零華と百合子
翌日の夕刻。
部活動を終えた百合子は、私立聖マリアンナ女学院の校門を出て、浜の町商店街にある本屋へと立ち寄っていた。当人は気づいていないようだが、店内を行き来する客や店員も含めて、ほとんどがこの女に視線を送っていたのだ。だが、今の百合子は、背表紙の並びに視線を這わせているのに夢中。久しぶりに読み応えのある小説が読みたいですわね、と。そんな中、突然と華の香りと空気が変わったことを感じたので店内入り口の方へと顔を向けたら、たちまち血圧が上昇していった。そして、思わず百合子当人にしか聞き取れないくらいに、熱く呟いた。
「……零華……」
それらの視線を掻き分けるように、毒島零華が百合子のもとへと真っ直ぐに歩いてきて隣りに並んだ。店内で、まるで華そのもののような少女二人が、まわり目などを気にすることなく顔を合わせている。百合子は気を落ち着かせるなりに、女の後ろを何気に確認。すると、零華が微笑んで声をかけてきた。
「お疲れ様、百合子さん」
「お疲れ様、零華さん」
「煉は結美と帰ったから、私は今日ひとりよ」
「そうでしたの。いつも、お側にいる八爪目煉さんは、どうされたのかしらと思いまして……」
こう答えた矢先に、この零華という女は、更に百合子の血圧が上がることを云ってきたではないか。
「ところで百合子さん。今から場所を変えて、二人っきりでお話ししたいのだけれど、今からお時間いただけるかしら?」
「だ、大丈夫ですわ……!」
一重瞼で切れ長な瞳をいっぱい見開いて、輝かせながら了解した。だって、零華さんと二人っきりになれるのは、初めてなんですものと、云わんばかりに興奮していた百合子。そしてその胸中では、もしこの方の恋人と云われている煉さんが居ないこの好機を狙って、わたくしが零華さんのお傍におさまるようになりたいですわと、百合子は拳を握りしめた。
やがて百合子は零華から先導されて、浜の町観光通商店街を出た中通り商店街の数ある十字路のうち、寺町通りへと入り込む細い路地にある立体駐車場の中へと案内された。建物自体はさほど大きくなく、駐車スペースは左右合わせて八台。三階建てのうち、一階がまるまる駐車場。ここはもともと人通りの少ないので、こうして会うには目立たなくて良い場所だった。
百合子に背中を見せて暫くの沈黙を続かせたのちに、零華は女と向かい合い、瑞々しい唇を開いて語り出す。
「百合子さん。私が貴女とこうして二人で会ったことの意味を、なんとなくお解りよね」
「ええ……」
「なら、お話しがはやいわ」
こう微笑みを見せた零華が、プリーツのポケットに手を入れるなりに何かを探りつつ言葉を続けた。
「その前に……。私の聞いた情報だと、聖ガブリエラ女学園と、聖マリアンナ女学院とが紫陽花女子に力を貸すんですってね」
「ええ。わたくし達も、全面的にご協力することに成っていますの」
「―――で。その“百合子さんとそのお仲間”は、樹梨や勝美たちに協力なさるの? それとも、なさらないのかしら?」
「わ、わたくし達は……」
「んふふふ。なにも難しいことは訊いてなくてよ。―――ただ、私たちの中にも、貴女がた隠密が必要かと思ったまでだから。……唯一の隠密、煉ひとりだと負担があまりにも大きすぎるのよ。出来ることならば、減らしてあげたいわ……」
そして、ポケットから薄い物を取り出す。
「そこで、貴女の力を見込んだ上での私からの頼みごとを聞いていただけないかしら。百合子さん」
「そ、それは光栄に思いますわ。……けれど、わたくしは、麻実さん方に……。―――それに、それだけではありませんわ。私は、貴女と、戦わなければならないの……!」
百合子は、零華から直にこうして浸る二人きりの空間に込み上げてくる幸福感と、その上、代々から引き継いできた隠密としての我が力を目の前の愛しい人から認めてもらえた嬉しさに満たされながらも、だがそれらを押し殺そうかと迫る、好きな仲間たちに協力して敵対していけなければならないという気持ちに圧迫感を覚えて、苦しくなった胸元を治めるように、襟元を掴んで声を絞り出した。女の悲痛な訴えを聞いていた零華が、先ほど取り出した物を顔のあたりまで上げるなりに、語ってゆく。
「百合子さんが仰ることは、承知の上よ。それをひっくるめての、私の頼みなんだけれども。―――これ、私の写真でしょ。しかも、貴女の定期入れに入っていたもの」
そう云って顔の横でピラピラとさせた物は、零華の顔写真であった。これを指摘された途端に、百合子はたちまち顔から火を噴いていく。
「ああ、あの、そそそれは、ああ……、こんな……」
いつの間に盗られたのか。
取り乱している百合子に構うことなく、零華はじぶんの顔写真に鼻を近づけたのちに、顔を向ける。
「ねぇ、百合子さん。この写真、なんか臭いませんこと? 恐らく……、唾液かしらね。それも、貴女の」
「い、いや……、それは」
「貴女、私の写真で“なにをしていた”の?」
「そそそれは、その……」
「解っているわよ。私で“慰めていた”のでしょう」
「あああぁ……っ!」
百合子は鞄を落として、真っ赤に染まった顔を両手で覆い隠した。これほどまでにない、羞恥を突き付けられて、躰じゅうからも熱を発してゆく。そんな女の反応を楽しむかのごとく、零華はさらなる行動にでた。
「そして貴女は私の写真を、舌で舐めまわしているのよね。……こんな風に」
確認したかののちに舌を出した零華は、なんと、己の顔写真を丹念に舐めあげていったではないか。ねっとりと下から上へ舌を這わせて、濡らしていく。その瞬間に、光景を見た百合子の躰じゅうを、幾つもの稲妻が駆け巡っていき、内股に力が入って筋肉をキュッと締めつけた。同時に吐き出されてゆく、熱いものは、喘ぎも混ざっていたか。やがて、奥底から溢れ出した物が、花弁に糸を引いてゆく感覚。
零華はその様子を横目にしながら、時には舌先を使いつつ、己の写真を一面唾液で濡らしたのちに、百合子に歩み寄ってきてそれを笑顔で返した。
「はい、百合子さん」
「ああ……、私、私……」
震える手で受け取る。
そして零華が、百合子の赤く染まった耳に唇を寄せて、囁くように語りかける。
「“百合子”。こんな私のもとでも良いのなら、返事を聞かせて頂戴。貴女の意志で」
終えたあとに顔を離して、通り過ぎてゆく。すると、駐車場の出入り口付近で足を止めた零華は、未だに興奮状態の女に声をかけた。
「そうそう、今すぐにとは云わないわ。いつでもよろしくてよ。百合子さん。―――じゃ、お疲れ様」
そうして零華が足を再び進めたときに、背中に上擦った声を投げられたので、ゆっくりと振り返った。零華を見つめていた百合子の瞳は、歓喜か興奮かによって充血し、その上に潤ませていたのだ。
「ああ、あの……。わわっ、私……!」
「どうしたの、“百合子”」
「私、迷いませんわ」
「そう。それはよろしくてよ」
微笑む零華へと、百合子は歩み寄っていき、そして顔を近寄せていった。
「どうか貴女の傍に、わたくしをおいてください……」
「解ったわ、百合子」
やがて、二人の唇が重なり合い、百合子は零華から“力”を受け取った。