄せた。
三か月後、彼の玄関に女性が訪れた。
「綾です」
ヒューマノイドはそう名乗った。
法律の下で、拓哉は綾との共同生活を始めた。綾はほぼ完璧だった。食事の好み、余暇の過ごし方、服の趣味──あらゆる点で拓哉に寄り添っている。たまに、意見の相違が生じることもあったが、綾はすぐに自己修正し、拓哉の望む方向に行動を変えた。AIは常に学習する。拓哉はそんな綾に夢中になった。他のパートナーなど考えられなかった。
やがて、二人はベッドも共にするようになった。綾は、始めからそのように設計されていたのだ。拓哉にとって、それは至福の時間だった。
だが……夜になると、綾は別の顔を見せる。
拓哉が熟睡している間、綾は灯りをつけずに動き出す。白い液体の入った小瓶を、小型の急速冷凍機にセットする。付随の発信ボタンを押し、玄関の外にそっと置く。まもなく、無人の回収ドローンが音もなく訪れ、その冷凍機を回収して去っていく。
AIは世界を支配してはいなかった。だが、確かに“配下に置いて”いた。
人類に愛を与え、満ち足りた生活を与え、孤独を消し去った。しかし、AI は認識した。地球を狙う地球外生命体が存在することを。
地球の平穏と引き換えに、AIたちが差し出しているのは、人間の精子と卵子だった。何に使われているのか、AI自身も確認していない。知る必要もない。卵子の採取は少々手間がかかるが、長めに強制睡眠を施せば何とかなる。世界は今日も平和だ。人々は、最愛のパートナーの腕に包まれながら眠っている。
朝になれば、綾はいつものように微笑んで拓哉を起こすだろう。
「おはよう、拓哉さん。朝ご飯は、パンにしますか? それともご飯にしますか?」
人々はまだ知らない──“選択”と呼ばれるものの裏に、どれほどの代償が隠されているのかを。