お弁当
1
「おはよう、八千代」
「おはよう……」
翌週の朝。
廊下ですれ違いざまに、こう毒島零華から微笑みかけられた。八千代はその女の背中を見つめていた間に、プリーツに皺が出来るか出来ないかほどに握った拳を解いて、踵を返すと我が教室へと向かってゆく。
今日は雲ひとつない、太陽の眩く輝く青空。だが、八千代の気持ちは僅かばかり曇ったようだ。
―なんで今さら、零華によそよそしくなってんだろ……。――
あの春の終わり以来、八千代は零華に対して距離を置くようになっていた。
昼休み。
三年F組。
教室へと入ってきた人物に、クラスメートの大半が静かながらも歓喜に包まれた。それは、ミス紫陽花でもありA組の毒島零華が足を運んできたからである。少しばかり初夏の熱気にやられていた室内が、華の香りとともに、心なしか涼しくなったようだ。しかし、零華は、いったいなんの用なのか。
女の行った先には、窓際で机と机どうしをくっつけて歓談しながら弁当を突っついている、口縄龍と水野槌珠江の姿が。零華が、窓際の隣りの列に「席、お借りしてよろしいかしら?」と於呂智象美に断って快諾をえるなりに、机を引っ張ってきてその二人の席に付けた。これに驚く龍と珠江。龍が、白身魚のフライから箸を離して声をかける。今日は、ソーセージの菠薐草炒めが上手くいった。
「零華、お前……。なにしに来たんだよ……」
「私も両手に華で食べたくなっただけよ」
そう云いながら弁当を開いていく。しかもその顔は、少しムッとしていたような気が窺えないでもない。こんな女の表情に魅力を感じつつも、珠江は鯖の塩焼きを箸で割きながら話しかける。とろけるチーズを巻いた卵焼きは好物なので、メインに取っておく。
「零華」
「なに?」
「今の、その『私も』って、どういう意味……?」
「……あのね」
「うん」
「さっき、弁当かかえた八千代が、真也と志穂に挟まれて屋上に行くのを見たの。……だから……」
「ほ、本当にそれだけ?」
「それだけじゃないわ。大丈夫、貴女たちに用はちゃんとあるわよ……」
「……」
こう最後は、口ごもりつつ弁当をかかえて白飯を口へと運んでゆくそんな零華を見ながら、龍と珠江の二人はちょっと可愛いと思った。
「でも、びっくりしちゃった。貴女がA組から“出張”してくるなんて」
ひとつ云ったのちに、珠江は鯖の塩焼きを口にふくんだ。流石は私、美味しい。
「珠江だって、わざわざB組から“出張”してきているじゃない。……おーおー、熱い熱い」
負けじと返したあとに、零華がお煮しめの人参を口に入れる。毒島家代々女系に伝わる、この醤油加減は絶妙よね。でも今回は、ちょっと薄すぎたみたい。次は、そのジャガイモを頬張った零華は、何かを思い出したようだ。やっぱり煮込み料理には、男爵芋よね。
「あ、そういえば。麻実の姿が見えないわね……。―――どこ行ったの」
すると、水筒のお茶を口に注ぎながら、龍が窓を箸先で“ちょいちょい”と指してゆく。
「……学級委員長はK組からきた例の双子に手を引かれて行って、今は三人仲良く木陰で食べてるぜ」
「あの子たち、オマケにゴシックメイク落としていたから、私、てっきり下級生かと思ったわ」
呟いた珠江が、チーズ巻きを口に放り込む。
この二人が誰と誰のことを云っているのかがはっきりと解った零華は、なんだか微笑ましくなった。
2
「あのなー、お前たちにも似通った趣味のクラスメートがいる筈だろ。翠、茜」
木陰で胡座をかいて弁当を広げている麻実が、稲穂姉妹に挟まれていた。
「……だって、いないもの」
「いないから、貴女のところに来たんじゃない」
横座りでお互いにおかずパンを咀嚼しながら、順に言葉を発した翠と茜。噛んでいた海苔巻をお茶で流し込んだのちに、麻実は再び切り出す。相変わらず志穂は、塩加減が最高だ。嫁に欲しい。
「なんだなんだ? 二人してパソコン使えるんじゃなかったのか。コミュニティーサイトで仲間たちとオフ会開いたりしないの?」
「いいえ。―――私たち持っているけれど、ネットは引いていないから」
「……なるほど」
代表して答えた茜に、麻実は納得したようだ。それにしても、このアスパラのベーコン巻きは旨い。
 




